祭りに映るもの

加月ゆずみち

 何年ぶりの帰郷だろうか。
 私は本当に久しぶりに実家のある故郷へ帰ってきた。強制的に。
 一人暮らしの狭い建物は、同じような高層アパートが並ぶ都会の片隅。しかし実家は、住宅地が多くなってきたものの、まだ奥に行けば自然が残る地方都市だった。
 自宅に戻った先には、両親以外にもう一人の存在がいた。きりっとした眉に真の通った顔立ち。化粧を薄くし、髪を後ろでしばっている。目鼻立ちは姉妹ともに母親に似ているのに、その明瞭さで言ったら私は平凡となる。
 あとは性格の良しあし。頭の出来具合。器用さと不器用さ。気配りができるかできないか。それらがすべて良いほうへ行くと、姉のような人が出来上がるのだろう。すなわち、相原宇美(あいはらうみ)──宇美姉である。私の実姉だ。
 彼女が私を故郷へ帰らせた。本当はたまっているDVDの鑑賞、ゲームや小説をのんびり読んだり見たり、引きこもりを満喫する予定だったのだ。
 ちなみに私は奈津。二人とも夏に生まれたので海と夏だそうである。両親のネーミングセンスについてはこの際問わない。
 もうすぐ夏季休暇が迫るという、仕事の最中に珍しく携帯が鳴った。非常に珍しい。私は何事かと思い、小休憩に携帯を開いた。メールが一通届いていた。まだスマホではない携帯画面には、確かにメール。誰からだろうと思い差出人を見た時、一瞬迷惑メールかと思ったほどだ。しかし登録名にはしっかり『姉御』──何度見ても『姉御』だ。 
 姉御。姉。つまり私の姉。我がお姉様。なぜ今に!? 
 動揺する私が開いたメールの文面は、実に簡潔だった。

『休みは実家に帰ってこい。あたしも帰るからね。BY宇美姉』

 その絶対なる『命令』に初めから拒否権はない。『あたしも帰るからね』──つまり姉も帰って来る。うわ、私が実家に帰らなければ、あの人、絶対にこっちに乗りこんでくるつもりだ。
 夏季休暇の初日、すぐに荷物を鞄に突っ込んで、新幹線に乗った。車で高速に乗って行けないこともないが、渋滞に巻き込まれるのが嫌だった。
 辿り着いたのは夕方だ。懐かしい実家の玄関扉を開けて叫ぶ。

「ただいま!」

「奈津、おかえり!」

 すぐに母が出てきて出迎えてくれた。それに頷きながら、とにかく二階へあがりこんだ。荷物が邪魔だからだ。戸を開けて自分の部屋へ入ると、懐かしい空気と光景が目に溢れる。しかしその蒸し暑さにげんなりさせられた。

「うそ……窓開けて置いてくれてもいいのに!」

 なぜか窓は閉め切られていたからだ。母がうっかりしていたのかは不明だが、私は荷物を置いてすぐに窓を開け放つと換気する。
 しばらく懐かしさから窓の光景を見つめていると、背後で気配がした。

「手伝え、馬鹿妹(ばかまい)」

 振り返ると姉がやって来て簡潔に告げてくれる。手伝えというのは夕飯の支度をしろということである。

「馬鹿は余計」

 それに言い返しながら、姉の後を追って階段を下りた。落ち着く間もない。手を洗うと夕飯の手伝いに、狭いキッチンに母と姉が並ぶ。私は所詮雑用だ。食卓に皿や箸などを並べていく。
 宇美姉はなぜかおでんを作っている。このクソ暑い時期になぜにおでんなのか。
 夕飯の席には、母の手作り煮物とサラダ、父が魚をさばいて出来た刺身の盛り合わせ、そして姉の手製おでん。

「ウミ姉」

「なに?」

「なぜにおでん?」

 姉が作ったおでん。正しくはおでん風の煮物か? はんぺん、大根、エビのすり身、もち巾着。こぶだしに味噌。くやしいが美味そうだ。

「つまみに決まってんでしょ」

 と言って自分の席に座ったウミ姉は、ビール缶を開けて一気に煽るのだ。飲んべなのかこの人は。
 その隣におとなしく座って、晩御飯に手を付ける。母が席に座ったところで、労うように四人で乾杯の唱和する。ちなみに私はお酒が飲めないので、麦茶で対応した。
 両親と姉妹の久しぶりの食事だ。それを奇妙なものだと思いつつ、隣の姉を盗み見る。この人との関係は、妹ながら本当に不可思議なものだ。姉が高校を卒業して就職し、独り暮らしを始めた時から――互いに口を開くこともなく連絡などしたこともない。互いの価値観の違いだろうか。もともと仲が良いというわけではなく、かといって悪いというわけでもない。理由をつけるなら無関心がお互いに合った。必要なら連絡をするだろうし、しなければどこまでもお互いに触れない。そんな関係だった。
 私はそれをおかしいと思うこともなく、当然のように受け止めていた。そして帰って来て数年ぶりの再会であっても、この人の隣にいることに違和感を覚えることはない。不思議だと思っていても身体が覚えていて、自然と馴染んでいるのを感じた。むろん相応の緊張感はあったけれど。
 つまり、姉が恐いことには変わりないのである。妹としては。

 ◇◇◇

 浴衣を着るなど一体何年振りだろう。近所の祭りに行こうと、わざわざ母が浴衣を用意していたのだ。まあちょっと小さいけど。
 下駄をはき、しかし私は立ち上がる気になれなかった。どうして恐姉(こわねえ)と。

「ほら」

 玄関の上り框に座り込んだまま、動けない私に姉が手を伸ばしてきた。とっさにその意図がわからずに戸惑うと、伸ばされた手は私の手をつかみ立ち上がらせた。玄関を出て道に出ると、歩くたびにカラコロと下駄の軽い音が響く。小さな子供でもあるまいに。
 だけど、その手を払うことも「手を放して」と言うこともできない。姉が手を引き、時に動けない私を引っ張る――それが、小さい頃からの関係でもあった。
 姉のどこかひんやりとした手が妙に冷たく感じた。祭りの賑わいが響き、ふと、過去の情景が重なった。
 まだ私が子供の頃祖父母も生きていて、祖母が右手を握り左手には姉がいた。やや強引に手を引いていたのは、やはり姉で。私は懸命にその手を握り返していた。
 その時、空気を割ってつんざく様な音が響いた。同時に闇を照らす鮮やかな大輪の花。

「すごい、花火だね」

 どうして忘れていたはずの、思い出がよみがえるのだろう。
 私たちは裏通りから表通りへと出た。途端に人々の雑踏の気配と、屋台が並び、賑わいが立ち込める。
 商店街のアーケードの所々に、提灯があり赤く灯され、祭りのひと役をかっていた。

「あんた、子どもの頃、怖がってたよね」

 にやりと私をからかう笑い声。だが決していやな雰囲気ではない。
 提灯――今では何とも思わないのだけど。むしろ祭りになくてはならないものだと感じているが。
 小さい頃は、この提灯がとても怖かったことを覚えている。なにかのホラー漫画だったと思うが、舌をベロンと垂らし、大きな一つ目の小僧の提灯のおばけ。あれが子どもながらにとても印象強く残ってしまい、泣きじゃくっていたのだ。
 祖母と姉は二人で笑っていた。

「やめてよ、昔のことなんて」

 言い返しつつも私と宇美姉と一緒に祭りを楽しんだ。そして、途中で疲れたから帰ろうと、姉の主張で家に帰る。
 二階のベランダからは、大祭りの様子がよく見えた。少し遠くに見える人々の笑顔。
 扇風機の風が心地よい。クーラーもよいものだが、田舎の古い実家にはそちらのほうが似合う。姉は窓を全開にすると、その庇に腰掛けじっと外を見つめていた。
 なんとなしに私は姉の姿を見つめていたが、不意に──気づいてしまった。そして、今まで気付けなかった自分を疑った。
 背筋を妙な冷気が襲う。肌が粟立ち、息を呑みこむ。眼は何度もそこを確認してしまう。
 これほど鮮やかな光景だ。窓の外から見下ろす街並みも、空を彩る花火も。にぎやかな太鼓の音に、祭りの喧騒も。これほどに鮮明であるのに。どうして、そこには……。
 姉の足元にあるべきものがない。映るべきものがない。姉の姿がかすかに揺らいで、掠れているようにも見えた。影が薄い。

 私の異変を感じ取ったのだろうか。じっと外を見据えていた彼女が振り向いた。
 まるで、それを待っていたかのように。あるいは残念そうに。

「アンタに会えてよかった。楽しかったよ」

 振り向いた姉は、今までになく明るく切なく微笑んだ。

「宇美姉――」

 それからどうなったのか覚えてない。

 ◇◇◇

 気づけば私は、自分の部屋のベッドに寝ていた。飛び起きて息を吐く。今のはなんだったのか。夢だったのだろうか。
 夢にしては嫌なほどに鮮明で、現実味が強すぎた。今でも感じられる、花火の音、祭りの賑わい、提灯の燈火。姉の微笑み──つながれた手の感触。あらゆるものがどっと鮮明に残っている。
 時計を見れば、時間は午前四時十二分。
 私は携帯の姉の番号へ連絡していた。本当に成人してからろくに連絡を取ったことがない。
 いやこの時間に電話しても本人は寝ているだろう。あれは夢なのだ。そうに違いない。
 そう思って落ち着かせようとしても、嫌な予感は消えなかった。そのままそわそわとしたまま朝を迎えて、母から電話があったのは。姉が危篤だと。
 私はとるものもとりあえず、とにかく言われた病院へ向かった。
 頭の中は混乱していた。一体どういうことなのか。
 姉は――宇美姉は県外の離れた場所で、働いているのではなかったのか。
 病院へ辿り着いたとき、父や母、親戚が集まっていた。母は私がくるなり、堪えきれないように咽び泣いた。まだ理解が出来ず母を抱きしめながら、親戚の人に伴われて、そこへ入った。姉のいる病室へ。
 見たのは――柔らかい白色に覆われた一室で寝台に横たわる姉。私は間に合わなかった。その最期に。

 それからようやく落ち着いた母から姉のすべてを聞かされた。姉は二年前から病気を患わっていたこと。手術をしてしばらくは状態が良かったのだが、昨年あたりから再入院し、本人は少しずつ少しずつ、衰弱していったのだという。本人は明るく振る舞っていたけれど。
 そして、姉のごく親しい友人以外には、身内はおろか自分が病気にかかっていることを話すなと、固く口止めしていたのだという。
 とくに妹の私に対しては、絶対に言わないでほしいと言っていた。
 姉は長期入院している間──

『あいつ、一人で気張ってるから。言わないでよ。私のこと』

『母さんくれぐれも気にかけてやってよ。それとなくでいいから』

 自分のことより、私のことを心配していたのだと言う。

 なんで。なんでなんでっ、どうして! どうしていってくれなかったの。どうして……! 苦しんでいただろうに!

 ろくな連絡も取っていなかった。責めるべきは母でも姉もなくこの自分だ。
 生きて会話は果たせなかった。ろくな連絡もせずにこうして、まさか最期を見ることになるなんて。生きているのだと勝手に思い込んでいた。
 姉の死に顔は、ただ安らかだった。
 でも、やせ細りそれでも死にたくないと言っていた。
 そして──、姉が書いていたという日記には、一人一人の名前と感謝の言葉、あるいは謝罪の言葉。生き尽くしてよかったという想い。死にたくない、怖いという思い。身体が痛い。苦しいと。語りつくせない感情がそこに込められていた。
 そして、あるページで手が止まった。

『ナツへ。ただ一人の馬鹿妹へ』

 そんな一文から始まる、短い手紙。私に宛てた姉の言葉。


 ナツへ。ただ一人の馬鹿妹へ

 あんたは怒るだろうね。何も知らないのに、突然知らされて、それとも悲しむのかな。わかんないけど、ごめん。話せなくてごめんね。
 母さんに私のこと伝えるなって言ってごめんね。だけど、アンタの姉ちゃんでよかったって思うよ。
 お互い連絡したこともないけどさ、ずるいと思うけどさ、これでもアンタのこと心配してたんだから。
 私がいなくなっても、仕事を頑張りなよ。母さんや父さんを支えてやってよ。
 後のこと、よろしく頼んだ。

 宇美姉より


 視界が滲む。ああ、この人は。

「馬鹿! 馬鹿っ!!」

 私はもう二度と開かない瞼と、冷たく、力がなくなったその手を握りしめた。
 あの祭りの出来事が、夢でもなんでも良かった。鮮明に思い出せるその姿。姉に手を引かれ、手を繋いで歩いた祭りの燈火。
 あれはただ、宇美姉が会いに来てくれたのだろう。馬鹿で愚かな妹である、私に。

祭りに映るもの

五年くらい前に書いた短編。誤字脱字の見直しのみで掲載。

祭りに映るもの

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-12-22

Copyrighted
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