壁をたたく音

壁をたたく音

茸SF小説です。縦書きでお読みください。

 築十年の中古の木造家を借りた。いずれ気に入ったら買い取るつもりである。新宿から三十分、駅から十分と近くていいが、丘の一番上にあることから、家に行き着くのに、息を切らして歩くほどである。しかしIT関係の会社に勤めているので、自宅でできる仕事が多く、週に2、3回、好きな時間に会社に行けばよい。ソフト開発の与えられたノルマさえこなせば時間は自由である。ほぼ同じ年の仲間は会社のある渋谷近くに瀟洒なマンションを買って住んでいる。都内のマンションにいる連中は車とスポーツジムといったパターンである。私も車に乗らないわけではないが、家の周りの山道を歩いたり、買い物に町に下りたり、生活が身体を動かすことにつながっている。郊外の自然の豊かなところは、頭のリフレッシュにはとてもいい。こちらにきてから仕事がはかどる。
 一緒に会社にはいった同僚はいまだに独身で私も同じである。三十になったばかり、いま頭を働かせていいソフトを一本でも開発すると、うまくゆけばその後は一生あくせくしないで暮らせる。みなそう思って結婚のことは意識的に忘れている。
 マンションに住む同僚はなぜメンテナンスに面倒な一戸建てを借りたんだと聞く。週一度の室内掃除、水回りの管理、風呂や台所の管理をそれぞれ業者に頼んでいるが、都内の便利なマンションの管理費を考えるとおつりがくる。
 そんな返事をするのだが、まあ趣味の問題だろう。
 
 四月に引っ越して約半年、夏の間はエアコンもいらない日があるくらい、このあたりは都内から比べて、温度が数度低い。すごしやすい夏となった。
 秋になると、小さな庭にも茸が生え、いくつかの虫の声が重なって聞こえてきた。いいものだ。
 ところが、ちょっと奇妙なことがあった。大したことではないのだが、二階の寝室で寝ていると、隣の仕事部屋からとんとんと壁をたたく音がする。よく戸袋などに蜂が入り込み巣を作って、羽音が聞こえてくると言ったことがあると、不動産屋が言っていた。そのときは蜂の駆除の業者を紹介してくれるという。しかし、居間と寝室の間の壁の中に蜂などはもぐりこめないだろう。それに、とんとんと音は小さいが、明らかにたたいている音なのである。人差し指で床をたたくとこんな音がするだろう。朝起きたときには聞こえない。
 ホラー映画にゴーストが壁の中からでてきて夜中に歩き回るといったたぐいのものがあるが、そのような恐怖感をもつような音ではない。どちらかというと、かわいらしい音だ。しかも、とても小さな音である。
 数日続いたので、その日の午前中、部屋でやっていた仕事の合間に、寝室に行き、ベッドに転がって静かにして様子を見た。しばらくそうしていたのだが、音は聞こえない。何もないか、と壁に耳を近づけてみた。すると、明らかに、とんとんという音がきこえてくる。昼間の雑音で打ち消されるほど小さな音なのだ。それで、仕事部屋に戻り寝室との間の壁に耳を当てると、やはり聞こえる。
 かなり規則的な音なので、どこかの音が家に伝わって物理的な性質から壁のところに出てきてしまっている、という解釈当たりが順当なのだろう。そうならば気にすることはない。忘れることにした。
 壁の音は秋が深まると聞こえなくなり、耳を当てても音は出ていなかった。
 初めての一戸建てでの冬を迎えた。都内より寒いので暖房は早くからいれることになった。だがエアコンをつけても、コンクリートのマンションの部屋より、暖かさがやわらかい。効きが悪いということなのかもしれないが、どこか人間には優しい暖かさだと感じられる。
 年が明けてから、同僚を呼んで泊まってもらうことにした。
 彼らは一戸建てもいいなと言っていたが、すぐテレビをつけてその前でわいわいやっていて、ガラス戸から庭を見ようともしない。都会の遊び場がないとやっていけない連中だということがわかった。
 春になり、ここにきて一年になった。黄緑色の葉っぱが目に優しい。
 桜も散り連休になったとたんである。またとんとんという音が壁から聞こえてきた。季節が良くなると音が聞こえる。ということは生物が活動を始めて、何らかの音を出しているのだろうか。蟻みたいなものがはいりこんで、集団で何かをしているその音が聞こえているのかもしれない。
 それにしても、たたくリズムが昨年の秋と全く同じだ。蟻がこのような規則正しい音を出すことはないだろう。壁に耳を当ててみると、去年と場所がずれている。
 ベッドに寝ていると頭の脇から聞こえていたものが、首あたりだ。そう思っていたら頭あたりからも聞こえてきた。ということは広がったようだ。それから三日たったら、音が足の先の方まで広がった、壁のすべての面から音がでている。
 仕事部屋に回って壁に耳をつけてみると、やはり壁一面から音が聞こえていた。
 しばらく経つと、今度は廊下側の壁からとんとんというかすかな音が聞こえてきた。仕事部屋との間の壁からも聞こえている。ということは音が増殖している。
 その頃、ソフトの開発の重要な場面になっていたときでもあり、音のことなどあとまわしになっていた。
 梅雨の時期になると窓側の壁や一階のキッチンと居間の間からも聞こえていた。家中の壁の中から聞こえるようになっていた。
 梅雨があけ、暑さが身にしみるようになってきたとき、仕事も一段落となり、壁の音の原因がきになってきた。壁の中をのぞくのが一番だ。自分でこじ開けると、あとが大変になる。大工さんにでも見てもらったほうがいい。駅に行う途中にある家を借りた不動産屋に声をかけた。
 この市の土地持ちが経営している不動産屋で、デスクにいる専務は社長の弟である。
 「なにかいるのかなあ、あの中古を建てたのは、埼玉の工務店さんなんだが、とてもいい仕事をするので知られたところなんですよ、材料なんか、今じゃ手に入らないほどのものなんですよ、建て主だった人が転勤で、うちが買い取ったんです。とりあえず借家にしたんです、前に借りていた方も丁寧に使っていましたよ」
 クレームと勘違いしたようだ。
 「いやいや、とても気に入ってます、いい家ですよ、壁に虫でも入り込んだかと思って、どこかでみてもらいたくて、教えてもらおうと思って、」
 「ああそういうこと、なら私がちょっとみますよ、うかがいますから、何時がいいですか」
 本人が来るとは、暇なんだろう。
 「夕方ならいつでもいけど」
 不動産屋は家の図面を持って四時に現れた。
 専務は一階のキッチンと居間の間の壁に耳を当てた。
 「確かに小さい音だがとんとんと聞こえますな、だけど中に何かがいるようではないな、これは遠くの音が伝わってきているんじゃないかな」
 外からの音の可能性は自分も考えたことだが、家中の壁の中に広がっていったということはどういうことだろう。
 「家の外回りや庭の中を調べるといいな、外壁に耳を当ててみるか」
 そうだ、そうすべきだった。不動産屋は庭に出るというので、一緒についていった。
 庭にでて家の壁に耳を当てた。あの音は聞こえない。
 「外壁からは聞こえないというのは、家の土台のほうから音が伝わってきたのかも知れんな」
 不動産屋は隣と塀にも耳を当てたが、音はしないと首を振った。
 「お客さん、外では音が聞こえないね、壁の中を調べなきゃならなくなるかもしれないけど、今日のところはこれくらいかな、土台回りや、外塀の下に蟻がずいぶんいるね、蟻は家を壊すよ、駆除剤撒いたほうがいい、もし音が続いて、壁を剥がしてみるようなときには、また声を掛けてください」
 不動産屋の専務はこういって、帰っていった。
 その日、二階の壁に耳をあててみたが、やはりとんとんとんと音は聞こえた。
 次の日、駅の近くの薬屋から噴霧式の蟻駆除剤を買った。帰りに不動産屋によって礼を言った。蟻なんかの仕業かもしれない言うと、専務は愛想良くそうですよと相槌をうった。
 家の周りに思いっきり蟻退治の薬を撒いた。
 その夜、とんとんと壁をたたく音は消えなかった。しかも、一階の風呂場の壁のタイルに耳を当ててみたら、音がしている。音のしないところはないと言っていいくらいだ。
 問題はそれからだった。壁に耳を当てなくても、音が聞こえるようになってきた。最初はベッドに入ったときだ。壁から小さいけど、とんとんと音が聞こえてきた。起きて、壁に耳を当てると、かなり大きな音だ。
 次の朝、キッチンで珈琲を飲んでいると、音が聞こえてきた。気になりだすと、帰になるものだ。仕事をしていても耳にはいってくる。こりゃ大変だ。
 こうなると、壁をはがして、中を見るしかないだろう。
 寝室のベッドの置いてある壁側は、ベッドしか置いていない。ベッドをずらせば、壁を剥がすのは簡単だろう。
 その頃はこの家を買う気になっていた。ともかく環境もいい。それで自分で壁を開けてみるのもいいかと思った。
 駅ビルの中にホームケアーという店がある。家の手入れをする工具、道具、それに庭の手入れに必要なものをうっている。
 店に行って、店員に声をかけた。
 「壁をはずして中を見たいんですが」
 そういったら店員さんがびっくりした。言い方が悪かった。言い直した。
 「壁の中がおかしくなっているようなので、はがして様子を見たいんですが」
 「はあ、ご自分でなさるんですか」
 「はい、まず自分でやってみようと思っているんですが」
 「きちんとした家だったら、専門家に任せたほうがいいですよ」
 「ここではやらないんですか」
 「雨樋をなおしたり、割れた土管を取り替えたくらいはしますが、壁を剥がしたりするのは、大工さんの方がいいとおもいますよ」
 教えてもらった工務店は駅の反対側にあった。駅から歩くと十五分程のところの店で、間口の大きな古そうな店である。入ると誰も居ないので、大声でこんにちわと叫ぶと、奥から、手ぬぐい鉢巻で、鉋を持った親方らしき人が出てきた。
 「何かね、待ったかね、裏で作業したんで気ずかなんだ」
 そこで壁の中の状態を見るために開けたいことを説明した。
 「ああ、あの借家、駅のところの不動産屋だろ、そこに言ったほうがいいよ」
 「ええ、見てもらいました、あの家購入しようかと思っているので、自分で治すつもりで、ホームケアーに行ったらここを紹介されました」
 「そうだったんかね、それなら時間のあるとき行ってやるよ、だけど同じ壁紙がないと元に戻せないよ」とうなずいた。
 「急ぎませんから、お願いします」
 「頼まれ仕事が入っているんでな、でもちょっと様子を見せてもらっとくかな」
 と言うのでハイとうなずくと、店の前の軽トラックの助手席のドアを開けて、
 「いまでいいなら、行くだけいくよ」
 といった。驚いたが、乗るように助手席を示すので乗り込んだ。場所もわかっているようで、何も聞かずに車を出した。
 「前に借りていた岡本さんは宇宙物理学者で、アメリカの何とか行う宇宙研究所に引き抜かれて行っちまったんだ、夜はよく望遠鏡で星を見ていた、星が好きだったな、物干し台を広げてほしいって頼まれてね、うちでやったんだ」
 「もどってこないんですかね」
 「そうらしいよ、あの家はよくできてるよ、だけど何で壁をはずすんかね」
 「それが、壁の中から音がするもので」
 正直に言った。
 「あの学者さんなんかしこんでいったんかね」
 冗談ともとれない顔をして親方は車を玄関の脇につけた。
 親方はこの家のことをよく知っているようで、何もいわずに、二階の寝室にはいっていった。
 とんとんという音はまだ聞こえていた。
 「ほう、確かに聞こえているな」
 親方は拳で壁をたたくと、
 「高級ベニヤを使ってるからな、かなり厚い、いいもんだ、だけど開けるのは容易すよ、土曜日の午前中なら若いもんこさせることができるよ、それで開けたあとはどうするね」
 「中の様子で、すぐ閉めてもらいます」
 「壁紙は後でもいいかね、近いものを探しとくから」
 「はい」
 「だけどこの音は不思議だな、なにがだしているのかね」
 そう言って帰っていった。
 
 土曜日、若い人がきた。道具を担いで二階にあると、なれた様子で壁を取り外しにかかった。隅のところに釘抜きのようなものを思いっきりつっこんだ。その拍子に彼は跳ね返されひっくり返った。
 「大丈夫ですか」
 驚いているが、私も驚いた。
 「いや、すみません」
 彼は恥ずかしそうに立ち上がった。もう一度隅に金具を当てた。どうにもならない。首を捻りながら、スマホをとりだしてなにやら連絡をした。
 「堅くて道具が入らないんで、すみません隅に穴をあけていいですか、おわったら補修しますので」
 私がうなずくと壁の下の隅に電気ドリルで穴をあけるため鉛筆で印を書いた。
 彼がスイッチを入れるとドリルが回り出したが、先が壁に当たるとキイイイイーといって滑ってしまった。今度は昔ながらのきりを取り出して壁にさそうとしたが刺さらなかった。彼はまたスマホで電話をかけた。
 しきりと謝っている。
 「変なんです、この壁堅くて道具の歯がたたないんです、今親方がきます」
 若い職人さんが困惑した顔をしている。
 「そんなに堅いんですか、今の建物なんて下手にたたくと壊れるほど柔だと思っていましたよ」
 壁をたたいてみた、確かに堅い。たたいたあと、とんとんと中から返事のような音がした。なんだろう、若い職人さんは気がついていない。
 すぐに親方がきた。
 「なにやってんだ」
 若い門を叱り飛ばしながら親方も同じように剥がそうとした。ところが全く歯がたたない。
 「壁紙もはがすことができない、わかんねえな、ご主人、他のとこやってみてもいいかな」
 「いいですよ」
 居間に案内した。親方は意固地になってこじ開けようとしたのだがだめ、とうとう金槌でたたいたりしたが跳ねかえっただけであった。そのとき中からたたき返したような音が帰ってきた。今度も親方たちには聞こえなかったようだ。
 「何でできているんでしょうね」
 「わかんねえ、ご主人まことにすんません、うちじゃだめそうだ、作った工務店にきいてくだせえよ、これは木じゃねえ、あの学者が作ったものじゃねえかねえ」
 「ええ、いいですよ、お代をはらわにゃ」
 「とんでもねえ、みっともねえこってすんません、音が聞こえるのも、あの学者が中に仕込んだのじゃねえかね」
 会社に行く必要があったとき、新宿駅の店で買った月餅があったので持たせた。工務店の親方は恐縮して帰って行った。
 それにしてもなにでできているのだろう。触った感じでは普通の壁紙である。
 さっき強く叩いたら叩き返してきた。そばにあったボールペンでトトンとたたいてみた。するとトトンと返ってきた。いったいなになのだ。誰かが中にいるようだ。
 耳を壁につけてみた。今まで通りの規則正しくたたく音だ。耳をつけたままトトトンとうってみた。するとトトトンと返ってきた。何かの仕掛けが施されているのだろうか。前住んでいた宇宙物理学者はなにをこの家に仕組んだのだろう。
 逆に、ちょっと興味がわいてきた。とんとんという音はあれから特に大きくなることはなく、だいぶ慣れてしまっていた。

 ある日、不動産屋の前を通ると、専務が通りにでて植木鉢の中を覗いている。
 「どうしました」
 「あ、お客さんでしたか、いや、植木鉢に茸がはえて、抜こうかそのままにしようか、考えていたのですわ」と驚いたように振り返った。診ると鉢の中のベンジャミンの脇に黄色い茸が生えていた。
 立ち止まって見ていると「壁はどうしました」ときいてきた。覚えていた。
 「音がやまなくて、工務店に頼んだけど、堅すぎてはずせなかった」
 「え、図面では上等な厚手のベニヤ板になっていたね、だけどあの親方がはずせないというのはどういうこったろうね、あそこの店は腕のいい大工が何人もいるところだよ、うちとは懇意にしているんだ」
 専務も首をかしげている。
 「注文した人は宇宙物理をやっていた人だそうですね、親方が言ってました」
 「そうだよ、あれ、言わなかったかな」
 「先生とはききましたが」
 「宇宙を研究していた人でね、世事には疎い人だった」
 「その埼玉の工務店の電話わかりますか」
 「借家契約といっしょに、建築設計図のコピーが袋に入っているとおもいますよ、それに業者の名前、が書いてありますよ」
 そうか、借りたときの書類が箱にまとめてあるのでみてみよう。
 家に帰って開くと工務店の電話が書いてある。早速電話をかけ、壁のことを聞いた。電話の向こうからこんな話が聞けた。
 「だいぶ昔に建てたものだよな、ちょっと上等なベニヤ板でこしらえましたよ、柱にしろ、みんないい材料でね」
 「はずれないんですよ」
 「そんなことないでしょう」
 「たたいてもこわれないんです」
 「そりゃどうしたんだろう、あとで誰かが直したのかね」
 「特に変わったものを使ったわけではないことがわかりました」
 「そうだね、今はそちらの不動産屋のものだろう、そっちのほうが知ってると思うけどね」
 「不動産屋は何もしていないようです、壁の中はどうなっているんでしょう」
 「かすがいの間には防音と断熱をかねた材料を詰めてあります、なぜでしょうか」
 「壁の中からなにかがたたく音がするので壁を開けるのを頼んだのです、中に何か仕掛けでもあるのかと思いまして」
 「仕掛けなんてないと思うけど、少なくとも、建てたときにはなにも入れたりしませんでしたよ」
 これ以上話してもらちがあきそうにないので、礼を言って電話を切った。
 壁をたたく音はあきらめるしかないだろう。
 こうして、秋を迎えた。夜空がなぜかきれいだ。窓を開けていると虫たちの声が聞こえてくる。
 そんなある日の夜のことである。壁がぼっと光を放っている。まるで蛍光塗料が塗ってあるようだ。寝室と書斎の間だけではない。家の中の壁という壁が青く輝きだした。庭にでてみた。外のモルタルの壁は全く変わっていない。家の中にもどってみるとぼーっと青く光っている。
 その日から壁をたたく音も日増しに大きくなってきた。
 朝起きたとき、雷が遠くに聞こえた。ベッドから起きてパジャマから着替えたとき、窓の外がぴかりと光ると、とたんに雨の音がして、ざあざあと屋根をうつ音が襲ってきた。
 また光った。シャーと音がして、ドドーンと家が揺れ、家の中が光に包まれた。雷が落ちた、と思った時である。壁の青白い輝きが消えていて、透き通って中のものが見えた。なんだこれは。
 丸っこいものがぎっしり詰まって揺れている。茸だ。色とりどりの傘を持った小さな茸が壁の中に詰まっている。揺れながら皆で一緒に透きとおってしまった壁を叩いている。
 また稲光が走った。ごろごろぴしゃんと音が耳元でして、からだがびりびりした。
 そのとたん壁が崩れた。茸たちが部屋の中に飛びだしてきた。
 茸たちは次から次へ、あとからあとへ、と寝室の中に出てきた。出てきた茸は頭を振って他の茸の傘にぶつかっている。いや挨拶のようだ。茸はどんどん飛び出てきて自分の周りに溢れた。自分も茸に埋もれそうだ。
 また稲光がした。茸たちが大きく膨らんだ。成長したのである。
 頭の上まで茸に乗っかられている。
 息苦しくなってきた。
 かき分けようとしても前に進めない。
 やっと動いて階段にたどり着いたが、階段も茸で埋め尽くされている。思い切って階段のあるところへ身を投げた。茸をかき分けて下に落ちることができた。一階も茸に埋もれている。何とかかき分けると玄関にたどり着いた。玄関の戸を開けて外を見ると雨がざあざあ降っている。
 玄関から茸たちが私を押した。私は外に弾き飛ばされた。茸たちも家の中からあふれ出てきた。
 また雷が鳴った。勢いよくたくさんの茸が外に出てきた。茸たちは雨の中、土の上で頭を振っている。
 私はびしょびしょになってってやっと立ち上がった。
 そのとたん、電気が私の頭から足先に貫いた。
 はっと気が遠くなりなにもわからなくなった。
 気がついたら雨はやんでいた。自分は庭にいる。足下にたくさんの茸がいた。それだけではない、茸たちが庭を埋め尽くしている。
 一番近くにいた赤い傘の茸が話しかけてきた。
 「この星の人をうちらの星に連れて帰らなきゃいけないので、同じ形になってもらったのだけど、それでも大きすぎて壁にはいれないね」
 私は自分の体がどうなったのかわからない。
 「こいつを二階の寝室に運ぶぞ」
 赤い茸がそういうと。茸たちが私を押して動き出した。
 「どうなっているんだろう」
 玄関にかけてある鏡を見た。
 自分が紫色の茸になっている。
 「上に行くよ」
 茸に促されて二階の寝室にもどった。
 茸たちは壁の中に飛び込んでいく。 
 「ここの地球人はどうしよう」
 私の脇に立っていた赤い茸が、すでに壁の中にいる黒い茸に尋ねた。
 「大きさを縮めることはできないね」
 「それじゃあきらめますか」
 「仕方ないね」
 「ほっときますか」
 「しょうがないだろ」
 「でも何か星に持って行かなければなりませんね」
 「さっき庭にでたときに、我々そっくりな形をした地球の生き物を見つけたので、ほれ連れてきた」
 壁の中にはイグチがあった。庭に時々生える。
 「だけどこいつらは話もできないし動くこともできない」
 「茸というんだ」
 私は大声をだした。
 「そうか、それであんたはなんて言うんだ」
 「人間」
 「そうか地球の主か、まだ進化の途上だな、さて我々は帰るよ」
 透明な壁が元に戻り始めた。
 茸たちは壁の中で頭を新しくできた壁にぶつけた。やがて透明だった壁が元の壁紙が張られている壁になった。
 「ここはね遊覧宇宙船の駅なんだよ」
 茸の一つが私にそう言った。
 やがて壁の音が聞こえなくなった。
 大きな紫色の茸が床の上に転がっている。
 いったい誰が最初に茸になった自分を発見するのだろう。

 時はどのくらい経ったかわからない。
 不動産屋と工務店の親方が部屋に入ってきた。
 「まただよ、借りた人が居なくなった」
 「あの男、壁からへんな音が聞こえるって言ってたろ、関係あるのかな」
 「ないと思うよ」
 「だけど、ここの家の壁、俺もはずそうとしたけど硬くてはずせなかった。なにかおかしいけどね」
 親方は壁をたたいて、持っていたドライバーをすみに差し込んだ。
 「あれ、スーッと入るな、こりゃ普通の壁だ、なぜあのときにはあんなに硬かったんだ」
 不思議そうな顔をした。
 「あのITの人この家買うつもりだったようだね」
 「そうらしい、だから居なくなるのおかしいね、警察もだいぶ捜したけどわからないんだな、両親は急に思い立って外国に遊びにいったんじゃないかと言ってたけど、国を出た様子はなかったんだ、会社のほうでも仕事はとてもうまくいっていて、期待していたとこらしい」
 「もったいない」
 「それであの男がいなくなったことがわかって、警察官と家に入ったら、大きな紫色の茸がころがっていてね、」
 「なんだったんだ」
 「庭に生えたんじゃないかって、警察官も気にしていなかった」
 「茸どうしたの」
 「庭にうっちゃっといたら、大きな赤い蝸牛がたかっていて、もうなくなってるよ、奇妙なのはあの赤い蝸牛、岡本先生がいなくなったときに、家の中にいたやつだ」
 「岡本先生はアメリカに行ったんじゃないのかい」
 「そうなんだ、じつはね岡本先生もアメリカに行ったかどうかわかんないんだ、突然いなくなってね、両親がきて、残っていたものをもっていったよ、研究に必要なものは確かにアメリカに送っていたようだけどね」
 「そうなのか」
 「親方、きれいにしておいてくれるかな、また借り手を捜すから」
 「やっとくよ」
 二人は階段を下りていった。
 

壁をたたく音

壁をたたく音

古い木造一軒家を借りた。壁から音が聞こえる。中では茸が詰まって動いていた。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-25

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