芋虫

小菊

「姉さん。ごめんなさい」

 妹の彩菜はそう言って両目から涙を流した。透明な液体のそれは彼女が流すから綺麗なのだろう。私が涙を流したら目も当てられないくらいに醜い物になるというのに。
 彼女はいつだって無垢で綺麗だ。その純粋さが時に人を傷つける。
 儚げに泣いている彩菜を守るように、私の恋人の智也が彼女を強く抱きしめこちらを睨みつけた。
 まるで、番の蝶を守るみたいに。

 私が何をしたっていうのよ。したのはそっちじゃない。心の中で苦笑いする。

 これは、夢ね。
 繰り返し焼き付けるように見る夢。忘れるな、お前は誰にも愛される資格などない。と、突きつけられているかのように。


 4年前の寒い冬の夜、私は智也にファミレスに呼び出された。
 智也は私のアパートの場所を知っているのに、なぜ、ファミレスになんて呼び出すのだろうと不思議に思いながらそこに向かった。
 平日の夕食の時間帯を過ぎていたので、お店に入るとすぐに智也を見つけ出すことができた。

「あ、智也さ……」

 恋人の澤田智也を見つけて、声をかけようとして私はある事に気がつく。
 智也だけではなく妹の彩菜もそこにいて、二人はまるで恋人同士のように、その両手を固く握りしめ合っていたのだ。

 ああ、そうか。私は智也に捨てられるのか。

 私は瞬時にそれを悟る。考えてみれば、怪しい兆候はあった。
 初めてのデートの日、彩菜はなぜか行き先にいた。その場で二人は連絡先を交換して、そこから二人は仲良くなっていったような気がする。

 短大卒を控えてた要領のいい彩菜は、常々こんなことを話していた「働かないで結婚したい」と、社会人の姉の恋人を選ぶ辺りが、彼女のぬかりなさかもしれない。

 こんなことをしても、8歳年下の妹をみんな庇うだろう。幼いから善悪を知らない。許してやれ。と、両親は私に言う気がした。

「何の用事?」

 私は二人に冷めた目を向けて向かい合うように席に座る。
 彩菜は、ビクリと怯えたようにこちらに目線を向けるけれど、私は彼女を傷つける事なんてしていない。
 しているとしたら二人だ。

「凜子、別れてくれ。俺は彩菜と結婚する」

 そう言って智也は私を睨みつけた。
 後ろめたい事があるくせに、よくそんな顔ができるわね。

「私、澤田さんの子供がお腹の中にいるの。ねえ、お願い許して」

「俺を諦めてくれるよな?彩菜に何か危害を加えたら許せない」

 二人は私を悪者のように決めつけて、口々に好き好き勝手言い出す。
 私の気持ちなんて無視して、二人の仕打ちに怒りや不満すら口に出していない。それなのにだ。

「お前が、彩菜に危害を加えたら絶対に許さない」

 智也は眦を吊り上げて、私に怒りをぶつける。
 そういえば、私よりも彩菜を優先した時に、軽く注意したら、怒鳴りつけてきたっけ。
 彼は後ろめたい事があると、いつだって自分を正当化したくて怒り出すわね。

 付き合う前までの彼の長所はどこだったかしら?ふと、そんなことを考える。
 要領の悪い私を苦笑いしながらフォローしてくれた所だったと思う。だけど、良かった所もよくわからなくなってきている。

 身体の関係がなかっただけ良かったかもしれない。
 そう、思う事にしよう。
 今は複雑で二人を素直にお祝いできる気分ではないけれど、いつか出来るようになる。それを信じて、私は笑顔を作る。

 庇い合い想い合う番の蝶はなんで綺麗なのだろう……。私も彩菜の場所にいたかったな。
 目頭が熱くなってくるのがわかる。まだ、涙は流したくない。二人に泣いている姿なんて見られたくない。

「二人ともおめでとう」

「え?」

 二人は私の事を信じられないと言わんばかりに口を開けて見ている。腹を立てたところでなんの意味があるのか、嫌な感情をお互いに残すだけだ。
 妹との関係は一生続く、それなら、笑って澤田との関係を終わらせた方がずっといい。

「赤ちゃんができたんでしょう?おめでたい事じゃない。幸せになってね」

 二人の伝票を手に取る。今はまだ頭の中はぐちゃぐちゃだけれど、いつか二人を心から祝福したい。きっと、彩菜の子供すら愛おしく思えるようになるだろう。
 この気持ちへの折り合いは時間があればきっとつくはずだ。

「話はそれだけでしょ?帰るわね。お幸せに」

 明るく言い残して私は店から出る。無様に泣いて縋り付かなかった自分を褒めたかった。
 きっと、綺麗な二人の蝶は綺麗にこれからも羽ばたいていくのだろう。私はそれに憧れて、焦がれて、地面を這う芋虫のように手を伸ばす事しかできない。

『アイツと付き合っても何のメリットもなかったよ。だけど、彩菜と引き合わせてくれたことだけは感謝だな』

 役に立たなければ、私は誰からも見向きはされない。

『彩菜が不安定なんだ、ここには帰ってこないでくれ』

『彩菜が結婚式には来て欲しくないそうよ。顔を出さないでくれる?貴女なんかが澤田さんと先に付き合ったばっかりに、彩菜が気の毒で気の毒で……』

 そう言って母は啜り泣く。
 父さん母さんわかってる。私なんていらないんでしょう?

 気がつけば私は一人になっていた。

芋虫

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