汗だくメイド 野山で冒険の日々 第三話

お屋敷の前には田んぼが広がっていて、幅の広い道路がある。あんまり車は通らない。わたしはメイド用の自転車で、二キロ離れたスーパーに向かっている。
メイド用といっても、可愛いデザインとかじゃなく普通のママチャリ。しかも安そうだし、ちょっと古いし。やっぱり旦那様は贅沢キライみたい。でもちゃんと油差したりされてるみたくて意外と乗り心地いいけど。
天気が良くて、春の陽射しがあったかい。風も気持ちいい。田んぼと桜並木が続く道はほとんど坂道が無くて走りやすくて快適。
だけれど全然心地いいサイクリングじゃない………。だって、スーパーで買う物が、虫捕り網なんだもん…………。
何で高校卒業して就職もした女子が、子供用の虫捕り網なんか買わなくちゃいけないんだ。店員さんにメンヘラだと思われないかな。わたしが店員さんだったら、「あの女怖くね?!」なんて噂するとこだよね………。レジでニヤニヤされたら、もう二度と同じスーパーには行けないよ。
いや、親戚の子とかの為に買いに来たんだと思われればいいんだ。普通に考えたら十八歳女子が自分用に虫捕り網買うわけないし。小さい子の面倒見てあげるいいお姉さんだと思ってくれるよね!
自分用に買うんだけどね………。
スーパーはとても大きくて、本屋とかフードコートなんかも入ってて、いい感じのところだった。ほんとだったら毎日買い物に来たいんだけど……。
いやいや、変な買い物は今日だけだし、これを上手くしのげば明日からも問題無く来れるよ。
虫捕り網なんて、夏近くじゃなかったら売ってないかも、なんて不安というかむしろ期待してたんだけど、このスーパーは結構品揃え良くて、入ってすぐのアウトドアコーナーに置いてあった。
大きいのと小さいのの二種類あって、大きい方は柄が伸び縮み式になってて便利そう。何より、運動神経良くないわたしは、あんま小さい網で虫を捕まえれる自信無いし、大きいのを買うことにした。
小さいのより高いけど、自分のお金じゃないしね、高いの買っちゃお。まあ、税込四百円だけど。
ここは店内の雰囲気もいいスーパーなんだけど、お客さんはすごく少ない。田舎だから?今のわたしにはそれがありがたい。網持ってる姿を見られなくて済む。
あとは店員さんだけやり過ごせばいい。レジの人は、アラサーの女の人だった。近づいてくるわたしに気づいて、微笑みかけてくれる。
でも次の瞬間、網が目に入ったのか冷めた顔になった。小さい子の為の買い物じゃなくて、虫捕り網を自分で使う変な女が来たって解釈されたんだ。
的確に真実を見抜く大人の女のカンって凄いです…………。もう、このお店には来ません……。
わたしの心の温度も店員さんの顔くらい冷えきった状態で、スーパーを出た。心に引きずられて体温まで下がってる気がする。陽射しはポカポカしてるのに、なんか寒い。
でも片手に網持って自転車で走り出したら、なんか楽しくなってきた。昔の男の子になったみたいな気分でテンションちょっと上がる。
道で人に出会うことがほんとに無いから、気が楽。馬にまたがって得物を振り回す武将になった妄想しながら網をブンブン振ったり、若干浮かれてきた。
たまーに車とすれ違う時は、なるべく網と顔を見られないようにして、恥ずかしさに耐えなくちゃいけないんだけど。
とりあえず、虫捕り網を入手するミッションを成功させて、お屋敷に帰還。これ、わたしの就職後はじめてのお仕事だったね。
…………いや、考えるとまた悲しくなるからやめよう。
大岡さんに報告に行って、しっかりレシートとお釣りを渡したら、「さっさと他の道具も揃えろ!」って何故か怒られた。
ほんとウゼェェェ!さっさと死ねよ大岡ぁ!
段々イケメンに見えなくなってきた。ただ背が高くて細いだけの小うるさいオヤジでしかねー。
でも上司だからなー。命令聞かないとね。
お屋敷内で残りの必要物資を探すとしますか……。出かけて帰ってきたのに休憩も出来ないって納得いかないけど、まあ、働くってそういうことだよね。
手に入れないといけない物は、密閉出来るビン、パラフィン紙、手頃な箱、それと醋酸エチルの四つかな。申請書は出してあるから、頼めばもらえるらしい。でもどこでもらえるのか大岡は教えてくれない。
「そんなの誰かメイドに聞けばいいだろう!」
って怒鳴るだけ。申請書とっくに出したんだから用意しといてくれてもいいのに。こっちは旦那様に言いつけられた仕事をするんですよ!
でも面と向かってそんなこと言えないし、先輩メイドさんに聞くしかない。
でも、まだ仲良くなった人いないし………。他のメイドさんはみんな、何かしらお仕事してて忙しそうだし、私服でブラブラしながら話しかけるのはキツすぎるよ。しかもわたし新人だしね……。このミッション、実はハードモードか?
困ってどうすればいいか考えながら、廊下の掃除してる先輩達を見てたら、いきなり背後から何者かに抱きつかれた!
「フヤア!」
奇声を発して体を固くしたわたしに、謎の人物は両足までも組みつかせた。つまり全体重かけられたので、後ろに倒れそうになる。すると、足がほどかれて背後の人は床に着地してわたしを支えたから、転ばずに済んだ。
振り向くと、間近に満面の笑顔の女の子。ネコっぽい顔の美少女だった。メイドカチューシャがすごく似合う。背丈がちっちゃくて、幼い感じ。まるでアニメキャラそのもののメイドさんが現れたのだった。
「何やってんのー、新人ちゃーん。」
声も可愛い。絶対声優になった方がいい。手つきとか、顔の傾け方とか、ハイレベルにあざと可愛いのも、素晴らしく尊い。
しかし先輩だからただボーッと見とれてちゃいけない。でもわたしは我を失っていて、ろくな反応が出来なくて、
「あ、あ、あ、………それがっ、仕事に、必要な物、探しててっ………!」
としか言えなかった。言った後で気づいたけど、挨拶をしてないよ!先に挨拶しなきゃいけないよね、多分。でももう取り返しつかないよ、どうしよう?
けれど先輩は気にしてないみたいで、
「どんな物探してるの?」
って、親切に聞いてくれた。優しい人だあ。
わたしは半分自分が何言ってるかわからなくなりかけながら、必要物資の説明をした。
「変わった物探してるんだね、おもしろーい。空きビンも空き箱も厨房で聞けばいいよ。紙と薬品は倉庫に行って聞きなよ。」
先輩は、倉庫への行き方まで教えてくれた。
「じゃあね、お仕事頑張ってね。」
先輩はそのままどこかに行ってしまおうとする。お礼言ってないのに、挨拶も出来てないのに。でもどう言ったらいいかわからなくてモゾモゾしながら遠ざかる先輩の後ろ姿を見てることしか出来ない。
と思ってたら、先輩は立ち止まって軽く振り向いた。
「優しくしてあげたのはねー………キミが可愛いからだよ、うふふっ……。覚えておいて、ねっ?」
怪しく微笑んでから、先輩は立ち去った。
うわぁぁぁぁ!淫乱ぽい感じ!でもそれが逆に好印象だよぉ!
あの人、凄い………見た目が超絶いいだけじゃなくて、仕事もむちゃくちゃ出来るに違いない。
しばらく廊下で突っ立ったまま、感動をじっくり堪能してから、教えてもらった通り厨房に行き、ビンと箱を手に入れた。料理の準備をしてたメイドさんに言ったら持ってきてくれたから、簡単にミッション達成出来た。本当に、このお屋敷のメイドさんは美形じゃない人が居ないだけじゃなく、優しくない人も居ないから、感激ばかりさせられちゃう。
ビンは、色んなのを用意してもらえたけど、コルクの蓋の奴があったから、喜んでそれにした。本物の毒ビンの蓋はコルクだから。小さめのビンと大きいの、二つもらう。
箱は手頃な大きさなら何でもよかったから、蓋がしっかり閉まる紙箱をもらった。
なんだかんだいって、いい道具が手に入ると嬉しい。特にコルクの蓋のビンは真面目に嬉しかった。昆虫採集が楽しみになってきた。
ほくほくしながら厨房を後にする。また一人、いい先輩と会話出来たし、気分が明るい。
しばらくしてから、また挨拶してなかったことに気づいておちこんだけど。
倉庫では自力でパラフィン紙と醋酸エチルを探さなきゃいけないかと思って不安だったけど、行ってみたら倉庫の隣に倉庫管理室って部屋があって、そこに倉庫係みたいな先輩メイドさんがいて、探してもらえた。眼鏡をしてて、知的な美形の人だった。
今度は挨拶と自己紹介をした。わたしなりにしっかりとやったつもりだけど、眼鏡メイドさんの返事は、
「そうか。用件は?」
だけ。名前を教えてもくれない。
でもその冷たさが凄く似合ってて素敵です!ちゃんとパラフィン紙と醋酸エチル持ってきてくれたし、絶対悪い人じゃないよ大岡と違って!
さて、物資は揃った。自分の部屋に帰って昆虫採集の準備をするとしよう。(大岡への報告はしなくていいだろう。絶対嫌なこと言われるし。)
廊下を行きながら、四つのアイテムをよく見てみる。気になるのは醋酸エチルだ。焦げ茶色のビンに入った液体。
ビンに貼られてる紙には、「危険」とか、「医薬用外劇物」とか書かれていた。あれ?これ、危険なの………?
“!”マークとかも描かれてるし…………。
おかしい。『楽しい昆虫採集』では、著者の一人、奥本大三郎が「人体には危険は無いようである」みたいに書いてたのに。
ビンの紙には細かい説明書きもあって、一応読んでみることにした。
保護手袋が必要とか、皮膚についたら多量の水で洗い流して下さいとか、引火性が高いとか書いてある。
怖いんだけど!これ使いたくないんだけど!

どうしようかなあ……………………。

(続く)

汗だくメイド 野山で冒険の日々 第三話

汗だくメイド 野山で冒険の日々 第三話

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-18

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