泉の国のトレーネ 番外編

ほーみー

不思議な石の力によって異世界へと導かれた女子高生。
全ての始まりを担う事となる物語の前日譚。

前日譚 革野 凛

若い芽と淡い桜色の花弁が、まだ少し澄んだ冷たさを残す風にふかれ揺られている。
新たな巡りの始まりを告げる香りが風に運ばれて至る所に届けられる春、この国ではあらゆることの始まりがこの季節であることが常だった。
大人も子供も古巣を去り、新天地へ足を踏み入れるとそこには顔も名前も、なにも知らない状態から築かれる真っ新な関係性。
緊張した面持ちを見せながらも良縁に恵まれるよう胸を馳せる者がほとんどであるなか、未だに厚い布団を頭から被り春の麗らかな日差しの一切を遮断して外界との交わりを拒絶する娘が一人。

名を革野 凛という。
年齢にして16、この春から装い新たに高校生という地位を獲得し、中学よりも家からの通学距離が短くなった高校に通うことが決まっていた。
カレンダーには彼女のものではない筆跡で入学を許可される式典の日が記されている。
電波を受信して時間を自力で整える時計には記された日付と同じ数字が違わず表示されていた。
あと少し、数十分で準備を始めなければ間に合わない、という時間になっても外側から見えない小人達の手で力いっぱい押されているような重たい目を開く気にはなれなかった。

やがてトントンと軽い調子の音が一定間隔で聞こえてくる。
起きた様子がない娘を心配した母親だろう。階段を上ってくる音が耳に届いてやっと凛は少しだけ顔を布団の外へと出した。
ノック音が聞こえ少し間をおいて予想通りの人物が扉の隙間から顔を覗かせる。
娘の晴れ舞台に相応しくあろうと着飾った母は困ったようにため息を漏らしつつ、呆れだけは見せないように笑顔を浮かべて娘が未だこもっている布団の山に歩み寄った。

「行けそうにない?」

入学式を出るのを拒む高校生にかけるにしては甘すぎるくらい酷く優しい調子の声色。まるで幼子に語り掛けるようだったが彼女にとって凛はそれほどに愛を注ぐ対象であったのだ。
その愛が痛いほど心に届くからこそ、この日のためにわざわざクリーニングにまで出した正装に身を包んだ母を瞳に捉えた瞬間、駄々をこねてみようかという浅い考えは消えていった。

「…出るよ、さすがに…入学式くらいは…」
「そう、でも無理はしなくていいからね。試験に合格して入学を許可されただけであなたはもう立派な高校生だから、無理に頑張ろうとしなくていいの」
「無理なんて…してないし…」
「そっか…」

櫛を通していなくとも柔らかく滑らかな髪をひと撫でした母は立ち上がりもう一度凛に声をかける。

「あと30分で出発するからね」
「…わかった」

聞こえた返事を微笑みでかえした母が出ていくと部屋は再び一人きりの世界に戻る。
まだ躊躇いを残す心のままのっそりと起き上がった。

「…くだらな」

気分は最悪でも、時間は無情且つ平等に進んでいく。せめてもの抵抗を吐き出した顔は酷く青白かった。


ーーー


「早退します」

一言そう告げて荷物をまとめた鞄を手にし教室を去る生徒が一人。
入学式から少し日が経っているにも関わらず、他の生徒よりもまだ新品同様の状態を保っている制服に身を包んだ凛は、担任の呼び止める声も、学友の落とした声にも耳を貸さず迷いなく正門へと向かい始める。
やがて学校の名所の一つである桜の大樹を横切って門の外へ出ると、めげずに追いかけてきた担任も諦めて校舎へと踵を返していった。
その様子を振り返って確認することもなく自宅へ歩を進める。幾度となく繰り返しても諦める様子のない担任に嘲笑した彼女の足取りは朝よりも軽い。

出席日数を稼ぐためだけの登校なのはわかっているはずだ。
しかし、なぜこうも諦めず引き留めようと声をかけたり追いかけたりするのか、凛には担任の行動が一つも理解できない。
昨今よく取り上げられているようないじめによる不登校ではなく、本人の自主性の問題ゆえの不登校状態である凛に目をかける必要はない。いじめですら見て見ぬふりをする教師が多い中、担任の行動は凛にとって理解不能だった。
放っといてくれていてもさして問題はない。成績は下がるかもしれないが出席日数さえ管理していれば卒業できる程度の学力の高校だ。
地元で名を馳せる進学校でもない、名前を書けば誰でも入ることが出来るような学校に熱意ある教師がいるのは居心地悪かろうと同情すら覚える。

尚、ここまでは担任であればまだ自分の生徒、という大義名分があるのがまだわかる話。
しかしクラスメイトが同じような行動をとっているのはこれ以上に理解できなかった。

「革野さん、次移動教室だよ。一緒に行かない?」
「行かない」
「今日はだめかー」
「今日はじゃなくて、今日も。明日も明後日も変わらないからもう声かけないでくれる?」

それはまた別の日。
何度も心を諦めの方向へ傾けるために突っぱねた声色で素っ気なく返しても、梃子でも動かない頑固なクラスメイトへの効果の程は見られない。
名前を把握する気もないほど、関心と本日の意欲が消えうせてしまっている凛は今日のところはここで引き上げようと鞄を手にした。

「あ、待って!」

ところで人には一定数、心に酷く柔い部分を持つものがいる。そこに無遠慮に触れられると抑え込んでいる感情が本人も制御できないほどに暴走し手あたり次第目にうつるもの全てを傷つけて正気に戻るまで感情のコントロール権を一時的に失う。
凛はその一定数のうちに入る一人だった。関わりを絶つことで柔い部分に触れられる機会を極力減らす本人にとって数少ない努力もお節介というソロ演奏が身勝手に加わることによって不協和音を奏でる。

場所は変わり正門付近の桜の大樹、もう桜色の花弁は散り始め風に攫われて吹雪を起こしては大地を舞い踊っている。枝についている間は美しく景観を彩っていた春の妖精たちも地に落ちてしまえば人々に踏まれて泥にまみれ、やがて消えていく。
追いかけてくる足音も境界を越えてしまえばいつも通り、あきらめて踵を返す。

そう、思っていた。
けれど彼女は、凛の

柔くて脆い部分に触れる言葉を

「ねえ、革野さん!どうして」

落としてしまう。

「どうして人と関わらないようにしているの!?」


時が止まる、という体験をしたことがあるだろうか。
実際に止まっているわけではないにも関わらず音はやみ、目の前の光景は色をなくして静止し、肌に感じる温度もなにもかもがわからなくなってしまう。そんな現象を人は時が止まったようだ、と表現することがある。
それは本人が意図しないタイミングでの祝福に対する喜びやあるいは大切なものが壊れてしまった悲哀によって招かれるおおよそ説明が難しい感覚。
前者であればどれだけよかったか、今この時は圧倒的に後者だった。

「お前には関係ないだろ!!!」

喉奥から上ってくる熱情にのせて言葉を音として吐き出したのは反射。
久しく出していなかった声量は本人の予想を上回る狂暴さをはらんであたりに響き渡り、また新たな時の衝撃を生み出してしまう。
言い放たれた相手がどんな表情をしていたのか確認する間もなく凛は走り出す。地面に落ちてまだ時間が経っていない花弁が引き留めるように足元を舞うのには目もくれず今できる最大の早さを生み出して足を動かした。

乱暴に玄関の扉をあけて感情が昂るまま自室に戻る凛の視界には、突然の荒々しい帰宅に一切反応できなかった母は入っていない。
鞄を叩き落として綺麗にたたまれた布団に包まり、外の世界との交流を遮断しようとした彼女の視界に皮肉にも土足で踏み込んできたのは凛よりも10歳ほど年上の男女の写真。
木漏れ日の中で穏やかに微笑みあっている二人がおさめられたフォトフレームを掴んで振り上げた勢いのまま床に叩きつける。
割れた硝子の破片が散らばって写真にも無数の傷跡をつけた。

「どうしてこんな名前をつけたの…」

おおよそその名には相応しくない人生と先ほどまでの行動。
両の手で顔を覆い、足にガラスが喰い込むのも構わずその場に崩れ落ちる。

「父さん…母さん…」

幸せな時間を閉じ込めた写真で微笑む二人に零した嘆きは一生届かない。
生みと名付け親は彼女を一人残して今はもう、この世をとっくに去ってしまっていた。


ーーー


子供の心には純粋と残酷が同じ顔をして居座っている。
この世に生を受けて間もない頭に蓄積されているまだ少ない知恵と、その心にのっとって発せられる言葉は相手ののちの人生を大きく左右することもある。
けれど、子供の言ったことだからといって咎められることはあまりない。それが明確な悪意をもっていないのなら尚更。
それでも受け取る人によっては心の深い場所にあるのにとても柔らかい闇を作り出してしまうこともあるのだ。

凛が今の両親と血がつながっていないことを知ったのは、まだ二人の手に引かれて歩かなければどこかへ勝手に行ってしまうくらい幼い時だった。
両親がなぜそんな頃に教えたのか理由は聞かされていないが幼い凛には特に気になるところではなかった。
二人は凛に対してやりすぎなくらいの甘やかしをしていたし、溢れる愛を惜しみなく与えられていた日々の中で苦しみなど無縁だったことも一因だろう。
本当の親子以上の絆が築けていたにも関わらずささやかな亀裂が生じたのは幼心ゆえに生まれた、言った本人にとってはほんの些細な疑問。

『どうしてお母さんと顔が違うの?』

一度問われれば止まらない質問の責め苦。その気はなくとも積み重ねられる疑問の嵐は幼い心の平野を荒らして辺りを根こそぎ刈り取るまで去ってはくれない。
人には聞かれたくないと思う事の一つや二つはある。そうはいっても子供には無理な相談。

幼いながらに恐怖を味わった凛が咄嗟にとった行動は逃亡と断絶。真実を求める声から逃げ、仲間に引き入れようとする手を腕ごと絶つ。
それがたとえ孤独を生み出してしまっても慣れてしまえば楽なもの。
天敵から自分の身を護るために威嚇する小動物のように敵意を全面に押し出していれば大抵の人間は寄り付かなくなる。普段は恐怖を忘れて心穏やかに過ごせる。
使命感をもっているか、節介焼きが身に沁みついてしまっているかのどちらかに遭遇しなければ凛の心は恐らく生暖かい凪のまま、のはずだった。

心に平穏が戻るのにはまだ少し時間がかかる。彼女にとって一番触れられたくない部分に関わる質問を投げかけたクラスメイトの存在ごと忘れるのには、

しっとりとした空気があたりを満たす、そんな狭間の季節までかかってしまったのだった。

泉の国のトレーネ 番外編

本編となる泉の国のトレーネは現在制作中です。
公開まで今しばらくお待ちください。

泉の国のトレーネ 番外編

―――ホフノーグ王国。 そこは【クライノート】と呼ばれる石に宿る【魔法】と【固有の能力】をもった人々が生きる5つの島からなる小国。 小さな魔法の島国はのちにマイレンシュタインの日と呼ばれる時を境にゲシュペンストなる異形の者達が国中に蔓延り、人々はある限られた条件下でしか生きられなくなった。 彼らに対抗するため、そしていつかの平和を願い魔法を司る王直属の政府機関widdeRにより発足された公認組織・プロタクトのもとへ光の導きによりやってきたのは、 ―――特異なことはなにひとつない、いたって普通の女子高生だった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-11-23

CC BY-NC-ND
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