イーハトーブの約束

ニシイサ

イーハトーブの約束 

 *サチ 8736時間後*

 "サチへ
 俺たち結婚して30年ですね。それにしてもあっという間やなあ、30年なんて。
 いろいろあったけど、ミユも就職して一人暮らし始めたし、これからは、また二人になるけど、よろしくお願いします!
 この旅行は、俺たちの再出発みたいなもんやと思ってるねん。今まで苦労ばっかりかけてきたから、これからはいろんなとこ連れてってあげたいんや! その第一弾!サチの憧れ、イーハトーブの旅や!
 思いっきり楽しみませう!せう!
せうってなんや? "しよう"の3段活用の最上級やで!
 "しよう""しようや""せう"や!
 こんな俺ですけど、これからも末長くよろしくお願いしまぁーす!
              ユウジ"
  
 星野幸子は、星野勇次の作った"旅のしおり"の裏に書かれた走り書きを何回も読み返して、ポケットにしまい、家を出た。
 
 *ユウジ 1時間後*

 なんでこんなに土砂降りの雨降ってんねん! 楽しみにしてた岩手旅行の出発の朝やというのに。パーっと晴れてくれや! 
 俺がプレゼントした今回のこの旅行、サチも楽しみにしてくれてたよね?
 「今年の結婚記念日な、30周年やし、旅行でも行かへんか? 岩手とか行きたいねんけど」って言うと、
 「え! ほんとに! ヤッター!」って、想像を越えるリアクションで喜んでくれたよね。俺もめっちゃくちゃ嬉しくなって「絶対良い旅行にするで!」って思ったんやからね! それにしても30年か、早いもんやなぁ! 結婚記念日にプレゼントするの当たり前みたいになったんは、いつからやった? 考えてみたら昔は記念日なんかなーんも覚えてもなかったのになぁ? 俺も成長したやろ? えっ? 自分で言うなって? はい、すんまへん。
 たぶん俺が覚えてるんは、何年か前にな、あれは確かミユの大学の卒業式の帰りに「食事でもして行かへん?」って誘って、そう、ちょうどその日が君の誕生日やったから。そんでもってサプライズでネックレスあげたら、想像以上にめちゃくちゃ喜んでくれたやんか、やっぱり嬉しいんやと思って、嬉しそうな顔見るの楽しいし、それから毎年、君の誕生日と結婚記念日には、何かせんと気が済まへんねん。いや、そんな義務感でやってるんやなくて、無理してへんし、なんていうか、むしろ自分のためにやってるってことかな?
 そう、やっぱり「君の笑顔が見たいから!」なんて、カッコ良すぎる?
 あっ、そうそう、ネックレス買うのめっちゃ恥ずかしかったんやからな! 一人で高級貴金属店なんか入ったことなかってんから、ティファニーやで! 俺みたいなんが入るとこちゃうやろ? なぁ?
 ネックレスの次の年は、指輪やったかなぁ? また、指輪はサイズ間違うたらあかんから、こっそり測ったんやで、ようやるやろ? 誕生日に、それまで知らん顔してて急に渡したやろ、びっくりして、その後めちゃくちゃ喜んでくれたやんか!「無理して毎年こんなに買ってくれなくていいからね。」って言うとったけど、あんな嬉しい顔されたら、毎年なんかせなあかんと思うで、ほんまに。
 ネックレスに指輪ときて、今年はどうしようかと考えて、「何欲しい?」って聞きたいけどあかんしなぁ、いろいろ悩みまくってたんや、そんな時にテレビ見てたら、ドラマの主人公の男が、岩手旅行のお土産に"銀河を閉じ込めた水晶玉の指輪"っていうのを買ってきて、彼女に『銀河鉄道の夜』の話をしながらプレゼントするみたいなのやってて、そういえば、サチは宮沢賢治が好きで、俺も本読んで好きになって「いつか二人で岩手行きたいなぁ」って話してたの思い出したんや。
 思った通りに、いや思ってた以上に君が大喜びしてくれて、テンション上がってな!「よし!"旅行のしおり"ちゃんと作って、計画立てて絶対ええ旅行にするで!」ってはりきって作ってみたんやけど、というのも、ミユがなぁ、彼氏と旅行する時は「旅行のしおり」を作るって言うてたやんか、それを見た君が「可愛いねぇ! イラストなんか入れて、おしゃれ! こんなの作れるなんて素敵ね!」って言ってたから、負けてたまるか!と思ってね。いや、それはそうと結婚前のひとり娘が彼氏と旅行するのを、なんで許可してんのかわからんけど、いや、許可なんかしてへんで! ほんまに! この件については、またじっくり話し合いするとしてやな、でもってな、俺なりに頑張って作ったんやけど、出来たのは「行きたい所をただ羅列しただけのメモみたいなもの」で、君にそれ見せたら「あなたにしたら作るだけでもよくやった」みたいなこと言われて、ちょっと、いや、かなり落ち込んだんやで、そりゃあ、今までのことがあるからね、そう言われるのも無理ないけど...、いつも行き当たりばったりで、とりあえず行ってから考えるみたいなやり方で、帰ってきてから、「あぁ、あそこ行ったら良かったのになぁ!」とか後悔してなぁ。みたいなことが多かったからね。でもやで、行きあたりばったりやから、ハプニングも起こるわけやし、たまたま入った店が、想像以上にデリシャスやった時は、感動して得したわ〜!感がマックスになるやん! まぁ、その反対もあるけどな、でも旅って、そこが醍醐味でもあるわけやんか。ガイドブックに載ってない"ええとこ"見つけてナンボみたいな、ちゃいますか! ごめん、興奮してもうたわ。そんでやな、今回は、今までの反省も踏まえ、結局反省してるんか? 反省も踏まえて、ガイドブック買って、調べて、"旅行のしおり"を作りました‼︎ 拍手‼︎
 まぁ、その自信作が、"ただ行先を時間通りに並べただけのメモみたいなもん"なんやけど...。
 君はその"メモ"じゃなくて"旅行のしおり"を冷めた目で見ながら「一泊じゃ回りきれないんじゃない? 二泊しない?」なんて言ってきて、結局、二泊することになったんだよね。
 俺も、大切なお客様のご要望にお応えするために、またもや''旅行のしおり"を必死で作り直しましたわ!
 で、待ちに待った出発の日がやってきたんやけど、なんとまぁ! 朝からこのジャージャー降りの土砂降りで、嵐みたいやでほんまに。そんでもってお客様からまたもやの予定変更で、「やっぱり盛岡城は、晴れてないとダメなんじゃない?」とのご要望で、初日と2日目を入れ替えて、まずは、花巻の宮沢賢治記念館を目指すということになったんだよね? この時点で、必死で作り直した「旅行のしおりモドキ」は、またもやただの紙屑に! あぁ! もうどうでもええわ!
 大雨で、出鼻を挫かれたけど、それでもやっぱり、初めての北東北への旅行ということでテンション上がりっぱなしで、土砂降りの東北自動車道をひたすら北へ向かって走っていきましたわ。あぁ、はよ晴れてくれやって祈りながらね〜!
 埼玉の家から片道500キロのロングドライブ! 福島県に入ったぐらいで雨も小降りになってきたんで、紅葉の始まりかけた山の景色や、田園風景も見えて気分も上々で、めっちゃ気持ち良くなってきて、「晴れてたらもっと気持ちいいのになぁ?」って助手席に話しかけたら、もうすでに君は夢の中に行ってしまってましたねえ! 前の日までお仕事してて、さぞかしお疲れで、朝も早かったから仕方ないけどね~、それにしてもスゥスゥ〜と気持ち良さそうな寝息やねぇ!
 俺はしばらくひとりで、サザン聴いてイエーイ! ロンリードライブ! ゴーゴー!
 宮城県あたりで、君は一度目覚めて、ドライブインのトイレに行ったけど、あいかわらず眠たそうで、「ついに岩手県に入りました!」って言って教えても、「ふぁ~」って人間とは思えない返事を返してきたよね。
 高速を降りたんで、夢の中の君に「もう着くで!」って声かけたら「うん、あーよく寝た」ってなんやそれ。
 それから、あくびを噛み殺した寝ぼけまなこで、「もう着いたの? 意外と近くない?」やって! よう言いますわ!500Kmやで! と思ったけども、「そやな! 結構近かったわ!」って強がりな俺、男はつらいよ!ねぇ寅さん!
 「まだ雨降ってたんだ、わぁ! けっこうひどい降り方ねえ」って出発してからずっと凄い雨ですわ!
 それからも雨は降りやまず、最初の目的地の宮沢賢治記念館に着くまでひどい土砂降りやったなぁ。
 時刻はすでに午後二時を少し回っていて、俺はもう腹ペコペコで死にそうで、腹へったぐらいで死ぬかいなって、例えやがな、それくらい腹へってるってこと! 「着いたら昼飯にしような?」って、半分夢の中の君に聞いたら、「そうね、私もお腹すいたわ」ってか、寝てても腹へるんやねぇ? あーら不思議!
 やっとのことで宮沢賢治記念館の駐車場に着いて、車を降りたら目の前に"山猫軒"の看板があるやんか! 
 "山猫軒"って、賢治の『注文の多い料理店』の舞台になってる料理屋やんなぁ。店の外観も童話の中の絵そのままに作られてて、すっごいメルヘンチックで、気分も盛り上がったよね。「あぁ、やっと飯にありつける! 何食べようかなぁ! 山猫軒ってやっぱ洋食かなぁ?」とウキウキして店に入ろうとしたら、睡眠をたっぷりとって、お元気そうな貴方は、「映えるわ!ここ! ねぇ、写真撮らないと!」とかなんとかはしゃぎ出して、腹ぺこな俺は、ぎこちない作り笑いで写真に収まった。撮影会も終了し、やっとのことで店に入ると、まず、土産物売り場があって、その奥にレストランがあった。目を輝かせて土産物を漁ろうとする君を、俺は羽交い締めにしてレストランに連行しましたわ。
 「せっかくだから何か珍しいここでしか食べられないものにしようよ!」という君の提案で、花巻名物の「手作りすいとん定食」を注文することにしたんやけど、さっきから何べんも言ってますけど、「腹ぺこの俺」は、正直に言わせてもらいますと、チキンカツやら天ざる蕎麦にかなり魅力を感じてたんですう...。でも、「どこにでもあるからねぇ、ありふれたもん食べてもねえ」という君の提案に何の異論も挟まず、いや、挟めず? 賛同したわけですう。でも「花巻名物手作りすいとん定食」は、なかなかの出来で、味も良かったし、やっぱり君の提案は正解やったわ。うん、ほんまやで。まぁ、店の中は、普通の田舎のレストランみたい?やったかなぁ。山猫みたいなおばさんがいっぱいおったけど、えぇ!まさか!本物の山猫やったんか? そんなわけないやろ! でも、わからんで一匹ぐらいほんまもんの山猫がおったかも?
「キャアアア‼︎ 」って怖がってくれませんよね? それどころか君は、冷静な目で「えっ? そうなん?」って、まじで信じてるんか! もう俺の負けでーす!
 それから、食後にさっきのお土産屋さんで「アメニモマケズ」の巻き物を買ったんだよね。「アメニモマケズ」って、賢治が晩年に、手帳に走り書きしてたんやてな、晩年言うけど30代やで! 東に病気の子供あれば看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を背負い...やで! どんだけ人間できてんねん! まぁ、俺も今日はアメニモマケズ、岩手まで運転してきたけどね! えっ? そういうことじゃないって? 知ってるがな! 俺なんかまだまだ修業がたりまへんなぁ!
 山猫軒を出て、目の前にある宮沢賢治記念館に行ってね。いゃ~、びっくりしたわ! 賢治ってほんまにいろんなことやってたんやね。岩手を理想郷の"イーハトーブ"にするために、地元の人たちと農業の研究したり、実際に農業やって、作物作って、学校の先生もしてたり、ほんまに凄い人やったんやわ! 知らんこといっぱいあったわ! 「うん、凄いね、賢治って。いろんなことやってたんだね。」って、君も感心してたよね。その"イーハトーブ"やけど、岩手県を日本のドリームランドにしたかったらしいで、すべての人が幸せに暮らせる理想郷やって! どう思うサチは? そんなドリームランドなんてできると思うか? でも賢治さんも心象の中にあるって言ってるから、つまりは、心の問題ってことやろ? 君もなんかそんな風なこと言うとったやんなぁ? 幸せに感じるってことは、人それぞれやもんなぁ。ほんまに大きい事考えるわ、賢い人は違うなぁ。俺は、"サチといるだけでええねん。それだけでええねん" あぁ、恥ずかしいわ、もう!
 そんでやな、記念館な、新しくておしゃれで綺麗で、想像を超えて良かったよね。資料もいっぱいあって、じっくり見てたら2.3時間はかかるほど充実した内容やったよな。でもな、この記念館の最大のお目当ては、なんといってもミユも欲しがっていた"銀河を閉じ込めた水晶玉の指輪"だったんだよね。一つが、二千八百円してて、オォ!と思ったけど、この旅行のお目当ての一つやったから、奮発して君とミユの分二つ買ったんだよね。ちょっとどうしようかって迷ってたけどね? そらダイヤの指輪には敵わんけど、丸い大きな水晶みたいな玉の中に、銀河の星空が閉じ込められてるみたいで、キラキラ光ってて綺麗やったもんなぁ!
君も気に入って喜んでたし、買えてよかったわ。
 え~と、それからどうしたんだっけ?
---- たしか、それから、あれ? どうしたんだっけ? あ〜、なんか頭ボーとしてきた。なんかおかしいわ! サチは大丈夫か!

 ユウジは、頭を抱えて「あー、どうしたんだっけー」と考えていた。
 急に土と雨の匂いがして、真っ暗な闇に包まれていく感じがした。

*サチ 2時間後*

苦しい...。息ができない。あー、この腕は、ユウジ? 助けて! 誰か! 早く!

 ※ユウジ 2時間30分後*

それから...、あれ、なんか真っ暗やなここ... ... なんも見えへんし、なんも聞こえへんで?

 死の世界のような真っ暗闇の中で、目の前に白い一筋の光が射してきて、俺は誘われるように入っていったんや...、その光の中へ...。

 それから、俺たちは、そうや!童話村や! 童話村行ったんや! 
 あそこも、想像してた以上やったよな! 入り口んとこに銀河ステーションがあって、中入ったら、すぐに童話の世界で、森の中に光のオブジェ? ミラーボールの形の違うやつがいっぱいあって、面白かったなぁ! 妖怪の小径に森の小径か? 雨が降ってなかったら、もとよかってんけどしゃあないなぁ。それから、「賢治の学校」か、あの建物の中入るやつ! 最初の宇宙の部屋やったっけ? 幻想的やったよなぁ! 宮沢賢治って人は、文学に才能を発揮したけど、科学の方でもかなりのもんやったんちゃうか? 宇宙の部屋から空の部屋、水の部屋やったっかな? ところで"銀河鉄道の夜"は、悲しい話で終わってるけど、未完成なんやろ? カンパネルラが生きて帰ってきて、ジョバンニと仲良しに戻るってのはどうやろなぁ? やっぱりハッピーエンドな話がええんちゃうか? ええ? なんて? 俺が続き書いたらただのお気楽話になりそうやって? やっぱり今のままの余韻が残ってる感じが、なんとも言えん味があるんですかね、君は、どう思う? えっ? そうって? 声聞こえへんけど、たぶんそうやろ? わかるわ! それにしてもさっきから、サチ、なんも話さへんけど、大丈夫か? うん、俺もなんか頭ガンガンしてきたわ。ほんま、かなわんで、頭壊れそうや。あかん! あかん! 
 
 ユウジはそのまま闇に飲まれるように静かになった...。

 *サチ 3時間後 *

寒い〜、寒い〜、雨が、染みてくる。
このまま凍えて死んでいくの? ねぇ、ユウくん、助けて!

*ユウジ 3時間30分後 *

 あぁ、また真っ暗闇やんか...。なんも見えへんし、なんも聞こえへん。
 ...あれ? また、ちっちゃい、ちっちゃい微かな光がさしてきたわ...!

 あれ? ここはどこなん? 目蓋を開いて、あたりを見渡して見たが、自分がどこにいるのかよくわからなかった。目の前には、食べかけのチーズケーキと、飲みかけの冷めたコーヒー。
 もう一度、目を擦って、あたりを見渡してみる。
 部屋の奥に立派な暖炉があって、真ん中には年代物のピアノが据えられている。そのアンティークなピアノは、綺麗に磨き上げられていて、漆黒の輝きを放っていた。そして、その周りにそれぞれデザインが違う木製のテーブルが、店の壁面に沿ってバランス良く配置されている。壁は淡い茶色がかったアイボリーで、室内はオレンジ色の照明で仄暗く照らされ、BGMにはクラッシック音楽が流れている。
 そうや! ここは賢治にゆかりのあるカフェだったんや! たしか賢治と関係がある...なんて言ったっけ? 俺、いつの間にか居眠りしてしまっていたんか?
 俺は、今の自分が夢の中にいるのか、現実の世界にいるのかがわからなかった。すべてがフワフワしていて、何もかもがはっきり思い出せない。
 今日の朝早く、サチと二人で出発したんだよな? いや、それは間違いなく覚えている。そんでもって、山猫軒で飯食って、賢治の記念館行って... 童話村にも行ったんやったかな?
 俺は、記憶を辿りながら、のどが渇いて、目の前のコーヒーを飲んだ。そして、前の席に君がいない事に気がついた。トイレでも行ってるんかな? と思ったが、そこには、食べかけの皿や、飲みかけのカップもないし、人がいた形跡がまるでない。
 その誰もいなかったと思われる目の前の、"君のいるべき場所"を見て、俺は心の芯が凍るような寂寞感に襲われた。真っ白な雪原が地平線の果てまで続いていて、その真ん中に一人ぼっちで取り残されたような、果てしない孤独。その瞬間、寒気で武者震いして冷や汗が吹き出してきた。
 「サチ!! サチ!! どこいったんや!!」
 思わず大声で叫びながら、立ち上がり店内をもう一度見渡したけど、やはり、誰も、それどころか人っ子ひとりいない。そこには静かなクラシック音楽が流れているだけ。大人げもなく狼狽し、思わず大声を出してしまったことが急に恥ずかしくなり、何を慌てているのかと自分でもおかしくなった。
 腰を下ろして一息つき、もう一度記憶を辿ってみようと腕組みして目を瞑った。
「確かにサチと二人で車で出発したんだ。そうだよ、土砂降りの雨の中、東北道をぶっ飛ばして、サチはずっと夢の中でさぁ...。」
 ともう一度、今日のことを思い返していると、ふと、何かが前を横切った気配がした。「誰? 誰かいる?」驚いて目を開けると、店の入り口の方に女性の後ろ姿が見えた。
 「え? サチ? サチなのか?」大声で呼びかけてみたが、その誰かは、まったく反応せずに、そのまま店の外へと出て行ってしまった。
 慌ててジャケットとポーチを引っ掴んでと思ったが、何も見当たらない。仕方なくそのまま、君らしき後ろ姿を急いで追いかけて行った。
 このカフェはビルの2階にあり、1階はお土産売り場になっている。店のドアを開けて、階段を駆け降りて土産物売り場に入っていったが、そこには君の姿はなかった。店員が居ればと思って奥の方へ入って探してみたが、ここにも誰も見当たらない。そういえばさっきのカフェにも誰も居なかったけど、大丈夫なのかと思いながら、店の外へと急いで出た。
 店の前は、ロマネスク調の石柱が等間隔に立てられた石畳の歩道で、出てきたカフェの建物は、モダンな三角屋根のダークブラウンの欧風建築だった。正面玄関の扉には、教会みたいなステンドグラスが嵌められている。まるでこの辺りはイタリアかフランスみたい、どっかヨーロッパの裏通りのように見えた。
 「サチ〜! サチ〜!」俺は、カフェの建物の路地を片っ端から探し回ったんやで、でも、君はどこにも見当たらない。そして、ちょうどカフェの裏手辺りに出ると、そこは駐車場になっていて一台の車が止まってたんや。なんや、俺の車やん! そうか、サチは車に乗って待ってたんか!と思って、ホッとして、良かったと思って車に近づいていったんや。ほんだらなぁ、ほんだらなぁ! 車がさぁ、めちゃくちゃに壊れてんねん...、フロントガラスは、半分無くなってて、その破片が粉々になって車内に散らばってて、車体も前の方が、なんか大きな石で叩き潰されたようにぺしゃんこや! 
 「どないなってんねや! なんでこんな事になってんねん!」大声で叫んだけど、誰も返事してくれへんねん!
 ちょうど夕陽が沈むところで、オレンジ色の光が俺と、その車の壊れた車体を照らしてて、めっちゃまぶしかったわ...。
 悲しくてやな、もうなんか涙も出えへんかったわ。
 しゃあないから、さっきのカフェの前まで戻ったけど、誰もいない裏通りを秋風がヒュー、ヒューと通り過ぎて、辺りはもう夕闇に包まれてきてるんや、サチのいなくなった、ひとりぼっちの寂しさが込み上げてきて、どうしようもないくらい悲しい気持ちがしたわ。
 それから、もう一回、辺りの路地をしらみつぶしに探したんやけど、君はどこにも見つからんかった。それどころか、人っ子一人、誰とも出会わんかったんや。
 「おかしいな? カフェで目を覚ましてから土産売り場でも、この辺りの道にも誰一人おらんけど、おかしないか? まるで世界に俺一人になったみたいやんか!」
 路地にしゃがみ込んで、しばらくそこでじっとしてたんやけど、気がついたら、周りは、もうすっかり真っ暗闇になってたんや。ほんで、おまけに秋風の冷たさが心の中にまで滲みてきてやな、サチのいない寂しさが、込み上げてきたんや! なぁ、俺、どうしたらえんやろ?

 暗い闇がまたやってきて、俺を押し潰すように覆いかぶさってくる。またや、なんも見えへんし、なんも聞こえへん...。

*サチ 4時間後*

 ユウくん、大丈夫? 息ができない。このまま死んでしまうのかしら? どうしてこんな事になってしまったの?
 あれ? どうしたのかしら? ここは何処? もしかしたら今日行った林風舎の近くかな? 真っ暗であんまり見えないけど、だっ、だれ? そこにいるのは、だれ? えっ、ユウくん! どうしたの? 道端にしゃがみ込んで、もしかしたら泣いてるの?

 * ユウジ 4時間30分後*

 その時、パッ!と突然、辺りが明るくなった。
 ハッとして目を開けると、この路地に建てられたアンティークな街灯が、一斉に灯りを灯したのだ。
 俺は、その灯りを見て、寂しくて凍えそうな気持ちが少しずつ暖められていくようで、君の体温の温もりが、すぐ近くに感じられた。

 「ユウくん! どうしたの? 泣いてるの?」間違いなく君の声が聞こえた。
 「えっ? サチ?」
 俺は、びっくりして何も言えなくなってしまった。
 「ユウくんだよね? どうしたの、こんなところでしゃがみ込んだりして、私をほったらかして、どこに行ったのかと心配したじゃない!」
 君の言ってる意味がよく分からなくて、俺は、君を見つめているしかなかった。
 「ユウくん! 早く来て! 花巻の駅に行かなくちゃ! 列車が出ちゃうよ!」
 「どこに行くつもり?」と聞く間も無く、君は駆け出している。
 「ちょっ、ちょっと待ってえな!」俺は、急いで後を追って行った。真っ暗闇の中で、君が駆けていく方向に、まるで誘導していくように街灯が光っている。それはまるで銀河の星たちみたいに。「サチ! 待ってえな!」俺は、どうして君が駅に行きたいのかもわからず、ただ君と二度と離れ離れになりたくなくて、必死で追いかけていた。
 林風舎の前の路地を抜けて、少し大きな道路沿いに出た。夜空の下で輝いているのは、大きなスポーツ用品店の電飾看板で、その前にはだだっ広い駐車場が広がっていて、その向こうに小さな花巻駅が見えた。君がそっちに向かって走って行くのが見えた。
 「おーい! サチ! 何急いでんねん! そこで待っててや!」
 君は、こっちを振り向いて笑った?
 いや、違う、なんで! な、泣いてる!
 「どうしたん? 何で泣いてんの?」
 俺は急いで君に駆け寄った。
 「なぁ、サチどうしたん?」と言って君を抱き寄せた。けど、すり抜けた。
 君は、幻のように、この手をすり抜けた。そのまま、泣きながら駅の中へ入って行った。あぁ、なんで? サチ、お前どこ行くんや? 俺を置いて、また、どっかに行ってしまうんか!
 君の消えた後、辺りは、真っ暗闇に...、戻った。

 暗闇の中で固まって動けない俺は、君の後を追うことも出来なかった。

 * サチ 4時間50分後*

ユウくん! どうして来てくれないの?
二人でイーハトーブを探しに行くんでしょ? 早く! 早くしないとイーハトーブ行きの最終列車が出発しちゃうよ!

 *ユウジ 5時間後*

心地いい静かなメロディが滲み入るように聴こえてくる。俺は、目を開けて、辺りを確認した。目の前には、コーヒーと食べかけのケーキがある。オレンジ色の照明に照らされた室内。えっ?ここは、さっきサチがいなくなったカフェやんか、まるで時間が巻き戻ったみたいやなぁ。もしかして、俺は、ただ眠ってしまって、夢見てただけなんか?

 「ユウくん、コーヒーおいしいね! なんかすごく良い雰囲気だし、来て良かったよね?」
 君が、トイレから? 前の席に戻って来て、俺に話しかけてくる。
 なんか、変だよな? さっき俺は、たしか...、君がいなくなったんで、追いかけて行ったんだよな?
 「ねえ、このケーキは米粉でできてるんだって、しつこくなくてちょうど良い甘さで、すっごく美味しい!」
 君は、屈託のない笑顔で、何事もなかったように、話しを続けている。もうあの事は夢の中の出来事で、今、この君といる、君と過ごしている事が現実に違いない。俺はそう信じることにした。君がそばに居るんやから、もう、それでええやん、と思った。
 
 「ねぇ、ピアノの演奏会もやってるんだって! 聴いてみたいな! ほんと居心地の良いお店よね? 店員さんの応対も気持ちいいし、来て良かったわね。」
 君の言う通り素敵なお店だった。今日一日、花巻の賢治ゆかりのとこをいろいろ見て回ったけど、ほんまにええとこやなぁ、と思った。宮沢賢治の本読んで、なんか魅力的やし、その良さがわかったような気になっていたけど、岩手に、花巻に実際に来て、この空気、この街並みに触れてみて、ほんまの良さが体で感じられたと思った。
 花巻の街、ええとこやったな! 賢治の作品のイメージ? 空気感は、この街で作られてたんやなぁ!と、俺が言ったら、
 「うん、ほんとにそうね! ありがとうね、連れてきてくれて!」そう言ってくれたよね。俺もめちゃめちゃ楽しいわ!
 「ねぇ、今日の写真見ようよ! スマホ見せて!」君が言うので、俺は横の椅子の上のポーチからスマホを取り出した。さっきのあの時にはなくなっていたポーチやら上着が、そこにあるのを見て、やっぱりあの事は、眠ってしまって見てた夢やったんやと思った。
 スマホの中の今日撮った写真を二人で見て、美味しいコーヒーとケーキを味わいながら、楽しい時間を過ごした。
 「あ! もうこんな時間になってしもた。そろそろホテルに行かんとなぁ。」スマホで6時を過ぎてることを知って、そう言うと、君が「そうね、あっ、一階のお土産屋さん寄って行こうよ! それから、折角だから花巻の駅も見て行こうよ」と言ってきたので、「うん、そうしよか。」と言ったけど...、花巻の駅? 真っ暗闇の中を君が走って行く、花巻駅に向かって走って行く、そんな情景が浮かんできて、あの、さっきの悲しい気持ちが蘇ってきて、どうしよう、また駅行ったら、嫌なことが起こるんちゃうか?とどうしても考えてしまう。
 「花巻の駅って、なんかあるん? 行って何かおもろいんか?」って聞いてみたら、君は、なんて言うたと思う?
 「花巻の駅は行かなあかんねん!」
 サチは、君は、関西弁なんかしゃべらんやろ? なんかおかしいよな? でも、すごい決意で、「行かなあかんねん!」って言われたら、もう行くしかないやろ? そういうことで、カフェを出て、1階の土産品売り場で、賢治の本、童話のキャラクターの小物、ペン、コーヒーカップに「アメニモマケズ」の額縁入り模写もあったっけ? 花巻名産のお菓子にと、いろいろと物色してたら、店員さんが賢治の童話についての色々な話を教えてくれたり、「林風舎」の名前の由来は、賢治の童話の『北守将軍と三人の医者』のリンプー先生から取ってる事とか、ほんと親切に教えてくれた。
 君は嬉しそうに店員さんの話聞いて、「ねぇ、何買おうか?」と、すっかり気に入って、はしゃいでいる。
 何かええお土産ないかなぁと、探してたら、「銀河鉄道の蒸気機関車の切り絵」があって、君に、これにしよか?って言ったら、君も「私もそれがいいと思ってたの。」と言ってくれたんだよね。
 その「銀河鉄道の蒸気機関車の切り絵」は、黒い紙の切り絵で、ほんまにちっちゃいけど、細部までちゃんと作られていて、鉄橋の上を走っているところを切り取っている。先頭の煙突からもくもくと出ている煙までしっかり作られていて、白い台紙のケースで部屋に飾ったらええと思った。君が会計しているので、先に外で待つ事にした。
 外に出て、振り返ると「林風舎」の建物は、三角屋根の洋館で、玄関のドアにはステンドグラスがはめ込まれている。前の道路は、白い石畳が敷き詰められていて、ガス灯みたいな街灯が立っている。そのヨーロッパ風の景色を眺めていると、やっぱりさっきの事を思い出した。真っ暗な闇の中で、ひとりぼっちで寂しくて、悲しかったことを、でも、もう大丈夫や! 君と一緒や! 今日は旅行の一日目、まだ始まったばかりや。この旅行を、二人で楽しもうと、良い旅行にしようと心からそう思ったんや! 夜空を見上げると、満天にお星さまが満ちていたなぁ、キラキラと輝いていたお星さまのことは、忘れられへんわ!
 でも、その後、君と一緒に花巻の駅へ向かったんやけど、今度は、君は、走って逃げたりせえへんかった。逃げたり、走ったりせえへんかった、けど...。
 花巻駅の改札口を通ろうとしたんやけど、なんで? 君は、スーッと通ったのに、俺はなんぼどうやっても、あかんかった。通られへんのや! もう! なんでや! サチは、眩しい光の中へ消えていってしもた。

*サチ 5時間30分後*

あぁ、ユウくん! なんで一緒に来てくれないの? 一緒にイーハトーブって行きたかったのに。でも、イーハトーブって、見つかるんかなぁ? 
 イーハトーブって、理想郷? 
 どうしたら行けるの?   
 いや、ちがう!
 心の中にあるもの。
 イーハトーブは、心の中にあるもの。
 そう言ってたわよね?
 そうだよね?
 あなたと出会って、そして結婚して、いろいろ大変な事もあったよね? あなたともしょっちゅう喧嘩ばっかりしてたけど、今、振り返ると、楽しかった事はもちろんだけど、大変だった事も、いや、むしろ大変だったことの方が愛おしいの。ミユが生まれた時は、本当に幸せな気持ちだったし、もっとあなたと、そしてミユと生きていたい!  
 あぁ、早く、ここから助けて! お願いユウくん! 一緒にイーハトーブ行きたいの!

 *ユウジ 6時間後*

 何か君が呼んでる? そんな気がした。
 かすかな音に耳をすましていると、やっぱり君が、何か話しかけている。
 俺は、もう一度耳をすました。
 「ねぇ、どうして来てくれないの? ユウくん! 早くしないとイーハトーブ行きの列車が出ちゃうわよ!」
 確かに君の声やで! どっから聞こえているんや?
 俺は、自分がどこにいるのかもわからなくなっていて、頭が壊れそうに痛い! 目を凝らして前を見ると、君がこっちを向いて、手招きをしている。俺は、もう一度改札を通ろうとしたけど、やっぱり無理やった。気がついたら、君は見えなくなって、列車が発車してしまった。光に包まれたその、君を乗せた列車が、駅を出て行ってしまうと、そこには何も無かった。まったく何も無い。空っぽの暗闇になってしまった。
 そして...、俺は...、その場で意識を失って倒れ込んでしまった。

 *ユウジ 7時間後*

 そして、長い時間が過ぎたような気がして、頭も痛みが弱まって、ようやく眼を開けることができた。
 
 賑やかな声が聞こえている。ここはどこ? 大勢の人たちが、丸いテーブルを囲んで食事を楽しんでいる。ここは、たぶんレストラン?

 「ねぇ? 何にする? やっぱり盛岡冷麺だよね?」
 目の前には君がいて、笑顔で話しかけてきた。
 冷麺? たしか盛岡で冷麺食べたな。

 「ねぇ、ユウくん! 何にするの」
 君に早く決めてと言われて、まだ、少し頭がボーッとしている俺は、
 「えっ? ああ、そうか、何にしよ? ていうか、ここどこや?」
 「どこや? 盛岡冷麺の店でしょ!もう、あなたが連れてきてくれたんでしょ? ぴょんぴょん舎だっけ? びょんびょん? あれ、なんかそんな名前!」
 「ああ、ぴょんぴょん舎ね。うん、そうや、盛岡冷麺の名店のな。」
 またもや、何もなかったような君。その笑顔を見て、また、変な夢見てたんか、と思うしかなかった。
 
 「ねえ、岩手山っておもしろい形してるよね。あの麓に小岩井農場があるんだよね?」
 「うん、たしか、岩手山の麓にあるんやったな。」
 「ねぇ、盛岡の街って素敵ね。何か、音楽イベントみたいなのいろんなところでやってたり、アートの似合う街って感じ? 東京みたいにごちゃごちゃしてない落ち着いた街ね。」
 「あぁ、そうやなぁ、ええ具合に都会で、川があって岩手山の山並みが綺麗やし、俺も好きになってしもうたわ。」
 そうや、今日は盛岡城趾公園から始まって、市内をぶらぶら歩いたり、でんでん虫バス乗ったりして盛岡観光したんだっけ? 盛岡城趾公園も広くて綺麗やったし、見応えあったよなぁ! その後は、レンガ造りの銀行、盛岡銀行やったっけ? 趣きがあって良かったよなぁ、なんか市民のやるクラッシックのミニコンサートがあるって言うてたけど、時間がもったいなくって聴けなかったんだよね、ちょっと待ってでもきけばよかったかなぁ? あと、どこ行ったんやったっけ? イギリス海岸? そうや、何か寂しいとこやったなぁ、賢治が小さい時遊んだとこなんやて、それから光原社か! ちょっと遠かったから、けっこうな距離歩いたよねえ! 疲れたけど、やっぱ空気綺麗やし、街並みもいろいろ見れて面白かったよなあ、あの川、なに川か忘れたけど、橋の真ん中からちょうど真正面に岩手山が見えてなぁ! 綺麗やったよなぁ! 光原社は、賢治の『注文の多い料理店』の原本やら、いろいろ見れたしな。カフェはいっぱいで入られへんかったんは残念やったけど、しゃあないか、後は...、あっそうや! 福田パンや! コッペパンめっちゃ美味しかったなぁ!
 岩手は、美味しいもんもいっぱいあるもんなあ。このぴょんぴょん舎の冷麺も最高やね! 冷麺食べてこんな美味しいと思ったん初めてやわ。文句なしや!わんこそばに、岩手ジャージャー麺もあるけど冷麺にして正解ちゃうか! なぁサチ! で、その後、冷麺食べながら君が言ったんだよね。
 「ねぇ、小岩井農場も行きたいね?」って、そんで俺が、
 「今、何時や...。1時すぎか、大丈夫やろ、夜もやってるみたいやし、行ってみよか?」って言って、
 「うん、そうしようか!」という事になってなぁ、ほんまにあの時は、そう思ってたんや、夜もやってるってな、だってホームページに載ってんねんから、夜のライディングした、綺麗で楽しそうな写真が...。
 結局、二日目の午後は、いろいろ手作り体験ができる工房が揃ってる"手作り工房村"と予定にはなかった小岩井農場へ行くことにしたんや。
 美味しい冷麺を平らげて、スケジュールが決まって、急がんとあかんで!って、会計の伝票引っ掴んで立ち上がろうとした。
 その時、グラグラっと床が揺れた!
俺は立ち上がれなくて、その場に倒れてしまった。

 「何? 何が起こったんや?」
 地震か? でも君は、平気な顔で歩いて行く。
 「あぁ! サチ! また置いて行くんか!」

*サチ 7時間30分後*

あー、もうダメかな。息ができない。
ユウくんがプレゼントしてくれた、この岩手旅行、楽しかったなぁ。宮沢賢治のイーハトーブに行ってみたいって言ってたの覚えていてくれたんだね。
 もう助からないのかな? 私たち...。
 ねぇ? 賢治の『シグナルとシグナレス』っていうお話し知ってる? わたしが大好きな素敵なファンタジーなの。
 離れた場所に立つ鉄道の信号機の二人が、愛し合うようになって、一緒になりたいと願うんだけど、周りに邪魔されて、思いを遂げられなくて、諦めかけるんだけど、それを見て心配してくれていた車両倉庫さんが、二人を一緒にしてくれるの。そして、綺麗な月夜に二人でデートするのね。そして、永遠の愛を誓い合うのよ、素敵でしょ。でもね、夜が明けて、朝が来たら、また、何もかも元に戻っていて、結局、それは一夜の夢だったってお話しなんだけど、でも、一夜でも夢が叶った二人は、本当に幸せなんじゃないかと思うの。二人が愛しあってることを確かめられて、一緒に過ごせたんだもの! ねぇ、ユウくん、大好きよ! だから、死にたくない! ユウくんも死なないで! もう一度、一緒にどこか行きたい! シグナルとシグナレスみたいに素敵な時間を過ごしたいの! 最後のお願い! 夢を、この願いを叶えてよ! 
 あー、苦しい、早く助けて...。
 ユウくん、死なないで!

 *ユウジ 7時間後*

 「ねぇ、ねぇ、あなた! 信号変わってるよ!大丈夫?」
 大声で呼びかける君の声で、俺は気がついた。どうやら俺は、運転中に意識を失っていたようだ。
 「あっ! ごめん!」と言って車を急発進させる。
 「あなた、大丈夫? 疲れてるんやないの? 少し休んで行こうね。」
 君にそう言われて、それもそうかと思い、路肩に車を止めた。
 「ユウくん、昨日の朝から長距離運転して、今日も結構な距離走ってるから、疲れたんでしょ? 少し休んで寝たら?」
 「うん、そやな。」
 「私、そこのコンビニでコーヒー買ってきてあげるから、少し休んでて」
 「あ、うん、ありがとう」
 俺は、君にいわれたとおりに、少し休む事にした。
 君は、いつもこうして俺に優しくしてくれて、結局、俺はその優しさに甘えてきたんやなあ。君がいたから、俺は今まで頑張って生きてこれたんや。なぁサチ、俺でよかったんか? こんな俺といてよかったんか? なんであの時、俺を選んでくれたんや? こんなダメな俺を。かっこいい先輩じゃなくて、こんな俺を...。
 
 *ユウジ、サチ 8時間後*

 「何? 私のこと呼んだ?」
 「あれ? 帰ってきたんか。俺また夢見てたんかなぁ?」
 「え~? どんな夢見てたの?」
 「いや~、うん、ないしょやそんなもん。」
 「何それ? 言えないような夢見てたの? いやな感じ! ところで大丈夫? 少しは良くなった?」
 「あぁ、ちょっと寝て、気分よくなったような気がするわ。」
 「ほんとに? 小岩井農場行ける?」
 そうや、小岩井農場行くとこやったんや! 俺はすっかり忘れていた。
 「大丈夫やで、行きたいんやろ? 俺も行きたいねん。せっかくここまできたんやから、行ってみよう。」
 という事で、小岩井農場へと車を走らせた。
 しばらく走ると、「小岩井農場入り口」の看板が見えた。という事はもうすぐかと思っていたら、左右に広大な農地が広がっていて、その真ん中をひたすらまっすぐな道が続いている。とにかく広い! 草や木々の緑が眩しくて、「うわぁ! なにこれ! めちゃくちゃ広い! こんなの初めてだわ!」と君は大感激してたよね。俺もそのスケールの大きさに圧倒されて、早く入りたい一心で車を走らせた。しかし、時刻はもう5時を回っていて、宵闇が濃くなってきていた。入り口は、まだか、と焦りながら車を走らせるが、なかなかたどり着かない。両側にただひたすら広大な緑が一面に広がっているだけだ。10分、いや20分も走っただろうか? ようやく駐車場の入り口が見えてきた。その頃には、辺りはすっかり真っ暗になってしまっていた。
 ちょっと不安がよぎったが、俺が見たホームページの写真には、夜にライティングして営業してるのもあったし、絶対、夜もやってる。と信じて車を降りた。しかし、真っ暗闇のだだっ広い駐車場に車は、俺たちの一台だけで、さすがに嫌な予感がしていた。君はというと、もう完全におかしいと思ったのか苦笑いを浮かべながら「ねぇ、絶対やってないよね?」と聞いてきた。意地になった俺は、駐車場の端っこに明かりが灯ってるのを見つけて、
 「そんな事ない!あそこやってそうやんか、行ってみよ。」と君を、促して走って行った。
 そこは、お土産や農場で生産した製品の売店だったが、そこにも全くお客さんの姿はなかった。
 俺たちを、びっくりしたような顔で見ていた店員さんに「あの、農場入れますか?」と聞くと、
 「えっ? あぁ、もう終わりました。ここもあと15分ほどで閉まります。」とちょっと引き気味に言われてしまい「ですよね~、こんな真っ暗な農場に入れるわけないじゃないですか! ねぇ~?」と笑いで誤魔化して退散し、君にも「やっぱり、もうやってる訳ないじゃん! 店員さん、びっくりしてたよ!」と言われて、ハイ、おしまい...かな?
どっちにしてもあんな真っ暗闇の農場はいってもなんにも見えへんし、下手したら馬に蹴られてお陀仏ですわ。
 イルミネーションは、この時期は、やってないんかな、一緒に見てみたかったなあ! なぁ、サチ?

 *ユウジ 8時間10分後*

なぁ、サチ! 
 なんぼ呼んでも返事がないやんか! 
 大丈夫か? 苦しいんか?
 俺がいるから大丈夫やぞ! 
 これはサチの手か? 
 まだ暖かいやんか!
 さあ、手握ってるから、大丈夫や!
 イーハトーブ見つけなあかんのやろ!
 二人で見つけに行こう!

 *サチ 8時間10分後*

 これは、ユウくんの手? 
 あぁ、死なないでユウくん! 
 真っ暗で、それに息ができない、
 ここは、土の中なのね。
 あぁ、ユウくん! 死なないで!
 わたしの手、離さないでね!

 あぁ、ここが土の中じゃなくて、
 空の上ならいいのに...。

 銀河鉄道に乗って、空を飛びたかったわ、二人でね。あぁ、お願い! 二人を助けてください! 神様! 私たち、いっぱいお祈りしてきたよ! 御朱印帳3冊? もっとあるかも? ユウくんもわたしも神社やらお寺巡るの好きだから、そりゃ御朱印目当てかもしれないけど、ちゃんと心を込めてお祈りしてたよ!だから、お願いです! 神様助けて!

 *ユウジ、サチ 8時間15分後*

「あれ? サチかな? この手、この温もり、そうだよね! さぁ、しっかり! 今から、二人で力合わせて、こんな土の塊なんか吹き飛ばすぞ! そんで、空の上に出掛けるぞ!」
 「ユウくんなの! ほんとに! 空の上に連れていってくれるの? ヤッター!わたし絶対手を離さないわ! さぁ、早くいきましょう!」
 俺たちは、気がつくと、二人で手を繋いで、小岩井農場の売店の外にいた。
 そう、せっかく来たのに農場に入れなくて、がっかりしているところだ。
 はい! ここから始めるで!
 「サチ! 一緒にイーハトーブ行くで!」

 「イルミネーションやってるみたいな写真載せるから、てっきりやってると思ってもうたわ」
 「あわてんぼうやね! 店員さんがびっくりしてたよね? こんな真っ暗闇の農場入ったら、牛さんに襲われるね。また今度、またね、来たらいいやん」
 「あーあ、入りたかったなあ! しゃあないなぁ、帰るか」
 あきらめて車に向かおうとした、その時、真っ暗な空から、何かがこっちに向かってやって来た!そして、物凄い突風で吹き飛ばされそうになって、俺は、咄嗟にサチを抱きよせて地面に伏せた。
 何か物凄い轟音とともに、巨大な物体が、俺たちめがけて飛んでくる! 眩い光を放ちながら!
 ヴォーン! キィーン! プシュー!
 その物体は、俺たちの目前で停止した。俺は、顔を上げて、その物体の正体を確かめようと目を凝らしたが、凄まじい砂煙でよく見えない。
 「こいわいすていしょーん! こいわいすていしょーん! お乗りの方はお急ぎを! えー、すぐに発車となります、お乗りの方はお急ぎを!」
 砂煙が収まって、その眩しい光を放っている物体をよく見ると、なんと!それは、蒸気機関車のようだった。
 「えっ? なんで? こんなところに機関車が?」
 「ねぇ! この形って、林風舎で買った"銀河鉄道の機関車の切り絵"じゃない?」
 君に言われてみると、確かに、あの切り絵の銀河鉄道の機関車の形だった。
 「そこのお二人さん、急いでください!」車掌?らしき男に声を掛けられて、「えっ?俺たちのこと?」と戸惑っていると、君が本当にうれしそうな笑顔で、「ねぇ、乗ろうよ!」と俺の手を引っ張って行く。びっくりして、でもなんかワクワクして、俺は、君と一緒にその機関車に乗り込んだ。

 車両には、俺たちの他には誰もいない。一番前のボックス席に二人向かい合って窓側に座る。
 ヴォーン、ヴォーンと警笛が鳴って、車掌さんの「出発進行!」の声で、列車は動き出した。
 「ところでどこ行くんだろ?」君に聞いてみたが、景色を眺めるのに夢中で、返事がない。
 「うぁー、すごい! 空を飛んでるよ! もうさっきの売店があんなに下に見えるわ!」
 君のその声で、俺も外を眺めてみると、確かにこの列車は、空を飛んでいる! 売店がみるみる小さくなっていくのがわかる。でも、夜だからほかには何も見えない...? と思っていたら、おびただしい数の星たちが、一斉に輝きを増し、お月様も太陽のように明るくなった。
 「ねぇ! みんな踊ってるよ! 楽しそうだね!」君は、窓から飛び出してしまいそうな勢いで、身を乗り出して、動物たちのショーを見ている。
 「ユウくん、私を連れてきてくれてありがとう! この旅行とっても楽しくて、ずっとこのままどこまでも行けたらいいのにって思うくらいなの。ユウくんと一緒にね! どこまでも、いつまでもこうしていたい!」
 「本当に! 俺もだよ、サチ! 今日まで俺といてくれて、ありがとう!」
 お月様が見ているのは、わかってたけど、俺は、君を抱き寄せてキスをした。数えきれないほどの星たちが、二人を祝福しているように、また一段とキラキラと輝き出した。
 俺たちを乗せた"銀河鉄道の機関車の切り絵"は、イーハトーブの夜空を旋回して、農場の動物たちのショーを見せてくれている。
 「ねえ? 私と一緒になって良かった? なんて聞いてもちゃんと答えないんでしょ? いっつも冗談で誤魔化すんだもん!」
 「え〜、そんなこと言うてもなぁ。恥ずいやん。何、その顔? 怒ってんのか? もう、しゃあないなぁ、"お前と、一緒になって最高やで、俺は世界一の幸せモンやで!" これでええんか?」
 「もう、またそんな言い方するんやから!」
 「ほんまやんか、ほんまやで!」
 
 「ええ、ゴホン! お楽しみのところ申し訳ありません。そろそろショーは終わりにして、次の駅に向かいます。よろしいですか?」車掌さんが、申し訳なさそうに言ってきた。こいつ、ずっと見てたんか?
 「ありがとう!こんな素敵なショーを見せてくれて、さぁ次に向かいましょう!」君は、にっこりと笑って答えて、「車掌さん、次はどこに行くの?」と聞くと、「銀河ステーション」と言う。「なんか本物の銀河鉄道に乗ってるみたいやなぁ!それで、どこまで行くんや?」俺がふと思って聞くと、車掌は「行きたいところまで行くのです」となんかわかったようなわからないような答えだ。
 「そうよ、いつまでも、どこまでも行けるはずよ!」君は全部知ってるような言い方をした。
 列車は、星の煌めく夜空を走って、いや、飛んでか? 銀河ステーションへと向かった。

 * ユウジ、サチ 9時間後*

「お二人さん、お腹が空いているのではありませんか? 銀河ステーションまで一時間ほどかかりますので、その間、食堂車で何か召し上がってはいかがですか?」
 車掌さんにそう言われて、俺もサチもちょっとお腹空いたなぁと思ってたので、言われた通りに食堂車に行ってみることにした。
 そこは、高級なフレンチレストランのように、車両自体も少し違った内装になっていて、木目を上手く活かしたダークブラウンの壁で、天井には、王宮にあるような豪華なシャンデリアが吊るされていた。テーブルは、ゆったりと間隔を空けて、1両に6席しか置かれてない。赤いテーブルクロスが、シャンデリアの淡いオレンジ色の照明に映えている。席について、フレンチディナーのコースを注文した。
 「ねぇ、見て!岩手山が綺麗よ!」君に教えられて窓の外を見ると、何故か、秋晴れの空で、岩手山が白い雪を纏って堂々とそびえ立っていた。これは、俺がネットで見たまんまの景色や! さっきまで夜やったのに、夕陽が綺麗? どうなってんの? でも理想的な "思った通りの" 景色やね!
 「美味しいね! 前菜のサラダも、ポタージュも! メインはお肉かしら?」サチは、幸せな笑顔で、料理を楽しんでいる。
 「メインは、牛肉の赤ワイン煮やって! 岩手に来て正解だったよな。こんな楽しい旅行になって。小岩井農場にも頑張って来てよかったわ、ほんまはイルミネーションは、11月からしかやってないらしいで、ナイトクルーズなんかないのに、俺たちのためにやってくれたんやって、めっちゃラッキーやで俺たち!」
 「ユウくんが一生懸命、良い旅行にしようと、私を喜ばせようと考えてくれたからだよ! ありがとう!」
 俺たちは、これ以上ない、"思った通りの"料理と素晴らしい景色で、至福の時間を過ごしていた。
 「ミユは、東京で頑張ってるみたいやけど、ええ会社見つかって良かったなぁ」
 「そうよね、あの子は、頑張り屋さんだから。でも、一人暮らしは初めてだから、慣れるまでは、大変だと思うけど、まぁ、彼氏が近くにいるから、良かったんじゃない?」
 「彼氏? 嗚呼、なんかおるらしいなぁ、知らんけど」
 「知らんけどって、関西人しか言わないらしいけど、一応知ってるけど責任取りません、みたいな感じ?」
 「知らんけどは、知らんけどや、それ以上でもそれ以下でもないで」
 「うーん、よくわかりません」
 なんか取り止めのない話をしてたら、1組のカップルが入ってきて、俺の真正面のサチの向こう側のテーブルに座った。かなり年配の夫婦のようだ。俺たち以外にも客がいたんやと少し意外やったけど、まぁ、考えたら俺たちだけっていうのもおかしいかなと思った。
 俺は、サチにどうしても聞きたい事を、この際やから、聞いておこうと思った。なんとなく二人の雰囲気もええし、今なら聞けるかなと思ったんや。
 「あのなぁ、ちょっと聞きたい事があんねんけど、ええ?」
 「うん、何?」
 「俺と付き合う前にな、吉田先輩もサチにアタックしてたんやって? あんなかっこええ先輩やなくて、なんで俺を選んでくれたん?」
 「何それ? 今ごろですか? もうそんな昔の話どうでもいいでしょ!」
 「えっ! でもずっと引っかかってんねん! 仕事もできて、次期課長、将来の部長って言われてて、イケメンのあの先輩を振って、なんでこの俺を選んでくれたん?」
 「もう、好きだったからに決まってるでしょ! なんか抜けてて、世話焼いてあげないと、危なっかしい感じがして、でも明るくて皆んなに好かれてるところ? とにかく、一緒に居たら楽しいかなって思ったの! もう、いいでしょ!」
 「そっかあ、好きやったんや!! 聞いて良かったわ! ありがとう!」
 「でもいろいろ大変でしたけどねえ〜、結婚してみたらねえ、思ったようには行かないわよね。」
 「ちょっと待って! その前に、聞き逃すとこやったけど、"なんか抜けてて"って言わへんかった?」
 「そんな事言わへんで〜」
 「なんやその下手くそな関西弁は、まぁええわ。そんなにすきやったん?」
 「もう! 知らないで〜す!」
 「俺は、サチの事大好きやったんや。先輩が奪いにきても、絶対渡さんわ!」
 「もう、そんな事言って、こんなとこで、恥ずかしいからやめて。」
 「あぁ、他に客いてたんやな」と、その老夫婦の方を見ると、かなり年配のご様子で、ご夫婦とも80才は超えてるように見えた。旦那さんの方は、結構いかつい顔してて、どっかの偉い先生って感じがした。
 「あのご夫婦どうしたんだろうね? 結婚記念日かなにかかしら?」ミユも興味深そうにしてる。
 「なんかあの旦那さん、怖そうやな?」
 「そうね、学校の先生でもしてたのかな?」
 二人でそんな風に話をしていたら、その老夫婦の旦那さんの方が、突然、「オイ!」とかなり大きな威圧的な声で、ウエイトレスを呼んだ。あれ?ウエイトレスいたんだ。今まで車掌さんしか見てなかったけど。
 「なんかメニューがさっぱりわからん! ちょっとつまみたいだけだから....、サンドウィッチかなんか持ってきて」とメニューに無いものを頼んでいる。
 「えっ? サンドウィッチですか? 少々お待ちください」ウエイトレスも困惑して、一旦下がっていった。
 うわ!面倒くさい奴!と思って見てたら、ウエイトレスがまたやってきて
 「サンドウィッチですが、ハムサンドでよろしいですか?」と聞いている。「いいよ!早く持ってきて!」何という傲慢なジジイ! メニューにないものを作ってくれるというのにお礼も言わずに、当たり前みたいに、早よ持ってこいかよと思っていると、サチもこっちに目配せして、苦笑いしている。
 そのハムサンドも無事やってきて、俺たちのテーブルにメインディッシュの赤ワイン煮が運ばれてきた。その後も、その旦那さんは、ウェイトレスを呼びつけて、何かと注文つけていたが、サンドウィッチも食べ終えたのか、にこやかになって、奥さんと談笑していた。
 「ねえ、ユウくん! この旅行プレゼントしてくれてありがとう!」サチが、少し酔ったのか、頬を赤らめて、そんな事を言ってくれた。
 「ええ? 何? 当たり前やん、今まで苦労ばっかりかけてなぁ...。でも、俺もちょっとは出世して余裕? みたいなんが出てきたんかな? まぁ、出世いうても安月給やけどな。」
 「本当やね。家計は、相変わらず苦しいけどね。でもこうやって二人で、たまに旅行できるくらいの余裕は、出来てきたね。」
 「あっ、家計は苦しいんやな、まだまだ頑張りま〜す! だから、これからもよろしくお願いします。二人でこれからも、いっぱいいろんなところ行こうな!」
 本当に楽しい旅行に出来て良かったと心の底から感じて、サチのことが愛おしくて、いつまでも一緒に生きていきたいと思っていた。でも、いつか離れ離れになってしまうんやないかと、何故かめちゃくちゃ不安な気持ちになっていた。
 だから...サチの手を握りしめて、「好きやで」と言おうとした...、その時、突然、聞こえてきたんや、それは... ...、
 
 「バラが咲いた、バラが咲いた、真っ赤なバラが、淋しかった僕の庭が明るくなあった、バラよ、バラよ、小さなバラ、いつまでもそこに咲いてておくれー」
 えっ? 何? 誰が歌うてんの? 
 俺たちの、他には、あの老夫婦しか居れへんけど...。
 なんと、ジジイが、いや老夫婦の旦那様が、大声で、朗々と「バラが咲いた」を熱唱し始めたのだった。
 俺たちは、最初、え?となにが起こっているのか、理解できなかったが、延々と続く熱唱に、思わず笑顔になってしまい、二人で見つめ合うしかなかった。そして、窓の外を見たら、真っ赤なバラが一面に咲き乱れていた。
 「どうしたの? 一面バラで、映えるわ!」ワインでほろ酔いのサチが、窓にへばりついて微笑んでいる。ちょっと怖いわ~! 真っ赤なバラの花園を通り過ぎると、次には、真っ白なバラが、これまた一面に咲き乱れていて、「今度は、真っ白!めっちゃ綺麗!」サチは、窓に顔を押しつけて大喜びで、「鼻、潰れてまうで!」と言っても見惚れて聞こえないみたい。ジジイ、じゃなくて旦那様もそのバラの花園に見惚れながら、ノリノリで歌い続ける。そしてその後、もっと思いがけない展開が待っていた。なんと、「バラが咲いた」が二番に入るところで、奥様が、一緒に歌い出したのだ。
 「バラが散った、バラが散った、」旦那も嬉しそうに一緒に歌い出す。
 「いつの間にか僕の庭は、前のように淋しくなった。僕の庭のバラは、散ってしまったけれど... えーと?」
 「お父ちゃん、忘れてしもうた?」
 「待て! あっ、思い出したぞ!
 けれども、やな、淋しくなったけれど、いや、淋しかった僕の心にバラが咲いた、バラが咲いた、バラが咲いた、僕の心にいつまでも散らないバラが咲いた~」奥様も合わせるように
 「バラが咲いた~」そして、大拍手!「お父ちゃん、上手ですわ! さすが!」
 二人の微笑ましいやりとりに、なんか知らんけど、あっ、また知らんけどが出てしもたけど、なんか、涙が出てきて止まらんわ! 君も笑いながら泣いていたよな。
 「私たちもあんな風になれたかな? ねぇ、ユウくん、なれたよね? ずっと仲良しで暮らせたよね。」
 君の顔が、涙でいっぱいの笑顔が、かすんでいく。段々と見えなくなっていく...。
 「バラが咲いた、バラが咲いた、僕の心にいつまでも散らないバラが咲いた」仲良し老夫婦の大声の歌も、段々小さくなって、聞こえなくなっていく...。
 
 沈黙が支配した真っ暗な闇がやってきて、全てのものに、この世界の全てに覆いかぶさっていく。
 
 息ができない... 息ができない...
ユウジ!大丈夫? サチ!大丈夫か?

「もう今さら、どうしようもないけど、もっと、ちゃんとすれば良かったと思う事がいっぱいあるわ。
 プロポーズの言葉は「絶対、君を幸せにします」やったのに...。
 ダイヤの指輪なんて買ってあげられへんし、安月給やから、家のこともミユのことも全部任せてなぁ。結婚してからは、喧嘩ばっかりして、悲しませてなぁ。
 ミユが生まれた日、仕事で失敗して、すぐに駆けつけてられへんで、やっと駆けつけたのに、結局、上司に呼びつけられて...、ほんま最低の旦那やなぁ?
 あぁ、もっと優しくすれば良かったわ。こんな事になるなんて、考えられへんやん。サチ、君はずっといてくれると思ってたんや、俺の隣に、ずーっと、おるもんやと...。なんの確証もなく、ただ、君はいるもんだと、いなくなるなんて考えもしなかった。君がいないと、いないと、なんもできへんのに、なーんにもちゃんとできへんのに。ほんま、俺はどうしょうもないアホやな。」

「こんな事になって、あなたのこと、ほんとに好きなんだってわかった。
 私は、あなたの大きな手の中で、守られて生きてきたのね。たぶん、あなたは優しいから、私が弱音吐いたり、辛くて、後ろ向きなことばっかり言って困らせた時、叱ってくれたんだよね、「あかんで、しっかりしろ!そんなにくよくよしてもしゃあない!」ってね。
 そして、何も聞いてないようなふりして、冗談いって笑かしてくれたんだよね。なによ、ちっとも優しくしてくれないし、仕事ばっかりして、かまってくれないなんて思って、わがままばっかり言って、困らせて、ごめんね。ユウくん、あなたと一緒に生きてきて、幸せよ。だから、ずっと一緒にいてね! 死なないでね!」
 
 *ミユ 10時間後*
 
東北道の大規模崩落事故現場です。事故から、すでに3日が経とうとしています。生存者の命のリミットとされる72時間が、まもなくやってきます。ご覧のように、かなりの量の土砂が、いまだに残されたままです。今までに10名の方々の死亡が確認されており、さらに、この土砂の下には、多くの車両が埋まっているものと見られます。現場では、このように懸命の救助活動が続けられています。
 ミユは、テレビから流れてくる絶望的な状況に、耳を塞ぎ、顔を覆ってただ泣くばかりだった。事故のニュースに嫌な予感がして、サチとユウジの携帯に連絡したが全く繋がらず、居てもたってもいられなくて、会社を早退して実家に来てみたが、案の定、出掛けていて不在だった。それから3日間、両親からの連絡を一人で待っている。明日には、彼氏の車で現地に行くことにしている。
 「大丈夫、お父さんもお母さんも運がいいって言ってたもん...」自分に言い聞かせてみるが、涙が出てきて止まらない。
 「明日ごめんね。ほんとに一緒にいってくれるの? うん、ありがとう」
 彼氏と電話している、その時、テレビ画面に速報が流れた。

 "東北道崩落事故現場で新たに男女二人が発見されました"
「ごめん、今、速報が入ったの、また、後で掛け直すわ!」ミユは、慌ててチャンネルを切り替えて、新しい情報が流れてないか探した。すると、ニュース番組で、ちょうど現場からのレポートをしているところだった。

 「発見された二人は、男女で、折り重なるようにして土の中に埋もれていたとの事です。今のところ、生死は判明しておりません...」

 * サチ、ミユ 4390時間後*

 「お母さん起きた? 今日は、病院行く日だよ。パン焼けてるから、早く食べよ!」ミユは、なかなか寝室から出てこない母が心配でならない。あの忌まわしい事故から、もうすぐ2か月経つ。二人は、東北道を走行中に、崖崩れに巻き込まれて土砂の下敷きになったのだ。奇跡的に母は、生きて救出されたが、父は、帰らぬ人となってしまった。大好きだった父を亡くして、ミユも悲しくて、悔しくて毎日毎晩泣き続ける日々だった。でも、やはりそれ以上にショックを受けたのが、言うまでもなく母親のサチだった。まったくベッドから起き上がれず、入院生活が続いた。その間は、ミユも会社を休んでつきっきりで看病を続けて、ようやく事故から1か月経った頃に退院し、家に戻ることが出来たのだ。
 「ごめんね、いつも。早く食べて支度しないとね。」
 珍しく元気そうにしている母を見て、ミユは少しホッとした。今はミユも実家に戻って母と一緒にいるようにしている。実家からは遠いので、会社はしばらく休業することになった。事故は大きなニュースとなり、会社もなにかと気を遣ってくれて、ゆっくり休んで戻って来れば良いと言ってくれていたが、だからといって、そんなに長い間は甘えていられないと思っている。
 サチも、いつまでもミユに迷惑はかけられないと頭では、わかっているのだが、体がどうしてもいうことをきかないのだった。長い時間酸素不足となっていたので、下手をすれば深刻な後遺症が残ってもおかしくはなかったが、幸い脳や内臓などに異常は見つからず、医者からは、PTSDの症状が強く残っていて、少しづつ回復していくしかないと言われている。
 二人で簡単な朝食を摂っていると、サチが、遠い目をしてつぶやく
 「お父さんが、言ってたのよね、イーハトーブに一緒に行こうって...。」
 「そう、良かったね。じゃあ、それまでにお母さんも元気にならないとね!」
 「そうね。一緒に行けないものね、こんなんじゃね。」
 最近は、お父さんと約束したとか、二人で夢を見ていたんだとか、毎日の同じようなことを繰り返し話している。ミユは、話を合わせて聞いてあげるが、そんな母を見ていると、本当に可哀想で、元気になんて戻れないんじゃないかと思ってしまう。
 「さぁ、お母さん時間が無いわ、病院に行かなくちゃね。着替えましょう。」
 とにかく今は医者の言うことを聞いて、少しずつ前向きに治療していくしかないと思っていた。

 *ユウジ 4390時間後 *

 この店のコーヒーで俺の一日が始まる。そして、毎朝、今日が最後になることを祈る。けど、目が覚めたら、いつもここに居る。なんでやねん?
 ここで、美味しいコーヒーと米粉でできたチーズケーキを食べて、サチと話したことを思い出して、そうや、「店出たら、ちょっと下のお土産屋さん寄って、それから、せっかくやから花巻の駅も見ていかない?」って言うてたんや。だから、絶対に花巻の駅におるはずやねんけど...。
 美味しいコーヒーとケーキ頂いて、お土産屋さんに顔出して、でも、サチは居ない。そして、石畳の歩道を歩いて花巻の駅へ向かう。JRの花巻駅は、ほんまに小さい駅やけど、なんかレトロな感じが好きや。10分ほど歩いて、駅に着くと、だいたい10時ごろになる。待合室に入ってベンチに座ると、改札から出てくる人は、全部見えるし、後は、ひたすら待つだけや。昼飯は、いつも近くのコンビニのおにぎりか、カップラーメンや。このルーティンをもう何回繰り返してんのか?  
 もう桜の咲く頃かもなぁ? 最近、めっきり暖かくなってきたしな。
 あっ! 列車着いたで! 今度こそ降りてこいよ! サチ! 待ってんで!
 待ってるねんで、俺は、ここで...。
 いつまでもな!

 * サチ、ミユ 4550時間後*
 
「ねぇ、お母さん、今日の夕飯何にする? 明日、私もお休みだからお酒飲みたいなぁ! 焼き鳥とかおつまみになるもの買って帰ろうか?」
 「そうね。ミユの好きなものでいいわよ。私も、久しぶりに飲もうかな。」
 「ええ? 大丈夫? ちょっとならいいか、お医者さんに止められてる訳じゃないしね!」
 あの事故から半年が経つ。サチは、この頃、ようやく笑顔がら見られるようになってきて、少しづつ前に進む気力が出てきているように感じられる。ミユは、やはり中途半端な形で会社を休むのも迷惑がかかると思い、休職届を出して、一年間は母のそばで一緒に暮らすことにした。サチは、大丈夫だと言ったが、どうみても一人で生活できる状態ではなかった。そして、ミユの協力もあって、サチも随分と回復することができていた。
 今夜は、久しぶりに二人で晩酌をしながらおしゃべりをして、これからのことなどを話すつもりだった。そして、お父さんのことを思い出しながら...。

 「ねぇ、ほんとにもう大丈夫なの? あんまり無理しない方がいいよ! 私は、あと半年休むことに、なったんだからね...、お母さん、あれ? な〜んだ、もう寝ちゃったのか...。」ミユは、すぐにでもまた働き始めたいという母のことが心配だった。ミユが休職して面倒みてくれていることに気兼ねしているのではないかと思うのだった。
 振り返ればこの半年間は長かったようであっという間だったような気がする。
 二人が土砂の中から発見されて、病院に運ばれた時は、本当にこんな事が自分の身に降りかかって来たことが、現実として受け止められず、ショックより先に、何が何だかよくわからない状況だった。
 それから、父の死を知らされて...。
 父は、神戸市生まれの関西人で、会社の転勤で東京に来て、母と知り合った。埼玉に一軒家を買って、私が生まれて...、当たり前みたいに幸せが続くと思ってたのに...。
 
 二人を救出した自衛隊のレスキューの人が落ち込んでる私に、話してくれた。

 「真っ暗な闇の中で、雨も降っててね、もう今日の救出は諦めようかと思っていた時に、土砂の山の中で、キラキラする小ちゃな光が目に入って、おやって思って、その光の辺りの土を掘ってみたら、それは、お母さんの手だったんだよ。えっ! 人がいる!って皆んなを呼んで大急ぎで助け出してみたら、お母さんの顔を上から守るようにしてるお父さんが見つかったんだ。お母さんは、お父さんの胸の下の隙間があったから、息が出来て助かったんだと思うよ。お父さんは、自分の命をかけてお母さんを守って、救ってあげたんだと思う。」

 父は、周りに気を配れるような人じゃなくて、前だけ見ていつも突き進んでいる人だった。そんな父の抜け落ちたところをしっかり塞いであげて、変な方向へ行きそうな時は、軌道修正してあげて、いつも寄り添っているのが母。二人は、私の小さい時は、喧嘩ばっかりしてたけど、この頃はとっても仲が良くて、私から見たら理想の夫婦だった。父はいつも、何があっても落ち込んでるところを見せなかった。失敗しても、嫌なことがあっても、何くそ!と歯を食いしばって、踏み止まり、新しい道を見つけてくる。だから、メソメソしてる、クヨクヨしている人間が大嫌いで、私が、学校で嫌なことがあったり、受験で失敗して落ち込んでた時も、能天気な顔で「何泣いてんねん!アホか!次頑張ればええやんか!」とか「泣いても始まらんぞ!泣いたらあかん!」って言ってきて、あの時は、ウザい!って思ったけど、その後、泣いてるのがバカらしくなって、父を見返してやりたくて頑張ったりして、結局、良い方へ転がって言ったような気がする。そんな前向きな父の最後が、こんなことになるなんて、今でも信じられない。でも、死ぬまで父は、諦めなかったらしい、そして、最後に母の命を救ってあげたんだ。

 「あぁ、ごめん、眠っちゃったみたい。」サチが目を覚ました。ミユが、真っ赤な目をしてこっちを見てる。
 「どうしたの? 怒ってる? ごめんね。ひとりで寂しかったの?」
 「何それ? もう私、今年で24ですよ! 子供じゃないんだから!」
 「親にとっては、いつまでも子供なのよ。」
 「そうじゃなくて! 今、お父さんのこと思い出してたの!」
 「そうなんだ...。お父さんが「ただいま!」って帰ってきたら良いのにね。そこの戸を開けてね。そしたら、もっと楽しくなるのにね...。」
 「お父さんって、面白くって、いっつも冗談言って、嫌なことやら、悪いことでも笑い話にして、だから、こんな悪いことが起こるなんて思いもしなかったのに、バッカみたい! なんで死んじゃったのかな? ほんと、バッカみたい!」
 「ミユ! お父さんをそんな風に言わないで。あの事故だって、お父さんが人を助けようとして、それで巻き込まれてしまったのよ。お父さんが、他の人と一緒のように見て見ぬふりして通り過ぎてたら、助からなかった人の命が、お父さんの勇気で、助けられたの!」
 「えっ? 何それ? 崖崩れに巻き込まれたんじゃないの? 事故のこと正直言うと怖くて、私、詳しく聞いてないんだよね。」
 「お母さんたちが、高速道路を走ってたら、前の方で大きな音がして、なんだろうと思って徐行して走ってたら、車に落石が直撃してたの。辺りの道路にも土砂が散らばってて、走ってる車は、危なくて徐行しなきゃならないほどだったのよ。それなのに、前を走ってた二、三台の車は、そのまま通り過ぎてしまったの。その事故にあった車の横を通る時によく見ると中に人がいるのが見えて、それでお父さんは、車を端っこに止めて、その人のところに様子を見に行ったの。私も、すぐに付いていったのね。それで、その車の中の人を、ガラス窓を割って、なんとか外に出してあげて、ホッとしてたら、そこに上から土砂が大量に落ちてきてしまったの。」
 「それで、二人とも埋まってしまったんだ。」
 「そうみたい...。あっという間のことで、その後のことは、まったく覚えてないの...。でもね、前もミユに話したけど、お父さんと一緒に空の上でデートして、夜空いっぱいの星がキラキラ輝いてたのを覚えてるの。それでね、お父さんが、イーハトーブに連れて行ってあげるからって約束してくれたのよ。」
 
* ユウジ 8749時間30分後*

 今日もまた始まったで、新しい一日が!って、空元気出すのも、もう飽きたわ。 あぁ、もう山肌は、赤や黄色の紅葉の絨毯やで、ということは、もうすぐ一年かいな? 何回おんなじこと繰り返してんねん! ほんま、いやんなっちゃった! いやんなっちゃったあ〜! 
 サチ、早よ帰って来やへんかなぁ!
 もう昼やんか! しゃあないなぁ、いつものコンビニでおにぎり買ってくるとするか。
 「はい、おにぎり二個、日高昆布とシャケな。気を利かして、お茶も買ってきたからな。もう今日で最後やで」
 突然話しかけてきたおっさんに、何がなんやらわかりませんが、昼飯買ってきてくれたんか?
 「あの~、俺に話しかけてるわけ? あんた誰?」
 「せっかくお昼買ってきてあげたのに、なんやねんその言い草は! ワシのこと覚えてないんかい!」
 「はあ、どっかでお会いしましたでしょうか?」
 「もう!しゃあないなぁ! "こいわいすてーしょん"! "銀河鉄道の機関車!車掌! まだわからんか!」
 「ええ!あの時の車掌みたいな人?そんなダサい茶色のセーターに、センスの悪いダボダボの作業着みたいなズボン、それに頭はげてるし、全く別人やで!」
 「腹立つなぁ!思いつく限りの悪口並べやがって! もうええわ! サチさんに会わせてやろうと思ってたんやけど、やめとこ!」
 「ええ! 今なんて言いました? サチに会わしたる? 何それ? あなた何もんや? なんでそんなことできるねん?」
 「アッ! またそんな風に言いましたね。じぁ、もういいんですね? サチさんに会いたくないんですね? わかりました。はい、さいなら!」
 「ちょ、ちょっと待ってえな! 会いたいに決まってるやん! 毎日毎日、ここで待ってんねん、会えるまでな。この気持ち、あんたにわかるんか?」
 「ほんだらな、素直になって、会いたいです! お願いします! 会わせてください! って言えばええんちゃう?」
 「ところで、あんた関西弁喋ってたっけ?」
 「はあ? こっちかっていろいろ状況見てキャラ作ってんねん。TOPをわきまえてや!大変なんやぞ!」
 「あの、TOP? それも言うならTPOですよね~?」
 「もう、めんどくさ! 腹立つわ! もう、めんどくさいから、さっさと済ますわ! あの、あと5分もしたら改札口からサチさん出てくるんで、お話しでもなんでもどうぞ、あ、でも、いろいろ決まりがあるねんけど、どうしますう? 聞きはりますう? お願いですから教えてくださいって言うたら、教えてあげてもええけどお。」
 「えー! サチが? あと5分? ほんまやろなぁ! ほんで、何? 決まりって? もうサチに会えるんなら、なんでもするから、教えてえな!」
 「お願いしますって言え!」
 「なんやねん、威張りやがって! 小学生か! ちぇ、むかつくけど、しゃあないなぁ、お願いしま〜すう〜、教えてください〜や、これでええやろが!」
 「おまえこそ小2みたいやぞ! それ人にものを教わる態度ちゃうで! う〜ん、もうええわ、早よ済まして帰りたいしな。この紙に書いてあるさかい、よう読んで、決まり破ったら終わりやからな! はい、これ渡したで、確かに渡したで! はい、お仕事おしまい! 後は、帰って、飯食って、へ〜こいで、寝るだけ〜! ほな、さいなら!」
 渡された紙切れを確認する間もなく、おっさんは、煙のように消えてしまった。
 
 ほんまなんやねん、あのおっさん、ムカつくわ! 俺は、なんかおちょくられただけかも、と思ったが、念のためにその渡された紙切れを読んでみたんや。

 読んでみて、あまりにも腹立つんで、くしゃくしゃにして、道に投げ捨てたんや!

 なんで書いてあったかって?
 ほんまムカつくわ! その紙切れにはなぁ、ちきしょう... ...!

 * サチ 8749時間40分後*

 あの日から一年経ったなんて信じられないわ。わたしの時間は、あの日で止まったままなのに。あぁ、どうしてあんな事になっちゃったのかな。あの時、事故現場を素通りしてたら、見て見ぬ振りして通り過ぎてたら、二人の時間が続いてたのに...。
でも、ダメね。そんな事してたら、その後、ずーっと後悔することになってたよね。あなたは、そんな事できる人じゃないもんね。そんなあなたを、わたしは、好きになっちゃったんだものね。
「はなまき〜、はなまき〜、次は、はなまきに止まりまあ〜す」
 ユウくん、着いたわ! もうすぐ会えるよ! 待っててね!

 * 花巻駅 8750時間後 *

サチは、久しぶりの花巻駅を見て、やはり涙が溢れて止まらなくなってしまった。「ユウくん、どうしてここにいないの。」 10月14日結婚記念日。でも一人で歩いてる。泣かないと決めていたのに、花巻駅や花巻の街の風景を見た途端、思い出が胸に迫ってきてどうしようもなかった。このまま歩くのは無理だと思い、駅前のバス停のベンチで休む事にした。
 「お母さん! どうしたの? 大丈夫?」声を掛けたのは、ミユだった。
 「ミユ、もう来てたのね。やっぱりダメみたい。思い出すと悲しくて、悔しくて、涙が止まらないの。」
 「そうよね。事故の後、初めてだもんね。花巻の街はね。思い出しちゃうよね。」
 ミユは、サチの横に腰掛けて、優しく肩を抱いて、一緒に泣いた。
 駅前のベンチで、二人の女が肩を寄せ合って泣いている光景は、行き交う人々の目を惹きつけてしまう。誰もが好奇の眼差しを向けながら、通り過ぎて行く。
 そんな中、一人の男が駅舎の建物に隠れながら、二人の事をジーっと見つめていた。
 「ねえ、お母さん、お父さんと回ったところを訪ねてみたいんだよね。辛くない? 大丈夫? 本当に行けるの?」
 「うん、こんなところで泣いていたら変に思われるよね。それに何のためにきたのかわからなくなっちゃうわ。お父さんと約束したんだもんね。さぁ、行きましょう。」
 「そう、でも無理しないでね。」
 二人は、ゆっくりと立ち上がって、歩き出した。その時、二人を見つめていた男も二人の後を追うように歩き出していた。
 
 * 林風舎 8750時間30分後*

二人がまず最初に訪ねたのは、林風舎だった。サチとユウジが一年前、旅行の初日の最後に訪れた場所だ。
 「ここで私は、紅茶と米粉のシフォンケーキを頼んで、ユウジはコーヒーとチーズケーキを頼んだのよ。一年振りに食べたけどやっぱり美味しい。」
 「本当ね、美味しい! それに落ち着いた雰囲気で、とっても良いお店ね!」
 「賢治の写真が飾ってあるこのお店で、こうしてお茶してると、あぁ岩手のイーハトーブってあったんだって、しみじみ感じるの。ユウくんと二人でここにいて、あの時は本当に...、しあわせだった...。」サチはまた耐えきれずに涙をこぼしてしまった。
 ミユは、母の父に対する深い愛を目の当たりにして、温かい気持ちが心に広がって行くのを感じるとともに、父の不在が、心に空いた大きな穴となって、現実として重くのしかかって、母の悲しみの大きさをひしひしと感じた。そして、二人は、どうしても悲しみに包まれてしまい、あまり話もできず、サチは、心の中のユウジと会話しながら、ミユは、父の思い出に浸りながら、クラッシック音楽のBGMの中で、ゆっくり流れる時を過ごした。
 「お母さん、この後はどうするの? 賢治の記念館に行ってみる?」
 「うん、あぁ、もう1時間も経っちゃったのね。そうね、行きましょう。」
 二人は、林風舎を出て、賢治の記念館に向かうことにした。

 * 林風舎の前 8751時間30分後*

 林風舎の建物を出て石畳の細い路地を歩いていると、サチは、ここでユウジが蹲っていたのを見たような気がした。それは、確かな事のようにも思えるし、また、現実ではない、夢の中の出来事ようにも思える。
 ただ、「あの時ユウジは悲しそうな目をして、私のことを探していたと言った。」その事は、何故かはっきりと思い出すことができた。
 そして、もしかしたら今もまだ探しているのかも、この辺りで、私のことを探して彷徨っているのかもと、ありもしないことを考えてしまうのだった。
 「お母さん、ハイヤー呼んだから、駅前まで戻って待ちましょう。」
 ミユは、もうすっかり大人になって、私のことを気遣ってくれている。サチは娘の成長が頼もしく思えた。
 「ありがとう、ミユ。今日は一緒に来てくれてありがとうね。」
 「何言ってんの、私も来てみたかったの。お父さんとお母さんが回ったイーハトーブにね。だから気にしないで。それより急がないとハイヤー来てるかも、ねぇ母さん、早く行きましょ!」
 「あっ、そうね。急ぎましょう。」
 二人は、花巻駅前まで早足で戻って行った。
 
 * 花巻駅前 8751時間40分後*

 「あれ? いないわねぇ? まだ来てないのかしら?」ミユは、駅前のロータリーに着いて、ハイヤーを探したが見つからなかった。二人で待つことにしてベンチに腰掛けていると、そこに一人の男が近づいてくる。さっき駅前で二人を見つめていた男だ。その男は、二人に背後から近づき、サチに話しかけた。
 「こんにちは! 星野幸子さんですか?」
 突然後ろから話しかけられて、びっくりしたサチは、一瞬ギョッとして、男から逃げるように離れながら、後ろを振り向いた。「えっ? 何? どなたですか?」ミユも誰なの?と思いながら怖い目で男を睨みつけている。
 「あっ! ごめんなさい。突然話しかけてびっくりさせて、私、ハイヤーの運転手です。サチさんにミユさんですよね?」
 「はい、そうですけど...。あの〜、お車は?」
 「いやあ、今ちょっとお手洗いに行ってまして、すいません、そこの駐車場に止めてあります。」
 「わざわざ駐車場に?」
 「あぁ、ちょっとばかし時間が空いちゃって、駐車場で仮眠してたんです。さぁ、こちらです。どうぞ!」
 サチとミユは、男に促されて、車に向かうことにした。
 「今日は、一日よろしくお願いします。夜10時頃までなら大丈夫ですから、どこでも行きますんで、へっへっへっ。」
 ミユは、愛想が良すぎて少し気持ち悪かったが、悪い人ではなさそうに感じたので、まぁいいか、と自分を納得させて車に向かった。
 車に乗り込んだ二人は、まずは、宮沢賢治記念館に行くようにと依頼した。
 「宮沢賢治記念館ですね。承知いたしました。それから申し遅れましたが、私、今岡勇二と申します。改めて今日一日よろしくお願いします。」
 「えっ! ユウジ? なんで?」サチは、びっくりしてつい大きな声を出してしまった。
 「あ、すいません。なんか変な名前で、あっ、ちがうわ、ど、どうしましたか? 名前が何か変ですか?」
 「いえ、その、知り合いと同じ名前でしたので。びっくりしてしまって...。」
 「あっ、そうですか、旦那さんと同じ名前でしたか。」
 「えっ! どうして知ってるんですか?」
 「えっ、あっ、しまった! いや、なんでもないです。なんとなくそうじゃないかなぁと...。すいません。」
 サチは、運転手の今岡さんの言い方が、ちょっと気になったが、まさか、あの事故のことで自分の顔が知られてしまったのか? と考えてみたが、いや、やっぱりそんな訳ないだろうと思い直したりしていた。
 「運転手さん、一年前の東北道の事故をご存知ですか?」ミユが突然、事故のことを運転手に尋ね出した。
 「ミユ! どうしたの? いいじゃないのそんな話。」サチは、関係ない人間と事故の話などしたくないと思っていたので、びっくりしてミユを止めようとしたが、ミユはやめなかった。
 「運転手さん! どうなんですか?」
 「あっ、いや、事故? 一年前...。なんか崖崩れがあったんでしたっけ? 詳しくは知らない... です。」
 「私たち、その事故の遺族なんです。今日は、母が亡くなった父と巡った所をもう一度訪ねてみようということで来たんです。私たちはのことわかっていただけますよね。今日一日よろしくお願いします。」ミユの真剣な表情を見て、運転手の今岡は耐えられず、目を逸らした。そして、何も言葉が出てこなかった。
 「ミユ、変な子ねぇ。すいません、今岡さん、そんなこと気にして頂かなくてもいいんですよ。ほんと、関係ないんですから...。」
 「あぁ、なんてこった! 死んじまったんか! ちきしょう! ほんとに死んじまったんかいな!」
 突然、泣きながら大声を出した今岡を、サチとミユはびっくりして呆然と見つめていた。
 「あっ、いや、なんでもないです。ごめんなさい! 運転に集中しないとね。」
 ミユは、変な人だなと思いながら、なんか親近感を感じている自分のことを自分でも理解できていなかった。サチも、この人すごく優しいんだなと好印象を抱くようになってきていた。
 「はい、記念館に着きました。ここで待ってますので、ごゆっくり見学してきてください。」今岡にそう言われて、二人は車を降りて行った。

 * 宮沢賢治記念館前 8752時間10分後*
 
 今岡は、降りて行った二人の後ろ姿を見ながら、悔しくて、情けなくて、やりきれなくなった。
 「やっぱり俺は死んだんか。いや、信じられんけどな。サチ、あぁ、俺はここにこうして生きてるのに、これは仮の姿なんか。正体がバレたらもう二度と会われへんのか。サチ、もう一回ちゃんと話してみたいのに...。」今岡、いやユウジは、目の前にいるのに、すぐ前にいるのに、サチとちゃんと話しができないもどかしさで、気が変になりそうで、涙が溢れて止まらなくなって、ハンドルに突っ伏して泣いていた。
 「あの紙切れに書いてあったことは、ほんまやったんや。あぁ、神様! あぁ!」
 「おい! お前! 何考えてんねん! 何が今岡勇二や! なんでそんな名前名乗っとんねん! バレたら終わりやぞ! わかってんねやろなぁ!」
 突然大声で怒鳴られて、びっくりして助手席の方に目をやると、なんとそこにはあの車掌のおっさんが座っていた。
 「ギョエ! なんで! なんでおんねん!」
 「何びっくりしとんねん! 俺も別に来とうて来とるんちゃうわ! お前あの【告知文書1125369】読んだんやろなあ! ほんまに世話やけるやっちゃで。」
 【告知文書1125369】何それ? そんなたいそうなもんやったんか? おっさん、ペラっと渡しただけやったやんか!ただの紙切れかと思とったわ。一応読んだけど、納得できへんから破って捨てた。」
 「えっ? 今、なんて言いました? マジ? タダで済むと思ってないやろなぁ? 神様の告知文書やで! あぁ、お前やばいで!」
 「なんか怖いんですけど! 脅迫ですよね? それ?」
 「あのなぁ、神様からの温情で、今あなたは、サチさんと再会させてもろうてんやろ? これはなぁ、凄いことやねんぞ! そやから、ちゃんと約束守ろうや! しゃあやいなぁ、もう一回これ渡すから、もう一回これちゃんと読んで、ここで誓約してもらわんと、俺帰られへんわ。なぁ、はい、これ読んで!」
 ユウジは、おっさんに渡された紙切れじゃなくて【告知文書1125369】を、渋々受け取って読んだ。

    【告知文書 1125369】
             神様の代理

あなたは、すでに死んでいます。早く天の国へ行かないと、そのままずっと彷徨うことになります。それは、神様に迷惑をかけることになり、絶対許すことはできません。

 ただ、あなたは、最期の時、自分の命を人命救助に捧げようとした。その勇気は賞賛に値します。最後に好きな人に会えるのは、神様の温情です。

 1.他人の姿に変身する。
2.正体を絶対に明かさない。

上記の条件を守ること。それ以外には条件は無いから、最後に愛する人と再会させてあげましょう。

万が一、約束を破った瞬間、また守っても、タイムリミットである今日が終わった時、つまり明日が来た瞬間に、あなたは、神様に召されることになります。
                以上


 「もう!何回読んでも一緒や! 変わってないわ! 俺やっぱり死んでるんか? 死んでるんやて! 知らんかったわ! 彷徨い人になる〜 って時をかけるおっさんか! 神様に召されるって、マジですか? 今日が最後やって! サチと約束したこと守るために、一年も待ってたのに、あぁ、なんも知らんと待ってる方が良かったわ。」
 「とにかくそういうことやから、今岡ユウジなんて、バレる可能性のある名前名乗りやがって、ヒヤヒヤしたわ。ところでなんで今岡?」
 「そらぁ、好きやから今岡が。当たり前やろ。」
 「えっ? もしかして今岡誠? 好きなん! 阪神ファン? 誠ファン?!」
 「おっさん、何喜んでんねん? だから、そうや言うとるやろ。阪神ファンやし、今岡誠大好きや。」
 「うほー! そうか! 気が合うやん! あっ、なんの話やったっけ? そうや、ユウジって、無いでそれは、まぁ、もう名乗ってもうたからしゃあないけど。
今からは、バレんように気つけてや!」
 「ハイハイ、わかりました。あっ、それから、聞きたいねんけど、この人命を救ったって俺のことやろ? 俺なにしたんやった?」とユウジは、もう一度、告知文書なるもんを見て、おっさんに尋ねようとしたが、また、煙のように消えてしまっていた。
 1時間ほどして、サチとミユが車に戻って来た。「お待たせしました。すいません。」サチが、気を使って声を掛けてくれる。「いえいえ、仕事ですから、どうでしたか? ゆっくり見れましたか?」
 「一年前も来たんですけど、またいろいろ新しい発見がありました。前の時よりゆっくり見れた気がします。ねぇ、ミユ、良かったよね? 」
 「うん、宮沢賢治さんの凄さがわかりました。」ミユは、初めてでいろいろ見れて、勉強になったみたいだった。
 「ところで、運転手さんは、お昼どうされるんですか? よかったら一緒にどうですか? 山猫軒で食べませんか?」
 「えっ? 良いんですか? ちょうどお腹空いたなぁと思って...。」
 ということで、思いもよらない展開で一年振りにサチと山猫軒でご飯食べることになった。ラッキー! あっ、またおっさんに怒られるかな?
 
 * 山猫軒 8753時間10分後*

 「今岡さん!おすすめメニューは何?」ミユは、何かわからないけど他人と思えないものを感じて、今岡ユウジと名乗る、今日会ったばかりの運転手さんに馴れ馴れしく話しかけていた。
 「すいません、急にそんなことねぇ。今岡さんは、この店は、よく来られるんですか?」サチは、ミユを、嗜めながらも、どことなくユウジと同じ匂いを感じる今岡に、悪い印象を持つ訳もなく、それどころか好感さえ抱いていた。
 「えっ! あっ、そうおすすめねぇ。私も実は、一回しか来たことなくて...。
この花巻名物のけんちん汁定食が美味しかったですよ。」
 「えっ! 私も一年前には、それを食べたんです。美味しいですよねぇ。」
 「そうですよね。私も妻に勧められまして、せっかく来たんだから名物食べようなんてね。」
 「じゃあ、やっぱりけんちん汁定食にしましょう。」サチは、そう言いながら、何故かユウジといた一年前に戻っているように感じて、嬉しくて、でも悲しくて、涙が溢れて、止まらなくなった。
 「あ! ごめん! 思い出させてしもうたやんなぁ? あの、俺、やっぱりカツ丼にするわ。ごめん! 泣くなや! 頼むから、泣くなや!」そう言いながら大粒の涙をポロポロ流している今岡を見て、サチもミユも呆然としている。
 「今岡さん、大丈夫ですか...。そんなに涙流して...。優しいんだね。」
 ミユにそう言われて、ユウジは、思わず抱きしめたくなってしまったが、正体がバレたら終わってしまうと思い、堪えていた。
 結局、サチとミユは、けんちん汁定食で、今岡は、カツ丼を頼むことにした。
 「今岡さんは、関西出身ですよね。」
ミユにそう言われて、しまったと思ったが、もう遅かった。「いや〜、も 何年経っても関西弁が抜けまへんわ。あっ、また関西弁出てもた。」
 サチもミユも、ユーモラスなしゃべりで、知らず知らず笑顔になってしまう。
 サチは、まるでユウジと話しているみたいで、ユウジが生き返って目の前にいるようで、悲しみを忘れてワクワクしてくる感情を抑えきれなくなっていた。そして、つい、ユウジのことを話し出した。
 「今岡さんにこんな話しても面白くもなんともないと思いますけど、一年前の事故で夫を亡くしまして、今日は、もう一回、二人で行った場所を回って、ケジメって言うと変ですけど、忘れられないけど、これから生きていくために、夫のことを弔うこともありますけど、なんて言うか...、とにかく前に進むためにも、夫の愛してくれたことをもう一度、確かめてみたいと思って...、来たんです。」
 「お母さんとお父さん、すっごく仲良かったんですよ!」ミユがサチを茶化して笑った。
 今岡は、涙が溢れるのを必死で堪えて、なんとも言えない、泣いてるのか笑ってるのか、わからない変な顔で聞いている。
 「夫との旅行では、この後、童話村に行ったんです。それから、一年前は、二日目に盛岡を回って、最後に小岩井農場に行ったんですけど、夜になってしまって、中に入れなかったんです。それでね、今岡さんにお願いがあるんですけど、今から小岩井農場へ行ってくれませんか?」
 「えっ? 今から? お母さん、いいの? 童話村とか行かなくて? それに盛岡は、明日電車で行くんじゃなかったの?」ミユが怪訝そうな顔で聞いている。今岡は、サチの気持ちが良くわかっていた。それは、たぶん今日が10月14日で、あの時の二人で行けなかったことがあるから、今日どうしても行きたいのだろうと。
 「いいですよ。そうと決まったら、早く食べて出発しましょう。」今岡の返事を聞いて、サチは、目を輝かせて頷いた。
 
 * ハイヤーの中 8754時間30分後*

「お父さんはね、崖崩れで落ちてきた大きな石の直撃を受けてしまって、それでね、発見された時には亡くなってたの。」ミユが一年前の事故の状況について話し出した。
 「そうなんですか。それは、本当に残念でしたとね。」今岡、いや、ユウジは、自分の死という現実を、素直に受け入れることは、出来なかったが、どういう風に死んだのかを知りたいと思った。
 「お母さんは、救助していただいた方が言ってたんだけど、お父さんに守られてたのよ。ねぇ?」
 「そうなんです。私の上に覆い被さって、私は、ユウくんと私の間のわずかな空間があったから、窒息せずに、長い時間生きていられたみたいなんです。」
 「それからね、発見されたのもお父さんのおかげかもって言ってたの。その方が言うには、発見できたのは、真っ暗闇の中で、キラキラと光るものが目に入って、それで、「何だ、あそこに何か光ってるぞ!」ってなって、それで、そこに人が埋まってるって、わかったらしいの! それがね、これ、これが光ってたのよ!」
 ミユが、運転しているユウジの顔の前に左手を突き出してきた。
 「この指輪なのよ! これが、これをしたお母さんの手が、土から出てて、それではっけんされたの! それがね、そのお母さんの手を、お父さんが掴んでたの。すごいでしょ!お父さんが、お母さんの手を、土の外に出してくれてたのよ!もう少し発見が遅れてたら、お母さんも危なかったって言ってたから、お母さんが生きて助かったのは、お父さんのおかげなのよ!ねぇ、お母さん?」
 サチは、もう耐えられない様子で、下を向いて、嗚咽を漏らしながら、うなづいている。ユウジは、初めて事故のことや、発見された時のことを聞かされて、とんでもない大きな事故だったんだと知った。そして、自分は、死んだんだとはっきりと自覚することになった。
 「その指輪は、"銀河を閉じ込めた水晶玉の指輪"って奴ですよね?」
 「そう、そうなんです! これでお母さんは、助けられたんです。」
 「よかった! 高いけどミユとサチの二人分買っといて正解やったわ!」
 「えっ? 今岡さん、今、なんて言いました?」
 「あっ、な、なんでもないです。その指輪は、記念館で売ってるんですよね?」
 ユウジは、また、変なことを口走ってしまい慌ててしまったが、ほんとうにそんな奇跡みたいなことが起こってたのかと、あの指輪が、サチを助けてくれたのかと、その真実に感動して、その言葉がつい口に出てしまったのだった。
 「お母さんは、一か月入院してて、退院してから、お父さんの葬儀を済ませたの。お父さんの棺に、この指輪を一つ入れたんです。ねぇ、お母さん? 約束したんでしょ? お父さんと。」
 ユウジは、約束と聞いて、何か引っかかって「約束?」っと思わず聞いていた。
 「えっ? あぁ、あの時は、なんかそんな気がして...、今は、はっきりとわからないんだけど、土の中で、いろいろな夢? 幻想? のようなものを見た気がするんです。」サチが、遠い出来事を思い出すように話し出した。
 「その夢の中で、私とユウくんは、銀河鉄道に乗ってたんです。空の上から、イルミネーションのショーを見たり、銀河の綺麗な星たちを眺めたり、レストランでお食事したり、なんか、そのレストランで、素敵なおじいさんとおばあさんのご夫婦に出会ったり、それが、ユウくんとの最後のデートだったんです。それで、最後にユウくんが、言ったような気がして...、その...、約束してくれたような気がするんです。はっきりと覚えてないんですけど...。」
 「"1年後の結婚記念日にも、ちゃんとプレゼントあげるから、ここで待ってて" だよね? だから花巻に来たんだよね?」
 「そうなんです。でも夢の中身をはっきり覚えてなかったし、なんかそんな幻みたいなものを信じられなくて、自分は、頭がおかしくなったんじゃないかって思ったりして、でも、ずっと気持ちがモヤモヤしてて、そんな時に、ミユが行こう! 行って確かめればいいじゃん! 一緒に行ってあげるから! って言ってくれて、それで、花巻に来たんですけど、どこに行けばユウくんに会えるのか、分からなくて...、林風舎なのか? 花巻の駅なのか? 記念館なのか? それが、さっき山猫軒で今岡さんとお話してる時に、不意に、思い出したんです! あぁ、銀河鉄道に乗ったのは、小岩井農場の"こいわいステーション"だったんだって、はっきりと思い出したんです。」
 「それで、急に小岩井農場に行きたいって言い出したんだ!」ミユが、納得したようにサチを見た。「だけど、何でだろうね。今岡さんと話してて思い出したなんて、今岡さんって、お父さんさん? だったりして!」この無邪気な性格は、やっぱり俺に似たのかな?と思いながら、"バレたら終わり"という誓約を思い出して、ヤバイ!と思って「何を言ってはるんですか? お嬢さんは! おもろいこと言うなぁ。」と茶化して誤魔化そうとした。
 「そうよ、失礼なこと言うもんじゃありませんよ。」サチが、ミユを嗜める。
 ユウジは、心の中では、そうだよ!お父さんだよ! と叫んでいたが、そんなこと言えるわけがない、出来るだけ長くこの時間を続けるためには、誓約を守るしかないのだった。それから、サチの話を聞いて、自分が何で、1年も花巻でサチを待って彷徨っていたのかが、はっきりとわかったのだった。それは、"サチとの約束を果たすため"だったのだ。
 それからもサチは、夢で見た話を聞かせてくれた。サチが好きだった『シグナルとシグナレス』の話をユウジにしたことや、ユウジが、イーハトーブは心の中にあるって言ったことや、小岩井農場に着くまでの間、楽しそうにずっと話して聞かせてくれた。
 「あっ!もう7キロで小岩井農場だって! もうじき着くわ!」ミユが看板を発見して言った。子供の時に戻ったように、無邪気な笑顔になっている。そして、あの時と同じように、見渡す限りの緑の牧草地が広がっている。約束を果たす場所に間もなく到着だ!
 
 * 小岩井農場入り口 8757時間後*

 小岩井農場に到着して、二人は降りて行った。サチが「ユウくんも入りたかっただろうなぁ。二人で来たかった...。」と言って、泣き出した時、ユウジは、もういいから、ここで本当のこと言ってしまおうかと思ってしまった。しかし"約束"を叶えないと、サチとの"あの時の約束"を叶えないと、死んでも死に切れないって思った。死んでもって、もう死んでるねんけどね。サチもミユも「今岡さんは、どうしますか? 一緒に行きませんか?」と言ってくれたが、こっちは、それどころではなかった。「ホンマは行きたくてしゃあなかったんやけど...。行ってしもたら、何もできへんで終わってしまう。まぁ、それはそれで楽しいと思うねんけどなぁ...。さぁ、早よせな、やっぱりあいつに頼むしかあらへんがな!」と頭の中は、どうしたら約束を守れるかでパニックになっていた。
 ユウジは、その頼みの綱の"あいつ"、神様の代理と言っていた、あのおっさんが絶対現れると踏んで、ハイヤーの中で待つことにしたのだ。
 「お〜い! 早よせいや! どうせ文句言いにくるんやろ? なぁ、早よ来いや! 」とユウジは、まだか、まだかと待っていたが、いつまで経っても"あいつ"は現れない。しかし、時間はどんどん進んでいる。時計を見ると、もう16時30分を回っていて、夕闇が刻一刻と近づいてきていた。ユウジは、ただ待っていることしかできない自分が情けなくなってきた。「あぁ、何でや! なんで肝心な時に出てけえへんのや! もうしょうもない奴やで! アホォ〜! ボケ〜! カス〜! 早よ出て来いや! 早よ出て来いやって、誰かの決まり文句やんけ! おっさん! アホォ〜! ボケ〜! おまえの母ちゃんデベソ! ... ... ...?」
 「何や! ほんまに出てけえへんのか? あぁ! もうええわ! お前なんか当てにするか! 」
 ユウジは、もう待ってられないと思い、車を出て、農場のサチに会うために走り出した。

 * 小岩井農場 8757時間30分後*

 「サチ〜! サチ〜! どこにおるんや!」農場に入って、いろいろと探し回ったが見当たらない。農場内は、この後行われるイルミネーションの点灯式を楽しみにしている観光客であるれかえっていた。人混みを掻き分けながら、ユウジは、農場の施設を探し回った。その間にも、時はどんどんと進んでいき、辺りはすっかり夜の闇に包まれていく。
 「あぁ! もう真っ暗で何も見えへんわ! もうイルミネーションの点灯式も始まってしまうやんか! 人は多いし、こりゃもう探しようがないわ!」
 ユウジは、走り回って疲れ果てて、農場の芝生の上で大の字になってしまった。「サチ! もう会われへんのか! サチ! どこ行ってしもうたんや!」
諦めと悔しさで涙が溢れてくる。最後まで情けない、ドンくさい終わり方やなぁ、と思うと涙が止まらなくなってしまった。そして、すべてが終わったと思い、諦めて目を閉じて、サチの顔を思い浮かべながら最後のお別れをすることにした。「サチ! ありがとう! 俺は、君に会えて幸せやったで! もうちょっと一緒に楽しみたかったけど、ほんまドンくさいことしてしもて、ごめんな! 先に天国行ってるから、空の上から...、君を...、」ユウジは、そのまま深い眠りに落ちていった。

 * 小岩井農場 ユウジ、サチ 8758時間後*

 ユウジは、深い眠りからようやく目を覚まし、目を開けた。
 すると、サチの笑顔が目の前にあった。
 「あれ? 今岡さん? やっぱり入って来たんですか? こんなところで寝っ転がって、何してるんですか?」
 あぁ! 会えた! サチに会えた!
 ユウジは、神様に感謝していた。
 「いや、あぁ、星が綺麗だなあって思って...」
 「えっ? お星様?」と言って、サチは空を見上げた。
 そこには、数えきれないほどの満天の星が輝いていた。
 「すっごく綺麗! さっきまでは、こんなに見えなかったのに、今岡さんに会ったら、なんか急に空が澄んで、こんなに綺麗に星が見えてる!」
 サチは、一年前の事故の時、夢の中で銀河鉄道に乗って見た、あの夜の星たちを思い出していた。そして、ユウジの隣で見た星たちやお月様を。いつの間にか涙で星が滲んでいる。
 ユウジは、サチが星空を見上げて、泣いているのを見て、もう、これで終わりにしようと思った。ここで、自分がユウジだと打ち明けて、最後のお別れをしてたいと、そう思った。
 「サチ! サチ! 俺だよ! ユウジだよ! 俺は、ユウジなんだよ。見た目は違うけど、ユウジなんだ。」
 サチは、最初は、何を言ってるのかわからなかった。冗談で言うことではないし、でも、なんとなく怖くなって、何も言えず黙って、ただ今岡の姿をしたユウジを見つめていた。
すると、今岡だと思って見ていた目の前の男が、一瞬であのユウジに、星野勇次に変わっていた。
 「あの事故が起きてしまって、俺は先に天国に行くけど、ミユのことやら、後は頼みます。ごめんなさい、こんなことになってしまって...。俺は、あなたと出会って、結婚して、一緒に暮らせて、本当に幸せでした。いままで、ありがとう!
... ...さよなら!」
 サチは、また夢を見てるのかと思ったが、目の前にいるのは、正真正銘のユウジの姿をしている。会いたくて会いたくて仕方のなかった、あのユウジが目の前に居る。
 「いやだ、あなたが本当にユウジなら、先に天国に行くだなんて言わないで! 何言ってるのよ! なんで先に死んじゃうのよ! 私は、後に残された私は、どうなるのよ!」
 「ごめん。本当にごめん。」
 「それから、私が、何で今日ここに来たのか、わかってるんでしょうね! あなたは、約束したでしょ! 一緒にイーハトーブに連れて行くって! だから、あの約束が忘れられないから、私たちの結婚記念日の今日、ここに来たんでしょ!
 私を、早くイーハトーブに連れてって!」
 「ちょっと待ってくれ。俺、ユウジの姿にやってんのか?」ユウジは、サチのスマホのカメラで自分の姿を確認して、今岡じゃなくて、ちゃんとユウジに戻っているのを見た。
 「あぁ、そうか、もう誓約破って正体見せてもうたんか! もうすぐ召されてまうんやなぁ。ちくしょう! もうこうなったら最後までやりたいようにやらしてもらうわ!」
 「何言ってるの? ユウジ、私の話聞いてるの?」
 「サチ、わかった! 約束したんやったな! よっしゃ! こっち来い!」と言ってユウジは、サチの手を掴んで、農場の真ん中の方へ走り出した。

 その頃、トイレから出てきたミユは、待ってるはずのサチが見当たらなくて、探して歩いていたが、その目の前をユウジとサチが手を繋いで走って行くのを見て、何故か"やっぱりそうだったんだ!"と思い、二人のことを笑顔で見送っていた。
 そして、横の背の高い若い男に肩を抱かれながら...。
 「よかった。これでお父さんにも見せてあげられるわ。」とその男の耳にそっと囁いて微笑んだ。二人は、頷き合いながら、走って行くユウジとサチを見つめていた。すると、二人の後ろから、追いかけて走る一人の男が見えた。

 「おーい! ちょっと待てや! 何しどんねん! お前、正体バレたら終わり言うたやろが!」
 その男は、あのおっさん、神様の代理のおっさんだ!
 ユウジは、農場の一番広い草原の真ん中まで走って行って、サチと向かい合うようにして立ち止まった。
 そこへ、おっさんが追いついた。
 「お前、勝手に何してんねん! おこるで! もう終わりや。召されろ!」
 「えっ? 誰? あんたなんか知らんけど? ちょっと邪魔やからどっかいってくれるか! ていうか、さっきなんで出て来んかったんや! 駐車場で! 待っとってんぞ!」
 「神様の代理さんはなぁ、忙しいねん。お前の相手だけしとったらええんちゃうねん。まあええわ、あのな、私もいろいろ考えてあげてんねんから、ちょっと一回落ち着こうや!」
 「落ち着つきがないのは、おっさんの方やろ! 俺も正体バレたら召されるっていうのはわかっとるんや。でもな、サチと最後のお別れぐらいさせてえな! なぁ、それぐらいええやろ!」
 「ユウジ! 何喋ってるの? 誰と喋ってるの?」サチは、一人で大声で喚いているユウジを見て、何がなんだかわからなくなってきた。「あっ、ごめん。そうかサチにはおっさんが見えへんのやな。ちょっと待ってて、男同士で話つけて来るから。」そう言ってユウジは、一人で? 農場の奥の森の方へ走って行ってしまった。
 
 *小岩井農場の森 8158時間30分後*

 「おっさん、じゃなくて神の使い様、お願いします! もう一回だけ最後に銀河鉄道乗せてくれへんか? なぁ、最後の頼みや! お願いしまあーす!」
 「なんやて? 神の使い? 違うがな、神様の代理や! 使いは、使用人やろ、代理は、神様と同等ちゅうこっちゃ! 格がちがう! 格が!」
 「はい、はい、わかったから、早よ出して! あの機関車。お願いしまあーす!」
 「もう、アホか! お前は! まだわかってないなぁ、あれはやな、お前の頭の中のもんや。だから、わしもお前が生み出した人なんやで。勝手にやったらええがな。本当に一緒に行きたい人と気持ちを一つにすれば、なんでも叶うんやで! さぁ、サチちゃんと最後のデートでもなんでも行ってこいや。なぁ、そのかわり最後やからな! えーと、今日は、ほら、もうあと1時間30分切ったで! ほら、早よせんかい! 急げ!」
 「えっ? そうなん? お前も俺の作ったもんなんか、わかった! ありがとうな、おっさん! いろいろ世話になったなぁ! ほんだら、行くわ! 俺、サチと行ってくるわ! イーハトーブ! 行ってくるわ!」
 
 * こいわいステーション 8758時間40分後*

「サチ! ごめん、待たせて! 話ついたで。 イーハトーブに行きませう!」
 「いやだ! こんな時に"せう"だなんて! ムード台無しだわ。ねぇ、ほんとに行けるの? イーハトーブに!」
 「えっ? うーん、わかりませーん。もしかしたら、イーハトーブじゃないかも。」
 「なによ! イーハトーブじゃなかったら、どこ行くのよ!」
 「イーハトーブかもわからんけど、もしかしたら、"ええハトーブ"かもな!」
 「'ええハトーブ"って、なんやそれ! またふざけてる!」
 「ほら、早よせな! もう1時間しかないで! こっち、こっちや! 行くで!」
 ユウジは、サチの手をしっかりと握って、銀河鉄道の機関車が止まっている"こいわいステーション"に向かって走り出した。
 「サチ、会いに来てくれてありがとうな! 俺は、お前と約束したことも忘れてて、でも、なんか知らんけど、このまま天国行くのはちゃうやろと思とってん。サチが会いに来てくれんかったら、なんもわからんまま永遠に彷徨っとったらかもな。」
 「え? 聞こえないよ? なんて言ってるの?」
 走りながら話しているユウジの目からは、涙が溢れて、キラキラと光って風に流れて行く。
 二人は、あの売店のすぐそばの、あの時と同じ場所までやってきた。そこには、"銀河鉄道の切り絵"の機関車が、ちゃんと"こいわいステーション"に到着していた。それを見たユウジは、サチと自分の夢が一緒だったってことの証を目の当たりにし、心が震えた。そして、サチが愛おしくて、愛おしくて、思わず抱きしめた。
 
 * 銀河鉄道のデート 8759時間後*

二人が乗り込んだ機関車には、他に誰もいなくて、俺とサチは、ボックス席に向かい合って座って、窓から星空を眺めていた。
 「ユウくん! ありがとうね! またこうしてデートできるなんて、ほんと夢のようだわ!」
 「何言うてんねん。こっちこそ、ありがとうや! ちゃんと約束覚えといてくれて、会いに来てくれたから、こうやってまた二人で銀河鉄道のデートできたんや! サチ、ずっとこのままどこまでも行きたいなぁ! あぁ! でも終わりやねん! あと1時間で俺は...。」
 「もう、そんなこと言わないで! 終わりだなんて言わないで!」
 サチは、ユウジに抱きついて、その胸に顔を埋めて泣いている。
 「ごめん、そうやな...、わかったもう何も言わへん。二人はいつまでも一緒や。ほら、星が空いっぱいに輝いて、めちゃくちゃ綺麗やで、サチ、ほら、涙を拭いて、一緒に見よう!」
 サチは、ユウジの胸に頭をもたせかけた顔を窓の外に向けた。
 「うわ! すごいね! こんな綺麗な星空見たことないわ! まるで宇宙の星が全部集まってきたみたいね!」
 「ほんまやな! 神様が集めてくれたんかな? 俺の最後の頼み聞いてくれたんかもな?」
 「だから、最後って言わないで!」
 「あっ、そうか、ごめん。」
 二人は、星空を眺めながら、一年前のことを思い出していた。
 「俺はなぁ、土に埋もれてしまう時に、でっかい落石に頭直撃されて、すぐに死んでもうたらしいわ。でも、その後、いろいろな夢とも幻ともわからんもん見ててな、その中に君が出てきて、こうやって銀河鉄道のデートしてんで!」
 「不思議だわ、私もそんな風な夢みたいなものを見たのを覚えてるの。」
 「でも、またこうして銀河鉄道のデートできて、ほんまに夢のようやわ!」
 「私もよ! ユウジ! もうどこにも行かないで! ね、いつまでもこうして居ようね!」
 ユウジは、もうじき召されるんやなと思いながら、「うん、そうしような!」とサチの頭を撫でながら言った。
 「ねぇ、この前は、途中で終わっちゃったでしょ? 銀河ステーションに行く前にね。だから、銀河ステーションに行ってみたいなぁ。」
 「わかった。銀河ステーションまで行こう! って、誰かおるんかな? 車掌さんはおるんか?」
 「お呼びですか? お客様。」
 「あら、いつのまに、ちゃんとおるやんか車掌さん。おっさんも大変やなぁ、神様の代理になったり、おっさんになって俺に説教したり、また、車掌さんになってくれたんか?」
 「何をおっしゃっていらっしゃるのか、わかりかねますが、私は車掌ですが?」
 「あぁ、もうええわ、めんどくさいから、もう相手してやらへん。」
 「あのな! 今、ボケとる場合ちゃうやろ! 真面目にやらんかい!」
 「あっ、すいまへん。気つこうてくれてるんや。ありがとう!」
 「はい、もう着いたで、銀河ステーションや。」
 「えっ! 早や! この前は、結構時間かかったと思うけど?」
 「特別に超特急運転でーす。文句ありますか?」
 「いえいえ、文句なんかありません。ありがとうな、おっさん。」
 サチは、二人の漫才みたいなやりとりを見て笑っていた。
 「もう着いたの? 銀河ステーションってこんなに近かったの?」
 「いや、超特急運転やて。今日は特別や。」
 「では、こちらでお二人をお待ちの方がおられますので、御支度お急ぎになって、お降りください。」
 「えっ? 誰か待ってるって?」
 「誰? 私たちのこと待ってるなんて?」
 二人が降りた"銀河ステーション"は、あの'銀河ステーション'だった, そう二人で行った宮沢賢治童話村の入り口にある銀河ステーションだったのだ。
 「ここ、もしかして童話村の入り口の銀河ステーションだよね?」
 「そうだわ! 銀河ステーションってここのことだったのね。」
 「お二人さん、ゲストがお待ちかねですよ。さぁ、早く中へ。」
 車掌さんに促されて、二人は、童話村の中へと入っていった。
 妖精の小径と呼ばれている最初のエリアには、暗闇の中であの星のオブジェが、輝きを放っていて、幻想的な美しさを醸し出していた。
 「うわ! 夜の童話村は、一段と素敵ね! まるで星空の中に迷い込んだみたい!」サチは、その夢のような美しさに心を奪われている。そのサチ自身も俺から見たら、美しい妖精のようだった。
 「ほんまに綺麗やな! 君が一番輝いてるけど...。」
 サチは、どんどんと奥へ歩いていって、ユウジの言ったことも聞こえなかったみたいだ。二人で森の中を歩いていき、やがて、中央の広場に出た。
 草原の広場には、小さな池や屋外でのショーの為のステージがあったが、その横には、十字架が屋根の上に立っている教会らしき建物が立っていて、車掌さんが手招きして、二人を呼んでいた。
 「あれ? 去年来た時は、あんな教会なかったよね?」サチに言われて、ユウジもあんな建物はなかったと思った。
 二人で急いで教会に近づいて行くと、中からかすかに音が聞こえて来る。耳を澄ましてよく聞くと、それは讃美歌のようだった。
 「結婚式でもやってるの?」
 俺は、微笑んでいる車掌さんに聞いたが、ただ微笑んでいるだけで何も答えてくれない。そして、中へどうぞと目で合図している。
 「えっ? 入っていいの?」と確認すると、これまた黙ってうなづく。
 ユウジは、左手でサチの手を握って、右手で教会の扉を押し開けた。
 目の前に大きな十字架が見えて、その下の式台のところには、黒い衣装を身に纏った神父さんが立っている。そして、新郎新婦と思われる男女二人が、神父さんの前で、ちょうどこちらに背中を向けて立っていた。右の奥では、10人ほどの修道女さんたちの合唱隊が讃美歌を歌っている。

いつくしみ深き 友なるイエスは
  罪とが憂いを 取りさりたもう
  
  こころの嘆きを包まず述べて
  などかは下ろさぬ負える重荷を

 まるで春の日差しが降り注いでいるような暖かい室内に讃美歌312番が響き、ユウジもサチも自然と厳かな気持ちになった。そして、ユウジは新婦の背中を見ながら、つぶやいた、「もしかして...!」
 
 二人は、誰も座っていない参列者の席に座り式を見守ることにした。

 神父さんが、二人に問いかける。
 「新郎 桧山隆二、あなたは、ここにいる新婦 星野美優を、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
 「はい、誓います。」
 「新婦 星野美優、あなたは、ここにいる新郎 桧山隆二を、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
 「はい、誓います。」

 そして、二人は互いのリングを交換し、誓いの接吻を交わした。

 ユウジは、もう何も言えなかった。胸がいっぱいで...。
 サチは、溢れる涙を拭いながら、眩しく輝いているミユのことを、優しい眼差しで見つめていた。

 ミユは、リュウジと手を取り合いながら、ユウジとサチの方へやって来た。

 「お父さん、お母さん、今日は、来てくれてありがとう。びっくりしたでしょ? お母さんにも秘密にしてたの、サプライズしたかったの、許してね! 改めまして...、
 お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。 
 私、お父さんとお母さんみたいに幸せになるからね。それから、これからもお世話かけると思いますので、私たちのことをよろしくお願いします。」
 
  いつくしみ深き 友なるイエスは
  我らの弱きを 知りて憐れむ
  
  悩みかなしみに沈めるときも
  祈りにこたえて慰めたもう

 「ミユおめでとう! もう、ほんとびっくりしたわ。リュウジくんも来てたなんて! リュウジさん、ありがとうね。お父さんに見せるためにこんなサプライズ考えてくれたのね。ほんとにありがとう! 二人でこれから一緒に仲良く、幸せになるのよ! 
 お母さんとお父さんは、いつまでも見守っていますからね。絶対、幸せになってね!」
 
  いつくしみ深き 友なるイエスは
  変わらぬ愛もて 導きたもう
  
  世の友われらを棄て去るときも
  祈りにこたえて労りたまわん

 「お父さん、お母さん、僕は、きっとミユさんを幸せにします。これからもよろしくお願いします。」
 新郎のリュウジは、サチの前で深々と頭を下げている。
 ユウジは、サチとの結婚式の事を思い出して、「簡単に誓いやがって、何があるかわからんねんぞ。それを簡単に...。まぁええわ、俺も誓ったんやもんなぁ。サチを幸せにしますってなぁ。あぁ、俺みたいになるなよ。最後までミユをしっかり見守ってくれよ。」と言ってリュウジの肩を叩いた。その後、ミユを抱き寄せて
 「最後にこんな幸せな思いさせてくれて、ありがとう! リュウジくんと力合わせてな、幸せになるんやで。俺は、そばにおられへんけど、ちゃんと見てるからな。」と言った。
 「お父さん、私の心の中には、いつもお父さんがいるの。これからもいろいろ相談に乗ってね。それから、お空の上で、暴れて落っこちないようにね!」
 「何言ってんねん。そやなぁ、慌てん坊やからなぁ! お前も俺に似てるから慌てん坊のとこな。気つけてな!」
 ユウジとミユのやり取りを聞いていたサチが「空から落っこちて来てもいいよ! ユウくん! いつでも待ってるわ!」と茶化してくる。
 「サチ、それにミユ、俺な、サチにイーハトーブに連れて行くなんて偉そうに約束したけど、逆に連れてきてもろうたわ。ここが、今が、俺のイーハトーブやで! サチ、ほんまにありがとうな! それから、ごめんなサチ、幸せにするって言ったのに...。こんな最後で...。ミユのこと頼むわ。俺は、空の上で見とくからな。今まで二人ともありがとうな!」
 サチは、ユウジとのお別れが近いことを感じて、涙が溢れてきた。
 「何言ってんのよ! ちゃんと連れてきてくれたよ! 私にとっても、ここが、今がイーハトーブなのよ! ユウくん、ありがとう! いつでも落っこちてきてね! 待ってるから!」
 「あぁ、このままずっと一緒に居れたらええのになあ! 俺のお前らにできるのはここまでやわ。イーハトーブじゃなくて"ええハトープ"ってとこかな? お粗末様でした!」
 そこまで言ってユウジは、フワッと体が浮き上がるような気がした。あれ?と思っていると、どんどんと上の方へ引っ張られているように感じた。サチが、ミユが、みるみる小さくなって行く。

 * 空の上のユウジ 8760時間後*

空の上に引っ張り上げられた俺は、気がついたら、フワフワとした雲の上にいた。雲の隙間から、下界を覗き見たら、サチとミユが、こっちを見て手を振って笑っていた...ような...気がした。
 「あぁ、ついにお別れか! 空の上からいつまでも見守る言うたけど、ここから見てたら、サチも、ミユも豆粒みたいでちっちゃくて見失いそうになるなぁ。あかん、あかん、しっかり見守ってやらんとな!」
 「何しょうもないこと言うんねん。早よ来んかい! 入り口はこの奥やで、それからなぁ、中にはちゃんとテレビみたいなんがあって、サチさんもミユさんもしっかり見れるから心配すんな!」
 「誰や思ったら、またおっさんか、最後までお疲れさんやなぁ。そうか、天国も進歩しとるんか。ほんなら行くとしますか...、サチ! ミユ! がんばれよー! ほな、さいなら!」

 * 教会の外のサチ 8760時間後*
 
 「ユウくん! ミユは、いい人見つけたわね! わたしと一緒にあなたもしっかり見守っていてね! 空の上からね。きっとよ! ありがとう! ユウくん! そして、これからもよろしくね!」
 サチは、式場の外に出て星空を眺めている。その腕にしっかりとユウジの遺影を抱きながら...。
 空一面の眩いばかりの星たち。その中で、他の星と比べて、一際眩しい光を放っている星を見つけて、左手の薬指の"銀河を閉じ込めた指輪"を、その星の方へかざしながら、こう言った、
 「ユウジ、あなたが私のイーハトーブなのよ。ありがとう、そして、これからもよろしくね!」
 サチの左手に光る指輪の輝きに、返事をするかのように、一際眩しいその星は、キラキラといつまでも煌めいていた。
               END
 

イーハトーブの約束

イーハトーブの約束

宮沢賢治の夢見た理想郷イーハトーブで巻き起こる悲しくもおもしろい大人の恋愛小説です

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
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