土岐の鷹①

  【主な登場人物】


 十兵衛    織田軍の紀州攻めで滅ぼされた根来(ねごろ)の郷民

 おしょう   浅井家の重臣、長井道利の庶子の娘

 織田信長   尾張国から日ノ本一統をめざす時代の寵児(ちょうじ)

 明智光秀   織田の要将で、丹波国平定を前に惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)の官仕を(いただ)

 御妻木    光秀の妹で信長に寵愛される

 羽柴秀吉   尾張国中村の百姓から筑前守まで立身出世を果たした織田の軍将

 丹羽長秀   西国攻めの統括を任じられた織田家の奉行衆筆頭

 長岡藤孝   足利幕府に代々仕える細川の分家で、還俗した足利義昭を見限るように織田家の明智軍に属する

 平六     長岡藤孝とおなじ元幕臣の御牧景重が養子とした鍛冶師の息子

 斉藤利三   美濃国主、斉藤龍興の居城である稲葉山が陥落したのち、織田軍に降る

 筒井順慶   大和国で離反した松永久秀の征伐時から織田に与しつづける僧将

 佐々川箕六  明智秀満の命を受け、明智光秀の小姓を請願した若衆



   一


 木切れはそこに落ちている。
 刻まれているのは句だろうか。
 読み人知らずの和歌を(しの)ぶすがたは、どこか物憂げである。
 川畔に目をやると、陽のさざなみを揺らす短橋がある。
 鹿子(かのこ)の紋を重ねた欄干(らんかん)は、見事というほかない。曜変に輝く擬宝珠(ぎぼし)などは、その質朴にひれ伏している。
 それはどこか自身と比べている風にもみえた。
 事実、剥げ落ちた年輪は腐臭を帯びている。時折、迷い込んだ鳥がついばむ樹果の名残であるかのように。
 そして今日もまた、尾根の頂から一羽が駆けようとしている。
(去れ)
 狙いを定めて滑空してきた(はやぶさ)を威迫した十兵衛は、飛びゆく峰を仰ぐ。
 在りし日の郷愁が浮かび、すぐに断ち切ろうとしたものの、湧き上がる感情を払うことはできない。
「あの山には物の怪が憑いておる」
 そう告げたのは、はたして誰だったか。
 まどろみを誘う朝霧を十兵衛はかき分ける。
 木橋を留めたまま、すれ違う人馬を縫うように渡河(とが)したところで、城攻めの橋頭堡(きょうとうほ)となるべく、布陣を急がせた将兵の愚痴が飛ぶ。
「めしが足りんわ」
 破軍の朋輩(ほうばい)らしく吐き捨てた羽柴秀吉は、飄然(ひょうぜん)と控えていた足軽組頭を手招くと、何かを言い含めている。土着訛(どちゃくなま)りがあるせいだろう。かろうじて聞き取れたのは、「調伏(ちょうぶく)」や「火急」という語だけである。
「兵は神速を尊ぶというが、このような山南(やまなみ)では獣だけじゃ」
 織田家の総大将、信長公に献上すべく、道中で捕獲した幼鷹を密書ごと授け、低頭する伝令を放ったところで、秀吉は眉宇(びう)を動かす。
「重厚長大な石壁ときいていたが、まさかあれほどとはな。十兵衛よ。あの山城を崩す手立てはあるか」
「見当もつきません」
「わしもじゃ。面倒な役を仰せつかったものだ」
 秀吉は万策尽きたとばかりの渋面で、十兵衛を上四方(かみしほう)にうながす。


 発端は五年前の十一月に但馬国で起きた合戦だった。
 地域の有力者たる国衆が領地を奪い合ったそれは、やがて隣国の名将たちを引き寄せた。
 但馬国の東隣、丹波国北西部の氷上郡からやってきた萩野直正。
 以西の安芸国主、毛利輝元の重臣である吉川元春。
 そして小国尾張からの上洛で風雲児として躍り出た織田信長の後押しは、小合戦にすぎなかった係争を激しいものとした。
 なかでも織田軍は、容赦のない萩野直正の性格を敗戦で嫌というほど思い知らされた但馬の国衆、山名祐豊の救援要請を好機とみた。
 とはいえ山名が属していたのは毛利家である。
「目をかけた恩を仇で返すとは、畜生にも劣る」
 山陰地方を任されていた「毛利二川(もうりにせん)」の吉川元春が、怒りのあまり、陣中で寵童(ちょうどう)を手にかける一方、山名にも言い分はあった。
 何を隠そう、吉川元春は親睦を深めた萩野ら丹波国衆の肩を持ち、山名の救援要請を何度も無視していた。
 互いの不和は、版図(はんと)を広げる織田軍の大義名分となった。
 もっとも、織田の主軍は頻発する一揆の鎮圧ほか、諸国の合戦に追われているため、この時点で援兵を差し向けるだけの余裕はない。
山名の救援は、近隣の地侍を派遣するのが精一杯だった。
 その戦況が好転したのは、四年後の天正三年(一五七五)である。
「織田軍の明智光秀が丹波に乱入しました」
 但馬国衆の八木豊信が十一月二四日付で吉川元春宛に送った軍状は、戦場を震撼させた。
 竹田城と出石城の支援要請を受けた織田信長の直命から、明智光秀が同年六月、協力姿勢をみせた丹波国人の小畠永明・川勝継氏らを中心に、丹波侵攻を開始したとの急報だった。
「風雲急を告げるとは、まさにこのことか」
 すぐに反応したのは、丹波西に本国を置く萩野直正である。
 彼は進出していた但馬国の平定をあきらめると、以東の本拠、黒井城の氷上郡をはじめ、天田、何鹿ら近隣二郡に駐屯させていた地侍を招集し、明智軍に激しく抵抗した。
 東からやってくる織田軍をつぶさに見、好誼(こうぎ)の地侍で固めた反織田連合の結束は、強靭そのもの。
 破竹の勢いで進撃するとみられた織田軍は、丹波国に入ってまもなく足を止めた。
「国人と協力してこそ丹波平定は成る」
 苦戦を強いられた明智光秀は、七月に惟任姓(これとうせい)日向守(ひゅうがのかみ)の叙任を仲介した信長の期待にこたえるべく、装い新たな「惟任日向守光秀」の重責を帯びたまま、各地を転戦している。
 翌年には、丹波氷上の黒井城の難敵、萩野直正が病に倒れ、残された赤井忠家を差し置くように、わずか九歳の嫡子である直義の後見・叔父の赤井幸家に執権が移ったことで、求心力の低下を察する。
 そして二カ月にわたる攻防の末、丹波衆の力を借りた織田軍は、氷上黒井の攻城を視野とした。
「あの城はわれらのものだ」
 将兵は連戦連勝で高揚していた。
 ところがそれを打ち砕く報が舞い込んだ。
「東南より味方勢が攻め寄せておりますッッ」
 それは梅雨入りの朝を壊し、人馬を震え上がらせた。
 丹波国中南の高城山にすわる八上の城主、波多野秀治が突如、反織田として明智の背後を()いてきたのだ。
 織田に降ったものと信じていただけに、兵たちの驚動は凄まじい。
 それもそのはず、このときすでに黒井の城門を開いた萩野勢の挟撃部隊は、混乱した明智の戦陣を切り裂こうとしていた。
 総大将の惟任光秀は全軍撤退を命じた。
 並河易家ら丹波衆の開いた血路で東へと落ち延びるあいだ、信義を欠いた高城山の戦旗を睨みつづけた。


「──いかに盤石な守りであろうと、戦が終われば土に還る」
 波多野秀治の謀反のさなかには、侵攻していた大和国で、筒井順慶を与力に抱えた矢先の十一月七日、とうとう過労で倒れてしまった。
 京のみやこで滋養するなか、献身的に看てくれた妻の煕子(ひろこ)は、回復途上で戻った本拠の近江坂本に入城してまもなく、残した京都で病死している。
 二年前に起きた惟任光秀の挫折を噛み締めた羽柴秀吉には、明智の宿友として、陣小姓の十兵衛と仰いだ高城山の攻城を投げ出せない理由がある。
「しかしあの八上はちがう。石垣となる岩は足元にあり、板材に変える樹木は近くにある。堅固な城を築くことは、城主の波多野秀治にとって、造作もない」
「そのように見受けられます。しかしあちらの果樹がそうですが、幾重に巡らせた土橋には、それとない隘路(あいろ)が設けられております」
 十兵衛は尾根伝いの石塁を横に区切っていた大堀切のすぐそば、落花した柿木の(たもと)を示唆した。
 その狭さたるや、けもの道に劣る細路だった。
「谷間に浮かぶ(きのこ)じゃな」
 秀吉の評などは、十兵衛の見立てをそっくり奪っている。
 とどのつまり、剣斂(けんれん)この上ない野路は、小者をのぞく素槍をかかえた母衣武者を、難なく退ける。
 ただ、人馬は無理でも細作(さいさく)(忍兵》なら行軍に障りはない──驟雨(しゅうう)を吸った蓑藁(みのわら)を肩から外し、十兵衛は毅然と述べた。
「あの山城にとって、食糧や水の確保は欠かせません。われらの調べでは、あの山城に設けられた池垣は、高城山由来のもののみならず、西隣の法光寺山の水脈とつながるものが含まれておりました。上手くそれらを活用し、城の中腹に貯水した池堀だけを水源とすれば、城兵の士気はおおいに下がりましょう」
「山一帯が防壁となった長城だけに、守りは易く、攻めは鈍い。そのような工作がうまくいけば、敵への圧力となるか」
 座っていた床几(しょうぎ)から立ち上がった秀吉は、いますぐ戦評定を開くと号令した。
 ほどなく隊を任された足軽将兵が馳せ参じた。
「ようきた」
 泥汗にまみれた軍装の面前を通る秀吉には、岩々をはねる山鹿の軽やかさがある。
 (つつみ)のような柏手(かしわで)を響かせるのは毎度の私事ながら、雨弾きとして獣皮の裏に描いた敵城砦の縄張り図をひろげさせ、無造作に掴みとった碁石をばらまく威容には、陣小姓の十兵衛も緊張する。
「高城山の天守の溜め池を除いた水の手は、隣山の法光寺ともども、波多野らの住まう長城を生かしている」
軍光をまとった秀吉が、するすると黄巾(こうきん)の扇子でなぞる。
「長城の石壁を分断するように中腹の池垣で滝落としたのは、防戦時に(つつみ)を開放し、這い上がる敵兵を空堀に満たした水濠(みずぼり)で防ごうとの判断からじゃ。雨水や湧水を濠に流し込み、水垣とするのは山城の常。しかし兵糧庫は上層にあり、溜め池と地下から水を汲み上げる井戸との併用で渇きをしのぐ以上、難攻不落といえる。さて、対するこちらの一手だが、この場所に兵を差し向ける」
「水濠の一部を分水した、(あくた)の大曲輪でございますか」
 一同がざわめいた。設備を含む造営区画は「曲輪(くるわ)」と呼ばれているが、大曲輪と呼ばれるものは、ほんの一握りでしかない。
「うむ。雨による増水を恐れず、あえて防曲輪に水を呼びこんだのは、水垣と用水確保だけが理由ではあるまい。天守まで敵が迫った際には、大将を逃がす航路として用いることができる」
 秀吉は黄巾の扇子で南側に置いた碁石を動かしつつ、
東麓(とうろく)の弓月砦を急襲したばかりのわしらにとって、うっとうしい雑木と水垣で守られた山坂を一気に駆けあがる準備はない。敵の板橋を利用してもよいが、寄せ手のこちらはあくまで低地。悠々と逆落としを受ける状況はまずい。そこで守りの手薄な北麓の鶴ケ峰と池垣が二つある屋敷を先に抑える。その前線が崩れぬうちに、西隣の法光寺山に兵を向かわせ、法光寺の城を落とす」
「そうなると八上城の南、支城の奥谷からきた部隊を抑えなくてはなりませんな」
勿論(もちろん)じゃ。連携を断ち切らねば八上の天守には手が届かぬ」
「しかしうまくいけば迅速な陥落につながりましょう。条件次第では、水の手曲輪の決壊は難しくありません」
「それだけではないぞ。水を失った城方は、派兵が容易となったこちらに対し、籠城以外の動きをみせるかもしれん」
 白黒の碁石が左右の大曲輪で一組にされたときには、雅楽な絵草子をあらわとした黄巾の扇子は、碁石の一片をすくいとっている。
 高城山を一帯支配した長城の攻城網が完成するころには、城兵の気勢は挫かれ、味方の士気は鼓舞されている。
 (からめ)め手による行軍が、今後の戦果に多大な恩恵をもたらすことは判然としていた。
 なにより話才に秀で、見得を切らせたら尾張一という、家中きっての弁巧者、羽柴秀吉の明朗な|遊説(ゆうぜい》は、集まった織田の足軽組頭や丹波衆を(うなず)かせていた。
 もっとも、力水を得た満場一致に、疑義を持つ者がいないわけではない。
「ほほ。はたしてそのような企みが成功しましょうかな」
 (しゃく)に障る物言いに視線があつまる。
 発したのは、美濃国金山城主となった森可成の嫡子として生まれ、織田信長に寵臣として仕えた乱丸(蘭丸)こと森成利と並び称される、長谷川秀一だった。
 十兵衛からみても、森可成は織田きっての生え抜きとして誉れ高い。
 先君時代には柴田勝家や前田利家らと公私に競合(せりあ)い、やがて信長が織田家の棟梁に座ると、そうした係争は(なり)を潜め、切れることのない連帯が生まれた。
 そんな父親の地盤を受け継いだ森成利は、信長公の栄えある寵臣として、着実に名声を高めていた。
 一方、長谷川秀一は若く壮健な身体と美姫にも勝る眉目秀麗さを武器とし、「英雄色を好む」とした故事を体現すべく、男女を(はべ)らせた信長の寵愛を受け続けたせいだろう。
 自然と要職間の取次はもちろん、さまざまな世事の代執行者として、権勢をふるうことは容認されている。それも内政のみならず、軍事においても古参に匹敵する発言力を有した長谷川秀一は、将兵たちから憎まれている。
「実を申せば、わたくしの配下はすでに八上の南、奥谷城の水の手ちかくに潜ませてある。この場で下知を出せば、秀吉どのは陣配第一、わたくしは武功第一となりますが、いかがかな」
 ろくに戦も出たことのない青二才が何をほざく──秀吉以下、面々の凝視を浴びた長谷川秀一の突拍子もない提案に、一同は毒気を抜かれる。
 信長公の〝目〟として帯同しただけの、軟派極まる新参者が、戦機を左右する大事な戦評定で、百戦錬磨の薫陶を積み上げた羽柴秀吉の方策に異を唱えるのか。
 軽んじていた足軽組頭の瞠目(どうもく)もさることながら、十兵衛は目を剥いた秀吉の口吻(こうふん)が震えていることに気づき、おもわず口を挟む。
「さればお聞きいたします。長谷川どのの兵は、ふもとのどちらに駐留されておりますか」
「む、見ない顔である」
 予期せぬ訴えであったのか。
 長谷川秀一は烏帽子(えぼし)があれば公家にも見えそうな小直衣(おのうい)をくゆらせ、そこから浮き上がった瓜実顔(うりざねがお)をしかめると、
「秀吉どの。この者は」
「わしの陣小姓で、十兵衛という」
「ああ。さきの雑賀攻めで虜とした、根来の生き残りか」
 秀吉の紹介に解を得た長谷川秀一は、賤民をみるかの容貌でこちらに向き直る。
「兵をどこに潜めたかと申したな。敵の山城から俯瞰(ふかん)されぬよう、南の東仏寺のあたりに置いてあるが、不都合でもあるのか」
「大いにございます」
 表情を変えないまま、十兵衛は秀吉の示した縄張り図のうち、八上城と連携する要衝を示す。
「敵方がはるか頭上にある以上、樹々で兵を覆い、手薄な山裾から攻めるのは定石でしょう。しかしながら、敵の総大将は智謀に優れた波多野秀治です。あの者を筆頭に、弟の秀尚ら旗下が籠城策を選んでいるということは、山全体の守りはもちろん、興亡にかかわる西隣の法光寺城や南の奥谷城についても、手は打っているはずです」
「何を馬鹿なことを。石塁の届かぬ南の、それも遠望の利かぬ山麓の急襲なればこそ、意気軒高な奴らの鼻を明かせるというものよ」
「長谷川どの。八上の長城とつながる兵站線のいくつかは、西隣の法光寺山をはじめ、多紀の連山すべてに及んでおります。この本陣から発した伝令も、敵方の城兵には、まさに筒抜け。西隣の法光寺城が健在な以上、まずはそちらを攻撃し、長城とつながる支城を分断しなくてはなりません。羽柴さまのおっしゃる通り、南の奥谷攻城や水源の破壊工作は、それからでございます」
「ふん。輜重(しちょう)はすんなり通っているがの」
 長谷川秀一は不満げに顎をしゃくる。
 山岳向けの農耕牛馬に、物資をのせた荷車を曳かせる輜重隊は、滞りなく自軍を往来している。
 護衛をつけているとはいえ、山上から襲われればひとたまりもない。
 ところが幸いなことに、それらすべては敵軍の阻害を免れていた。
 長谷川秀一にしてみれば、大荷駄の輜重が無事な行路では、情報を運ぶ伝令のひとりやふたりなど、物の数に入らないのかもしれない。
「十兵衛と申したか。そなたの献策にも問題がないわけではあるまい」
 まもなく返された長谷川秀一の指摘から、十兵衛は真摯にそれを受け止めた。
 山城の攻城には、大量の兵と人夫を要した。
 秀吉が「足りぬ」とぼやいていた〝めし〟とは、それらを含めた糧食のことにほかならない。早い話が、持久に持ち込めるだけの蓄えが必要だが、まさにそれが足りなかった。
 そもそも八上の城を西睨(せいげい)する堂山砦に着陣まもなくと、東西南北の要衝寸断すら決めかねている状況である。
 にもかかわらず、十兵衛が進言したのは、敵兵の蔓延(はびこ)る高城山と法光寺山に挟まれた山道を南下し、物見をかいくぐって伏兵に奥谷城の攻撃合図を送るという、無謀極まりない献策の不信にほかならない。
(見え透いた伝令が捕らえられれば、せっかく潜ませた味方の伏兵部隊の位置を知らせるばかりでなく、やみくもに兵を失い、頭上の相手を利するだけではないか)
 長谷川秀一と議論を交わすあいだ、何度もそれを具申した十兵衛は、相手にされないもどかしさを感じた。
 水掛け論議に終始したせいだろうか。
「お味方同士、そういきり立つものではない」
 功を焦った末の失策とならぬよう、謹んで訴えていた十兵衛の首根を抑えた秀吉の裁定が下された。
 八上の長城および隣山に配された敵勢力が分からないため、やみくもに多紀連山の水の手破壊に着手するのは危険がつきまとうとみた十兵衛の意見はもっともだが、敵方が地の利を得た籠城策を堅持するだけに、南の奥谷城は手薄であろうと読んだ長谷川秀一の見解は一理ある。
 むしろ山麓の砦を急襲した今だからこそ、陣容が整うまでは、こちらも大きく出ることはないと波多野らは踏んでいるかもしれない。
「わしらはその油断につけ込むのだ」
 あふれんばかりの血色で発した秀吉は、長谷川秀一の意見に沿う、護衛なしの伝令出来(でんれいしゅったい)を命じた。
「なぜあのような策を容れてしまわれたのですか」
 すれ違いざま、我が意を得たとばかりに「御免」と残した長谷川秀一が消えてまもなく、十兵衛は秀吉を質した。
 (そね)みからではなく、純粋な危惧心から直情を吐露したつもりだった。
 しかし秀吉は、そうは受け取らなかったらしい。
「あの男の申し出は織田さまの意(・・・・・・)じゃ」
 兵らを癒やしていた安逸な振る舞いを忘れ、奸智の備わった三白眼をぎょろりと動かすと、秀吉は平身低頭のこちらに伝令の安否を気遣う任を与えた。
 十兵衛は不承不承と頷いたのち、小荷駄を背に陣を払った。
空を仰ぎ、従えた男衆には秘薬を練り込んだ白書を持たせ、敵の注意を引きつける役を申しつけた女衆には、夜陰に乗じて龕灯(がんとう)を使えと命じた。
 山のあちこちでそれを掲げるのは、活動が夜間に及んだ場合のみ。
 伝令の部隊支援として、遊女に化けさせ、誘惑した敵の妄動のもと、任務遂行をより確実とする方法のひとつである。
 残りの者を末広がりに放った十兵衛は、幔幕(まんまく)が張られただけの野陣を砦化すべく、空堀をつくり、内側に木柵用の木杭を打ち込んでいた足軽兵を呼びつけると、狼煙(のろし)を上げさせた。
(たつみ)の反応がないか」
 伝令部隊を超える(はや)さで配下の消えた隣山を見据えたまま、十兵衛は屈強そうな弓兵を選び、中空に矢を射掛けさせた。
「よいか。あの砦の手前に落とすのだ」
 十二分に引き絞られた弓弦から放たれる焙烙(ほうろく)の一矢は、しなやかに陽と溶け合う。
 自眉に手を添えたまま、逆光をつらぬくさきで小火(ぼや)があがるのを確認したときには、仰いでいた砦から敵城兵があらわれるより先、百姓の格好をした自躯(からだ)は仲間と山裾に分け入っている。
 夜目には早い(とき)ながら、長城につながる崖下は暗澹(あんたん)としていた。
「白書まで携帯するのは、(さと)を滅ぼされたとき以来ですね」
 めずらしく弱音を吐いた草の女、与次郎の懸念をよぎらせるも、人馬の要道を外れるかたちで仲間を散じた十兵衛は、懐に忍ばせた白書で群生した樹々を撫でるかたわら、器用に斜面を跳んだ。
 目的は敵の長城を望める高さの岩だった。
 陽が真上となる前には、迂回してでも辿り着いておかねばならなかった。
 しかし戦評定で長谷川秀一に伝えた通り、延伸された八上城の石壁から遠ざかった場所では、哨戒専門(しょうかいせんもん)の野外部隊がうろついていた。
 おおくは(そび)え立つ石壁を相互利用した曲輪からあらわれるため、一見すれば巡回だった。
 もっとも、その残身はというと、緩慢ながらも人声や具足の擦過が途切れることはない。
 頻出する遊兵の数といい、小隊を置いていることは瞭然としていた。
それだけに俊敏なはずの自歩は、合わせなくてはならなかった。
 一刻ほど経った頃、小高い丘陵を眼下におさめる斜陽の崖をのぞんだ。
 十兵衛は秘薬を染み込ませた白書を懐に戻すと、そそり立つ壁をよじ上った。頃合いを見計らい、嶺崖を背とするや、履いていた草鞋の隙間から糸を引き抜いた。
 そのまま()り合わせるように、両手でかるく伸ばした鉄糸の尖端を道中採取の茸笠に刺し入れ、粘りをまとわせる。
 尖端を舐めぬよう、ひょいと口にくわえる動作は、もはや名人の域と言っていい。
 十兵衛は帯紐に掛けた手鎌を片手、仕込まれた刃を数枚に分け終えたところで、勢いよく投射していく。
「いまの音は……」
 敵兵のどよめきが響くなか、旋回する刃先が岩々にぶつかった刹那、道中で擦りつけていた白書の秘薬が反応する。
 途端に発破で浮き上がった巨岩が勢いよく斜面から飛び出す。
 塊の数は(おびただ)しい。
それも植物の根や土に覆われているため、不規則な弾みで転がるかたわら、めぼしい小岩を巻き込んでいる。
 そうやって規模を増した岩雪崩(いわなだれ)が落ちていくさまを、十兵衛は高草の生えない岩陰から見守っている。
 やがて崩落に慌てふためいた敵兵を見定め、駐屯規模の把握を中断しつつ、落石で滑落したまま孤立した雑兵めがけ、首もとを狙う鉄糸を放つ。
(やぐら)が崩れるぞぉッ」
 砦守とみられる敵勢の烈声が響くなか、鉄糸の直撃した敵兵に近づく存在を映す。
 みれば、急坂を転がり倒れた雑兵が呻くように身体を起こすのを助けている。
(あの女か)
 打ち込んだ鉄糸を首筋から引き抜いた女は、そのまま眼球に押し当てている。
 通りすがりの百姓女に介抱され、安堵したばかりの顔は、醜く豹変する。
 その叫びを右手で唇ごと押さえ、覆い被さるように頭部を(ひね)る手際には、寒いものを感じずにはいられない。
 視認そのまま、十兵衛は崩落の落ち着きを待った。
 その間、土煙からそちらに近づく砦兵があったことから、(しわ)を寄せた眉間に飛礫(つぶて)を投げた。
 瞬と反応した女はこちらを仰ぐと、付近の土砂を横死した雑兵に掛け、すみやかに場を離れはじめる。
 その後ろすがたに追いすがること、半里あまり。
 十兵衛は勾配の利いた敵砦の外れで身を隠した女を質した。
「なぜ殺めた」
 憤怒を抑えた形相で訊いた十兵衛に気圧されたのか。
 草の女、与次郎は顔に巻いていた三尺手拭いを解くと、
「砦の番兵には、兵証として敵味方を区別するための割り木が配られていることがあります。それを確認しようと、あのような仕儀となりました」
 繁みに運ぼうとしたのは、所持品を検めるだけの猶予がなく、とっさの判断でそうしたと答えた。
「与次郎よ。我々が仰せつかったのは伝令の御守だ。山一帯に配された敵の兵馬をつぶさに見分し、長谷川どのの伏兵が発見されぬよう、伝令の進行の妨げとなる敵兵すべてを誘い出せと命じたはず。それを破って私利に走るとは、乱心したか」
「そうではございません」
「ではなぜすがたをあらわした。さきの岩雪崩はあくまで攪乱(かくらん)。敵方の兵数把握が落ち着くまでは、身を隠すのが上策と知っているはずだ」
 十兵衛の詰問に与次郎は犬笛を吹いた。
 常人には聞こえない波長の警音が終わったときには、十兵衛の背後の気配は増えている。
「織田を裏切るか」
 憮然とわらった拍子に十兵衛は身を翻した。
 当て身で吹き飛ばした与次郎を飛び越え、腰の手鎌を樹の幹へ。即席の足場からさらなる跳躍を果たそうとしたものの、そちらは叶わない。
「十兵衛さま。我々も手荒な真似は望みません」
 手持ちの道具では、強靭な身体を昏睡させるのは時間を要するとの判断なのか。
 四方十字に短刀を突きつけられたまま、十兵衛は縛に掛けられる。
 ほっかむりをしていた三尺手拭いで眼と口を覆われた身体は、与次郎の犬笛で呼び出された者らによって、すげなく移送される。
 やがて爽やかな緑風は途切れた。
 代わりにやってきた土黴(つちかび)が鼻に届いたとき、先導していた与次郎が口を開いた。
「捕らえてまいりました」
 荒縄で縛られた手首ごと引き寄せられた十兵衛は、覆いの解かれた双眼で、薄明に浮かぶ者らを見据えた。
 奥にみえるのは、どうやら土牢らしい。
 鎮座した人物の気配に逍遥(しょうよう)するも、十兵衛はその影を眺めていた長躯を仰ぐ。
「ここに幽閉するのか」
「その必要はない」
 こちらに振り向いた表情にハッとする。
 明智の家臣団のなかでも、身を投じた数々の窮戦で勇名を馳せていた与力衆の一翼、斎藤内蔵助利三である。
 この男を見知ったのは、昨年二月。
 摂津大坂で挙兵した石山本願寺の発給文書に迎合し、一向宗徒の義軍として、反織田連合に参加した雑賀・根来ら紀伊国衆の歩卒を率いたときだ。
 織田に蹂躙(じゅうりん)されたあの日、十兵衛ら郷民は、織田軍の明智勢と敵対し、戦力差から総崩れとなった。
 おおくの同郷人が屠られ、虜となるなか、十兵衛は散り散りとなる仲間の殿軍(しんがり)を引き受けた。獅子奮迅に立ち回った末には、斎藤勢によって農耕馬から落とされている。その泥中で首をとられる直前、大将である斉藤利三の慈悲から、落命を免れたのだ。
「高野山で修行を積んだお前には信じられぬだろう」
 のちに引き合わされた羽柴秀吉の陣小姓となったあとも、その大恩を忘れたことはない。
 敵味方を問わず、窮乏に瀕した者らを遇していた──土牢で疲弊し切った惟任光秀(これとうみつひで)はもとより、泰然とそれを眺めるすがたに十兵衛は愕然(がくぜん)とするも、こちらを目端で追った斉藤利三は、土牢の竹格子に指をかけた。
「この御方は誰よりも織田さまの仕打ちに心を痛めていた。それが大きくあらわれたのは七年前。織田家に弓引いた叛骨(はんこつ)の徒として、領民を含む比叡山の寺僧が焼き討ちに遭ったときだった」
「比叡山の、焼き討ち……」
「根来の郷にも伝わっていよう。山麓にあった寺社殿すべてを焼き払い、逃げ惑う民百姓を兵に(なぶ)らせ、処刑の決まった者から選び抜いた者たちを、執拗(しつよう)に歩かせた牛馬の(ひづめ)の餌とする──逆賊ともいうべき所業の一端を、血涙をのんで我らに命じたあの日、この御方は不動明王に祈りを捧げ、ひとり、織田さまの寝所に向かわれた」
 (うつむ)いた斉藤利三は、織田の総大将と領民とのはざまで折衷(せっちゅう)を強いられた、己が主君の鎮座する土牢を仰いだ。
 陽の届かない岩窟であるせいか、(よど)みが口中を支配していた。
「惟任光秀さまは、織田さまの勘気を(こうむ)ったあと、こちらに幽閉されたのですか」
 たまらず十兵衛がそれを訊くと、斉藤利三は首を振った。
「これは上意ではない。土岐(とき)につらなる者すべての意である」
「土岐一族の……まさか内蔵助どのは、羽柴さまに助けられた、あの御仁の心嚢(しんのう)を」
(せん)なきことよ。先日も『二河白道とは畢竟(ひっきょう)にして如何(いかん)』と問われ、自戒を述べるだけで精一杯だった」
 二河白道とは、万物を創生したとされる四素の内の火水を、怒りと欲にまみれた煩悩の河とみなし、ふたつの感情に翻弄(ほんろう)されることなく進む正道を指す。
 斎藤利三のいう二河とは、明智勢の苦衷(くちゅう)そのもの。
 すなわち織田信長の上意であり、明智家とそれを慕う国人たちの請願でもある。
 猖獗(しょうけつ)をきわめた結果、渦中と目された出世頭の惟任日向守光秀を土牢に軟禁した。
 それは叛乱(はんらん)の時勢を断ち切らんとした、土岐一族の覚悟をあらわしていた。
「この御方をどうされるおつもりです」
 十兵衛は竹格子を(きし)ませた斉藤利三に慈悲を求めた。
 愚かな頼みとは分かっていたものの、慈神に等しかったあの斉藤利三が、鬼神となって忌むべき主殺しを行うのを認めたくない。
 自身でも信じられぬほどの無垢心を抑えることが出来ず、額を地に擦りつけたまま懇願した。
「どうか、どうかわたしを戦場で助けたときのようにっ」
「無駄だ」
 ふいに幽光さえ浴びることのなかった孤影が動いた。
 よほど喉が渇いていたのだろうか。
「天正三年(一五七五)、わたしは、従五位下惟任の、官仕をいただいた。その任責が、如何ほどのものか、その男には分からぬ」
 (たん)を絡ませた惟任光秀は、脂垢の浮いた眼底を持ち上げると、斉藤利三に向けて骨棘(こつきょく)を鳴らした。
「内蔵助よ。人は生まれながらに、仁、義、礼、智、信の五徳を、備えていると、わたしは申したな。しかしそれは、童のときから、学んでいるからだ。近親や同郷、別里の者など、さまざまな衆と交わることで、分別を身につけていく。それが、人の正道であろうと諭したとき、お前は聞く耳を持たなかった。このような辱めを、わたしに与えてなお、荒んだ狭量は変わらぬか」
 惟任光秀が告げ終える前に、斉藤利三は(わら)いはじめた。
「何が可笑しい」
 いっそう激しい眼差しで問われようと、止むことはなかった。
「何をおっしゃるかと思えば、改めて俗信の高説とは、惟任光秀さまも慈愛を知らぬ御方よ」
 発するなり斉藤利三は悪臭で鼻を抑えていた足軽の佩太刀(はいだち)を引き抜いた。
 刹那(せつな)に荒縄の締められていた竹格子は破られた。
 そのあまりの見事さから、惟任光秀は土壁に背を引いたものの、骨と薄皮の際立たつ瞳を惑わした太刀音は鳴り止まない。
「この私ほど、家臣の手柄に報い、領内外の人心収攬(じんしんしゅうらん)につとめた者は、いまの明智にいない」
 手加減するように惟任光秀の皮肉を削いだ斉藤利三は、凶刃を首に添えたまま、その顎を掴みとる。
「あなたが織田さまや朝廷の機嫌をとろうと(まいない)に明け暮れるあいだ、我らは一丸となって難事を処していた。……ときには身内の女衆を使って敵将を(たばか)り、敵方についた商人を抱き込むために身銭を切り、大事な盟友(とも)を軍規で裁いていく。もはや公言するのも(はばか)られる数多の清算を、あなたは『臣下として当然である』として、何の恩賞や慰労もなく、我が勲功とされた。ここにいる者を含めた足軽たちの不平不満など、一度も鑑みたことはなかろう」
「馬鹿な……そのような、ことは……」
 久しく震わせていなかったのか、惟任光秀は怒悲の在り方を忘れたようすで沈んだ。
 血反吐や痰の粘塊は、どれほど飛んだことだろう。
 それでも口元から垂れ流した(よだれ)を拭わず、裂帛(れっぱく)の斉藤利三に引けを取らない気魄(きはく)は、紛れもない武人だった。
「この御方をどうされるおつもりです」
 対峙に釘付けとなっていた十兵衛は、いま一度、命だけは助けるよう、声を絞って懇願した。
 斉藤利三は、視線の膠着(こうちゃく)を外れることなく、こちらを仰いだ。
「よかろう」
 いうなり足元の竹格子を蹴払うと、往時の丹力(たんりき)をみなぎらせていた惟任光秀の首を()ねた。
 風霊と虫の音が響いていた。
 血振りをくれた佩太刀(はいだち)を足軽に戻したのち、斉藤利三は意気消沈した十兵衛に発した。
「八上の攻城中、気負いから寡兵で寄せた明智の総大将、惟任日向守光秀は、敵である波多野秀治の埋伏(伏兵)によって捕らえられた。この斎藤内蔵助利三は、敵方の砦から主君を救い出した忠義の士として、織田さまから褒美を(たまわ)るであろう」
 ふたたび斉藤利三の愛刃が躍ったときには、十兵衛の顔から鮮血が噴き出している。

土岐の鷹①

土岐の鷹①

水面下を軸に

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-28

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