宗派の儚 第二稿
党派の儚 第二稿
始めに
今この時に、何故、大幅に推考して第二稿を書こうと思い立ったのか。
一稿の草稿を書き上げたのは2015年の初夏であった。
原発の爆発以来、この国の言語のありように失望した私は、細々と必要最低限の雑文を残す程度だったが、公憤は募るばかりで、いつしか、ある大構想に思い至り、それが発酵して、やがて、ようよう、言葉を取り戻したのだった。
ある日、私は、衝動的に絶叫したのである。それが、以下に掲げた『カムイ革命』だ。
詩の体裁をとってはいるが、あの時の私の、回復の叫びばかりの代物に過ぎない。冗長なのは承知しているが、未だに記念碑の様な気分があるから、割愛できないでいる。
最初の『宗派の儚』を書き進める途上で、この『党派の儚』を着想して、同時に並行して、一気に書き上げたのである。
だから、文体も修辞などは極力排して、簡潔に努めたのだった。その後も、幾度も推考はしたが、草稿の姿勢の基本を変えようとは、皆目思わなかった
だが、『儚』の連作のおおよその容貌を明らかに出来た今、私は古希を越えたにも拘わらず、存外に健康なのである。望外だった。暫くは時間がありそうなのである。
だから、武骨な書きなぐりの如くの連作の全てを、大胆に推考してみようと思い立ったのである。だが、そうは言っても、この齢だ。明日の行方などは計り知れない。ただ、粛々と筆に導かれるばかりなのであろう。
カムイ革命
縄文の断層が絶叫し
海が裂き砕け
風が泣き狂い
溶解し炎上した原子炉の修羅がのたうつ
二〇秒の炸裂が世界を反転させた
天地神明が被爆した
終末の覚醒が遺伝子に染色され
記憶に痛ましく植樹される
風雨が凶弾に豹変する
三月の大気のおぞましい裂傷から放射線が降り落ちる
太郎の屋根に
次郎の夜に
花子の夢に
放射線がさわさわと降り注ぐ
いわき平に
吾妻山に
安達太良に
阿武隈に
猪苗代湖に
安積野に
福島の全てを越えて
又三郎の学校に
富士のふもとに到り
放射能が降り積もる
恥辱の裸体を放射線が強姦する
細胞の連結が切り刻まれる
最終兵器が自然を仮装する
カムイの地が核に占領された刹那
人民に対する国家テロが
いままた発動した一瞬
世界史に烙印された
FUKUSHIMA
この地こそが
いまこの時
分解の最終過程に佇む
神経が呪縛する
言語が氷結する
自尊が暴虐される
ああ、無常という剛直な無情よ
冷徹な科学は屹立しないのか
侵略され処刑され拘束され晒され詐取され強奪され差別され嘲笑され収奪され犯され簒奪され蹂躙され殺戮され占領され同化され支配され
赤裸々に搾取され続けた私達の歴程よ
私達のひとりひとりよ
ひとりひとりの慟哭よ
ひとつの赤涙よ
歌は止み 花は散り
屈辱の杯に毒が注がれ
絶望の馭者が疾駆する
死の共鳴が刹那を奏でる
それでもなお獣達の科学は羞恥を隔絶し
類との和解を拒否する
隠蔽の美学を掲示する
県境を恐怖の境界線とした政治の陰謀
官房長官の虚空の重層から混迷が巣だつ
CMに絶ち切られる記者会見
絶叫する情念のさまざま
継ぎはぎの幻想を矢継ぎ早に出産する情報
真裸の構造の頂上で
天皇がおぼろに祈祷する
異形の神仏が一斉にたち現れる
カルトが経済の整合に憑依し闊歩する
五月雨が
新潟港
東京湾を汚染し
アスファルトにへばりついた核が舞い上がり青い風になったが
人々は無視と忘却で
新しい季節を迎えようとした
弛緩しきった傲慢が豪奢な非日常に目が眩んでいるのだ
無様な当為者たちの怠惰な弁明が施錠される
権力の枢密が暴露される
この幻想体の核心は
蜃気楼の神話だ
真実の探偵は反逆の徒なのだ
情緒が波頭を漂流し
論理は帰港しない
模糊こそが
この神族の同一なのだ
そして、矛盾の均衡が再び始動しようとする
嘆息と絶望が瞬く間に現実に氷解し
満開の春を彩ろうとする
さあ、もはや
アテルイよ出でよ
清原、藤原、義経、甦れ
将門よ起て
政宗よ目覚めよ
榎本よ、土方よ
共和の夢を再び語れ
独立の唄を指し示せ
奥羽越列藩同盟よ
翻れ
名もなき反逆の人々よ
今こそ葬送の祭司となれ
辺境の民よ
エミシの民よ
縄文の民よ
漂泊の民よ
北方の樹々の息吹よ
南方の潮の流転よ
まつろわぬ人々よ
異民の君よ
歴史に潜み悠久の森に息つく戦士達よ
遼原の朝日にたち現れよ
縄文と弥生の抗争をつぶさに演出せよ
君達こそがこの日のために生きたのだ
今こそ、私達の誇りに呼応せよ
公憤を支柱とせよ
この状況の屈辱を憤怒で刺し貫け
草の魂に火を放て
桓武と田村麻呂に繋がる謀略と系譜をなぎ絶て
ピリカよ
弱き者達を率いて
山脈の奥深き楽土に密め
豊潤な骨盤に奇跡を孕め
白き乳房で希求を繋げ
青き狼達よ
革命の山河に季節と共に雌伏せよ
叡知を集結せよ
情念を論理に変換し歴史を貫く矢を放て
倫理の草種を蒔け
強者達よ
真夏の昼よ
自らの大地に自ら存れ
ヤマトを反措定せよ
世界と靭帯する共和国を設計せよ
さあ
もう五月
青龍が翔びたつ
いまこの時
カムイ革命が始まったのだ
1️⃣ 貴子
一九四五年の盛夏。異様に蒸し暑いその日の昼下がりであった。
真っ黒で武骨な機関車が、北国山脈でも名だたる険峻な峠を、息も絶え絶えの有り様でようやく登りきって、清浄な大気を切り裂きながら、やっとのことで侘しい停車場に辿り着いた。
一人だけ乗り込んできたのは、三〇辺りだろう、大柄で豊潤な女であった。戦時下の粗末な衣服では覆いきれない乳房と尻を揺らしながら、類の顔前に座るなり、「あなたしかいないんだもの。離れて座るのも不自然でしょ?」と、厚く紅い唇で名前を告げた。
すると、開け放した窓から僅かばかりの風が緩やかに紛れ込んで来て、熟した桃の香りを類の鼻孔に運んだ。
その貴子という女がまじまじと類の顔を見つめて、「若いのね?幾つなの?」と、親しんだ知己の如くの振る舞いで端的に尋ねるのである。訳もなく悪い気も起こらずに、「ニ一」と、類が見返すと、女の桃色の頬が緩んだ。
賢明な読者諸兄は『宗派の儚』は、既に、拝読されたであろうか。この『党派の儚』は、その第二部なのである。
『宗派』では、草也が旅の鞄に多額の紙幣を忍ばせていること、重大な事件を起こして某所から逃走してきたことを、匂わせて叙述しておいたが、この貴子は、草也と共にある怪僧を殺害した女なのであった。そして、この時は、その事件から十日余りしか経ていないのである。丁度今ごろは、草也もまた、夏という運命の女と遭遇している頃なのであった。
こうして、この『党派』と『宗派』の叙事詩は複雑に交錯して、一編の綺談を成していくのである。
一五分ばかりの停車の後に、機関車は動き出していた。険しい登りを終えたこれからは、北国山脈の中腹をうねうねと縫いながら、なだらかに下って、終いには列島の表の海沿いの街を目指すのである。
貴子は粗末な手提げから煙草を取り出して、「吸うんでしょ?」と、頷く類に箱を突き出す。類が両切りの一本を抜き取ると、慣れた指つきでマッチを擦った。
「幾つに見えて?」と、紫煙の行方から視線を戻した女が、類の視線を捉えた。類は答えに惑いながら
、その難関な問いを解明しようとして女を凝視する。
「その瞳だわ」と、貴子は妖しい視線を絡ませながら、「あなたにはたぐいまれな反骨の気質が貫いているんだけど。それって実に厄介な代物なのよ」と、言うのである。「大抵はこの社会に押し潰されてしまうんだわ」と、声を潜めて、「ましてやこんな時勢なんだもの」「危険な思想にもなりかねないでしょ?」「でも、不思議なの」「それでも、何れは大業を為すという、滅多にない相なのよ」と、囁くのである。そして、煌めかせた目で、「つい最近にも、こんな冷徹な瞳と出会ったことがあるの。極め付きにいい男だったわ」と、続けて、「手相を見てあげようかしら?」と、秘密の儀式の始まりのように囁くのだった。
貴子はおずおずと差し出した類の大きな掌を取って、無造作に引き寄せた。そして、暫く、掌にしげしげと視線を留まらせていたが、やがて、妖しく愛撫しながら、「やっぱり、あの人と同じだわ」と、太い息を吐いた。そして、「あなたにもただならぬ女難の相が出ているから、心がけをしないとね?」と、類の目を覗き込むのであった。
その時、鈍い羽音が二人の聴覚を、一瞬、掠めた。辺りに視線を巡らした類が、再び、女に戻すと、女の股間に大振りの黄色い蜂がへばり着いているのである。
類が視線で合図すると、「アブじゃないんでしょ?」と、女が声に出した。蜂は動かない。「黄色スズメバチだ」と、類も言う。「獰猛な奴ね?」と、頷く類に、女は、「救ってくれるわね?」と、瞳が哀願する。類か頷き、長い息を吐いた。そして、汗にまみれた手拭いを掌に巻いて、咄嗟に蜂を掴み取り、一気に窓から投げ捨てたのである。
礼を言う女の桃色の肌が上気していた。唇が濡れている。余程に怯えたのか、その唇を紅い舌で、さらに濡らすのである。
そして、類の指先には女の股間の肉の感触が残っているのであった。
炎天の気苦しいばかりの昼下がりに、二人には重苦しい秘密が、瞬く間に忍び入ってしまったのである。
類は、最前から飲んでいたウィスキーを含んだ。女がせがんだ。
貴子は、山脈の山腹の温泉に宿をとるつもりだと告げると、類の全てを知り尽くした振る舞いで、「あなたも無謀な旅の疲れを癒せばいいんだわ」と、誘うのであった。
温泉宿で、交接の合間合間に、二人は互いの来し方を話したが、肝心な過去は虚偽や秘匿で彩られていたのである。
今、筆者は惑うのである。2015年に草稿を起こした時分は、性の描写にも挑んで、天皇制と互して禁忌の打破などと気負ってはいたが、書くだけ書いたあげくに、古希も過ぎると、いかにも陳腐に思えて仕方がないのであった。だから、敢えて露悪にした性の叙述の悉くを削除したのである。
そもそも、筆者などは性への関心は人並みにはあったろうが、それだけのことだったのだろう。ノーマン・メイラーや大江健三郎のある作品に刺激を受けた時節もあったが、大昔のことであり、今、この齢になっては何の感慨もない。ちなみに、老境の谷崎を読みなおしてみたが、共鳴は一切なかった。
性を詳細に描写するなどは、今の筆者には無意味なのである。だから、類と貴子が一瞥の夜半には、いかにも狂おしい同衾が、何故に出来たのか。或いは、抱擁によって二人の感性や身体がいかばかりに揺れ動いたか、などの具体は、諸兄の判断と想像に、一切を委ねるしかないのである。
貴子は北国随一の歓楽街の外れの路地裏に、カウンターに五席と二畳ばかりの小上がりがついた、居抜きの小料理屋を買った。即金であった。二階に一間の住まいがついている。
来歴の詳細も、もちろん、兵役拒否の真相などは明かさないままの類が、曖昧に同居した。
貴子と類は姉弟を名乗った。水商売などは初めてだという貴子だったが、余程、性にあっていたのか、持ち前の笑顔や如才のない客さばきと、豊満な身体が醸し出す色香で、たちまちの内に繁盛にしてしまった。始めの頃は、類も下働きなどをしていたが、いかんせん、貴子は働き者で一刻も身体を休めない。終いには、類などは足手まといになる始末だった。
ある時、貴子が言った。「あなたは先のある身なのよ。客の話では、こんな愚かな戦争は負け戦で、直に終わるようだし。あなた一人くらい、私の腕一本で英傑に育ててあげるわよ。戦争が終わったら大学に入るんだわ」類はその決断に従って、久しぶりに勉学に身を入れたのである。
そして、間もなく、敗戦の日を迎えたのであった。
宗派の儚 第二稿