第五話 ウェルカムトゥザミート
──西暦二◯二五年十二月八日 東京都葛飾区 源寿院会館
鉄製のベッドに寝かされているのは、3つの死体。
面布がかけられ表情は分からないが、目を閉じれば、明確に瞼の裏へ描くことができる。
彼らの顔を。声を。身長を。
Pは流す涙もなく、ただ死体の傍らに立っていた。
テツヤは壁によりかかり、俯いている。
重たい空気を電球がうっすらと照っている。
小さな窓の外は、夜。
あのカフェテリアでの一件から──半日も経っていない。
「……テツヤ」
訊かずにはいられない。
「何?」
「……俺を狙うビックネームが、一斉に消えた」
「あぁ。言い方は良くないけど──」
テツヤが言い淀む。
「──これで、しばらくは安全だね」
「……」
「チケットがある。今の内に──」
キィ。
鉄製のドアが鳴った。
そっと顔を覗かせたのは、黒いジャケットを羽織ったホロイワだった。
「……ホロイワさん」テツヤが顔を上げる。「あ、あの」
かけられる声も聞こえずに、彼女は死体の一つに歩み寄った。
「……これ、とっていいの」
「あー……いいんじゃ、ないですかね」
面布をそっと外し、その下を検める。
俯いた彼女の表情は誰にも分からない。
すぐさまかけ直し、肩を震わせ出した。顔に当てた両手から嗚咽が漏れている。
テツヤの歯ぎしりが響いた。
「……クソが……ッ」
拳で壁を殴る。
Pが顔を上げると、テツヤの頬に二筋の涙が伝うのが見えた。
「ホロイワさん、……俺が、殺した野郎をぶっ殺しますから」
「いい!」
ホロイワは叫んだ。
「もう、皆に危ないことして欲しくない……」
「……舞台は、残った人たちでやりましょう」テツヤが絞り出すような声で云う。「コイケのためにも、俺たちで……」
「……うん……」
ブブ、とマナーモードの音。
「すいません」
テツヤがポケットからスマホを取り出して、部屋を後にする。
カチャリ。
そっとドアを閉めると、テツヤは廊下の壁に背をつけた。
そして溜息をしてから、通話に応じる。
「Пожалуйста, обеспечьте вашу безопасность」
*
──粢歴◯◯二三年 胎内
波打ち際。
赤い海が、引いては寄せて、寄せては引いている。
その液体の往復運動が、砂浜に倒れたコイケに当たる。
目を覚ます。
まず、腐った肉の匂いがした。
「あ~……クッソ」
上体を起こし、声のした方を向く。ソラが眉間を摘み、首を振っていた。
服が濡れている。
新鮮な血の匂いがする。
見上げると、どこまでも高く赤い空が突き抜けている。
砂浜は延々と続いていた。砂は白い。手についたそれを拾い、よく観察してみる。
干からびた眼球。
砂浜沿いに生えているのはヤシの木──ではないな。
よくみるとその幹はぬらぬらと光って内蔵めいている。その上についた果実は……何だ? 胃か? さらに上で茂る葉は……巨大な舌か?
とにかく、目に入るあらゆるモノが赤い。痛くなってくる。
最悪だ。
なんだこの場所は。
「最悪だ」
ナカハラの声がする。彼は陸地の方を見渡しながら、苛々と足を打っていた。
「俺達騙されたんだよ」
「騙……され……?」
「Pちゃん──いや、刀の悪魔の野郎……。調子のいいこと云っておいて……」
「ちょ、待って下さいポッターさん」
「ここは強欲の悪魔の腹ンなかだ」
振り返ったナカハラは、憎悪に支配された厳しい目をしていた。
「強欲の悪魔は命を食す。腹ンなかで輪廻転生が完結してる」
「じゃ、じゃあ俺たちもう──」
「出ようと思えば出られるけどな」
「え」
「でもいい機会だ。やることがある」
そう吐き捨てるように云ってから、ナカハラは陸地の奥へと姿を消した。
彼が歩くたび、肉を潰すような不快な音が響く。
「クソがッッッ!!」
そんな怒気に満ちた声が遠ざかっていった。
*
コイケが目覚める三十分程前──。
そこに『彼』は立っていた。
厚着に特注ジーンズの巨漢。
両手足には分厚い金属製の輪。輪の先には鎖が繋いであり──途中で引き千切られている。
『彼』は意識を取り戻した後、拘束具を余裕に破壊すると、本能赴くまま施設にある命を食い荒らしていた。ことさら悪魔の匂いが強いヤツを狙って。
その果てで辿り着いた。
並んだ3つの鉄製ベッド。
そこに横たえられた、3人の男。
「ンあぁ…」
足を掴み、口を開け、小魚を丸ごと飲み込むようにして、頭から、食す。咀嚼なぞ煩わしいことはしない。
きっちり3人仲良く、一飲みにごくり。
──多人数の足音が近づいてくる。
再び沈黙させられるまで、果たしてアト幾つ食えるのか。
*
ソラが嘔吐しきるのを待ってから、コイケは足を動かしだした。
「メメのやつ、腹ァ空かしてねぇかな……」
口を拭いつつ、ソラが呟く。
コイケは応えずに歩を進めた。
胃の生ったヤシの木を超えると、そこには道路があった。──といってもアスファルトで舗装されてはおらず、艶のある肉壁が彼方まで続いていた。さらに奥地には山のようなものが聳えていたが、本能が警鐘を鳴らしたため直視していない。
靴の裏に、細かなヒダの潰れる感触。
踏みしめる度に数センチだけ柔らかく沈み、ぬめり気のある液体が染み出してくる。
「コイケさん……ここ、どこの国か分かります」
「はぁ?」
「え」
「……ソラ、もう海月を使うなよ」
「……」彼は応えなかった。
道の奥に──
「んだあれ……」
階段が置かれていた。
この世界唯一の無機物建造。
自然と身体が吸い寄せられる。
小走りで近寄ると、三段目あたりにナカハラが座っていた。
「ポッターさん!」
「……」
ナカハラは包帯の上から目の傷を掻いている。
「もう来る」
「何がですか。てか、ここから出る方法って何ですか」
「報復の悪魔」
「……そんな都合いいやつがいるんですか」
「怖ェだろ、報復」
ソラはナカハラの口調に違和感を覚えた。
この人、こんな格好つけた喋り方してたっけ……。
と。
階段の最上段──何者かが浮かんでいた。
逆さまの図体。足首にはしめ縄。白目。口から垂れ続けるモツ。焼けただれた皮膚。
異形なハングドマンが、いつの間にかそこにいた。
全身の血の気が引いていく。
「……報復の悪魔……」
ナカハラが片足を立てて、うやうやしく頭を下げた。
コイケとソラが、警戒して一歩退く。
「寿命をやる。だから──」
「──マツミを殺した野郎を、ここに呼んでくれ」
*
3機のヘリがビルの頭上を旋回している。
ヘリポートたる屋上。
スポットライトの浴びる先。
星もなき夜空を背後に、『彼』は立っていた。
「うわぁ」
非常階段を登りきったPがペントハウスより顔を出す。そして苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
死屍累々。
公安のスーツやら機動隊のシールドやらが落ちている。
そして、食い散らかされた部品の山。
「アぐ」
また一人、『彼』に飲み込まれた。
その身長はいつかより高く、3メートル──下手するとそれ以上であった。
成長している。
人を食いすぎている。
「ヤダなぁ……」
Pがぼやいて『彼』へ歩いていく。騒ぎを聞いて、最初は行くのを渋っていた。しかしこれだけ大事になってしまったら、流石に見過ごせない。
大いなる力には大いなる責任が伴う──。
好きな映画の台詞だ。
俺は不死身の上に胡座をかいているわけにはいかない。
テツヤにラインしておいたが、もう見たのだろうか。というか何処に行ったんだこんなときに。
『彼』が鼻をひくひくとさせ出した。
馳走の匂い。
最高潮の悪魔の香りを──その目に捉えた。
2人が対峙する。
*
どさり。
階段の最上段に一人の男が降ってきた。そのまま段々と転げ落ちていく。
肉の道路に投げ出された身が仰向けとなり、彼の顔が顕になった。
「……違う」
その男はミトジュンヤであった。
「……俺が云ってるのは、運転手のことじゃない。マツミを殺すように仕向けたやつだよ!」
「それは 彼だ」
ハングドマンの掠れた声。
「彼以外、マツミの死には関与していない」
「……は?」
「彼の居眠り運転がマツミの死を招いた」
「ちょっ──と待て、おい」
ナカハラが、先程の敬うような姿勢とは打って変わって、肩を怒らせ階段を上っていく。
「マツミは殺されたんじゃないのか」
「あぁ 殺された 偶然に」
「偶然……。偶然、?」
ナカハラが悪魔へと詰め寄る。
ただ悪魔の顔と呼べる部位は下にあるので、子供にでも話しかけるかのように中腰であった。
ちょっと間抜けだ、とコイケは状況に似合わず笑いそうになる。
「そんなわけないだろ!」
「ある」
「じゃ、じゃあ、なんで、マツミは」
「彼が偶然居眠りをしたからだ」
「あ、ィ……、俺は、俺は──師匠は、なんのために……」
「事実だ」
ナカハラが、がっくりと腰を落とし、地面を握りしめる。
てか、レオンさん死んでるのかよ。
コイケとソラは軽く驚いていた。
*
ナカハラは、
慌てた
師匠への罪悪感
ホノカへの感謝
マツミへの決意
それらを支えていた──憎悪。
が、消失した。
意味がない。
師匠が死んだ意味も
マツミが死んだ意味も
俺が殺した意味も
そんな現実を認めてはならない。
夢?
この世あらゆる悲劇には、意味があり未来があって然るべきじゃないのか。
顔を上げる。
瓦礫のホーム。
マツミと、ホノカと、師匠が立っていた。
師匠 仇を討て、ナカハラ。
ホノカ ノゾムならやれるよ。
マツミ 大丈夫。人は死んだら、映画館に行くんだから。
「──あぁ」
ナカハラは頷き、安心する。
良かった。これで、なんとかなりそうだ。
代入せねば。
誰を?
マツミ ──全て、アイツが悪いんだ。
そうだ、
マツミ アイツはノゾムを裏切った。
その通り。
マツミ 皆んなアイツの心臓を狙って、ヒドイめにあった。
マツミ だからノゾムが取り除いてやってよ。
皆のために。
Pを殺せ。
……よし、良かった良かった。
これでなんとかなる。
「──天国の悪魔よ」
「契約の続きです。……強欲の悪魔の心臓をあげます」
「俺にどうか──、刀を殺せる力をください」
*
「なっ………」
ソラが、ナカハラの言葉に愕然とする。
「なに…、いってんだテメェ…」
地響き。
耳を劈く咆哮。
赤い空がヒビ割れ、黒い光が差し込みだす。
肉の世界が崩壊していく──。
つづく
第五話 ウェルカムトゥザミート
次回、決戦!