献花

献花

 荘厳な葬送歌と大勢の参列者の中、片手で杖を突きもう片手を夫人に支えられ、彼はゆっくりと棺に向かった。
 棺に横たわる男は彼の親友だった。享年七六歳。眠るように安らかな死に顔だ。
 彼は献花しようとして、手にした花がローダンセであることに気づいた。花言葉は「終わりのない友情」。何気なく手に取ったものだったが、自分たちにぴったりの花ではないか。
 彼と親友は国籍も人種も民族も違うが、職業は同じだった。年齢もほとんど同じで、親友の方がほんの一週間早く生まれただけの差だった。親の仕事の都合で国境を越えた家族ぐるみの交友があったが、親の仕事を継いだという境遇も共通していた。

 彼と親友が最初に出会ったのは五歳のときだった。親友の両親が仕事の都合で彼の国を来訪し、彼の両親と会ったときだった。このとき二人は言葉こそ通じなかったもののすぐに打ち解け、友達になった。なんとなく運命のようなものを感じていたのかもしれない。 お互いの国が遠く離れていたため、なかなか会う機会はなかったが、ときどき手紙をやり取りした。外国語は難しかったが、親や先生に助けてもらいながら少しずつ覚えた。ある程度言葉が話せるようになってくると、国際電話をかけるようにもなった。そんなふうにして二人が親密になってゆくのを、親たちはよいことだと思っていた。いずれ自分たちの後を継いだ時、この交友関係は役に立つだろうと考えていたのだった。

 そして一五歳のとき、彼と親友はともに自国を離れて外国の学校に留学した。祖国を離れての生活ではあったが、二人一緒ならば寂しいことも退屈なこともなかった。同じ寄宿舎で暮らし、同じ教室で学び、他の学友たちとつるんで遊び、ときには若気の至りで無茶や馬鹿もやらかした。
 あれはいつだったか、同じ寄宿舎に住む留学生たちと悪巧みを企てたことがあった。
「おい、夜の街に出ようぜ」
「いいね、行こうか」
「学生だとばれたらまずい。変装して大人の格好で行くんだ」
「寄宿舎の玄関には守衛がいる。裏から出なければいけないな」
「よし、今夜一一時に決行だ!」
 そして見事に脱出に成功。夜の歓楽街へと繰り出した。それは思春期の少年たちにとって刺激的で蟲惑的な体験だった。だが、一見成功に思えた計画も、ひとつ大きな穴があった。明け方、寄宿舎に戻るときのことを全く考えていなかったのだ。結局、この一連のやんちゃは最後に露顕し、一同激しく大目玉を食らってしまった。あのときは一生分怒られたかと思ったほどだった。幸い大事にされることはなかったが、二週間の謹慎と反省文、そしてその後しばらく監視の目が一層厳しくなったものだ。そんな事件も今となっては、なつかしい思い出の一ページだ。

 先に結婚したのは親友の方だった。三一歳の夏、相手は二歳年下で隣国の王族とも縁のある令嬢だった。彼は家族と共に親友の結婚式に参列したが、披露宴の余興では親友と二人でピアノの連弾を披露した。そのぴったり息の合った様子に、
「ほんの少しだけですけど、嫉妬してしまいましたわ」などと、新婦にからかわれてしまった。
 親友は彼にこっそり耳打ちして、
「次はお前の番だぜ。また二人で今度はお前のカノジョも嫉妬させてやろうじゃないか」と言って笑った。
 このとき、彼には既に婚約一歩手前の人がいて、二年後に結婚した。
 その披露宴で彼はバイオリンを弾き、親友がギターで伴奏してくれた。やはりその息の合った様子に新婦も出席者一同も目を見張っていた。その後、親友の夫人から何か耳打ちされて笑っていたようだったが、何を言われたのかは結局教えてもらないまま今に至る。

 二人はそれぞれ親の仕事を手伝ってはいたが、正式に後継者として引き継いだのは彼が先で、四八歳の春だった。親友の方はそれから四年後の五二歳で親の後を継いだ。
 それからもときどき仕事で会うことはあった。彼が親友の国に行ったり、親友が彼の国に来たり、それぞれ仕事で行った先の国で同席することもあった。そのたびに二人は仕事の後で個別に会い、仕事のことや家族のことなどあれこれ話し合った。そんな話の内容に、徐々に体や健康に関する話題や、後継者の話題が増えてきたのは十年ぐらい前あたりからだったと思う。「膝や腰がよく痛む」と言う彼に対し、親友は「体がだるい」「息が切れる」などと言ったものだった。
 その頃は既に二人とも仕事はかなりの程度息子たちに任せられるようになっていたが、親友はだんだんと健康上の理由で仕事を休むようになり、重要な仕事もその長男が代理で行うことが増えてきた。
親友はそんな息子を「家内に似たのだろう、俺にはもったいないほどの立派な倅だ」などとよく自慢していたが、その自慢の息子は今日ここで立派に喪主を務めている。

 彼が最後に親友にあったのは二年前、仕事で親友の国を訪問した時だった。
「老けたな」と彼が言い、「お互い様だ」と親友が言い、二人で笑った。
 その翌年、親友が病状悪化のため入院したとの報があった。
 彼が最後に親友の声を聞いたのは先月、見舞いのため私的にビデオ通話で話した時だった。病室のベッドに横たわる親友は痩せさらばえ、体のあちこちに管がつながれていた。だが、肉体は衰えても精神に衰えはないようで、
「退院したらまたおまえの国に行くから、美味い店を何軒か目星つけておいてくれよ」と言った。
「それよりも昔みたいにこっそり夜の街に行こうぜ、そういう店なら探しておいてもいいぜ」と彼が言うと、
「ああ、それもいいな。今度は若い奴に変装してさ」と言って笑った親友の目の光は、若いころのそれだった。
 親友が意識不明の危篤になったという知らせがあったのはその翌週。そのまま意識が戻ることはなく、今日の葬儀となったのだった。

 そんなこれまでのさまざまな思い出が去来したら涙があふれ、彼は棺にすがって泣いた。
「いままでありがとう、さようなら」そう言って泣き崩れる彼の姿は、テレビや動画サイトを通して中継されていた。
 親友の国では『自国の国王の葬儀で友好国の国王が号泣』として大いに話題になった。
 彼の国でも『自国の国王が友好国の国王の告別式で慟哭』として大いに話題になった。
 その他の国々でも同様に大きく取り上げられ、このことは世界中でさまざまな議論があった。

 彼が崩御したのはその五年後だった。

 彼の国と親友の国が戦争になったのはさらにその五年後だった。

献花

献花

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-30

CC BY-NC-SA
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