匙拾いと溜息

 今年は何もかも最悪だ。いろんなものが、投げやりになっている。みんなもう、すべてのことがどうでもよくなっていて、とにかく匙を投げまくっている。投げられた匙は遠くまで飛んで、やがて落ちて、泥水に沈んで見えなくなる。拾おうとして手を伸ばせば、後ろからだれかに背中を押されるんだ。お前もそっちにいっちまえって。

 晦日に執り行われる狐市が中止になった。町長は財政苦のこんなご時世ですが狐市だけはやります絶対にと自信満々に言っていた。たった三日前の話だ。それが、三晩経ったらこのざまである。顔を出して告知するならまだしも、通告は紙切れ一枚を掲示板に貼り出したのみであった。財政苦と言っても、町民から集めた金があるはずである。その金はどうするんだと狐市運営委員会の会長は武道に長けた副委員長と剣道に長けた書記を連れ少数精鋭で殴り込みに行った。しかしそこは既にもぬけの殻で、副委員長の強力な殴打や書記の素早い剣さばきが物を言わせる隙すらなかったのだった。斯くして、この町は狐市が行われないどころか、町の財産を失った状態で年を越さねばならない事態となった。

「世も末だわな。」
 煙管をゆらゆらさせながら六判が言った。俺は彫刻刀を前後へ滑らせながら、面に狐の眼を彫り入れる。ごった返している机に乱雑に置いたラジオからは嗄れた歌謡曲ばかりが流れている。人の声が一切流れないことから考察するに、いよいよ各人この町から脱出し始めているらしい。豆腐売りの喇叭が響くが、この音もいつが聞き納めになるのやら、秒読みである。
「きみも、もうやめちまいなよ。そんな一生懸命面を彫ったってしょうがなかろう。狐市がないのに、誰が狐の面を被るのさ。」
 俺は言葉を返す代わりに、彫るのを止めずに彫刻刀でがりがりと音を立てた。この町は終わりさ。と六判は相も変わらず煙を立てている。狐市やらないんじゃ、お稲荷様に見捨てられて、みな祟りに遭って死ぬ。煙とともに、六判は吐き捨てた。俺たちは朝からずっとこんな調子であった。俺はひたすら面を彫り、六判はずっと煙を吸って、愚痴を吐いた。

 祟りに遭って死ぬ。
 というのは、迷信である。町のうるさ方の婆などがこういうことをよく言うが、じゃあ年明けに町長や委員長や六判が死ぬのかというと、そんなことはない。
 しかし、お稲荷様が来なくなるのは本当だ。お稲荷様が来なくなると、作物が実らなくなる。土地が死を迎えてしまうのである。
 死を迎えた土地は、人っ子一人寄り付かぬ、荒涼とした姿へ様変わりする。たべものも、動物も、人間も、皆いなくなってしまう。あるのは大量の匙。そして、銀色の海を前にはらはらと泪をながす、匙拾いのみである。

「私は明日この町を出るよ。」
 一日中煙を吸って吐いていた六判がついに意を決したようであった。俺は錐で面の眼の部分を開け、穴を覗き込みながら、ふうんとだけ返した。
「まさかとは思うけれど、きみ、狐闇市に参加する気じゃあるまいね。」
 非公認の、狐市のことである。町がやらないなら、と有志を募っている。発行されなくなった新聞の代わりに毎朝ビラが配られていて、大抵の家では気味悪がられて破り捨てられている。何より、みな、もう投げやりになっていて、前向きな気持ちが消失している。
「まさか。」俺は嗤った。
「そうだろうね。それが賢明だ。」
 六判はしみじみと述べた。
 最後に吐いた煙が宙に消えたあと、六判は餞別を置いて去っていった。こし餡の詰まった、饅頭だった。

 客人が去り夜がきたところで、俺は筆を執った。半紙を広げ、朱墨を使い非公認の狐市の告知文を書いた。朝になったら投函しに行くが、きっと殆ど読まれないうちに捨てられるのだろう。この土地はゆっくり死へと向かっている。つまりは、この俺も。

 たくさんの銀色の匙が投げられている。俺はそれを一個ずつ拾って、何度も背中を押されそうになっている。

 狐の面を深く被って、俺は行き場のない長い溜息を吐いた。

匙拾いと溜息

匙拾いと溜息

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-19

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