十六時、浴室

 血の色が、なに色だって、いいじゃない。あしたが、とつぜん、夏になったって、かまわない。ひとりではいる、お風呂のなかでかんがえる、世界のこと、漠然としていて、果たして、世界は平和と呼べるのか、ということに対する、明確な回答は見つからずに、でも、じぶんのまわりは、だれかがあらそっていたり、いがみあっていたりは、しておらず、かといって、だれひとりも傷つかずに生きているわけでは、ないというのが、現実だ。ふいに、こういうアイスケーキがあったようなと思い出し、お買い物に行ったときにアイスコーナーをかくにんしてこようとして、でも、忘れてしまって、まぁ、また今度でいいか、でも、たしかに、こういうかたちのアイスケーキがあったんだよと、あたまのなかでそのあやふやな形状を思い浮かべる瞬間は、決して無駄ではないこと。しらないひとの言葉に、ずたずたにされて、しらないひとなんだから、気にしたらだめだよというなぐさめは、あたまではわかっていても、こころがついていかないので。だれかのためにしたことを、偽善者、と吐き捨てるにんげんが、いる、世界が、いつか、平和になるのかしらんという、わたし、なんのとりえもない、いちにんげんの、ぼやきを、ひっそりと吸収してゆく、浴室。むかし観ていたドラマの再放送が、エモいだけの年末。

十六時、浴室

十六時、浴室

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-27

CC BY-NC-ND
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