第四話 メキシカン・スタンドオフ

松見坂


──西暦二◯二五年十二月八日 東京都足立区 千住旭町 ルミネ四階

「嫌ッ!!」
 異形の手が伸び、その女性書店員の首を掴む。床に押さえつけられ、彼女は手足をバタつかせた。
 避難を促すアナウンスは依然として繰り返されている。
 逃げ送れた彼女はレジのカウンターで身を潜めていた。……しかし悪魔は鼻が利く。見つかってしまうのは時間の問題であった。
 恐怖の涙が滲んだ瞳に、映るのは、赤く、丸い、トマトの悪魔。縦方向の口が開いて嗤い、身体に点在する眼球がくるくる動いている。頭頂部にはヘタのような緑色の触手。そして下部には、数多の人間の腕が蠢いていた。その数本が、哀れな書店員のエプロンを圧する。
 死ぬ。
 彼女はそう思い、現実を拒否するように固く瞼を閉じた。
 そのまま、1秒、2秒、3秒、4秒……。
 ……何もしてこない。
 あれ、と思い恐る恐る目を開けた瞬間、
 赤い濁流が彼女の全身を襲った。
「…………ッ!」
 生暖かい感触を浴びて、悲鳴の声すら上げられない。
 ただ顔を拭い、僅かに開けた視界の先では──、
 両手に大きな刀を生やした男が、返り血塗れの背中を見せていた。
「あ……」
 後頭部には、時代にそぐわない小さなちょんまげが揺れている。
「……」
 お礼の言葉が喉につっかえて、彼女は走り去る誰かを見送ることしか叶わなかった。

 Pは階段を駆ける。上へ、上へ、なるたけ人のいない場所を目指す
 まだ終わってない。
 俺への刺客にしちゃあ、今の悪魔は弱すぎる。トマトが怖いやつなんていないだろ。
 つまり──釣り餌。
 刀の悪魔を刀の悪魔足らしめるための(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、発火剤。
 あぶり出されたわけだ。
 つまり本命は、どこかに潜んでいて──、
「っと、」
 5階。展望テラス付きのカフェテリア。
 その店内から、丁寧にドアを押し開けて、サンタクロースが現れた。
 三頭身のシルエット──着ぐるみだ。見覚えがある。確か、ルミネの入り口に抽選機が置かれていて、その前に立っていたような。
 背後に足音。
 チラと振り向けば、廊下の角からトナカイの着ぐるみが現れた。
 挟まれた。
 分が悪い。
 サンタクロースが、左手に掴んでいた鞘から抜刀する。鞘を投げ捨てる。
「……面白い」
 刀の悪魔に、刀で挑むか!
 磁器質タイルの敷かれた白い廊下。
 ガラスとショーケースの透明な壁。
 数分前までは家族連れで賑わっていたであろう一本路。
 束の間の緊張。
 そして、
 突如、サンタクロースが視界から消えた。
 焦るな、とPは自身に言い聞かせる。後退は無理。左右の壁に異常はない。もちろん距離を詰めてもいない。……すなわち!
「そこだァ!」
 天井よりぶら下がった蛍光灯の上──サンタクロースが器用に4脚で乗っかっていた。音もない。あの図体ながら、しなやかな身のこなしだ。
 パリン。
 蛍光灯を蹴り、サンタクロースが飛び込んでくる。右手で上段を守る。短い金属の音。刀と刀がぶつかり合う。
 残った左手の刀で、その腹を突き刺──そうとして、Pはバランスを崩した。
 後方にひっくり返る。
 床に頭を打ち付ける直前、右手に絡まった半透明な触手が見えた。

「海月」

 背後で若い声。

「針」

 脇腹に細いなにかが刺さる。
 慌てて立ち上がる。じんわりと、体内を熱いなにかが侵し始めるのを感じた。
 海月……。そして、針。
 毒か?
 毒ならば、一度人間に戻り、再度悪魔になれば完治するだろう。
 しかし、
 背後のトナカイを視認する間もなく、サンタクロースが肉薄する。
 そして繰り出される斬撃の猛攻。
「ぐ……ッ」
 相手は一振りの単純な刀。
 こちらは両手と額に大袈裟なモノを三振り。手数勝負では有利なはず。
 だが明らかに押されている。
 サンタクロースは身体を半身にして、まるでフェンシングでもするかのように執拗な突きを繰り返す。Pはそれをはたくように防御していく。そして余った刀で反撃にでるも、その斬撃は空を滑り、するり、とサンタクロースには当たらないのであった。
 こいつ──液体か!?
 Pは思わず、そんな間の抜けたことを考えた。しかしそれ程までに刀と刀の僅かな隙間をすり抜けてくる。まるで攻撃が当たらない。着ぐるみでぶかぶかの癖に!
 くるくると刀を回転させる、まるで曲芸のような攻撃。
 そして──、
 背後からは透明な触手。
 それが身体に巻き付いて、絶妙なタイミングで動きを制限してくる。振り落としても切り落としてもキリがない。
 右腕の回避が一瞬遅れて、またもや腰を切られた。膝も切られた。
 素早い斬撃。液体のような回避。そして触手による妨害。それらが続き、Pは頭が朦朧としてくるのに気がついた。切られる回数も増え出して、廊下はすっかり血の池と化している。サンタクロースの着ぐるみも真っ赤だ。

 成程。

 刹那、Pは気がつく。
 ……こいつら、俺を殺す気がないな。
 正確には、毒と貧血による摩耗を狙っているのだ。その末で、俺の体力が底をつくのを待っている。
 ならば!

 突如、刀の悪魔が動きを止めた。
 ──やっとかよ。
 コイケはチャンスとばかりに刀を振り上げ、その黒い首へと渾身の一振りをお見舞いする。
 ずぶり。
 刃が平行に差し込まれ、一層強い血飛沫が上がる。公園の水道を全開にしたみたいだ、と思う。もはや着ぐるみからの視界は最悪だ。
「……あれ」
 コイケは、自身の両手が動かないことに気がつく。
 すなわち、切り込んだ刀が固まっているのだ。
 両断しきれていない。
 体内で刀を止めているこの感触は──骨──というよりも刀に近い(・・・・)
 戦慄。
 コイツ、イカれてやがる。
 自分の食道に刀を生やしたのか。
 慌てて柄を手放し、着ぐるみの目を拭う。この部分には薄くて黒い布が貼られており、それで外が見えるのだ。
 しかし今は、イカれ野郎の返り血で視えない。

「──コイケさんッッッ!!!」

 ソラの叫び声。
 何だ、と思う暇もなく、右肩に重たい衝撃が走った。
 ──あぁ、切られたのか。
 呑気な感想を抱く。
 悪魔の大きな刀は、鎖骨を軽々しく折り、胸の内蔵をかき混ぜた。肋骨の折れるポキポキという子気味良い音が、体内で響く。
 そして腹を蹴られ、後方へと吹っ飛ばされる。
 一瞬の浮遊感の後、背中に固い衝撃。筋肉が何切れか取れてしまい、床に落ちていく。
 着ぐるみの頭がさらに後ろへと吹き飛ぶ。
 やばい、顔を見られる。
 激痛。
 ……いつかスカイプでレオンさんが、鎖骨はその太さが故に骨折の痛みが最上位なんだ、とかほざいてたな──。
 どうでもいいことを考えるな。
 痛みで思考が鈍る。
 ぼやける視界。
 つん、と鼻の奥が辛い。
 ……書き上げてない脚本があんのに……。
 海月の悪魔が、触手を蛍光灯に絡ませ、雲梯の要領で刀の悪魔の頭上を通過してくる。重みで蛍光灯が軋んでいる。もちろんそこにはソラが掴まっており、着地すると、いち早く俺の元へと駆けつけた。いつの間にか、もうトナカイではない。
「……っ……」
 傷の深さを確認し、ソラが絶句する。すっかり敵の存在が頭から抜け落ちているな。そういえば追撃をしてこないな……。
「海月」
 覗き込んだソラは唇を噛み、青ざめている。大量の汗をかいていた。
「僕の色はどれくらい残ってる」
 がぱり、と海月の頭に口が現れ、その奥から少年のような声が絞り出される。
「もうない」
 ソラが固く目をつむる。
 彼の思考を察し、コイケは声を出そうと努める。しかし出ない。指一つ動かせない。
 ──それはダメだ。
 その一言が、喉から先に出ない。彼に届かない。
 ──止めてくれ。
「僕の眼をやる」
 ソラが立ち上がり、海月の悪魔へと向き直った。
「だからコイケさんを治してくれ」
 その言葉を聞いて、海月の悪魔の口が、愉悦とばかりに歪む。そして体面に一つの『目』が浮かび上がった。それは実に5つめの『目』であった。
 青白い発光。
 数多の触手がコイケへと伸びていく────。

 突如、背後から発砲音。
 ハッと我を取り戻して、Pが振り返る。
 そこには拳銃を構えたナカハラが立っていた。
「……っ!?」
 既に撃鉄を起こしている。
 Pは慌てて額の刀を引っ込めた。
 どろり。黒い塗装が溶けて、その素顔を晒す。
「ポッターさん俺! Pです!」
「え、」
 ナカハラが目を丸くする。
 同時に、その頭上へ蛍光灯が落下してきた。
「は?」
 がっしゃーん、と音を立て、ナカハラの頭頂を打って二つ折りになる。
 砕けたガラスが雨のように降り注ぎ、彼の顔や首や腕や脚を割いて落ちていく。
 その一欠片が──彼の左眼を引き裂いた。
「痛ァッ!?」
 反動で、
 銃声
 引き金を引いてしまった。
「やべっ」
 銃弾は斜めに飛び──Pの左眼へと吸い込まれた。
「あダッ!?」
 それを見たナカハラの血の気が引いていく。
「……うわうわうわうわうわマジでごめんマジでごめん!!」
 拳銃を懐中に仕舞い、左眼を抑えながら駆け寄る。
「大丈夫です大丈夫です、」同じく片目を抑えて、Pが手を挙げる。「それよりポッターさんやばいですよ血」
「なんっ──か落ちてきたよね! 今ね! 何!? スゲェ痛いんだけど!」
「元気ですね」
「……Pさん……ポッターさん……?」
 呟き声。
 Pとナカハラがそちらを向くと、驚愕に目を見開いたソラが突っ立っていた。
 その左眼が、異様な白濁色へと染まる。

「はぁ~~~~~あ」
 ソラの長い溜息。
 無人のカフェテリア。
 窓際に置かれた4人がけテーブルに座り、彼らは気まずい沈黙に支配されていた。
 Pが刀の悪魔であることは、先程眼を治す際に左手を抜刀したことから、周知の事実となった。
「どうしようか」
 一人だけ無傷のコイケが、窓の向こうの青空へと目を逸らして云う。服だけはざっくりと斜めに切り傷が入っており、ほとんど上裸だった。
「何が?」
「何がって……公演」
「公演かよ」ソラが吐き捨てるように云った。「できるわけないでしょ」
「え、やりたい」Pは階下を見ていた。ルミネの前には、パトカー、救急車、野次馬、マスコミ、それに公安のスーツを着た者がうようよ集まっていた。この場所に彼らが来るのも、時間の問題か。「やりたいけどな俺は……」
「……そうか」ナカハラが小さく頷く。彼の頭部には斜めに包帯が巻かれており、先程切られた眼を保護していた。それを結んだのはコイケである。
 晴天を雲が流れていく。
 4人とも、乾いた返り血やら切られた服やらで、寒そうに身体を震わせている。
 誰かの腹が鳴った。
「ねぇ」
 Pが机に身を乗り出して、皆の顔を見渡す。
「みんなで逃げちゃわねぇ……?」
「あはっ」
 思わずコイケが笑う。
「いいのか……?」
「いいでしょいいでしょ!」
 Pが立ち上がり、空元気にパンと手を叩く。
「ま、元々俺は逃げてるようなもんだし……。あとテツヤとかレオンさんにも声かけてさ、なんか田舎とか──海外! 海外でもいいし」
「……どう思う」
 コイケがソラに耳打ち。
「え? あぁ……」
 ソラが顎に手を添えて、少し悩む。
「……その場しのぎですよ」
「俺たちならなんとかなるって!」Pが声を大きくする。「日本のビックネームが揃い踏んでるんだぜ? そりゃ公安も追ってくるだろうけど……たかが知れてるよ」
「……なぁ」
 コイケがソラに向き直る。
「俺たちも似たような状況だろ? 乗ってみようよ。メメも窮屈だろうし」
「あんた本気で云ってんのか」
「じゃあPを殺すか?」
「……」顔をそらす。
「あとお前、色もうないじゃん」
「関係ないでしょ」
「条件がある」ナカハラが指を一つ立てた。「……俺はとある人間を追ってる。そいつの捜索に手を貸してくれるなら──」
 ナカハラは思考する。
 マツミを轢き殺した犯人は、刀の悪魔の差し金だと思っていた。睡眠塔の情報が漏れ、先手を打たれたのだろう、と……。
 しかし正体がPならば、話は別だ。そんなことをする倫理や胆力を持ち合わせているはずない。というより、先程の反応から察するに、俺たちがこんな仕事をしていたことすら知らなかったのだろう。──入念に隠蔽していたので当然といえば当然だが。
 知らなければ狙いもできない。
 報道管制が敷かれなかったことから、Pの背後に組織が付いているとも考えにくい。
 すなわち。
 ──あれは、別の連中の仕業ということ。
「誰かは分からない。ただ俺は──そいつに会わなきゃいけない」
 Pは頷いた。敵対しなければそれでいい。
「……分かりました、手伝います。それで、コイケ達は?」
「いいよ」
 ソラが応えた。
「その代わりPさん、戦闘のときは任せましたからね」
「生意気だな」
 Pがぎこちなく笑う。すぐには大学生を取り戻せない。
「具体的にはどこに逃げる?」とコイケ。
「とりあえずテツヤに相談して、コトが大きくなる前に飛行機で高跳びかな」
「俺たちァ、もう一人連れてくやつがいるんで、一旦家に帰りますよ」
「おっけ。じゃあ一度解散して、成田で待ち合わせよう。ポッターさんは……」
「Pに着いてくよ」
「分かりました」
「……初めてだな」
 コイケの呟きに、ソラが振り返る。
「海外旅行ですか」
「いや、メイスタの海外公演」
「まだ諦めてなかったんですか」
「小劇団としてさ、日銭稼いで暮らそうや」
 それはそれで楽しそうだ、とソラは軽く胸が踊った。

 ──瞬間、世界に夜の帳が下ろされた。

 4人が驚愕し、窓に目をやる。
 つい今まで青く白い空模様だったはずなのに……、
 闇に覆われている。
 階下の人々が騒然となっている。
 白い月が煌々と輝いていた。

 ばばばたり。

 突如として机に突っ伏す──3人。
「!? え!?」
 Pだけが立っている。
 他の3人は──ナカハラとコイケとソラは──電池の切れたロボットのように、その活動を停止した。
「おいどうした! おい!!」
 必死にPが呼びかけて、コイケの肩を揺する。
 反応はない。
 冷たい。
 ──そんな訳がない。
「 な  な、な  何が… 」
 ……万が一。
 有り得ないけれど、万が一の可能性を考えて──、
 震える指を口元へ近づけてみる。
 3人とも全く息をしていなかった。

──西暦二◯二五年十二月八日 東京都墨田区 東京スカイツリー展望回廊

 十三時四十六分二十二秒。
 地上三五◯メートル。
「月の悪魔よ」
 夜の東京を一望できる、大きなガラス窓の連続体。
 その傍らにテツヤは立って、月を見上げていた。
 足元には4つのボールが置かれている。
 展望回廊内は消灯され、夜景の綺羅びやかな点滅がカラフルに照っている。
「──ナカハラノゾム、マツミレオン、サイトウソラ、コイケシュンスケ──」
 片足をボールの髪の上に乗せる。
 それは死刑執行済の生首であった。ヨーロッパ系で彫りの浅い白皙の顔が、白目を向いている。
「以上4名を殺して下さい」
 パン、パン、パン、
 生首が順番に弾け飛び、ガラス床とズボンを汚した。
「……やっぱり先手は打つべきだな……」
 一仕事終えたテツヤは、黒い長椅子へと腰を下ろす。そしてごろんと横になる。
 彼はそのまま眠ってしまった。


つづく

第四話 メキシカン・スタンドオフ

第四話 メキシカン・スタンドオフ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-12-27

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