忘れられない記憶

 泣きたかった夜に、泣けなかった、あの日のことを、アルバムにたいせつにしまっておくつもりもなく、わたしは、不要になった記憶を、どんどんと捨てられるにんげんに、なりたかった。けれども、にんげん、というものは、どうしてか、忘れてしまいたい思い出ばかりを、執拗におぼえているような、気がする。忘れてしまいたいこと、即ち、二度と起きてほしくないことだと考えると、おなじ過ちを繰り返さないよう、肝に銘じておきなさいと、神さまみたいなものが、耳元でそっと囁いて、わたしが忘れてしまわないように、脳内に刷り込んでいるのではないか、などと想うのだ。他人の心に疎かった幼少期に、無邪気なままに傷つけた誰かのこと。酷く冷徹な態度で、興味のないものを躊躇なく排除する、なにかにつけて頑なだった頃のこと。ありがとう、ごめんなさいを、素直に言えなかった瞬間のこと。あたまのすみっことで、もやもやと漂っているそれらに触れたとき、ぶわっと溢れてくるのは、おのれの無知さや、幼さで構成された、あまりにも恥ずかしい当時の光景である。そういうのはもう、二度としないと心に誓っても、生きている以上、わたしは、にんげんは、似たような後悔に苛まれるのではないか。わたしが、にんげんで、そして、世界、社会というなかで、多くのにんげんと関わっていくあいだにも、このような忘れたくても忘れられない記憶はどんどんと蓄積され、ふいに、とつぜん、突拍子もなく蘇っては、なんだか、からだが一瞬、熱く、そして、急速に冷たくなるような感覚に、胸の裏あたりがぞわぞわとするのではないか。
 いやだなぁと思う。
 けれど、案外そういうものは一晩寝るとまた、おとなしく鳴りを潜めるものだとも思う。
 へんなところで、いきなり、ぬっと顔を出すのは、やめていただきたいけれど。

忘れられない記憶

忘れられない記憶

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-30

CC BY-NC-ND
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