身体に糸を縫う事が好きなヒト

らっきょ太郎

「カエル先生がマスクをするなんて珍しいですね」
「やりにくいがな」
「僕はマスクをすると耳が痛くなるんです」
「そうか。邪魔な耳だな」
 カエル先生はそう言う水溜りに釣り糸を垂らした。一升瓶を入れるプラスチックの箱に腰を下ろしている。昨日は大雨だった。このアスファルト舗装の道路も幾つか水溜りが出来ていた。周りは田んぼで背の高いカカシが杭に張り付けにされている。日差しはジリジリと暑くて僕は黒い傘をカエル先生の頭上に掲げていた。
「何かが釣れるとでも?」
「思っている」
 カエル先生は僕の質問に対して愚問。つまりピントがずれているから喋るなと言ったようなニュアンスで答えた。
 カエル先生が釣り糸を垂らす水溜りは、鏡の様に反射をしていて奥が良く見えなかった。

 Mちゃんの家に泊まった。Mちゃんは学年一可愛い女の子だ。私が中学に進学して初めて出来た友だちだ。Mちゃんは頭も良いし、明るいし、運動も出来る、凄い子。時たま、どうしてMちゃんは私と友だちになってくれたんだろうかと思う。私は面白い女の子でもないし、パッとする様な才能があるわけでもない。でも、Mちゃんとお喋りする事は大好きだ。Mちゃんは優しい言葉づかいで会話をしてくれる。中間テストが近くて私はMちゃんに相談した。そうしたらMちゃんは私に「Mの家に来てよ。Mが教えてあげるよ」と言うから、その言葉に甘んじて私は一度家に帰宅してからMちゃんの家に行った。Mちゃんの家は一軒家で木造の家だった。赤い瓦葺きで白木の無垢の外装だった。そして家の木や花壇は全然手入れされてなくて、玄関のポーチは木の葉がたくさん積もっていた。学校では綺麗好きのMちゃんからは想像ができなくて、少し違和感に思った。それに家の窓には全てカーテンがかかっている。まだ15時。時間的には外は明るいのに、な? と思った。
 私は呼び鈴を押した。玄関の向こう側からMちゃんの声がして扉が開いた。
「結構、早かったね」
 Mちゃんはニコリと笑って言った。
「うん」そう答えるとMちゃんは私の腕を取ってリビングに連れていってくれた。リビングは整理整頓が行きわたっていた。と言うよりも、まるで、普段はまったく使っていない様子で、それは一枚の写真に映った風景みたいだった。
「飲み物はお茶が良い? それともオレンジジュースが良いかな?」
「オレンジジュースが飲みたい」
「オッケー」
 Mちゃんは楽しそうに返事をして台所の方にある冷蔵庫からパックを取り出してグラス、二つにに注いだ。そうしてテーブルに置いた。それから一時間くらい談笑をした後に教科書とノートを取り出してから勉強を始めた。結構時間が経った後にMちゃんは「ご飯、注文しようと思っているんだけど、何が食べたい」と言った。
「今日、もしかして親は帰ってこないの?」
「ええ。そうよ」
 Mちゃんは余り触れられたくないのか簡潔に答えた後に「ピザでいいよね?」と言った。私はコクンと頷いて了承した。ピザの上に乗っているチーズはあまり好きじゃないけどMちゃんに嫌われたくないから了承した。それから再び勉強を続け、時計の針が半分動いた後にピザ屋のツーサイクルエンジン音がするバイクが玄関の前で停車した。Mちゃんはパッと立ち上がってから淡いピンクの財布を持ち、トタトタと早足でピザを受け取りに行った。私はMちゃんが飲んでいるオレンジジュースのグラスを見た。グラスの縁に赤い唇の跡がしっとりと付着していた。
 なにこれ?
 私は疑問に思いグラスに近づいて見た。口紅? Mちゃんは口紅をしているの? まだ中一で幼い頬の肉がふんわりとあるのに? でも、今日、学校であっている時には口紅なんかしていなかった。もしもしていたなら、先生に怒られている筈。じゃあ、お家に帰ってきてから自分の唇を塗ったのかしら? ぼんやりとしてグラスにのった赤いラインを見つめているとウルサイエンジン音のするバイクが立ち去った音が聞こえた。私は小さく「あっ」と呟いてから元の場所に座りなおした。Mちゃんはピザが入った白い箱を持ってニコニコと優しく笑いながら「それじゃあ、食べよっか」と言った。私はコクンと頷いてからMちゃんの唇をまじまじと見た。いつもよりも鮮やかな色で飾っている事は明白で、少し、私は寂しく思った。
 ピザを食べ終わり、談笑をしていると、かなりの時刻が過ぎていた。カーテンは私がこのお家に来てからずっと閉まっているので、体感では全然、真夜中。とは思わなかった。それで私は壁に掛かっている時計を確認すると、もう深夜で、その所為かあくびをした。Mちゃんは私に向かって「眠たいの?」と聞いた。
「眠くないよ」
 私は静かに答えた。
「嘘だよ」
 Mちゃんは私の言葉を否定した。
「本当だよ。これっぽっちも。そう。電気を消してしまわなければ絶対に寝ないわ」
「それなら、電気は消さない。眠って欲しくないの」
 Mちゃんは私の目をじっと見て言った。Mちゃんの瞳はフランス人形のように大きくて黒かった。そしてその瞳の奥には眠たそうな表情をしている私が映っていた。
「Mちゃん。Mちゃんは口紅をしているの?」
「気づいていたの」
「だって何時もよりも赤いんだもん」
「イヤになったかしら?」
 Mちゃんはまだ私から視線をそらさないで聞いた。
「どうしてイヤになると思うの」
「わからないわ。わからない」
 そう言ってからMちゃんは軽くスカートを捲った。白い太ももには赤い色の細い糸が縫われていた。それから長袖のシャツを捲った。白く華奢な腕には赤い糸が縫われていた。その模様は美術の授業で学んだ『星月夜』に似ていると思った。赤い線がゆっくりと回転しているように見えた。それはきっと、私の睡魔が踊っているからだ。
「お腹にも」、「背中にも」、「あるの」。
 Mちゃんは笑っているのか悲しんでいるのか分からない声で言った。私は黙って聞いていた。
「自分でね。身体に赤い糸で縫っているの。例えば、或る子の将来の夢がパン屋さんだとすればその子は台所で生地をコネてパンを作ると思うわ。別に、私の将来の職業の夢がパン屋とかそれ以外とかではないわ。私が生地をコネるとすれば『ココ』が『ココ』がとっても、とっても、ギリギリって唸っているの。でもそんなの不可能じゃない。だから、縫うの。それは好き」
 私の事をジッと見て話すMちゃんの顔は初めてクラスで喋った時と少しも変わらなかった。だから私は言った。
「ステキ」
 それからMちゃんに抱きついた。
 その時のMちゃんの表情はキョトンとしていて、『とても』可愛かった。
 Mちゃんはさっきと変わって驚いた表情をしていた。真っ直ぐな一本の道で突然、横からダンプカーが突っ込んできたような……。そんな感じで。
 Mちゃんは「イヤにならないの?」と言った。
「どうして?」
「だって気持ち悪いじゃない」
「気持ち悪くないよ」
「気持ち悪いよ。本当の事を言って」
「……」
 Mちゃんは「い、いたいっ!」と叫んだ。
 ギリギリと私が強くMちゃんを抱きしめている所為だ。Mちゃんは私から抜け出そうともがいていた。でも私はそんなのお構いなしだった。
「Mちゃん。意味わかんないよ。寂しいから、誰かに構ってほしいから、学校ではお利口さんに頑張って、お家では誰もいないから変なことをして気持ちを間際らしてさ。それで影の薄い私を呼んで虚勢心を満たそうとして……。Mちゃんって、本当に可愛いよね。だあいすき」
 Mちゃんは私の耳元で蛍の光のように泣いていた。私はMちゃんの背中にある糸を人差し指で撫でた。Mちゃんは身体をビクリと動かしてから「パパ」とか「ママ」とかそんな言葉を言い始めていた。しゃぼん玉の姿を追いかける、儚い声で。
 それから赤い糸が私とMちゃんを覆った。


 カエル先生は何かが釣れた様子で僕を見た。
「何か釣れたんですか?」
「知らん。ただ、さっき気づいたのだが、私の左上奥歯に穴が空いているのだ。これは虫歯だな」
 そう言って竿を投げた。ぽちゃん。

身体に糸を縫う事が好きなヒト

身体に糸を縫う事が好きなヒト

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-11-23

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