洗魂茸(せんこんたけ)
茸の奇妙なお話しです。縦書きでお読みください。
山鹿東香(とうこう)は大月の町中で薬屋を営んでいる。山鹿薬局である。最近はどこにいっても大手ドラッグストアーが進出している。場所によってはさほど離れていないところに、二つ三つの店がある。おかげで個人の薬局は苦境に陥り、病院の近くのものは処方箋薬局として生き延びているが、つぶれていく店も多い。幸い大月には薬屋の大型チェーンは一つしかなく、彼は薬大で漢方を学んだことでもあり、そちらに明るいので、特色ある薬局として何とかやっていけている。
彼の趣味は茸探しである。癌に効くとされる猿の腰掛けの類についてとても詳しい。猿の腰掛けは大昔から薬として使われていたが、様々な種類があり見分けるのが難しい茸である。薬局が休みの水曜日には車で山に出かけ茸をさがす。もちろん食べる茸も採ってくるので、奥さんは彼が茸採りに出かけるときは協力して、昼食のおにぎりを作ったり、もって行くものを用意したり、よく手伝う。ただかぶれ症なので、奥さんは一緒にいかない。
いつものように、軽自動車で茸探しに出かけた彼は、八ヶ岳の麓まで足を延ばした。良さそうな林を見つけたので、車を道の脇に止め中に入った。初めての場所だ。
仰ぎ見ると八ヶ岳が大きく空の上にそびえている。その麓の小さいと言っていい山の南斜面の林だ。中に入ると、じごぼう、すなわち花イグチがめにつく。よくある風景だ。しばらく歩いていくと倒木に天然のナメコがはえていた。これは奥さんが喜ぶ。ナメコを肩掛けの籠に入れ終わり、さらに歩いていくと、大きな樫が目に付いた。藪の中に入り、近寄ると、今までみたことのない腰掛けが手の届く高さに生えている。人の頭ほどもある。緑色の胞子が下面にいっぱい噴出している。
これは何かの役に立ちそうだ。彼は写真を撮ってから、手をかけてもぎ取った。ずい分重い。
彼は初めての茸に自分なりの名前をつける。後で正式な名前があることを知ることもあるが、未だにどのような図鑑にも載っていないものが数点、戸棚にしまってある。この茸は緑腰掛にしよう。今日は収穫だ。
さらに奥に進む。彼は腰掛をみつけても、むやみには採らない。はじめての腰掛は採っていくが、すでに持っているものは、必要な数だけしか採らない。その腰掛けが絶えてしまわないように気も使っている。
薬にするには予備のものといくつかあればいい。採種場所は記録してあるので、必要になればすぐに採りに来ることができる。
その日はもう少し奥くまで入った。あった。ブナの大木に、まん丸な腰掛けがくっついている。赤っぽい色のものだ。これも初めてである。写真を撮ってから背負い籠にいれた。赤腰掛と名付けた。緑と赤の腰掛が採れた。
一年に一つか二つ新しいものにぶつかればラッキーだが、その日は新しい腰掛けが二つもあった。とても満足して、戻ることにした。
林の入口近くまでもどり、車の止めてあるところまで、草の中を歩いていくと、きたときには気がつかなかった杏茸が一面に生えている。これは奥さんが大喜びだ。
家に帰るとナメコと杏茸をわたすと、奥さんは大喜びだ。
自分は早速自分の実験室と言っている薬の調合室に二つの新しい腰掛をもって入った。そこでまず改めて写真を撮り、緑腰掛と赤腰掛のスケッチをした。必ずそうやってデーターを整理しておく。
彼は緑腰掛と名付けた茸の一部を切り取って、壷のような形をしたガラス瓶に入れた。赤腰掛も同じようにした。茸の切れ端の入ったガラス瓶を冷凍庫に納めると、実験室をでた。
昼食の用意がされているキッチンに行くと。採ってきた滑子の味噌汁にじごぼうの煮しめだった。
「今日の滑子はおいしいわよ、たくさんあるから夜はおろし和えね」
奥さんの梅子は茸の料理が得意である。
「おもしろい腰掛が採れたみたいね」
彼女は看護師で、薬局を手伝ってくれてもいるが、週に一度は近くの病院から応援をたのまれ、でかけている。
「二つもとれた、今まで見たことのないやつだ」
「冷凍してるところかしら」
彼女も茸を薬にする過程をよく知っている。
「うん、夕方には乾燥機にかけるよ」
乾燥機というのは洗濯機の熱して乾かす機械のことではなく、正式には真空乾燥機といって、凍らしたもののはいったビンをそれに装着すると、中が真空になり、凍った茸が粉になる。そういう研究用の機械である。卒業した薬学大学の研究室で古くなり廃棄するのをもらってきたのである。大学では、研究精度を上げるために、最新の機械をいれるので、古いのはまだ使えても業者にひきとってもらう。茸を自然に乾燥させすりつぶしてもいいのだが、その機械にかければ一日で茸が粉になる。
彼は今までに新しい茸からいくつかの薬を作り出している。大学の研究施設ではネズミなどを使って効果を調べるのだが、彼は最初自分で服用して様子をみる。猿の腰掛けで毒茸といわれるものはないことからできることである。そうやってからだに効きそうだと思ったら、自分の卒業した研究室の教授にたのみ、動物実験などで調べてもらう。効果がありそうなときは、教授に成分の分析をしてもらったうえで、とれるものは特許をとってもらう。そのとき10%の権利を彼がもらうことにしている。そういうかたちでいくつかの特許に名を連ねているが、なかなか売れるようなものではなく、いまだそれによる収入はない。
しかし特許に名前が入るだけでも彼は嬉しかったのである。
「何かに効くといいわね」
奥さんも夫が特許を持っていることを誇りに思っている。
新しい茸を見つけたときも嬉しいが、それが薬になるとなると、嬉しさが2乗になる。
彼は昼ごはんをたべおえると、しばらく休んで実験室にはいった。冷凍庫からガラスの瓶を取り出した。小さな資料なのでもう凍っている。それを真空乾燥装置に装着するとスイッチを入れた。明日までには粉になっているだろう。
次の日の朝、機械の先につけておいたガラス瓶の中に、茸の破片が、かたちをのこしたまま粉になっている。それぞれのビンから薬包紙のうえに粉をとりだし、重さを量って、薬瓶にいれた。ラヴェルには緑腰掛、赤腰掛と書き、詳細を記して保存用冷蔵庫に入れた。
休みの前の日にそれを飲み、様子をみるのである。
その日、緑腰掛を一グラム、寝る前にのんだ。味は皆同じようだが、この茸はちょっと苦みがある。どのような成分があるかどうかわからないが、かなり複雑だろう。
こういった、自分のからだで茸の利き方を調べるといった試みは、家内がかなり心配して、夜寝ているところを覗き込んで、朝報告をしてくれたりしたものだが、最近は、納得したようで心配することはない。
ところが、緑腰掛を飲んだ夜のことである。夜中に頭がづきづきと痛み出した。彼は頭痛持ちではない。風邪を引いた様子もないし胃がおかしかったり、呼吸や心拍には変わりがなさそうだ。
まずおきて、血圧や脈拍、体温などを測った。痛みがあるので、脈拍や血圧は少し高めだが、体温はいつもどおりだった。痛み止めを飲んでおいたほうがさそうだと思った彼は市販の頭痛薬カロナールを飲んだ。カロナールは強い薬ではない。だがそれから眠ることができて、朝起きたときには痛みがなくなっていた。
次の日に、赤腰掛を1グラム飲んだ。頭痛もなにもおきなかった。赤腰掛の成分はからだにすぐに作用するような成分はない可能性がある。緑腰掛のほうを少し詳しく調べたほうがよさそうだ。
それから一日おきに、緑腰掛を量を変えて飲んでみた。二グラム飲んだときにはやはりかなり強い頭痛が起きたが、頭痛薬で朝になるとなおっていた。一グラムも二グラムも影響の仕方は代わりがなさそうだ。半分に減らしてみた。それでも効果はおなじだった。緑腰掛には頭痛を引き起こす成分があることははっきりした。
緑腰掛と赤腰掛は薬にはならないようだ。
これで試すのはやめようかと思ったが、粉はまだ残っているし、緑腰掛と赤腰掛を混ぜて飲んで見ようと考えた。単独では影響のないものが、他のものと一緒だと、何らかの影響を持つことがあることを知っていたからだ。大学ではそういうこともずいぶんならった。グレープフルーツは美味しい果物として口に入れるが、その成分の中には、特定の薬の効果を倍増させる物質がある。血圧の薬でそういうものがあり、グレープフルーツを食べてから飲むと血圧が下がりすぎることがある。一時、テレビでも注意を促したことがあり、よく知られるようになったことである。
緑腰掛と赤腰掛を半グラムづつ同時に飲んで寝た。すると頭痛が起きなかった。
偶然かもしれないと思い、今度は緑腰掛を一グラム飲んで寝た。案の定頭痛がおきたので、カロナールを使わずに赤腰掛を一グラムのんでみた。すると、カロナールと違い、十分もたつと痛みがなくなった。血圧や脈拍は通常のあたいになっていた。朝まで寝ることができた。
赤腰掛は痛み止めになるかもしれない。
ある日、朝食を食べた後に緑腰掛一グラムを飲んでみた。いつもは寝る前であるが、起きているときの効果もみておく必要があるだろうと思ったのだ。すると、2分ほど経ったとき、耳の奥からシンシンと音がしてきて、きらきら光る半月状の輝線が見え頭痛が始まった。耐えられないほどではないが、客などと話をするのにうっとうしい。それではと思って、赤腰掛を五グラム飲んだ。この効き目は抜群だった。それこそケロリンで、一分も経たないいうちに頭痛が治まった。明らかに緑腰掛は頭痛を引き起こし、赤腰掛は頭痛を止める効果がある。これはいい頭痛薬ができるかもしれないと彼は期待に胸を膨らませた。
それから彼はそれぞれ効果の出る量を調べた。緑腰掛は半グラムでも軽い頭痛をおこし、耳鳴りが始まり輝線が現れ、耳の奥でお経のようなものが聞こえてくると、5分もすると頭を軽く締め付けるような痛みが生じる。その後は弱い頭痛が続く。一方、赤腰掛は一グラムで緑腰掛による頭痛を素早く止めてしまった。
痛みを生じさせる茸はどのように使ったらいいかよくわからないが、止める方の腰掛の使い道はある。
ほかの人にも効果がなければしょうがない。奥さんが飲んでみるわよと、協力を申し出てくれたので、病院にいく必要のない日に飲んでもらった。緑腰掛を一グラム飲ましたらおもしろいことを言った。
「光り輝く線が現れた後に耳の奥で誰かがつぶやいているように聞こえるわ」
彼も飲んだ後、お経のようなものを聞いている。
「男の声かい」
「ええ、お坊さんが何か言ってるみたい、あ、軽く頭が締め付けられているようだわ、ちょっとだけど痛い」
それで、すぐに赤腰掛を1グラム飲ませたらあっという間に痛みが取れた。
「どちらもよく効くわね」
「そうなんだ、茸などの漢方は飲み続けて体のバランスを整えることで利くのだけど、この茸の粉は即効性がある、珍しいね、ほかの痛みに効けばいい薬になる」
それからしばらくすると、奥さんの生理痛が始まった。子宮粘膜症がある。いつもロキソニンをつかっている。それで赤腰掛を1グラム飲ました。
「痛み取れないわ」
「それじゃ、五グラム飲んでみて」
ところがそれが効かずに、結局ロキソニンを飲んで治めた。生理痛には効果がない。
いつも偏頭痛に悩まされているおばあさんがいる、週に一度漢方薬を取りにくる。漢方だけでは抑えられず、ひどくなるとそのおばあさんは昔ながらのセデスを希望するので漢方をすすめ。今では漢方で抑えている。
そのおばあさんがやってきたので聞いた。
「いまも偏頭痛ありますか」
「うん、痛くなることがあるようだよ」
「試しにこれ飲んでみてもらえますか」
「いますぐかね」
おばあさんは彼が茸からとった薬の特許を持っていることを知っていて、新しい薬を造るときに手伝ってくれた人だ。お寺の住職のお母さんである。
「新しい腰掛なんだけど、ある痛みをおさえたけど家内の内膜症には利かなかった、偏頭痛に効くかどうか調べたいけど、どうですか、ためしてもらえんかな」
「そうかね、それじゃためしてみるよ」
おばあさんは店の中の椅子に腰掛けて、赤腰掛け一グラムを飲んだが
「効かんねえ」と言った。
「これも飲んでみてくれます」
無茶かと思ったが、緑腰掛一グラムを飲ました。すぐに、おばあさんは驚いてこんなことを言った。
「あれえ、目の中が光った、人の声が聞こえるな、耳のせいかな、お坊さんのお経のようだったな、もっと聞いていたいようなありがたいもののようでしたな、それが消えると頭が締め付けられてな、痛みがつづいちょる」
「もう一度、これ飲んでみてください」
赤腰掛を飲ませた。
「おお治まった、なんかさっぱりしたな、心が洗われたようじゃ、うちの仏様みたいだの」
「どうもすみませんでした、いつもの漢方頭痛薬ただでいいですよ、大変助かりました」
「役になったかの、薬はありがたくいただいていくわ」
そう言って帰って行った。
彼は奥さんに「この痛み止め、茸で痛くなった頭痛にしか効かないようだ」
「それじゃ売れないわね」
「うん、だけど毒消しにはなるかもしれない」
「ねえ、あなた、茸の頭痛って市販薬で止まるの」
「俺がカロナール飲んだけどだめだった」
「痛みにもろいろあるってことね」
確かに痛くなる原因はいろいろあるし、痛み方はおおまかに鈍痛と疝痛がある、皆神経の働きだ、同じ痛みの原因だって感じる強さやかたちは人によって違う。
これだと卒業した研究室の教授に話を持って行くには不十分だ、もう少し考えた方がいいだろう、彼はこの二つの茸についてはとりあえずおわりにした。
それから半月がすぎたときに大変なことが商店街に知らされた。大型のドラッグストアーが近くにできそうだということである。薬ばかりでなく食料や日用品まで幅広く扱う店である。
山鹿東香は薬屋がつぶれたらなにをやっていけばいいか、なにも思いつかなかった。五十になったばかりで子供はいない、どこかの会社で雇ってくれるだろうか。これまで茸漢方しか頭になかった男である、他にできることは掃除人とか警備員ぐらいか。そんなことを言ったら、奥さんに言われた。
「なに言ってるの、私が働きにでるから大丈夫、茸漢方を作ったらいいじゃない」
何とも頼もしい奥さんである。確かに彼女は看護婦だから常勤の口はいくらでもあるだろう。
細々と薬局を続けていこうか、そう思い始めたとき、またお寺の住職の母親が偏頭痛の漢方を買いに来た。
「山鹿さん、こないだの頭痛を起こす茸と押さえる茸はどうなったかね」
「いや、売れるような薬にはなりそうもないですよ」
「売らんのかね」
「許可をもらうには大変な時間と費用がかかります、その前に効かなきゃしょうがないですからね」
「こないだ効いたじゃないけ」
「頭を痛くしたり、それを止めたりしますけどそれだけじゃ」
「私に売ってもらえんじゃろうか」
「どうするんで」
「まあ私の趣味のようなもんで、いくらです」
「いや、まだ薬にもなっていないので、あげますよ」
「それじゃあ、わりいからな」
「本当は許可なく売っちゃあいけないんですよ、とりあえず一グラムを十袋づつあげますよ」
「そうかね、また欲しい時には買うので、値段きめておいてな」
寺のおばあさんはそう言って緑腰掛と赤腰掛けの粉末を持って帰った。なににしようというのだろう。
一週間後、寺のおばあさんはまたその粉を買いに来た。
「なあ、あの茸の粉を売ってほしいんだがな」
「どうするんです」
「あたしゃには利くようなんで、うまく使ってるんで」
「わかると処罰されちまう」
「いや、黙ってるから大丈夫だ、頭が痛くなる茸を百袋、痛みをとめるのを百袋くれんかな」
「そんなにですか、いま五袋くらいならあるけど、百は無理だな」
猿の腰掛けも乾燥させると軽くなり、百グラムというと相当大きな茸でないとだめである。
彼は引き出しから二つの茸を取り出して秤にのせた。電子天秤だから細かくはかれる。緑腰掛が八十八グラム、赤腰掛が百二十グラムである。放っておいたのでだいぶ乾燥しているが、乾燥機にかけると半分以下になる。
「とてもないですよ、これだと三十袋ぐらいかな、三日後にはできるけど」
「それじゃ三日後にくるよ、その茸もう生えていないの」
「探せばあると思うけど、何でそんなにいるんです」
「ありがたいことに使うんで、迷惑かけんです、いくらですかな」
値段など決めていない。
「いくらがいいですか」
「茸を採りに行く手間賃があるでしょうからな、一袋五十円でどうかね」
ずい分高く買ってくれる。なんだろう。
「ここで買ったこと言わないでくださいね、それじゃとりあえず、いまある二つの茸の粉末それぞれ五袋と、いつもの片頭痛の漢方、五百円と八百円で千二百八十円、あとは作っておきますよ」
「消費税間違っていない、8から10になったよ」
「茸の粉は消費税なし」
「あ、そうか三日後にとりにくる」
夕食の時、家内におばあさんのことを話した。
「あ、妙香寺のおばあさんね、石橋徳子、ご主人が最近亡くなって、いま息子さんの徳也が跡をついでいるわ、息子さんの説法はおもしろいので結構人気があって、毎週日曜日にたくさん人が集まるみたいよ、それも若い人からお年寄りまで、女性が多いようだけどね」
「あのおばさんそんなに年じゃないよね」
「そうね息子さんが三十はじめだから、まだ六十ちょっとくらいね、若いころ相当やり手で、若いのに新宿で化粧品の店を経営していたんだって」
「それで、なんで大月の寺に嫁いだの」
「詳しいこと知らないわよ、でも方角がよかったから決めたそうよ、病院の患者さんが言ってたわ、占いが好きなようね」
「おもしろいね、うちの店がどうなるか聞いてみよう、あのおばあさん茸の粉が欲しいって言うから、売っちゃった」
「大丈夫、無許可でしょ」
「言ってある、占いにでも使うのかな」
三日後、石橋徳子が薬を取りに来た。
「できてますよ」
一グラム入った包みをそれぞれ三十わたした。
「占いをするんだって」
「趣味でね」
「大型ドラッグストアーがくるけどこの店どうなるかなあ」
「この店は方角がいいから、買いに来てるんだよ、いままで通りで大丈夫、この茸もっと必要になるよ、採ってきてよ」
そういうと帰って行った。まあ漢方を全面に出して細々とやっていこうか。と彼は何となく安心した。明日は休みの日だ。同じところに採りにいくか。
その日、軽を運転して緑と赤の腰掛をみつけた林に行った。緑腰掛の生えていた樫に子供が三つくっついていた。少し先に行ったブナにも赤腰掛の子供が二つついていた。大きくなるにはまだ時間が必要だ。彼はもっと奥に歩いていった。大きなブナの木の根本に白舞茸の大きな固まりが生えている。これはすごいみやげだと思い根本から抱えるように採った。そのブナの裏に回ると上の方に大きな丸い赤腰掛がついている。これなら成熟していそうだ。手は届かない。周りを探すと、長い枝が落ちていた。林の下にはよく落ちている。彼はそれを拾って、腰掛をつついた。うまくいった。ぽろっと落ちてきた。乾燥させても百グラムは十分ある。痛み止めはこれでよし。彼はもっと奥に進んだ。やっぱりあった。樫の木に大きな緑色の緑腰掛が二つくっついていた。それは手が届くところにあり、両方とも採ることができた。
舞茸まで採れたし、あの寺のばあさんがいうように俺にはすこしばかり運がついてかもしれない。
家に戻ると、舞茸を見た奥さんはまたまた大喜びである。彼は早速、緑腰掛と赤腰掛を乾燥させる支度をした。数日で粉末になるだろう。
それから一月ほどして、妙香寺のばあさんが自分の偏頭痛用の漢方を買いに来た。やはり、二つの腰掛の粉末も欲しいといった。
「百ずつほしいけどな」
「はい、用意でますよ、でもこれが役に立つんですね」
「うん、五十円じゃ申し訳ないねえ、と言って、
ばあさんは二万円をだした。一袋百円になる。
「そんなにたくさんいりませんよ」
「ええんです、これからもっといるようになるんで、茸探しといてくだされや」
そう言って帰っていった。
なにに使っているんだろう。想像することができない。
彼は休みの日には緑と赤の腰掛を探して、新たな場所に出かけて探し回った。腰掛のたぐいは秋がすぎ冬になっても探すことができるので助かる。いくつかの場所で緑腰掛と赤腰掛をかなりあつめることができた。
冬の間も妙香寺のばあさんは一月に一度ほど茸の粉を買いにきた。
大きなドラッグストアーは春に開業する。彼は店を、茸を中心とした漢方薬局にすることにして、今年中に店をそれらしい作りに改造することにした。改装工事店と交渉して、道に面したところにガラスの大きなショウウインドウをすえた。中には茸の乾燥標本をおき、江戸時代の茸図譜を張るつもりだ。店の中も両方の壁にガラス引き戸つきの木製の棚をつくりつけた。標本ビン類を注文した。棚に茸の生薬類をならべるつもりだ。オランダ人が外から見たら、マジックマッシュルームを売っているように見えるかもしれない。
新年になり、店の準備は整い。茸の生薬店として三日に再開した。もちろん風邪薬や虫差されの薬など、生活によく使う市販薬は販売することにした。再開記念で市販薬は二割引、茸の胃薬を一袋おまけとセールをうった。
真っ先に買いに来たのは、妙香寺のばあさんだった。
「いい茸の薬屋になったのう」そういいながら、そのときも緑腰掛と赤腰掛を百袋ずつ買って行った。
奥さんは近くのいつも行っていた病院に雇われて看護師として働き始めた。三交代体制で不規則な生活を強いられるが、本人は大学病院で働いていたことがあるのでいたって気にしていない。むしろ彼の方が食事洗濯なれないことをしなければならず緊張をしていた。しかしそれも一月経つころには慣れてきた。
奥さんが定期的に病院で働くようになって、町の情報を仕入れてきた。患者さんからいろいろ聞くことがあるからだ。こんなことを聞いたとあるとき彼に話した。
「患者さんの中に妙香寺の住職の説法に通っているおばあさんが何人もいてね、お話もいいけどその後の洗魂(せんこん)がいいって言うのよ」
「なに、その洗魂て」
「キリスト教で言う懺悔に近いんだって」
「私はこういう悪いことをしました、と自白して許してもらうやつか」
「ちょっと違うんだって、知らないうちにいけないことをしてしまっていることを地の菩薩様が教えてくれて、その罰を与えてくれるそうなの、その罰を許してもらうため、妙心地蔵に心から許しをお願いした後に、許しのお茶をいただくと、気持ちが清らかとなり、気持ちよくなって家に帰れるそうよ」
「なんなの、そのお茶って」
「洗魂は三千円払って洗魂の札を買い、妙興寺の茶室にいくと、あの住職のお母さん、徳子さんがたてるお茶が用意され、それを飲んで目を閉じていると、頭の中に菩薩様の声が聞こえ、魂が汚れていることを話してくださり、だんだんと頭が締め付けられるんだって、頭痛の軽いような感じだって」
「なんだか緑腰掛を飲んだときみたいだな」
「まさにそうなの、それでその後、境内にあるお地蔵さんにお参りをして、本堂に戻って、今度は住職のお経を聞きながら許しのお茶を飲むと、さっぱりするんだって」
「赤腰掛じゃないか」
「そう、私もあなたが造っている茸の粉を使っているのだと思う」
「頭の使いようだな、百円が三千円になるわけよ」
「ほんとだな」
「でも心が洗われた気持ちになって、生きているのが楽しくなるって、みんな一月に一度は洗魂にいくようよ、私も今度誰かに連れて行ってもらおうと思うの」
「三千円払ってか」
「うん、どんな様子か見てくるのもいいでしょう」
「そうだな」
そういうことで、奥さんが妙興寺の洗魂に行ってきた。
「あなたのつくった緑腰掛をのまされたときと同じよ、飲むと耳鳴りがして軽い頭痛になるの、耳鳴りがなんだか人が話しかけてくるように聞こえないこともないわ、菩薩の声がすると言われて飲むから耳鳴りが菩薩の声になるのね」
「おまえが行ったこと、徳子さんは気がついたかい」
「私はあまり顔をあわせたことないからわからなかったみたい」
妙香寺のばあさんの経営能力にはつくづく感心した。
新しいドラッグストアーができて商店街の前を通る人が増えた。山鹿薬局は大手の市販薬を買いに来る人は減ったが、漢方系の薬の売れ行きは前より延びた。妙香寺のばさんが偏頭痛に漢方を飲んでいると言っているらしく、おかげで体を整える漢方薬を毎日規則正しく飲むことに楽しみすら感じる人が出てきている。
それに思わぬことを奥さんかが聞いてきた。
「妙香寺に洗魂通いしている人の癌が小さくなっているのよ」
「どうしてわかったの」
「洗魂に行っている人が4人いるけど、そのうち3人は乳癌か子宮癌なの、そのうち2人は癌が縮まって、一人は見えなくなってるの、医者は出している薬と気力ためだと宣伝しているわ、だけど洗魂に行ってない人はそんなに効果が見られていないのよ」
「洗魂は気力を強くしているのだな」
「もしかするとあなたの茸の粉が癌にも利くかもしれないわよ」
奥さんの言うとおりだ。迂闊にも気がつかなかったが、どちらかの茸、どっちかというと茸がおこした痛みをおさえる赤腰掛に癌抑制の強い作用があるかもしれない」
「そうだな、赤と緑の腰掛を大学の研究室で解析してもらおう」
そういうことで、いま二つの猿の腰掛けは解析が進められ、赤腰掛に癌抑制に即効性分がありそうなことがわかってきた。もしその薬の特許に名前が入り、売れればそれだけで楽に暮らせるだろう。
彼はせっせと山に行って緑と赤の腰掛をあつめた。この茸の種類について大学の教授の方から科学博物館に調査依頼が出されている。新種なら発見者の山鹿の名前が入ることになっている。
妙香寺のおばあさんが緑と赤の腰掛を買いにきた。洗魂茸だ。
「この茸の粉は役に立ってますか」
彼はしらばっくれてきいた。
「ああ、おかげさんでね、これからも採ってきてくださいよ」
ばあさんは何食わぬ顔で答えている。
「あの茸、いま成分を大学で調べてましてね、もしかするとある病気に効くかもしれないことがわかってきましたよ、また特許がとれるかもしれないんですよ」
「そりゃあ、すごい」
「それがわかると、この茸みんなが採ろうとすると、なくなっちまう、茸の値段が上がってしまうかもしれませんよ」
「うちには少し高くなってもちょうだいね」
「ええ、そうしますよ」
彼は愛想良く、緑腰掛と赤腰掛50袋ずつ渡した。
ばあさんが帰った後、久しぶりに自分で茸の粉を飲んでみることにした」
緑腰掛の粉をお茶に入れてぐっと飲んだ。
耳がシンシンしてきた。耳鳴りだ。だんだん人の声が聞こえてきた。緑腰掛が頭痛を起こすのは確かだ。
人の声がばあさんの声になってきた。
「あの茸が病気に効きませんように、いままでのように安く手に入りますように」そのように祈っている。
「なに言ってるんだ」
彼は独り言を言うと、「けしちまえ」と頭が痛くならないうちに、赤腰掛を飲んだ。するとばあさんの声はすぐに消えた。ところが、その後に頭が少し痛くなってきた。
あれと思った彼はもう一度赤腰掛を飲んだ。
ところが頭痛が治まらなかった。
仕方がないので市販薬の頭痛薬を飲んだ。少し軽くなったが頭痛は続いていた。
風邪かもしれない。そう思った彼は奥さんの勤めている病院へ行った。
医者は「偏頭痛ですね、頭痛薬をだしますが、漢方にしましょうか、よく効く漢方の処方があります」と聞いたので、「漢方にしてください」と答えた、「院内薬局でいいですか」と聞いたので、「院外にします、処方箋お願いします」と答えた。
自分の家に戻った彼は処方箋を見た。自分が出しているのとは違っていた。まず、自分が出している処方の頭痛薬を作った。妙香寺のばあさんに出している薬だ。
三日経っても偏頭痛は治まらなかった。医者がだしてくれた処方で作った頭痛漢方薬を飲んだ。そうしたら治った。
妙香寺のばあさんがきたので聞いてみた。
「私のつくっている偏頭痛の薬ききますか」
「よく効くで」
そういっていつもの腰掛の粉と一緒に買っていった。
奥さんにそのことを話したら笑いながら言った。
「あら、妙香寺のおばあさん、犬が頭痛のようなので、三年前からうちに自分のだといって頭痛薬を買いにくるんだって、妙香寺の洗魂にいっている患者のおじいさんが言ってたわよ」
ばあさんは犬のために漢方を買いに来ていたのか。それにしても、緑腰掛と赤腰掛を最初に飲んだとき、即座に洗魂の儀式が頭にひらめいたに違いない。たいしたものである。
大学の教授から連絡がきた。ネズミで実験した結果では少しは癌に効くようだけど、それだけで癌はなくなることは内容で、補助的な役割の薬にはなるかもしれない、特許をとっても売れるかどうか分からない言うものであった。教授には特許をとる費用はこちらで持ちますと連絡した。
まあ、それでも山鹿薬局はもっている。
偶然と噂に支えられているからだ。
あのばあさんが言うように、方角がいいのかもしれない。
洗魂茸(せんこんたけ)