『アナグラム』
会議室のホワイトボードには「春の庭園密室殺人事件製作委員会」と書き出されていた。
その下に赤いマーカーで、刺殺された被害者が血文字でダイイングメッセージ残す、と書かれている。
会議室には口髭あご髭を伸ばした監督と、ベージュのハンチング帽が似合う脚本家がいた。
長机をはさんで対面に座った監督と脚本家は膠着状態だった。
しばらくの沈黙のあと、ひさびさに口を開いたのは脚本家だ。
「こんなダイイングメッセージはどうです?」
そう言って、立ち上がるとホワイトボードの余白に書き始めた。
『このさ椿や梅いい』
脚本家が書き終えて、ホワイトボードを叩いて強調までした。
すかさず監督が答えた。
「脚本家ちゃん、そりゃストレートすぎるよ。庭園が舞台で、犯人役が造園家なんだから」
若干、監督の語気は荒めだ。
「樹木を褒めれば、暗に犯人が分かるって!」
監督のダメ出しに、すかさず脚本家はマーカー文字を消すと、
「ではこんなダイイングメッセージはどうでしょう?」
新たにホワイトボードへ書きなぐる。
『ご本人がいます』
脚本家は監督を振り向いた。
「却下。密室殺人だから、犯人は必ず登場人物の誰かだって」
すぐさま監督は否定した。
無言で席に座った脚本家は、今度は椅子の背もたれに体重をかけ、ゆれながら天を仰ぐ。
何か、ぶつぶつ、つぶやきはじめた。
腕組みをした監督は目を閉じている。
どれくらい二人の会話が途切れたろうか。そこへ、ガチャリと扉が開く音がして、
「二人ともー、頑張ってるかい。差し入れだよー」
ケーキが入っているような白い箱を持ち上げ、プロデューサーが現れた。
いかにもなプロデューサーで肩にピンクのセーターを巻きつけている。
「プロデューサーちゃん、いいところにきた」
両手で机を叩きながら監督は立ち上がる。
「甘いものが恋しいかー?」
「脳みそがすかすかだって」
「でも監督。脚本家はそうでもない感じー」
プロデューサーに言われ監督は振り返ると、脚本家がホワイトボードに赤マーカーで、キュッキュッと書いていた。
「これならどうです!」
『心臓が買えたさ』
自信ありげに脚本家は、そう書かれたホワイトボードへ手を添えた。
「いやいや。いきなり臓器売買の話になってるって!」
監督が、ないないと何度も右手を顔の前で振っている。
「アナグラムにしたんですよ、監督。よく考えてください」
「アナグラム?文字の綴りを並び替えて読み取るって、だよね」
監督がホワイトボードに近づいた。
プロデューサーも食いつくように見ている。
「あー、わかった!」
手を叩いてプロデューサーが叫んだ。
「造園家が刺した」
「正解!」
プロデューサーを指差す脚本家だった。
「なるほど、考えたもんだね、脚本家ちゃん」
親指を上げる監督は笑顔だ。
会議室から笑い声が漏れる。
「でもー」
笑いをやめたプロデューサーは真顔で切り出した。
「刺されて瀕死の被害者が、短時間にそんなアナグラムなんて、手の込んだダイイングメッセージ残すかなー」
首をひねるプロデューサーだった。
「いいんだよ!ドラマなんだから。リアルに考えない」
監督は叫ぶ。
「たはは」
笑いが消えそうな脚本家だった。
『アナグラム』