原風景

渡逢 遥

切り立った崖の上にひとり仰向けになって

幾日も幾年も ここではないどこかのことを考えていた

すぐ真下には広漠な海が臨んでいて

気紛れな漣の音が他人事のように響いていた

不意に疼き出す傷を指折り数えては卑屈な笑いが込み上げてきて

自分のどこかにまたひとつ 亀裂が殖えたような気がした

ここではないどこかなんて そんな場所はどこにもありはしない

そんなことはお前が一番よくわかっているだろう?

頭上で忙しなく飛び回る烏の哄笑に

そう暗に諭されているような気がした

倦怠は今やブラックホール同然の勢力を伴い

あらゆる思念を強奪しては 私の存在意義を希薄にしていった

それはきっと あの烏の仕業かもしれないと思った

その上に君臨しているのが

いや、すべての上に君臨しているのがあの広大な海で

その正体がきっと この倦怠かもしれないとも思った

そんな馬鹿げた雑念が浮かんでは消え、消えては浮かび

私のなけなしの正気を餌に その存在感を強めていった

圧倒的な何かに抗う事も出来ず沈み込んでいく感覚

海のようだ、と思った

私は海底でひとり息絶える自分の最期を想像した

だが不思議にも恐怖はなく また悪くはないと思った

それが私に相応しい最期だと思った

曖昧なものや揺らぎ、脳内、それらすべての象徴があの海のように思えた

悪くないな。悪くない。

私はおもむろに立ち上がると

依然として頭上を旋回している烏に舌打ちした

そして、そんな事をしている自分が滑稽に思えてまた笑った

海も依然として 他人事のように漣を響かせていた

崖を見下ろすと 名状し難い懐かしさが私を包み込んだような気がした

私はいよいよ腹を括り、頭から垂直に落下していった

反転した世界は羊水の中を彷彿とさせた

ほどなくして私は海底に沈んでいった

海は残酷なまでに冷たく、然し冷たいが故の温かさというものが確かにあった

今、この海が一滴残らず干上がってしまえばどんなに愉快だろう

私は最後の最後までそんな馬鹿げた事に現を抜かしていた

私の意識は緩やかに遠のいていった

その感覚も懐かしく思った

疼きも、亀裂も、喧騒も、すべて残らず溶けていく

元にあった場所に、還るべき場所に還っていく

最後に見た景色は皮肉にも

最初に見た景色と 寸分狂わず重なっていた

原風景

原風景

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-11-17

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