恋の残骸
夏のこと、あの、せみの死骸といっしょに、土に横たわった日のこと、わたしはずっと、わすれないと思う。
恋、というものは、捨てた。感情は、物体にはならず、けれど、わたしは恋を、丸いボールと想像して、えいやっ、と投げ捨てた。放物線を描き、夏の海に沈んだ恋は、いまごろ、恋だったものとして、海洋生物に食べられたあとかもしれない、し、たんなる藻屑となって、海底に沈殿しているかもしれない。わたしは、ネイルを、夏に映えるビビッドカラーから、秋に相応しいシックなものに変えて、また、あたらしい恋を生み出すかと思ったけれど、いまのところ、これといってなにも芽生えず、鳴くことをやめたせみとの、あの一瞬のできごとを、額に飾られた絵画を眺めるような気分で、あたまのなかに思い出している。冬のはじまり。
スーパーマーケットで安売りしていた、スナック菓子を、かごにばんばんいれて、食べるかどうかもわからないのに、おばあちゃんが好きそうな和菓子も、いれて、そういえばそろそろ、カレーまんが食べたいかもとか考えているあいだにも、だれかの恋は、生まれて、育まれて、そして、死んでいっている。たとえば、レジ打ちのおばさんや、おそうざいの生春巻きを漫然とした様子で選んでいるおねえさんの恋、など。
恋の残骸