ぼくらはずっと生きていく
ぼくらはずっと生きていく
インターネットの上から近頃話題の不老不死を眺めていた。紡錘糸に引き剥がされていく時代の潮流が、やがてリリカルだと形容され、血管で犇めく赤血球みたいに、人は押し流されていく。うん……? 憂鬱ってことで片づけていいのかな。ミキサーに攪拌されて、四千九十六、九千百九十二、一万六千三百八十四もの肉片に細断されていくから、ここに永遠を悟ることとなりました。やれやれ。
叛逆的に美しいこのぼくこそが道徳へのアンチテーゼなのだと言い切りたい。
宇宙ステーションはいつまでも夜明けに臨んでいる。ぼくはここで一発、取り返しのつかないことをやってしまう。なんとまあ、凄惨な光景なんでしょう。ここに純粋な感動があるかどうかが論点。全知全能にあこがれた結果、逆流するようにはげしく絶望できたらいいのに。早送り再生なんて情報改竄もいいところだ。咲いて、枯れて、終わりってわけではなく、すべては生まれ変わりながら永遠に続いていく。だからぼくはかなしいさびしいいとしいせつない。だからみんながかなしいさびしいいとしいせつない。感情は、ぼくらが魂だった、類を見ないほどに下品だった時代のなごり。いやいやでも、うたわざるを得なかった。ぼくらはずっと生きていく。生きていくからうたうんだ。
ぼくらはずっと生きていく