シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅻ  仕える者


 伊集院がリネン庫の扉を開けると、その奥の低い棚の上に桜が膝を抱えて座っていた。
「どうかしましたか、桜。らしくもない」
 何かを確認するように棚を見て回る伊集院が、特に興味もなさそうな様子で言った。
「てっきりお嬢様の傍にいるものと思っていましたが、こんな所にいたのですか」
「伊集院さん・・・」
「貴女が凹んでいるのは、良くないですよ、桜。お嬢様が心配される」
 桜は抱えた膝を引き寄せて、なお一層小さくなった。
「お嬢様に、お守りすると約束したのに・・・できませんでした」
「それは、貴女だけの失態ではありませんよ。皆で負わねばならないことです」
 伊集院の言葉は、彼自身をも責めているようだ。
「私は、皆に嫌われていたんですね」
「・・・」
「私は、気付かなかった」
 親がどうだということで、何か思うことなど今までなかった。
 だが、言われてみれば思い当たらないでもない。
 いつも一緒にいる蛍は『津』だ。彼女から家族の話を聞いたことはない。
 もちろん無遠慮に問うことはしなかったが、だからと言って桜自身の両親の話をしないわけではなかった。
 気を遣った覚えがないのは確かだ。
 蛍が嫌な思いをしていたとしてもうなずける。
「皆に嫌われていたんですね」
 消え入るような呟きに、伊集院がしらけた顔を見せる。
「そうですか。『皆』というのがどの範囲の方のことかわかりませんが、何であれ、気付いて良かったですね、桜」
「・・・」
「気付くというのは大切ですよ、桜」
「でも、気付いたからってどうしようもないですよ」
 嫌われているとわかっても、どうしていいかはわからない。
 相手の好むように振舞ったとして、果たして納得されるかどうかはわからないし、媚びへつらうなんて、これまでしたことがない。
 やれと言われてできるのだろうか。
 伊集院は楽しそうに口角を上げ、柔らかく歌うように続けた。
「そうですね。どうしようもないことですね。しかし、そのどうしようもないことだけで、貴女を見ているのではありませんよ、桜」
「では、もっと嫌われているということですか」
 半ば捨て鉢の桜に、伊集院は小気味よく笑って見せる。
「どうしてもストレートですね、桜は」
「・・・」
「今の自分をやめたからといって、人が貴女を好きかどうかはわかりませんよ」
「・・・意地悪ですね」
「えぇ、意地悪ですよ。貴女を好ましく思っている分ね、桜」
「・・・」
「お父上は、お若い頃から存じ上げておりますし、同様に貴女も、生まれた頃から知っていますよ。これまでの時間の中で、貴女を好意的に見てきました。もちろんこれは、私の個人的な感想ですが、貴女の傍若無人ともとれる言動は、時に爽快で頼もしい。どれほど救われたか」
 まるで楽しい物語でも語るように、伊集院は明るく、だが静かに言葉を紡いだ。
「お嬢様と蛍と貴女、これまでの全てが嘘ですか。誰かが言った一言で、『すべて』を語るのは短絡ですよ、桜。少しお説教でもしてもらいなさい」
 荒っぽく開いた扉を見て、伊集院が笑った。
 桜は思わず両膝を抱き寄せて、皿のように開いた目をそちらに向けた。
 とてつもない勢いで、吉野が入って来る。
 雷でも落ちたのかと怯むほどの大きな音だ。
「やっぱりここにいたのね、桜。姫様が襲われて、お嬢様が苦しんでおられる時に、何ウダウダやってるのよ」
 目を丸くして吉野を凝視する桜の脇で、伊集院が知らぬ顔で聞かぬふりをする。
 吉野は、圧倒されて口が空きっぱなしの桜を故意に押しのけるように頭を小突くと、
「蛍が心配してたから、どうせここだろうと思って請け負って来たのよ。正解ね」
 少し威張った風に胸を張り、吉野はフンと鼻で息を吐いた。
 桜は面食らったまま、瞬きすら忘れている。
「どうして、ここにいるって――」
「貴女ったら、かくれんぼの度にここに隠れてたんでしょ。以前、伊集院さんが言ってたのを思い出したのよ」
 吉野は何かを探すように棚を見ながら、言葉は痛烈に桜へ向けた。
「ワンパターンなのよ、貴女は。他に隠れる場所は幾らでもあるだろうに、ここしか知らないんだから」
 お陰で探しやすいから良いけどね、と付け足す。
 口調は強いが、からかっているようでどこか許されているような、励まされているような感じがした。
 吉野は、棚に並んでいるリネンを見回しながら、伊集院に問う。
 軽くて温かい掛布を探しているのだ。
「近江さんが、お嬢様に掛けて差し上げるのに、背中の傷に負担がかからない掛布をと言われるので」
 どれがその掛布かわからないのだと吉野が言うと、伊集院が迷わず一枚の掛布を取って渡した。
 光沢のあるシルク地でキルティングが施されている。大人をすっぽりと包み込める大きさがあり、触れると肌に気持ちいい。
「近江の言う掛布はこれですよ、吉野」
「なるほど、これなら背中の傷に負担がかからないですね。本当に軽い。それにふんわりと温かい・・・」
 大事そうに受け取って吉野が感嘆する。
 その反応を満足そうに眺め、伊集院が目を細める。
「それは、亡くなられた奥様がよくお嬢様を抱いて過ごされる時にくるんで差し上げていたものと同じ素材の掛布ですよ」
「優しい感触ですね」
 納得して吉野が顔を上げると、桜もそれを見つめていた。
「それは・・・もしかして・・・」
 伊集院が微笑を浮かべて大きく頷いた。
「えぇ、桜。確か、貴女が初めてお嬢様とお会いした際にも傍にあったものですよ」
 伊集院はその時の事をしっかりと覚えていた。
 そして、桜もまた、その時の事を鮮明に思い出せる。


 父に連れられて初めてこの屋敷に来た時だ。
「お母上を亡くされてまだ間がない。心細くされているだろうから、少しお傍にいて差し上げなさい」
 そう言われ、戸惑いながらも見上げるばかりの長身に見えた伊集院の後ろをついて歩いた。
 案内された窓辺のソファの端っこに、丸まっている女の子がいた。
 うたた寝から目覚めたばかりらしい。その手に、掛布を握りしめている。
「染井先生の娘さんが、わざわざ会いに来てくださっていますよ」
 傍に控えていた千住院に声を掛けられて起き上がりながら、まっすぐこちらを見て、静かに笑った。
「ありがとう」
 突然現れた同い年の少女に、戸惑うことも恐れることもなく、ただ一言受け入れて静かに寄り添う。
 あの時、何を話したかは覚えていなかった。
 ただ、夢中で話す桜の顔をジッと見つめて聞き入っている綾が、時に表情を緩めてうなずく様子が嬉しくて、何でもいいから必死に話したことを覚えている。
 父が鷹沢家に関係していることなどどうでも良いと思った。
 傍にいようと思ったのだ。
 桜はずっと見て来たのだ。
 母親を亡くし、あらゆるしがらみに忙殺される父親を見つめる主を。
 託された幼い子の命を守ろうとする主を。
 桜の表情の変化を見つめ、吉野が桜の二の腕を掴んで引き上げた。
「行くわよ、桜」
「でも」
 まだ、躊躇いはある。
 嫌われ者の自分が傍に行っても良いのだろうか。
 吉野はそれを見抜いた上で、ピシャリと言い切った。
「でも―、じゃないわ。どうせ考えても仕方ない事しか考えないんだから、桜は。ほら早く、仕事よ、仕事。貴女の仕事は?!」
「・・・お嬢様をお守りすること」
「わかってるじゃない」
 現れた時と同様にけたたましい勢いで出ていく吉野と、引きずられていく桜を見送って、伊集院も安堵の笑みを浮かべてリネン庫を出た。


 白い漆喰の壁に淡い色合いの美しい籠手絵が施された広い居室の中央に、豪奢な天蓋付きのベッドが置かれている。
 広いベッドの中央に横たわり、少女は眠りから覚めない。
 綾はその傍に座り、背を丸めてベッドに伏せていた。
 物音を立てないように部屋に入って来た吉野が、天蓋の外で立ち尽くす近江に声をかけた。
「掛布をお持ちしました」
 そう言って差し出された掛布を両手で受け取り、近江は暫し祈るように押し戴き、小さく呪文を唱えるように何かを呟いた。
 傍で見ている吉野にも、近江が何を願っているのかわかった。
「近江さん、お嬢様はご自分のお部屋でお休みになっては」
「姫様のお傍が良いと言われるの。それに、ああして伏せている方が楽だと」
 そう言いながらも、近江は心配そうな視線を天蓋の中に向ける。
 先程まで、背中の傷などないもののように毅然と振舞っていた綾は、今では少し苦痛に歪む表情を浮かべ、ジッと目を閉じて伏せたまま微動だにしない。
 その背を流れる栗色の髪が、遠い記憶を呼び起こす。
 儚い命の終わりを感じながらただひたすらに母の胸に抱かれていた小さな少女。
 その胸の音を握りしめる小さな手を、女主人は優しく包み、あやすように艶やかな栗色の髪をゆっくりと撫でていた。
 止めることのできない時間を、見つめることしかできなかった。
 若かった近江にとって、初めての愛しい者の死だ。
 抱きしめた掛布には、まだあの時の温もりが残っているように思えた。


 鷹沢士音が千住院を伴って入って来る。遅れて伊集院が後ろに控えた。
 近江は、主人に場所を譲り、自然に千住院の傍に立ち、士音の様子を見つめた。
 千住院が、励ますように近江の背を撫でる。
 士音はゆっくりと眠っている娘に近付いた。
 少し青白い顔で目を閉じているが、その右手はしっかりとベッドで眠る小さな左手を握っている。
 大きなベッドの中央で眠っている少女の寝息は安定している。
 士音は大きく一つ息をつくと、やっと安堵の微笑を浮かべた。
 ひとまず、命を守ることはできた。
 両手を広げて静かに呼吸する少女の前髪を整えて白い頬に触れると、くすぐったかったのか、首をすくめて綾の方に寝返りをうった。
 その拍子に小さな右手が綾の頭をポカリと叩き、綾が驚いたように目を開けた。
「起こしたか」
 しまったと思いながら苦笑した士音の傍で、綾が顔を上げる。
 急に身体を起こした為か、痛む背中を気にしながらも、綾は少女の呼吸を確認するように身体を撫で、白く柔らかい頬を大事そうに優しく包んだ。
 士音が小さく声をかける。
「大丈夫だ、よく寝ているよ。呼吸も脈も問題ない。そうそう起きないだろう。お前も隣に入って眠りなさい」
 そう促すが、娘は小さく首を横に振り、小さな手を軽く握り、そのまま突っ伏してしまう。やはりこの体勢が楽なようだ。
 士音が苦笑を浮かべ、娘の頭を撫でるように触れると、辛うじて聞き取れる声が聞こえる。
「とうさま・・・葵は・・・」
「大丈夫だよ」
「御前は・・・?」
 一瞬、士音の顔に陰りが差すが、すぐに、心配ないと言い聞かせるようにそう囁いて、後ろに控えていた千住院に場所を譲った。
「千住院・・・。来てくれたのか」
「葵は心配いりませんよ、お嬢様。お嬢様は旦那様の言われる通り、姫様のお傍でお休みください。今は傷を癒すことが第一でございます」
 綾は、分かったと呟きながらも、動こうとはしない。
「この方が楽だ」
 そう言いながら、どこかまだ不安なのか、伸ばした手で幼子の呼吸を確認するように頬と黒髪を撫でる。
 何度も何度も生きていることを確認するように、その温もりを手の平に感じた。
 千住院は、戸口に立つ吉野に視線を向けた。
 吉野は千住院の言わんとすることを汲み、近江の手から掛布を受け取ると、千住院に差し出した。
 千住院は柔らかい微笑でそれを受け取ると、傷に響かないようにゆっくりと、綾の背を覆うように掛けた。
「早く傷を治してくださいませ、お嬢様」
 綾は、掛けられた掛布の端を引き寄せ、潜り込むように背中を丸めると、右手で小さな手を包み込み、そのまま眠りに落ちてしまった。


 吉野に任せて千住院が続き部屋に行くと、近江が士音に詳しい状態を聞こうとつめよっている。
「旦那様、お嬢様の傷の具合は如何なのですか。背中の端から端まで及ぶ傷と聞いています」
 青ざめた顔色がその心情を表していた。
 微かに震える両手を胸の前で握りしめ、視線を真っ直ぐ主人に向け、近江が訊ねた。
 近江は士音から視線を外さなかった。
 慈しみ、傍近く仕えてきて、危険がつきまとう立場だと分かってはいるが、それでもこのように大きな怪我をしたことはなかった。
 部屋の片隅で、中津が無言で控えていた。
 感情を押し殺し、ただ端然とその場にいた。
 その脇に、蛍と、そして少し落ち着かない様子の桜が見つめていた。
「傷跡が残らないように処置をしている」
 綾の背は右肩から左脇にかけて、背中を斜めに大きく切り裂かれていた。
 それほど深い傷ではないとの話ではあるが、完治までには時間がかかる。
「今夜はおそらく熱が出るだろう。体温が上がってきている。安静にしているように言ってくれ。頼むよ」
 近江に伝え、その傍らを支えるように立った千住院に感謝するように小さく頷く。
「中津、どうなった」
 士音が顔を上げ、少し厳しい表情を見せて離れて控えていた中津に声をかける。
「葵は?」
「はい、納得しました」
「そうか」
 そう息をつくと、微かに表情が緩む。
「千住院、頼むぞ。母上にもよろしく伝えてくれ」
「お任せください。旦那様も、お気をつけて」
 千住院が穏やかに見送った。
 士音はまだ、今日の後始末が残っている。
 警備のすべてを任されながらの今日の失態を受け、御前はどのような態度に出るのか、それを思えば心労も増すばかりだろう。
 傍で見守る伊集院の表情にも、その憂いは見て取れる。
 辛抱できず、桜が走り寄った。
「旦那様、お嬢様のお傍にいてもよろしいですか」
 何ができる訳でもないが、ただ傍にいることはできる。
 初めて出会った時、綾はただ傍にいるだけで笑ってくれた。
「あぁ、桜。だが、起こすなよ」
 士音は軽く冗談を言うように笑って、口元で人差し指を立てて見せる。
 桜が一礼し部屋に入る背を優しい微笑で見送ると、蛍の方を向いて士音は頷いた。
「頼んだよ、蛍」
 そう言い残し、士音は中津と伊集院を従えて部屋を出た。


「奇麗になりましたね、蛍」
 千住院は少し目線を上げて蛍を見た。
 蛍にとって千住院は、鷹沢に引き取られてからの母親代わりだ。
 本当の娘のように大切に育ててくれた。
 その千住院の言葉に、蛍は胸の痛みを覚えずにはいられなかった。
 千住院は、何か答えようとする蛍に小さく首を横に振って見せ、笑ってそのしなやかな指先を両手で包んだ。
「良いですか。忘れてはなりませんよ、蛍。生きる道はいくらでもあります。幸せになる方法はいくらでもあるのです。貴女にも、幸せになる責任があるのですよ」
 良いですね、と重ねて念を押す。
 そして優しくうなずき、桜が消えた方へと促した。

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅻ  仕える者

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅻ  仕える者

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-20

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