おでんと人魚姫
陸のうえで、しあわせに暮らしたい人魚姫とは、ときどき、すれちがうのだけれど、しあわせを手に入れたの?、ほんとうに?と、ぼくは、肩を揺さぶり、問いただしたいほどに、人魚姫は、姫、というなまえ(なまえ?)に相応しくない、かなしきいきものとなっていた。
夜です。いつまでも。
くじらの声がする頃に、きみは帰ってくる。カレーライスをたべながら、ぼくは、待っているときもあれば、紅茶を淹れて、テレビも点けずにぼんやりしているあいだに、きみの足音がすることもあって、きみはぼくの帰りを待ち望んでいるってわけじゃないんだねと、さびしそうに、苦々しい笑みをさせたこともある。人魚姫、だったものは、商店街を、とぼとぼと歩いているときがあって、八百屋さんや、お肉屋さんが、かわいそう、だの、気の毒に、だのと好き好きに囁いている。人魚姫がえらんだにんげんは、おとぎばなしのとおりの王子さまではなく、ざんねんながらの、くず野郎だ。にんげんの皮をかぶった、ごみみたいなもの、と言い放ったのは、魚屋さんのおじさんだったか。海のなかにいた方がしあわせだったろうに、というのは、でも、あくまでも他人の意見で、人魚姫本人が、どんな生活を送っていようとも、わずかでも幸福を感じているのならば、それは、まわりがどうこういってどうなるものでもないと、結局のところ、ぼくは思うのである。
今夜はおでんにした。
寒かったので。
具材は、だいこんと、こんにゃくと、牛すじ串と、たまご。たまごは、二個ずつ。そろそろ帰ってくるかもしれない、きみのために、ちゃんと、じわじわと、温めておいてあげる。かたかたと鳴く、お鍋のふたを見つめながら、しあわせはひとそれぞれ、と、ひとり呟いてみる。もう、十二月。
おでんと人魚姫