タルトタタンの夢

 朝、お湯を沸かしてミルクティーを淹れる。多めに淹れて、水筒にも詰める。九時、届いた手紙の確認をする。素敵な封筒に目移りする。返事を書く。十一時、午後の仕事に備えて早めの食事をとる。作り置きしてあったジェノベーゼに茹でたてのフジッリを和え、ライ麦のパンをトーストする。十三時から十五時、配達の人が来る。手作り小物がたくさん詰まった箱、あまりの重さに配達員さんに小言を言われる。十六時、郵便局に手紙を出しに行く。
 決まった毎日の繰り返しだ。決めてしまえば、あとはそれを守るだけだ。気持ちの乗らない朝もある。やめてしまおうか、と寝転がったまま思う曇天の日がやってくることだってザラだ。でも、やめないことを選択するのだ。だって、何も考えずに続ける方が、より続けやすく、より怠惰だから。
 朝に水筒に注いだミルクティーを啜ったら、あたたかな鉄の味がした。
 郵便局に寄ったあと、なんとなく通りかかった道の脇に、やわらかな照明が漏れる珈琲店を見た。そういえば、こんな店あったっけ。引っ越してきて、あるのは知っていたけれど、いつも通る道というわけではないし、今までずっと忘れていた。ぼんやり、自分とこの店の関係性を考えながら歩いていたけれど、足はだんだんと進むのをやめていた。わたしは、吸い込まれるようにして店に入ったのだった。
 小ぎれいな店だった。最近できた店、という感じだ。店内はとても明るくて、それでいて眩しくなくて、居心地がよかった。入り口付近はショップになっていて、書籍や雑貨がディスプレイされている。机や棚にはナチュラルな木材が使われていて、より店内を明るく温かみのある場所に仕立て上げていた。
 奥はカフェになっていて、珈琲豆なども奥のカフェで購入できるようになっているらしい。コーヒーは、普段飲まないけれど。一歩ずつ奥へ進むと、鞄に仕舞い込んだ水筒の内側で、ミルクティーが揺れた。
 レジまで辿り着くと、お姉さんが「いらっしゃいませ」と言って笑いかけてくれた。ふい、と小さな会釈をして、わたしは机の上に置いてあるメニューを不慣れに眺めた。なにを頼もう、と内心焦りながら悩んだが、結局一番最初に目に入ったものを注文した。お姉さんは微笑みを絶やさず、綺麗に塗られたバーガンディの睫毛を伏せてトレイにタルトタタンとカフェラテを乗せた。おまけに、名刺くらいの大きさの、なにかの写真も。
 席について(あまり混んでいなかったから、わたしは好きな席を選ぶことが出来た)、まず写真を見た。引きで撮られた、針葉樹の森と曇り空の写真だった。深い緑が、ちょうど真ん中あたりで灰色一色に変わっている。裏を見た。「晴れない時こそ、自分を取り戻す時」と書かれていた。写真を脇に置いて、タルトタタンを口に運び、コーヒーで喉に押し流した。自分の意思に反して、喉の奥がいたくなった。
 うまい生き方なんて、きっと一生できやしないと思った。

タルトタタンの夢

タルトタタンの夢

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-12-03

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