傷痕

三題話

お題
「雪」
「埋める」
「春には」

 嫌な出来事は忘れてしまいたいと思う。
 でも思い出というものは、そんな嫌な出来事のほうがより記憶に残りやすいように思う。
 楽しかった思い出は、いつしか色褪せて忘れてゆく……
 辛く苦しい思い出は、形の見えない心に傷を作る……そしてそれが癒えることはない。
 身体が傷付いて血が出てもいつかは止まり、カサブタができて、傷痕は消えてゆくのに。
 心は傷付いても血が出ないかわりに、いつまでもキズとして残り続ける。
 ザアアア……。
 この熱いシャワーが、身体の汚れも嫌な記憶も洗い流してくれればいいのに。
 ザアアア……。
 自分の体を抱きしめると、細かく震えていた。

      ◇

 あっという間の出来事だった。
 その日はとても寒く、雪が降り続いていた。時間も遅くなってしまったから私は帰り道を急いでいた。
 近道をしようとしたのがいけなかったのかもしれない。
 誰もいない公園を通り抜けようとしたら、後ろから声を掛けられて、突然殴られて、公衆トイレの中へ引きずり込まれた。
 抵抗しようにも、私よりもはるかにガタイが大きい相手に力で敵うはずもなく、私はなすすべなく押し倒されて、そして――
 ……コトが終わると男は私を立ち上がらせて、衣服を整えてくれたのは罪悪感からか。
 呆然としている私を置いて、男は外へ出て行った。
 私の側に落ちていた何かが、弱々しい電灯の光を反射している。
 さっきまで首筋に押し当てられていた冷たい感触を思い出して、ぶるりと背筋が震えた。
 ああ、帰らなきゃ。
 私が外へ出ると、男は近くにしゃがみこんでいた。
 投げ捨てられていた私のバッグの中身を漁っている。
 降り積もった雪を踏みしめながらふらふらと近づいていったが、男は気がついていないのかまだ私に背中を向けている……。
 心臓の音ががばくばくと頭に響き渡る。呼吸は止まり、目には男の背中以外何も映らなくなった。
 両手でソレを強く握りしめる。
 その後もあっという間の出来事だった。

      …

 昨日から降り続いている雪は、着実に高さを増している。
 地面は白色で覆われて、とても綺麗だ。
 ひらひらと舞い落ちる綿雪。それを見ている私。
 へこんだソコに降り積る様子を静かに見守る。
 嫌なことは雪が覆い隠してくれる。
 そして春には、雪解け水が綺麗さっぱり洗い流してくれる。
 そう信じて。

傷痕

傷痕

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-21

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