冷凍老人
「あれ?無いわ、どこだっけ?無いわ」
と、お母さんが探していた化粧水は冷凍庫の中で見つかった。
「また凍らせられた」
今年で八十二歳になるおじいさんは正しい事を言う人で、呆けたりはしていない。
その正しい事を無視したり、三回言っても聞かない場合は躊躇なく其は冷凍される。先の化粧水などは、散々おじいさんが、
「そこに置いたら危ないから、こっちに置きなさい」
と、言っていたもので、お母さんはその都度、
「はい、はい、わかりましたよ」
と、軽返事をしながら移動させていたのだけど次の日には、もとの危なっかしいところにポツンと化粧水はあった。
おじいさんとお母さんのやり取りも三回目を過ぎた次の日、化粧水は冷凍庫の中だった。
お母さんに限らず凍らされたものは化粧水だけではなくて他にも、コップに飲みかけが入った麦茶、ごはんが少しだけ食べ残った茶碗、爪切り、歯ブラシ、レッド・ツェッペリンのCD、買ったばかりの単行本などがあった。
その日、帰宅したお母さんは自分の目を疑った。台所の流し台のシンクの中に、肉、イカ、氷を作る容器、お弁当用の冷凍食品なんかがてんこ盛りになっていた。
冷凍庫で保存していたものだ。じゃ、冷凍庫には何が?お母さんはものすごく厭な予感がした。厭な感じしかしなかった。
息子の亀道は高校二年生だ。自分の部屋が有るのを良いことに布団は敷きっぱなしにしている。
「休みの日くらい布団をあげなさい」
お母さんは度々注意していたけど亀道は聞かない。さてどうしたものかと思っていた矢先の事だった。
お母さんが冷凍庫の扉を手前に開けると、何かが引っ掛かって上手く開けられない。ひと息ついてから力を込めて、エイっと開けると冷凍庫の中には毛布が押し込められていた。
ひんやりした毛布を取り出しお母さんが困り顔をしているところへ亀道が学校から帰って来た。
「ほらみなさい、アンタが言うこと聞かないから毛布こんなになって」
と、言ってお母さんは亀道にひんやり毛布を頭から被せた。毛布を頭から被った亀道は可笑しくなって、毛布の中で笑った。それに連れてお母さんも笑った。そしてひと言、
「今日の晩御飯は全部冷凍食品にしまーす」
おじいさんは散歩が好きだった。うちから直ぐの商店街を歩くのが好きだった。その日おじいさんは商店街で若い男とぶつかった。おじいさんはよろけてしまい、八百屋の店先に尻餅をついた。ぶつかった若い男は、
「痛てぇな、じいさん気をつけろ」
そう言って立ち去った。とんでもない若者だとおじいさんは思った。次の日、亀道の姉で孫の佳央理が駅前を歩いていた。爽やかな感じの小綺麗な男と一緒に歩いていた。手も繋いでいた。
おじいさんはその男に見覚えがあった。帰宅した佳央理に、
「彼氏かい?」
と、尋ねると佳央理は直ぐに
「そうよ、格好いいでしょ」
と、自慢してきた。明日もデートらしい。翌日の午前十時過ぎ佳央理は焦っていた。
「無い無い無い、どうして?」
お母さんが、何が無いのか聞いてみると、
「わたしのスマホ、スマホが無いの」
佳央理は半泣きだった。彼氏との待ち合わせまで時間がもうすぐだった。
「間に合わない、どうしよ?」
と、その時、台所の方からJ-POPのなんとかという曲が流れてきた。
「あ、着信」
佳央理は台所へ行って耳を澄ませると、どうやら冷蔵庫の方から聞こえてくる。お母さんはピンときたらしく冷凍庫を開けるとアイスクリームの容器の上でスマートフォンが曲を奏でていた。
「もしもし、渉、あのね」
電話に佳央理がでると、彼氏の渉は、
「わりぃ、今日ちょっと行けなくなったわ」
「そう、うん、わかった、またね」
急に元気が無くなった佳央理がそう言って電話は終わった。スマートフォンが冷たかったけどスマートフォンが冷凍庫に入っていた事なんてどうでも良くなっていた。二階の部屋で、やる事もない佳央理はインスタグラムを眺めていた。
初デート!と記された写真には全部が写っていたわけじゃないけど、それは明らかに渉とわかるものだった。佳央理とお揃いのネックレスが太陽の光に反射していた。
その記事をあげたのは、佳央理と同じクラスの友達で恋愛相談なんかをしていた彩華だった。
「最低」
渉とはそれっきりだった。もちろん彩華との関係も終わった。
そんな事があったりして、暫くは何も凍らなくなった。おじいさんが入院してしまったからだ。最初は、なんて事なかった。喉がイガイガするって言ってて、そのうち咳が出だして、一週間もしないうちに熱があがり、そして入院した。
家で何か相応しくない事が起こっても、冷凍庫には冷凍庫のものしか入っていない。
化粧水は風で揺れたカーテンに触れ、床へ落下し瓶は割れた。
おじいさんは亡くなってしまった。亡くなるなんて誰も思っていなかった。おじいさんが火葬された夜に眼鏡が見つかった。冷凍庫の中で見つかった。
いつもかけてた眼鏡。いつ冷凍庫へしまったんだろう?見つけたお母さんが佳央理と亀道を呼んだ。
三人は顔を見合わせてちょっと笑った。
終
冷凍老人