城壁の国のフルラージュ
封鎖国家エスフォル、空をも覆い隠す高く厚い城壁に囲まれた国には呪われた一族の末裔が歴史の闇に屠られたその名を静かに守っていた。
ーーー彼女の名は、ベル・フランチェシカ。
0話、昔話
「昔話は好きかい?」
老婆はなんの前触れもなく、たった今思いついたといった様子で呟いた。
西の空へ太陽が沈みゆく時間、その光がふりそそぐぐ暖かな窓辺で彼女は揺れる椅子に座りぬくもりに身を任せている。
その一言がとある始まりの合図であることを知っていた少女は声のした方へと視線をうつした。
持っていた籠をその場に置き老婆、もとい自身の祖母のもとへ歩み寄り皺だらけの手を両手で優しく包みながらその場に座る。
これまで幾度となく繰り返されてきた合図を受け取る一連の動作はどこか優美でまるで一つの絵画のようだった。
受け取られた意志に満足した彼女は愛しい孫娘の手のぬくもりに笑みを浮かべ今日も厳かに国の歴史を語り始める。
ーーー
昔々、あるところに惨劇によって国を追われた人々がおりました。
激しい戦乱から逃げ延びた厳しい旅路の先に辿り着いたのは、たくさんの動物ーアニモー達が暮らす険しくも自然に恵まれた美しい山岳地帯。
彼らはこの地を開拓し、新たに国を作るため先住民であったアニモ達へ協力を申し出たのです。
人々の中には、風を操りて言葉を紡ぎ種族をこえて会話をすることが出来る力をもつものがおりましたから、その力を生かして、人々は山岳地帯で出会ったアニモと力をあわせ、何もない自然を国へと作り替えていったのです。
やがてそこは長い年月をかけて人とアニモの住まう自然豊かな国へと姿を変えていきました。
最後に、人々の中から国を率いる7人の賢人を選出し、各々7つの役職を充て、彼らを「ルリジオン協会」と呼び国の中心にさだめたところで国家設立としたのです。
ルリジオン協会は国の名を「エスフォル」と名付けました。
始まりこそ小さな国でしたがルリジオン協会の尽力もあり1000年たつころにはエスフォルは隣国に勝るとも劣らない大国となったのです。
しかし、人間とアニモが力をあわせ自然とうまく調和した平和な国、エスフォルにあるとき、その未来を大きく動かしてしまう事件が起きたのです。
国の中心でありエスフォルの創設者の一人として名高いルリジオン協会のうち、ある一人の賢人の家系にかかわった全ての人間が忽然と姿を消していってしまったのです。
その名も、フランチェシカ家。
国の発展のために従事してきた由緒正しき家柄で、称号はバラキエルと呼ばれアニモとの親交を司る役職に務めておりました。
国民からの信頼も厚いフランチェシカ家での事件に多くの人々は戸惑いを隠せません。
しかし築き上げてきた信頼を裏切るかのように行方不明事件が起こり始めてひと月ほどで、家の者は半数以上がいなくなってしまいました。
数えきれないほどいた使用人はそのことに恐れをなして日に日に中心から離れた故郷へと帰っていきます。
最後に残ったのはフランチェシカ家と、彼らに代々仕えるオルフラン家だけです。
月日が経つにつれフランチェシカへの不信感が国中で募る中、故郷へ戻った元使用人の村でも同じような現象が起こり始め、やがて人間の消失は国全体へと広がってしまいました。
国民の安全を、そう言った時のルリジオン協会は、この事態の原因が全てフランチェシカ家だとし、一族全員の処刑を決定したのです。
国中の兵力に囲まれ逃げる事も出来ず、フランチェシカ家の人間は次々と処刑され、最期には時の当主の死をもって、国民に愛され、アニモ達の信頼を得てきたフランチェシカ家はバラキエルの称号と共に歴史の闇に屠られたのです。
フランチェシカ亡き後、同時に消失事件は終わりをつげエスフォルに再び平和が戻ってきました。
しかしフランチェシカの滅亡は、この国の在り方を大きく変える起点となってしまったのです。
人々の模範としてアニモと接していたルリジオン協会の一角、バラキエルという役職がなくなると、科学や機械の発展とともに人はアニモに対して非道な振る舞いをしていくようになっていきました。
元より、アニモと協力するという文化が廃れ、会話が出来る者も減りつつあったエスフォルでしたが、バラキエルという勢力のおかげでかろうじてその習慣は残っていたのです。
しかしそのバラキエルもなくなってしまい、時代の流れと共に科学という大きな力を得た国は、今まで協力していたアニモ達をまるで奴隷のように扱っていったのです。
ある者は死に至るほどの労働を課せ、またある者は国の発展の為、実験材料にとアニモの命を使っていったのです。
たった一つの家系の終焉が国のありかたを大きく変え、かつてあった人間とアニモが協力しあう美しい国は消えていき、エスフォルは科学と機械を有した国へと変貌を遂げたのです。
その変化とともに国の人間は不要になったアニモたちを国の外へ追い出し、排除していきました。
当然、住む場所を奪われたアニモたちは怒り、人間よりはるかに優れた身体能力を生かし復讐のために国にのりこんできました。
鋭い牙に大きな体、多くの国民たちがその力強さに圧倒され、復讐は成し遂げられるかのように思われましたが、科学の力を有した人間たちはその力で次々にアニモ達を薙ぎ払い、命を奪っていきました。
圧倒的な科学力を前に、わずかな希望を胸に人間に立ち向かった体は無残にも引き裂かれ、やがてアニモ達は人間に怯えながら地平線の向こうへと姿を消していったのです。
それからのエスフォルは、やがて力をつけたアニモ達が再び復讐のために戻ってくることを恐れ、国の中心部を城を守る城壁のように高く、厚い壁で覆ったのです。
こうして大国と言われるほど名高く成長したエスフォルは、外の世界との交わりを遮断した小さな完全封鎖国家となりました。
ーーー
「今は見えぬ地平線の向こうで、まだ彼らは生きている」
ため息まじりに祖母は呟いた。
その言葉に少女はふと、伏せていた顔を上げた。
幼い時から何度もきいていて一言一句覚えていた昔話のはずだったが、最後の一言は珍しくその続きではなく、祖母自身の言葉だった。
この人がこうやって自分の言葉で話すのは何年ぶりだろう、と思わず顔色を窺う。
情景を思い浮かべるために長く閉じていた目を開くと、夕焼けの光が刺さるように入ってきて思わず目を細めた。
「これがこの国の、エスフォルの始まりと封鎖に至るまでの出来事、私たちの家系で語り継がれてきた国の歴史」
祖母は暖かい手で少女の手を握りなおし、振り絞るように呟いた。
「覚えておきなさい、お前がこれから生きていくのにきっと役に立つときがくるから。
ベル、
ベル・フランチェシカ」
最後に少女の名を紡ぎ、祖母はまた深く眠り始めた。
城壁の国のフルラージュ