土岐の鷹⑥

雲心

   六


すぐそこで桜の子葉が芽吹いている。
丹後国の和田弥十郎に書状を宛てた四月上旬、惟任光秀の小姓衆を束ねる平六は、縛を解かれた日から献身する佐々川箕六の成長を思い浮かべた。
「主命により、惟任日向守さまの小姓となるべく参りました」
手土産のひとつもなく、気の利いた申し出すら行えない。
それどころか氏素性(うじすじょう)の怪しい佐々川箕六の登用で小姓頭に昇進した平六には、節目に映える箕六の存在は(いと)わしかった。
(なぜあのような者を惟任日向守さまは重用なさるのか)
近江坂本きっての韋駄天(いだてん)ということで、四人の小姓衆の末席にありながら、いまは重要な書簡をとどける伝馬役(てんまやく)となっている。
凡庸としか思えなかった理才が輝きだしたのは、ちょうどその頃なのだ。
(健脚だけが取り柄の者に負けるわけにはいかない)
平六は薄布の手甲(てっこう)を握りしめたまま、近江坂本の居城に向かう惟任光秀に存念を述べた。
「惟任日向守さま。羽柴軍の竹中重治という者をご存知ですか」
「藤吉郎どのの腹心か」
「はい。羽柴の命線(めいせん)たる軍師でありながら、商才に長けた者です」
「噂は聞いている」
平六の賛辞に惟任光秀は僅かながらも首肯(しゅこう)する。
戦線維持から、いったん播磨国に戻った羽柴秀吉に代わる陣将として、同国三木の城攻めを預かった竹中重治は、軍需品の供給網を構築すべく、各地に散らばった商人を手なずける手腕で有名だった。
「風が吹けば桶屋(おけや)が儲かる」といわれた後世ほどではないにしろ、ひとたび戦が起きれば商人が暴利を(むさぼ)っていたこの時代、商人らの流通網は、侵攻国にとって軍況を左右する配剤だった。
「いくら強力な兵器と武具をそろえようと、扱うのはわれらだ」
豪語する各国の足軽将兵は、威嚇射撃で無駄玉を撃つこともあれば、戦況次第で陣地を徘徊する行商人と売買交渉をすることもある。
中にはあこぎな者がいて、報告上は「交戦で破壊された」などとうそぶき、部隊ぐるみで装備の換金利益を着服する場合がある。彼らの惨状を平六が知ったのは、幼い時分、家業の鍛冶で副産した炭売りで相手をしたときだ。
そうした事態を避けるためなのか、高価な戦場物資は諸将に敬遠されていた。
導入に障りがあると判断された時点で、戦備の枠から外された品々の未来は暗い。
武将の威を示すための〝装い〟となるならまだ良く、鑑賞用の絢爛豪華(けんらんごうか)な立品よろしく、側室や愛妾(あいしょう)の持ち物となるか、土蔵の栄えある肥やしとなるのが常だった。
「買って損はないと言われたが、このようなものを抱えれば、在荷は(かさ)み、士卒は無駄骨を折ってしまう」
諸将が歯牙にもかけない商品は、えてして廉価となる。
それらを見定め、あらたな利用価値を見出していく。
精錬たる「軍備」の運用手腕こそ、有事から離れた軍師の評功だった。
「あれほどの商才を持ちながら、なぜ竹中重治どのは羽柴筑前守どのの懐刀(ふところがたな)となったのでしょうか」
平六は楊梅(やまもも)の山樹を横目、馬上の惟任光秀を仰いだ。
「軍師は兵馬の(さい)に加え、軍事調練・武具支給の段取り・兵糧確保・攻城兵器の準備を含めた城砦普請など、戦場のあらゆる権限が自在となる。昇竜(のぼりりゅう)のごとき藤吉郎どのに師事するのは、大軍の指揮者として辣腕(らつわん)を振るいたいからだ」
「英俊な方ですね」
「ただの英俊であれば、才気煥発な藤吉郎どのは、自ら登用に赴くことはなかったはず。あれは神算の徒だ」
惟任光秀は竹中重治の偉才を称えた。
その瞳をみていた平六は、仄暗(ほのぐら)い感情を(うず)かせずにはいられなかった。
(敬意とは別の念が含まれているのではないか)
いつものように想起した箕六が重なりはじめる。その都度、「尋常ならぬ主君の畏敬というものは、敵味方、分け隔てなく起こるものである」と平六は己を鎮めていたとはいえ、随伴(ずいはん)する今日に限っては、雑念を払えない。
そもそも平六の持ち味は、誰よりも眼前の機微に敏いことだった。
「存在だけで威を与える者は、そういない」
馬沓(うまぐつ)に目を落としたまま、頭上に張られた一本の蜘蛛糸(くもいと)をよける惟任光秀の機知は、平六からすると、凄絶な一端を秘めている。
並の能ではない。
その主君に「神算の徒」と言わしめる才など、伝馬役となった箕六を含む小姓ら三人の監督がようやく板についてきた自身には及びもつかず、妬心(としん)の向かい先さえ分からない。
ただひとつ、気になる評はある。
「小畠永明どのが陣没する前から、播磨三木の敵城内では、干殺(ひころ)し(兵糧攻め)による飢餓が蔓延(まんえん)している。調略で降伏や寝返りを誘引できるほどの優勢にもかかわらず、竹中どのは武力制圧を具申している」
惟任光秀の懸念が終わるころには、かすかな霧に包まれた薄野は、蘚苔林(そたいりん)とならぶ原野に変わっている。
琵琶湖の(ほとり)に限らず、領内外の浜辺や河岸(かし)で多生するのは、決まって葦草(あしくさ)である。
葦といえば、万葉集や小倉百人一首などの枕詞(まくらことば)で用いられ、水辺にちかい場所に群生することから、「浜荻(はまおぎ)」ともよばれている。
和歌の夢枕(ゆめまくら)として朗吟された「難波江」「難波潟」のように、有名な「伊勢の浜荻」の別称以外でも、地名と掛け合わせた呼称であらわすことがある。
平六は小波にちりばめられた陽色をもとめる葦草を、意気揚々と踏みしだいた。
歌心はなくとも察していた。
百姓たちが通行を妨げる「()(くさ)」と呼んでいたことを。そして分け入るように進まねばならない同道者の苛立ちが重なっていることを。
それがようやく原風景に変わろうが、平六には沃野(よくや)につながる懐古の情は浮かばない。
黙々と湖畔の浜荻を進むあいだ、早咲きの梅花藻(ばいかも)が沈んださきに、三艘(さんそう)の小舟をみつける。
泥濘(ぬかるみ)を敷き詰めたような舟入(ふないり)には、東岸からやってきた商人が輪を成していた。
積荷を確認している顔は、どれも湿地と遜色ない灼面(しゃくめん)だ。
その黒顔のひとつが動いたかとおもうと、周囲に(かしず)きを促している。
「またとない商日和(あきないびより)か」
馬を止めた惟任光秀は、精魂みなぎる者たちに白い歯を向けている。
「用意のある者は、あとで城に来い」
主君の 放埓(ほうらつ)そのまま、一行は舟入を中心とした城外市場を右手、坂本に入城する。
剛健な挙措(きょそ)をいただく城路には、数多の侍屋敷が控えていた。
湖畔に浮かぶ環濠主郭(かんごうしゅかく)と直結する二之曲輪。そして左右の懸橋(かけはし)で三之曲輪とつないだ坂本城は、普請に冴えた惟任光秀の集大成だった。
居城を構える際には、総石垣を体現した織田信長の居城──竣工間近(しゅんこうまぢか)となった安土に匹敵しない規模を念頭とし、近江国最大の支城となるべく、明智の総本山たる縄張りを体現したといわれている。
もっともそれは実現しなかった。
というより、完璧な造成は叶わなかったというべきか。
厳格な織田家では、万一の謀反を考慮した体裁から、城砦普請は信長の承認審査において、戦働きや内政庶務など、勲功の多寡(たか)で判断されている。
なかでも城郭の造営規模や屋根瓦の有無、火や鉄砲に強い黒金門の使用許可、石垣の配備等は、普請にまつわる設置要件のなかでも、満たすのは非常に難しい。
その意味では、浪人出の家臣の中で、惟任光秀は最初に大規模な築城許可を与えられた稀有者(けうしゃ)だった。
薫風(くんぷう)を駆けたその主君の馬尻はいま、(つじ)(十字路)に置かれた濫觴(らんしょう)の石塔を折れようとしている。
高麗(こうらい)の風情を残した商人と会釈を交わすこと数度。
威風堂々と侍の住処(すみか)に深入るなか、懸橋(かけはし)とつながる門前で、恐縮した番兵から客人の有無をつたえられた。
「安土より御妻木さまがおみえになられております」
「そうか」
発した惟任光秀の(かお)には、刹那の暗巡が浮かんでいた。
御妻木とは、信長が側室とした惟任光秀の妹御である。
滅多にみせない狼狽(ろうばい)だろうか。
目を伏してこちらに(はか)る惟任光秀は、悉々(しつしつ)と言葉を選んでいた。
「御妻木は天守入りしたのか」
「はい。惟任日向守さまが不在と知った今は、丹波亀山から戻られるまで、別室でお待ちになられております」
「すぐに向かうと伝えろ」
命じた惟任光秀が下馬すると、番兵は物憂げな主君に思うところがあったらしい。
籠手(こて)結代(ゆいしろ)をすばやく直し、主命に沿って走り出している。
番所で饗応確認(きょうおうかくにん)を済ませた平六は、惟任光秀を導くように棟門(むねもん)を抜け、版築(はんちく)の盛土に総石垣をのせた二之曲輪の通過中、不安をのぞかせた主君の本心を聞いた。
「会えばわたしの正体は判ずる」
「心配には及びません。われらが取次(とりつぎ)として饗応いたします」
平六は普段と変わらぬ動静を勧めた。
さきで承諾した以上、足労した相手は立てねばならない。
まずは歓待姿勢をみせ、その上で急遽(きゅうきょ)、差し挟まれた公儀を理由に御目通(おめどお)りは叶わなくなったと伝えれば、相手も納得すると示した。
(とはいえ油断はできない)
なだめた主君は落ち着いたが、懸念は(くす)ぶっている。
念入りに平六は侍屋敷にいた若衆に所用を申しつけた。
その高身が去る前には、惟任光秀の警護にあたっていた馬廻衆のうち、もっとも目端の利く者を選出すると、先んじて主郭に向かうようつたえた。
懸橋(かけはし)には白波の唸りが響いていた。
誰がともなく、青海波の水景をながめていたそのとき、放った累臣(るいしん)が戻ってきた。
「御妻木さまは南西の小天守におられます」
「侍女らと戯れていましたか」
「いえ。里村紹巴どのと一緒に参られた托鉢(たくはつ)の僧と、墨画の教練に(ふけ)っておられるごようすでした」
「そうですか」
平六は謝意を表してまもなく、主君に平伏して報じた。
客人の在室を確認したことで、いくらか気は晴れたのかもしれない。
「では参ろう」
惟任光秀の号令を受けた一行は、化粧金物(けしょうかなもの)のかがやく大門を臨んだ。
肘壺(ひじつぼ)の軋みがこだまするなか、やや長めの懸橋を越え、土留(どど)めを横切るように主郭入りした。
しかしながら、二之曲輪とおなじく湖水で囲まれた環濠式(かんごうしき)の主郭は、到達時点で内部に入ることは出来なかった。
理由は湖畔(こはん)に浮かぶ浮島の城構えだった。
懸橋を抜けた平六たちはいま、天守と小天守が廊曲輪(ろうくるわ)によって繋げられた石格子の中心にいる。
それは中庭に放り出された格好と似ている。
湖畔に石垣を積み上げ、盛土で形成した人工島の上に主郭を建立したとはいえ、有事に大門前の懸橋を落とすだけでは、防備に不安が残る。
そう考えた惟任光秀は、あえて主郭の中央を空閑とし、天守と小天守を廊曲輪によって繋いだ、後世の「連立式」を採用していた。
連立式の利点といえば、表門に等しい大門で敵の大部隊を防ぐかたわら、城内に直結する御門で通路に入り込んだ小兵を足止めしつつ、周囲の建物越しに攻撃が可能な点だ。
この近江坂本についても、主郭の内部に入る場合、(そび)え立つ石垣と射撃口の狭間(さま)に息を飲んだまま、屋根井戸と不動明王を安置した(ほこら)の脇を通り過ぎ、唯一の通用口とした南御門の屋内階段をのぼらねばならない。
「内陣・外陣とも異常ありません」
南御門の詰所に入ると、番兵が肥えた腕足を縮めて敬服した。
悠然と大弓や鉄砲を携えた中背者もいれば、溢れんばかりの膂力(りょりょく)を誇り、甲冑もろとも屠る戦棍を持て余した巨躯もいる。
一見すると、あまりに不揃いな精鋭でしかない。
それでも凱旋(がいせん)した惟任光秀に対する孫礼は持ち合わせているのか、平身低頭は見事なまでに揃っている。
「丹波亀山からの旅路で、さぞお疲れでしょう。御妻木さまは南西の小天守におられますが、まずは鷹の間に向かうのがよろしいかと存じます」
鷹の間とは、雄鷹(おだか)襖絵(ふすまえ)が描かれた、この南御門の東に位置する座敷だ。
南御門のさきにみえた物見台の土蔵を一瞥(いちべつ)するや、平六は小天守からあらわれた小姓らに先導を任せ、鷹の間を目指しはじめた主君に同道する。
短い梯子段(はしごだん)を過ぎたところで、小姓とともに飛鷹の襖を開放し、主君の花道とする。
すでに衣桁(いこう)の準備は整えていたのだろうか。
 惟任光秀が白亜の羽刕(うしゅう)を縫い閉じた京織の直垂(ひたたれ)に袖を通しはじめたとき、平六は刀掛けに置いた地藏行平の意匠に恥じないよう、中啓の唐扇子を選んだ。
「不肖ながら、御妻木さまに会合の見送りを伝えてまいります」
平伏から着付けを任せた箕六を睨んだところで、慇懃(いんぎん)に鷹の間をはなれた。
これから御目通りの辞退をつたえる御妻木が南西小天守を去るまでは、主君をどこかに待機させる必要があった。
その点、南御門で身支度を示唆された鷹の間は、近江坂本における惟任光秀の生活空間と、好都合だった。
(いずれにしても、他の小姓に引継ぎを済ませた以上、装いを改めたうえでの申し伝えは欠かせない)
平六は己に言い聞かせるように南御門の詰所に戻る。
そのまま反対側の梯子段を抜けてぶつかる南西の間へ。
旅装を納戸に入った普段着に改めるべく、坂本城で唯一無二の小姓部屋を見渡したところ、老僧と侍女のすがたがあった。
「ようやく亀山から戻られたか」
やや瞠目(どうもく)した平六は、すぐさま応対した。
横詠草の和歌を添削しつつ、鮮やかな羅紗(らしゃ)の法衣をこちらに向けたのは、惟任光秀に山紫水明のこころを授けた連歌師。
公卿や大名に吟才を愛された、里村紹巴だった。
「惟任日向守どのは、鷹の間から直接、御妻木どのの許に向かわれるのだろう。ならばわしもそちらへ向かうとするかの」
「お待ちください」
里村紹巴が頭巾(ずきん)を直し、立席するのを平六は引き留めた。
「御多忙につき、本日は惟任日向守さまとの御目通りはなりません」
「なんじゃ。いつもの公儀か」
卒爾(そつじ)ながら、丹波亀山での逗留(とうりゅう)が伸びたため、坂本で行う執務が山積しております」
つまらなそうにした里村紹巴に平六は建前を持ち出すと、
「御妻木さまは、ここより北の南西小天守で画筆を研鑽(けんさん)されているとうかがいました。里村どのの御朋輩(ごめいはい)には、わたしからお伝えいたします」
「それには及ばぬ。どれ、呼びつけに参ろうか」
よっこらせ、と恰幅(かっぷく)のいい腰を上げた里村紹巴に対し、箕六はなお遠慮をもとめた。
もっとも、そうする必要はなかったと思えるほど、移り気のはげしい性質(たち)であるらしい。
「とおもうたが、やはり面倒だの。平六と申したか。頑固なあの老松を、ここに連れてきてくれ」
「老松……」
即座に浮かべるも、そのような(いみな)はおろか、雅号は出てこない。
要領を得ずにいたところ、里村紹巴は短慮の(へき)を疼かせたのか。
「若枯れした姥桜(うばざくら)みたいな奴じゃ」
鼻息をかき鳴らすように、里村紹巴は好誼(こうぎ)の絵師で、織田信長に気に入られた狩野永徳のながれを汲む海北友松と明かした。
海北といえば、天正元年(一五七三)の小谷の城陥落で、主家を喪失した浅井旧臣に、そのような者がいた。
たしか赤井清綱・雨森清貞と並び称された浅井三将の一翼ではなかったか──恬然(てんぜん)とした里村紹巴の勢いに押され、いそいそと着替えた小袖の帯は、満足に締まるか締まらぬかという具合のまま、「ほれっ」と広間から弾き出された。
それでも小姓経験で染みついた手土産を忘れたわけではない。
持参したそれを大事に抱え、雪月花の映えた欄間(らんま)を仰ぐように廊下前方へ。
領民と下士の草摺(くさず)りを残した窓景に瞳を振ってまもなく、南西小天守の座敷の衝立奥(ついたておく)(くだん)の人物をみつける。
「昨春以来でございます」
湖上を舟で渡っただけとはいえ、五十路(いそじ)をすぎた身体には、遠路に等しい船旅であったにちがいない。
ますます艶華(えんか)の深まった惟任光秀の妹御、御妻木に一礼すると、平六は里村紹巴から紹介された海北友松とも座礼を交わし、惟任光秀の拝謁は叶わない由を告げた。
「そのような仕儀とは、兄上も薄情になりましたね」
侍女に画具を渡してまもなく、御妻木は(たお)やかに微笑んだ。
「そなたは昨冬に小姓頭となった者ですね」
「御牧景重が三男、平六と申します」
「兄上より聞かされています。大和平定で森勘右衛門の将級を上げた御父上の庶子として、鍛冶師から御牧家の養子となった。親類の明智秀満どのに師事していたのは、晩秋まででしたか」
「そこまで存じておられるのですか」
勿論(もちろん)ですよ」
御妻木は目を細め、控えていた海北友松を向いた。
「海北どの。はるばる峠路を越えてこられたのに、無聊(ぶりょう)な兄で申し訳ありません」
「謝る必要はありますまい。浅井の旧臣である私が、こうして近江坂本の地を踏めるのは、ひとえに織田家の御厚情によるもの。武門を離れたいまでは、無形(げいひつ)の芸筆を旨としております」
「ほほ。そのような高みをのぞむ者が師とは、わらわの稚拙な画も、いずれは高尚となりましょう」
衣袖を口元にあて、脂ののった胸肩を動かした御妻木が嫣笑(えんしょう)すると、海北友松は望外とばかりの辞儀をみせた。
言づてを済ませたこともあり、平六は持参した手土産を渡した。
拝謁を断った主君の詫び品として、南西の小姓部屋に常備された沈め折りの扇子、高島扇骨だった。
もっともこの時分にそう呼ぶ者はいない。
数多の氏族によって拓かれた琵琶湖の東畔は、羽柴秀吉が初めて築城をゆるされた北東部・坂田郡の近江長浜城より、織田信長が中東部・蒲生郡に居を据えた安土の城を兵站線としていた。
一方、西畔では南西部・滋賀郡に置かれたこの近江坂本城と、惟任光秀の四女を娶った津田信澄の居城、大溝(おおみぞ)が中西部・高島郡にそびえていた。
その大溝城が置かれた近江高島には、水害対策として、真竹が植樹されていた。
御利益があるとみられた竹は、役目を終えたものを中心に利用が進んだ。
やがて平滑な扇子の骨木として使われはじめると、高島産の竹を使用した扇子は、各地で重宝されるようになっている。
それらは(いわ)れとして、徳川幕府の政権下に行われたものだ。
とはいえ竹は、柵や橋、(やぐら)、鉄砲除けの竹束など、丈夫で生育も早く、戦場資源として優秀だったことから、この時代でも城外に植えられるのは珍しくない。
失墜した足利権威のもとで肥大化した「乱世」の内因と、大陸を飛び交ううちに和扇子・舶来扇子の機能美を高めた「交易」の外因を凝集したのが、平六の献呈した後世の高島扇骨。
歳寒三友の咲花(しょうか)をのせた、沈め折りの公扇子だった。
「うつくしいものですね」
水平線の春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)(うら)らかな金粉に起こした()は、諸氏を忘我させるほどの魔力がある。
みやこの御所に献上していた職人たちの境地に陶酔したのだろうか。
御妻木は柳々と沈め折りの公扇子を手元で躍らせたのち、
「丹波では満足に食事をとれない日もあると聞きます。御自愛するよう、兄上にはよろしくおつたえ下さい」
控えていた侍女に包みを持たせると、沈香を残したまま小天守を去った。
閑静に落ちた座敷中央で、平六は海北友松をうながした。
「御妻木さまの求めで墨画を指南したが、蚊帳(かや)の外に置かれた里村どのは、さぞ心外であったはず」
朴訥(ぼくとつ)ながら、南方の小姓部屋で待つ里村紹巴を気遣ったのだろうか。
「しばし待たれよ」
そう発するより先、海北友松は懐にしまっていた印籠(いんろう)を開け、納められた油水に毛筆を浸した。
ほどなく用意された美濃紙の上では、海北友松の筆によって描かれた釣殿に、高貴な人物が示された。
京のみやこで「風雅な恋情」といわれた、蓮池(はすいけ)に浮かぶ東屋(あずまや)片逢瀬(かたおうせ)だ。
有職故実(ゆうそくこじつ)の筆致をみていたそのとき、海北友松は二枚目に取り掛かった。
が、そのすがたは鬼気迫るものだった。
(ほんとうに、里村紹巴宛てのものなのか……)
見守っていた平六は、本能的に顔を引いた。
これまで幾度となく会っていたとはいえ、絵師本来の形相をみるのは初めてだった。
無骨なまでの寧静(ねいせい)は、どこにもない。
荒々しく走る筆は刃そのもの。
無尽に等しい躍梁(やくりょう)は、刻一刻と紙譚(したん)を紡ぐあいだ、()していたこちらの畏怖(いふ)をのぞいている。
やがて海北友松は、淡々と描き終えたそれをこちらに差し出した。
「この近江坂本は、連雀の止まり木となっております」
仕上がった緋色の尾羽には、普賢(ふけん)の残照がまとわりついていた。
(はかな)い恋情を切りとった雨月の先画と並べても、若木に舞い降りた雀をあおぐ洛外の人びとは、異なる時代の一哲を描いただけのようにおもえる。
ただ、二枚目に登場する者たちに光はなかった。
「瞳は海千をあらわす」
実家の鍛冶場を訪れた折、平六にそう告げたのは、僧門の質朴を捨てた足利義昭を見限り、織田軍明智の盟将となった養父、御牧景重だった。
天から零れた水は、泰山の伏流となり、やがて大海原で空に還っていく。
日月潭(にちげつたん)の底に、己の心を映し、他者の在り様を映し、棲家(すみか)とそれにまつわる世界を映していく。
永遠の一瞬を繰りかえす営みのなかで、得たばかりの知啓(ちけい)()み、本能を剥きだした侍などは、生ある限り、いや死んで土に還ろうと、愚かな波縛から逃れられない。
そのことを教えてくれた養父もまた、在野の名将の落胤(らくいん)である事実を秘したまま、往時の因縁浄化につとめる濁りがあった。
いま、この画にその輝きはない。
水を持たない人びとの器は、ほんとうに飛翔をみているのか。
無間(むけん)の闇と向き合う猶予すら与えられないまま、平六は受けとった二枚の画を、海北友松の勧めで小姓部屋に持ち込む。
待つのに飽いていたのだろう。
詩吟を添削された侍女の肴酌(こうしゃく)を受ける里村紹巴の赤目をみた瞬間、平六はかすかな安堵をおぼえる。
「海北友松どのの餞別(せんべつ)です」
平六は携えた二枚を里村紹巴に渡す。
途端に胡乱(うろん)だった酔顔は、尖力(せんりき)を帯びはじめる。
「これは……ふむ。そうか」
酷するわけでもなければ、賛ずるわけでもない。
曖昧(あいまい)な自悟を評とした里村紹巴は、
「惟任日向守どのに逢坂庵の寄宿は遠慮するよう伝えてくれ」
近郊での指南回避を告げるかたわら、海北友松の描いた一枚をこちらによこしている。
里村紹巴らを大門前で見送ったあと、平六は鷹の間に戻った。
これで諸事の悩みは尽きた。
硬直した心身をほぐすつもりで、はっしと快足を鳴らしたところ、仰いだ南御門の先から声がした。
「兄上。安土の織田さまが、気を揉んでおられましたよ」
出会いがしらの凶禍というべきか。
脚を止め、そっと梯子段(はしごだん)の陰から(うかが)った平六の目には、鷹の間を出たばかりの惟任光秀に、御妻木が声を掛けるようすが浮かんだ。
(なんということだ……)
顧みた惟任光秀に御妻木は驚嘆していた。
そのはずだろう。
兄とみた人物は、昨年まで羽柴秀吉の陣小姓をしていた者である。いくら似ていようと、齢五十を経た惟任光秀の老獪(ろうかい)な雰囲気はない。
そうした時流を補完すべく、根来の郷に伝わった忍秘傳(しのびひでん)の「七方出(しちほうで)」とよばれた技で、老いを表現したに過ぎなかった。
他人であれば(だま)すことは可能だった。
しかし相手は血縁の、それも不定期に会う妹御である。
御妻木の反応に苦しむ惟任光秀のすがたから、隠れていた平六は我が身を輩出した。
さも自然な体でそちらに近づくと、一瞥(いちべつ)をよこした惟任光秀に代わり、御妻木の視界を覆うかたちで割り入った。
「御妻木さま。惟任日向守さまは公儀に向かわれるため、立話は遠慮いただきたく存じます」
「あ、ああ……そうでしたね」
公儀と聞いたことで、御妻木は会釈をこぼすように離れはじめた。
が、数歩もしないうちに立ち止まると、訴えるような視線をこちらに投げた。
「兄上……」
直視を受け入れるように惟任光秀は閉眼した。
ゆっくりと刮目(かつもく)した表情がそちらに向かおうかという刹那、平六はそれを良しとせず、御妻木と対峙する。
「石に(くる)しみ、蒺藜(しつり)()ると申します。妹御であろうと、主君の務めを妨げれば、厄は巡るもの。積もる話は過日となされるのがよろしいでしょう」
「……日を改めて参ります」
後ろ髪を引かれたようすの御妻木は、ふっと和らいだ。
若さから気持ちの整理はつけられず、怒気をこちらにぶつけていた。
そんな侍女の追従(ついしょう)を確かめた平六が吐息を漏らしたときには、惟任光秀の謝辞があった。
迂闊(うかつ)に鷹の間を出たわたしが愚かだった。合図があるまでは待機するべきだったが、里村どのの声が南御門から届き、つい飛び出してしまった」
「その篤実(とくじつ)さがあれば、自ずと我慢は備わりましょう」
気落ちした惟任光秀を称えたものの、依然として顔色は冴えない。
ほどなくその口から出されたのは、御妻木との接触ではなく、同伴していた侍女についてだった。
「あの者を知っているか」
「は、はい」
惟任光秀の逡巡(しゅんじゅん)は、自身の見立てとは別のところにあった──。
平六は意外な興奮をおぼえたまま、
「織田さまが美濃国主だった斎藤龍興の居城・稲葉山を奪い、『岐阜』と名を改めた折、多くの国人が織田の軍門に下りました。あの娘は斎藤龍興の自刃を心待ちとした長井道利の庶子の娘、おしょうにございます」
「長井道利の、庶子の娘……」
記憶を反芻(はんすう)しているのだろうか。
譫言(うわごと)のように侍女の名を繰り返す惟任光秀を、平六はつぶさに読心する。
ともすると、あの驚きは御妻木ではなく、従っていた彼女に対するものだった。
根来の郷民から、羽柴秀吉の陣小姓、明智の総大将と遷移(せんい)した彼は、御妻木と会うこと自体、初めてのはずだが──仕えた侍女に驚嘆する主君を前に、平六は己の慾心(よくしん)を戒めるつもりで話題を振る。
「伝馬役が見当たりませんが、どちらに向かわれました」
「箕六か」
思わず漏れたこちらの敵愾心(てきがいしん)に、放心していた惟任光秀は、いくらか生気を戻したらしい。
「あの者ならば、着付けを終えたわたしに鷹の間で待つよう残したまま、小姓部屋に移ったはずだ」
「南西の間でございますね」
「ああ。里村紹巴どのと海北友松どのに会うと申していた」
表裏のない主君の言葉を平六は受けとめた。
もっとも、腑に落ちない部分は残っていた。
南西小天守にいた御妻木と、筆墨を教授していた海北友松はもちろん、やや南の小姓部屋に追いやられた里村紹巴に御目通りの是非をつたえたのは、ほかならぬ自身だった。
そもそもあの一室では、納戸で饗応(きょうおう)の小袖に着替えている。
(入れ違いになったのだろうか)
主君の放心を伝播(でんぱ)させたまま、平六はいったん惟任光秀に追従し、天守閣のほうへ。
掛緒(かけお)と軸頭に皮革を巻いた、捲土重来(けんどちょうらい)の掛け軸が浮かぶ拝謁の間では、黒檀の座卓を用意した伊勢貞興が控えている。
「氷上円通寺に与える下馬札の揮毫(きごう)で参上しました」
いうなり伊勢貞興は、硯箱(すずりばこ)から取り出した大筆を、うやうやしく惟任光秀に献じる。
下馬札とは、寺院や惣村向(そうそんむ)けに出した宣誓書の「禁制(きんぜい)」よろしく、彼らの生活圏を脅かさないよう、軍馬の立ち入りを制限するものだ。
平定寸前の丹波国内に限っていえば、立札のほか、代表者宛ての公文書を発給する場合、かならず惟任光秀の承認が要る。
「氷上円通寺には、黒井・国領の二城を切り離した際、国人である萩野喜右衛門の立会いのもと、下馬札を発給している。またわれらの兵が禁忌を破ったのか」
「そうではありませぬ。ただ、どうも、氷上の方では……」
「遠慮なく話せ」
惟任光秀は忌憚(きたん)のない具申を求めた。
言葉を濁そうとした伊勢貞興は、ほどなく氷上円通寺を中心とした闇市が横行していること。またそこに集まる人々を目当てとした遊女が住み着いたことで、風紀が乱れていることを挙げた。
「寺院の聖域化と引き換えに、相当な額面の寺社領や給人領による指出(さしだし)(差し出し)はあったはずですが、いったん根差した俗習というものは、いくら叩こうと勃興するもの。朝廷との橋渡しや寄進、布施等の祠堂銭(しどうせん)が原資となるかぎり、寺社勢力はすぐにでも失った力を取り戻します」
「大和平定のときと同じか」
卓上で筆印をしたためた惟任光秀は、伊勢貞興に返却がてら、短く舌を鳴らした。
「詳細は聞かずとも現状は窺える。伝馬役とした箕六などには、察するに余りあるものだ」
「明智秀満どののよこした小姓ですか」
ちらと上役の平六に鋭眼をよこした伊勢貞興は、
「小姓は書状作成に欠かせぬ公文書の書式『書札礼』の研鑽(けんさん)として、先史の祐筆記録に目を通さねばなりませぬ。織田に反旗を翻した松永弾正久秀・久通父子を討滅した大和の侵攻戦では、籠城した松永勢以上に、点在する寺社勢力の方が手ごわかった。そうした具体は納了しているということですか」
「元幕臣の貴殿ならよく知っているだろう。宿啊(しゅくあ)の者たちだ」
惟任光秀は毅然(きぜん)と発した。
「『仏敵信長』『進者往生極楽、退者无間地獄(進めば極楽浄土に、退けば地獄に向かう)』などと、大音声で掲げた御旗のもと、坊官の下間正秀に反織田を(あお)る朱印状をばらまかせた石山本願寺がまさにそうだが、京のみやこでは宗派が乱立している」
惣国(そうこく)が自警の僧兵を抱えるのは、今に始まったことではありませぬ。坂東(ばんどう)の勇と称された頼朝公の時代には、大和国内の寺院が屈強な地侍を雇い入れる風習は、すでに定着しておりました」
それらの者は、「山伏」「阿闍梨(あじゃり)」などとよばれ、領主と寺院に力を貸すといった、複数勢力をまたいで武威を発揮するのが常だった。
布教には民心収攬(みんしんしゅうらん)が欠かせない。
とりわけ目を閉じて「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば往生できるとした石山本願寺の一向宗、物珍しさと日ノ本にはない知見を披露した切支丹(きりしたん)は、教理を「祈る行為」に絞ったことで、単純理解の広まりをみせている。
危機感をおぼえた大和の由緒ある古刹群(こさつぐん)が、よりいっそう地侍との交流を深め、執拗(しつよう)に敵対宗教を弾圧していたことは、座持ちのいい対談を離れ、廊下で聞き耳を立てた平六も知っている。
「戦費はすべて祠堂銭から捻出しておりますが、一大勢力を築くには、莫大な金が要ります。寺門反銭や棟別銭、土打銭、地口銭、講銭など、持ちうるかぎりの収益を動員してまで武力強化につとめる大和の寺社は、版図を広げる織田にとって、悩ましい国中国です」
戦はあくまで〝侍〟たちの領域であり、〝寺院〟の本分と乖離(かいり)している。
平然と言ってのけた伊勢貞興の訴えには、複雑な胸中が滲んでいる。
「われらの目の届かない場所で、愚かな奪い合いに興じるなど、御仏の真悟にもとる行為です」
「伊勢どの。大和にある名刹の大部分は、一堂に会した起請文(きしょうもん)の住み分けで落ち着いている。横暴に権を強いているのは、わずかな寺院だ」
「その一部が再び戦禍を巻き起こさんと謀っている。そう聞いても、惟任どのは平気でいられるか」
身を乗り出すかの談判が、拝謁の間に響く。
「犠牲を払ってここまできたからには、弱腰な交渉などできぬ。そういって公然と織田さまの善意を足蹴とした大和の大寺院のように、丹波氷上の円通寺には、地侍との結託を捨てる気配はない」
まもなく脅迫まがいの直訴が惟任光秀に示された。
地侍の過度な依存に寄りすぎた結果、枯渇した金蔵の充当を緊要とした寺院では、露骨な金銭授受の横行で便宜を受けるより、資産運用が利潤につながると考えられている。
やがてそれは、金融界を揺るがす事態にまで発展している。
中世における金貸し──時代の寵児たる豪商の「酒屋」、盗賊や海賊が益増目当てに手を出すこともある氏族の「土倉」については、平六も以前から見知っている。
ところが伊勢貞興の吐露した寺院の手法は、別次元のものだった。
京のみやこを取り巻く寺院は、古くから朝廷と所縁のあるものが多く、さまざまな神事を司る以外にも、上方の意向に合わせた振る舞いをしていた。
朝廷や大名の庇護を受けた大寺院は、決して土を耕さない。
伊勢貞興によれば、朝廷由来の資産の運用実績から、上方の社会的信用を背景とした低金利の貸付をおこなうための認可はもちろん、直轄地における商取引の「座」を監督する公的権限が寺院に与えられていた。
それらすべてを消し去ったのは、織田信長の励行(れいこう)した「楽座」だった。
必然的に寺院の怨嗟(えんさ)が増えたのは言うまでもない。
それどころか、各地で頻発していた一揆の中に、彼らから借りていた金の利息を払えなくなった氏族・惣村発のものが加わり、収拾はつかなくなっている。
耳に届く伊勢貞興の陳情(ちんじょう)は、平六も身をつまされる思いだった。
賊たちは、寺院を襲撃しては金品を奪い、質草を回収しつつ、借用書である証文を焼き払っていく。
だからこそ寺院は地侍の武を(たの)んだ。
他宗との寡占争(かせんあらそ)いだけではなく、負債を抱えた者から身を守っていたのだ。
伊勢貞興の退室にまつわる惟任光秀への応召がてら、二年前の大和平定に係る十月期の寺領・給人領の得分を示した指出記録を(さかのぼ)ると、平六は拝謁の間をはなれた。
「里村紹巴どのからです」
目通り辞退の詫品として与えた、沈め折りの扇子に対する返礼だろう。
戻った鷹の間では、坂本城下まで見送った箕六を通じ、惟任光秀に兵庫津の商人から譲り受けたという、無銘の今焼茶碗が献呈されるのを見守った。
「尼崎や堺では、唐物の高麗茶碗や青磁が人気を博していると聞きました。西国の安芸や出雲では、手捏(てづく)ねの今焼碗が評判とのことです」
「この武骨さが今世の茶人に好まれるか」
惟任光秀は巻いた口縁に歪みをもたせた今焼碗を愛でると、おもむろに掲げてみせた。
明かり障子の採光をのせた茶碗は、ふくよかな腰から茶溜りにかけ、細雅の煌めきを帯びていた。
ざらついた表面は、ひと月前に収蔵した安南(ベトナム)産の化粧土を()ぜた意匠と呼んでいいのか。
銘の有無だけで評価は天井知らずとなる。
わけても眼前のものは、一世を風靡(ふうび)した茶人に「名器」とお墨付きを与えられているため、どこか不思議な生き物のようにみえたのかもしれない。
「坂本の城外市場では、渡舟(わたしぶね)水主(かこ)が、駄賃目当てにこうした茶碗を売っている」
愛で終えた惟任光秀は、今焼茶碗を桐箱(きりばこ)にもどした。
「山河のひしめく丹波亀山でも、高麗茶碗の熊川(こもがい)をすすめる行商がいた」
「茶の湯が浸透したからでしょう。上方や僧門で珍重された茶器は、高騰を続けております。かの(おもむき)も、寂滅為楽(じゃくめついらく)放下(ほうげ)から生まれしものであるとか」
「そういうものか」
惟任光秀は茶托(ちゃたく)さながらの丸盆に瞳を移した。
坂本城外で採れたものに違いない。
薄褐色の竹とんぼがその手に包まれかとおもうと、すり合わされた手のひらによって、ふわりと宙を舞い始めた。
目で追った竹とんぼには(こうぞ)の泉貨紙が巻かれていた。
多くは付文(つけぶみ)であることから、てっきり情文や和歌などが記されているかと察したが、意外にもそうではなかったらしい。
「白紙だな。誰の手土産だ」
平六の抱いた疑問が惟任光秀から出された瞬間、箕六はにべもなく「海北友松どのです」とこたえた。
そういえばあの男は即興で描いた一枚をこちらに下げ渡していた。
まもなくそれを求められ、平六が(おごそ)かに提出したところ、惟任光秀の表情が曇った。
「里村紹巴どのは逢坂庵への寄宿は避けろと残していた。ともすると、この竹とんぼはおそらく……」
平六の前で、硯箱(すずりばこ)を要求した惟任光秀は書状をしたためた。
時折筆を止め、(かたわ)らの竹玩具に巻かれた泉貨紙を凝視しては、ふたたび書状に意識を移していた。
箕六と顔を合わせた平六は、やがて奇妙な一書を(たまわ)った。
その日が半月前とは、光陰矢の如しというしかない。
「羽柴軍の竹中重治が、播磨三木で倒れたらしいぞ」
坂本城内の公儀を済ませ、転身したばかりの丹波亀山でその噂を入れたのは、まことの偶然なのか。
野狸と遭遇した四月中旬、秀吉の参謀である竹中重治は、播磨三木の攻城中に病臥(びょうが)した。
明智にとってそれは訃報と同義だった。
織田に反旗を翻した荒木村重の居城、摂津有岡に使者として向かったまま行方のつかめない小寺考隆を欠いた羽柴秀吉の陣営は、病に伏した竹中重治の穴を埋めるだけの余裕はない。
わけても羽柴の総指揮を預かる軍師の欠員は、一年余期にわたる籠城で喘いでいた播磨三木の別所勢に塩を送った。
「背後を任されたわれらの丹波平定前に、最前線の羽柴が崩壊すれば、全軍の士気にかかわる」
事態は一刻を争う。
憂慮した惟任光秀は、丹波氷上の黒井攻城支援として、北東の天田城を攻撃していた羽柴秀長に、播磨の加勢に向かうよう進言した。
同時に腹心の斎藤利三を氷上郡の北東へ。
第一次黒井征伐で使用した小富士山城の城代とし、防備が手薄となった天田郡からの敵軍流入を凌いだ。
その甲斐はあったのだろう。
浮足立った播磨国の羽柴勢は、徐々に落ち着きを取り戻した。
しかしながら、自陣で卒倒した竹中重治の病状は悪く、羽柴秀吉の焦燥は増していた。
「苦難を避けたい心はみな同じだ」
惟任光秀に伴うかたちで丹波亀山城下を練り歩いた平六にとって、小谷山城からやってきた丹羽長秀の放言は軽くない。
いかに摂津有岡の荒木討伐に尽力しようと、戦功はすべて羽柴秀吉のものとなり、明智軍に恩恵はない。
それを知ってか知らずか、秀吉の心労を(おもんぱか)った惟任光秀と対座した丹羽長秀は、|怜悧(れいり》に澄ましていた。
「三河の家康どのは相模北条に。柴田権六どのは越後上杉に。そして惟任光秀どのは、この丹波を任された。しかし羽柴筑前どのは、但馬・播磨ら二国に加え、荒木の裏切った摂津を担当しておる」
「いまは他将の補佐に奔走しています。われら明智には、弟の秀長どのを援兵として遣わしました」
「さもあろう」
惟任光秀の言に、丹羽長秀は小笑した。
「あの男の(さが)なのだろう。下人としての奉公がはじまってからというもの、わしはあの者の恣意(しい)をみたことはない。滅私の忠臣として、織田家を支えておる」
「いまの藤吉郎どのは、竹中どのの病臥に消沈しています」
「承知しておる」
増水川(ぞうずがわ)砂洲(さす)に舞い降りた蒼羽の大瑠璃(おおるり)を眺め、おおきく(ほお)を動かした丹羽長秀は、急訪理由について切り出した。
「惟任光秀どのは、丹波攻めで国閑となった近江の滋賀坂本に妻子を残し、丹波亀山に入城された。しかし恭順(きょうじゅん)を示した波多野秀治・秀尚ら兄弟の裏切りから、予定はすでにカ年を(また)いでおる。そこへ絡んだのが、織田家の地位に固執しはじめた斎藤利三の我執だ」
「我執というと、内蔵助は織田さまの直参与力や奉行の御役を狙っているのですか」
「そこまでは分からぬ。確かなのは、貴殿のことを秘黙したまま、堺の商人に接近していることだけだ」
内情を明かされた惟任光秀は沈思した。
だが、片膝をつくように控えていた平六には、欺罔(ぎもう)に満ちた丹羽長秀の言動から、察するものがある。
「この来訪は石田三成の根回しだ」
そう耳にして真っ先に浮かぶのは、石田三成という男が羽柴秀吉のお気に入りという事実である。
軍務と内政を万端とすべく、秀吉は算理に秀でた三成を奉行衆に任じたが、羽柴家に仕える者すべてがそれを喜んだわけではない。
惟任光秀の小姓として羽柴との間接を担ってきた平六には、羽柴直参の奉行衆や小姓衆などは、野心家の巣窟に等しい。
蒲生氏郷、福島正則、加藤清正など、錚々(そうそう)たる生え抜きは、どれも太志を抱いている。
そこへ軍律の嚆矢(こうし)たる二兵衛──官兵衛こと小寺考隆につづき、半兵衛こと竹中重治の戦線離脱の報が舞い込んだのだ。
跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)をもとめる若将らの厚顔は、火を見るより明らかなもの。
そして彼らのように戦功を示せない文将はといえば、権限失墜の憂き目に遭わないよう、達者な讒訴(ざんそ)をもって、秀吉の佞臣(ねいしん)たる地保を固めようと躍起になる。
そうした仄暗い闘争心をもつ者として、平六の脳裏にささやくものがある。
(この丹羽長秀という男は、明智を利用しようとしている)
「才智をめぐらせた斉藤利三は、十兵衛どのをあらたな『明智日向守』とした。もっとも陥落寸前の黒井城を諦めた雪辱から、手始めとして明智の全権を掌握すべく、貴殿の籠絡(ろうらく)と織田さまの庇護をもとめている」
平然と明智の秘事を暴露した丹羽長秀が、織田の客将ではなく、羽柴の軍将にみえてならない。
内なる猜疑(さいぎ)を増した平六をよそに、丹羽長秀は続ける。
「重傷を負わされ、実権限まで削がれた十兵衛どのも、今はこうして惟任日向守としての重責を担っておる。しかし明智の(おり)と化した重臣が相手では、さすがに統御は困難であろう。といって、軍門位階に目が眩んだ斉藤利三と歩を揃え、漫然と黒井や八上の落城を待つのでは、将来(さき)はない」
「……こちらから八上の城に仕掛けろと申されますか」
惟任光秀の瞳が起こされた。
「いかにも」
「すでに重囲は成りました。諸将には、幾重にも張った防柵の内には立ち入らず、越えてきた者だけを討てと命じてあります」
「城主の逃亡を防ぐためか」
「はい。将兵が功を競うだけなら問題ありませんが、八上の城は丹波でもっとも肥沃の地。収蔵された貴品は国内最高と(うた)われています。それらに目を奪われ、まんまと波多野秀治ら枢軸に退路を与えたのでは、土岐の名声は地に落ちます」
惟任光秀の烈しい魂魄(こんぱく)に怖じ気づいたのか。
遠河の砂洲では、打ち寄せた流木の古樫を去った蒼羽が、けたたましく()いている。
その声が木陰で輪唱をはじめたとき、丹羽長秀は川茂を映したまま(わら)う。
「波多野の投降を待つ場合、長引けば丹波侵攻の怠慢として、織田さまから攻城に関わる将兵すべてが厳しく(とが)められるぞ」
「わたしはそうはおもいません」
惟任光秀は、織田信長から月に一度、拝受していた軍状のこと。また安土との往還は妹御の御妻木に担わせているが、そちらについても咎はないことを告げた。
「いままではそうであろう。しかし織田さまの剛直果断な姿勢をみれば、そうなるのは必定だ」
「国難臣事なればこそ、志を共にした盟友との結束は、万波の大輪を成す。藤孝どのは、そうおっしゃいました」
「長岡どのは堅実に()っている。それに斉藤利三の噂は無視できぬ」
「内蔵助の噂……」
惟任光秀が懸念を(にじ)ませる。
 そこへ濁りをまとった丹羽長秀の狼視(めだま)(うごめ)く。
「あの者が氷上黒井攻めを志願したのは、第一次の戦役で潰走(かいそう)した恨みだけではない。城内に安置された蒔絵(まきえ)聖餅箱(せいへいばこ)を探しているからじゃ」
「蒔絵の聖餅箱──」
 惟任光秀が瞠目(どうもく)する。
 次の瞬間、その身躯は丹羽長秀に詰め寄っている。
「内蔵助が根来の草の女、与次郎を傍に置いたのは、わたしが惟任日向守に据えられた時期と重なっています。目的は探索と明言したのなら、中身についてもご存じのはず。お教えください」
「気になるか」
 真贋(しんがん)を判じた気配を察してのものだろうか。
 険呑(けんのん)とこちらに釘を刺した丹羽長秀は、脇振った瞳を戻しざま、
「八上攻城の確約が条件だ」
「それは……」
「無理ならこの話はない。だが忘れるな。丹波平定は常に裏切りとの闘いだ」
「…………」
「長引く西国攻めにおいて、浅見(せんけん)の内示に勤しむ佞姦(ねいかん)()は、ことごとく裂かねばならん」
「……ほつれを生じさせる者がいれば、縫い直す者がいる。ただ裂くのでは、誰も織田木瓜(おだもっこう)の衣をまとわなくなります」
「仕える織田家を衣よばわりするとは、なんたる不遜(ふそん)か。貴殿の(いただ)いた惟任日向守の官職も、飾りではなかろうがっ」
興奮からだろう。
悪しざまに唾棄(だき)した丹羽長秀は、こちらにも侮蔑(ぶべつ)を飛ばした。
「このような主人に仕えるとは、貴様も運がない」
多紀八上の波多野秀治という、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵を迎えた軍中では、ようとして部隊方針のまとまる気配はなかった。
それを一手にまとめあげた友勢の羽柴秀吉を引き合いとし、主君の冒涜(ぼうとく)に抗弁しなかった平六を痛罵すると、丹羽長秀は消えた。
「はなはだ失望したようすだったな」
空笑した惟任光秀は、平六にそれを訊ねた。
多紀八上と氷上黒井との分断工作にかかった戦費。
天田郡に敷いた陣を引き払った羽柴秀長の部隊支援および後任としてそちらに向かわせた斎藤利三の動静。
織田に与した丹波衆への支給を遅らせた未納の普請費用。ついてはその近況から予想される内外因の処方について。
(はか)られるわけでもなく、求められた書簡と帳記録を無心に説示していく。
そのさなか、平六は惟任光秀に潜む怒りを感じた。

土岐の鷹⑥

土岐の鷹⑥

応接

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-12-28

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著作権法内での利用のみを許可します。

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