やさしさサンドイッチ
保育園に通っているころから人と張り合う気がてんでなかった。よく言えばやさしいが、意地悪な人に言わせればお人好しだった。飴が配られた時には律儀に一番後ろで順番を待ち、誰もとらないような渋い味の飴、たとえば柿味とか、を受け取った。絵本や折り紙を渡されるときも余ったものばかりを手にすることになったから、わたしの手にはいつも茶色や鶯色の、友達が言うところの「おばあちゃんの色」の何かが、行き場を失った生き物のように存在するのだった。どうしてもこれが欲しい、というような欲が湧いてこなかったから、それがどういうものなのかもよく知らなかった。知らなくても生きていけたし、むしろ面倒な揉め事に巻き込まれることがないから、生きやすいとさえ思った。
職場の休憩室に、だれかのお土産が置いてあった。わたしが休憩室に入った時にはすでに数人の人集りができていた。だからお土産が見えなかったけれど、人集りの具合からお土産があるのだろうなということは容易に想像できた。
ルルーも食べたら、と先に食べていた人が言った。何やら、チョコレートが四種類あるらしい。カカオの含有量がそれぞれ異なるようで、それで人集りの中では、どのチョコレートが最高か議論がおこなわれていたのである。例によってわたしは、カカオの含有量はなんでもよいほうだった。強いて言えば、八十五パーセント以上は食べた時に土の味を感じるためにあまり好まないが、それ以外はやっぱり拘りがなかった。そして、今どうしてもチョコレートが食べたい、という気分でもなかった。だからわたしはそのままその場を後にし、結局お土産のチョコレートを食べることはなかった。
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「いつもありがとうね」
休憩室の冷蔵庫から今朝保管しておいたサンドイッチをピックアップし、サラーナの元へ持っていく。サラーナはノートパソコンで手短にチャットを返したのち、わたしの手渡したサンドイッチを頬張った。「ああこれこれ、これが毎日楽しみなのよ」
わたしはサラーナに直接雇われた、彼女のアシスタントのようなものだった。頼まれたこと、主に雑用だが、をこなし、定時の一時間前になると帰してくれた。「だって、サンドイッチを作ってもらわないと困るからね」そう、サラーナの昼食は、いつもわたしが拵えてくるのである。
といっても、そんなに難しいことはない。メニューはたいてい一緒だからだ。ミソとマヨネーズを混ぜたスプレッドを塗ったパンに、薄切りにした茹で豚を挟む。野菜は、キウリとかレタスとか、その時々で変えることがある。でも、本当にそれだけだ。
わたしは彼女の書いた文章の校正作業を始めた。締め切りは彼女の昼休憩後に差し迫っている。自分の昼ごはんは、この校正の後にとるしかない。でも、別にそれを不満に思うこともなかった。
「素敵な爪の色ね」サラーナはサンドイッチを食べながらもごもごと言った。わたしが紙から目を上げると「あ、ごめんね仕事中に」と小さく謝った。
爪には、ブラウンとピーグリーンを乗せてある。と表現すれば、大分お洒落に聞こえるだろうか。その実、茶色と鶯色である。小さい頃から、意に反して、いや意と言える意すらそもそもなかったが、とにかく偶発的に慣れ親しんでしまったお馴染みの色だ。だれかが「おばあちゃんの色」と言った色だ。素敵だ、と思ったことは一度もなかった。これじゃなきゃ嫌だ、と思ったことも、同様に。なんとなく落ち着くから、選んでしまった次第である。
だからわたしはつい、保育園での出来事をサラーナに話してしまった。人に聞いてもらうほどの話ではないと思っていたが、サラーナはとても興味を示していて、全部聞き終わるとこう言った。
「だからよ。わたし、すごく洗練されていていいなあと思ったの。余計なものが削ぎ落とされているような、迷いがない、シンプルであなたらしい色だなって」
「でも、わたしは選んでいないんですよ。いつも余ったものを持ってるんです」
「そんなことないわ。あなたは選んでいるし、あなたが選んだものは美しいものばかりよ。もし、保育園のお友だちが今あなたの目の前に現れたら、口を揃えてこう言うでしょうね。『そのネイルカラー、どこの?』って」
サラーナは口が巧い。敏腕ライター兼デザイナーとして独立してやっているだけある。丸め込まれたような気持ちになりつつも、わたしは校正の仕事を終え、サラーナはサンドイッチを食べ終わった。そして自前のボトルに満タンに詰めてあるカフェオレをぐいっと飲み、忙しい彼女は出来上がったばかりの原稿を持って、ミーティングへ駆け足で向かった。
満を持して、わたしも昼食の時間である。サラーナに作ったのと似たサンドイッチを食べた。このサンドイッチは今ではサラーナのために作っているけれど、よく考えてみれば、最初は自分で食べるために作ったものだった。具材の組み合わせや調味料の配合バランスなどは、自分で日々食べながら少しずつ調整した。人の昼食を毎日作るなんて、仕事とはいえお人好しだなと思う。しかしサラーナは「このサンドイッチ、やさしい味がして好きだな」と、屈託のない笑顔でそう言うのだ。
やさしさサンドイッチ