落下から始まる物語10
私自身は人見知りと言う訳ではありませんが、こう言う場面を書く時には、不必要に手順を踏んでしまいます。
やっとメグルと繋がる事が出来ました。
然世子さんお疲れ様でした。
00210904ー2 第三種接近遭遇(カフェテリア)
その日、最初に然世子の異変に気が付いたのは、白石咲子だった。
それは、いつもどおり朝のコーヒーを並べたトレイを手に部室へ入った時だった。彼女が扉を開けるのと同時に、室内から大きな物音と、然世子の短い悲鳴が聞こえたのだ。
「先輩」慌てて部室に飛び込んだ咲子は、床に仰向けに転がる然世子の醜態と鉢合わせした。
椅子ごと後ろにひっくり返ったらしい然世子の、ジーンズを履いた二本の脚が天井へ向けて高々と屹立している。
「せん、ぱい」助け起こそう近づきながら、咲子は笑いをかみ殺すのに必死だった。
「あはは」然世子の方も、取り繕いようもなく、力無く笑うのが精一杯だった。
次に異変に気が付いたのは、矢張りと言うべきか、茅だった。
「さよちゃん、昨夜は何時に寝たの」部室から、ホームルームへ歩く朝の廊下で、茅は明らかに然世子の目つきがおかしいのに気が付いて、心配そうに尋ねた。
「ん、多分一時間は寝たよ」先刻ぶつけた腰の痛みに顔をしかめながら、然世子は答えた。
「なんでまた。」
「メールを書いてて。」
「それで徹夜までしたわけ。」
先を行く然世子の歩が止まり、茅も立ち止まる。
不意に茅を振り返った然世子に顔は、今にも泣き出しそうに見えた。
「茅、あたしは駄目だ」そう言いながら、然世子は倒れ込むように茅にすがりつく。
「なに、どうしたのよ」突然のことに、狼狽えながらも茅は出来るだけ落ち着いた声で尋ねた。
結局、然世子の徹夜は、カスガノ=メグルへのメールに悩み抜いた末だった。書いては直し、直しては消して、また書き直し、を繰り返す内に、気が付けば夜も白々と明けようとしていたと言うのだ。
「呆れた」茅の偽らざる真情だった。
「だって、書いてて思ったんだけど、これって完全にあたし達の都合じゃない。あたし達の都合で、彼を利用しようって事じゃない。そしたら、もう、なんて書いて良いのか分からなくなっちゃって」然世子は懸命に訴えているが、睡眠不足でうまく言葉をまとめられていないことは一目瞭然だった。
「分かった、分かった」茅は呆れ顔を苦笑いに変えながらこう言うしかなかった「今日は、私も一緒に行ってあげるからね。」
そんなわけで、今、カフェテリアで、然世子と茅と、茅に呼び出されたメグルの三人が一つの丸テーブルを囲んでいた。
そして、最初の「どうも」から、すでに三分は沈黙が続いていた。
茅が、何度目かの小さな掣肘を然世子に入れる。
然世子も分かってはいるのだが、麻痺したように口がどうしても開かないのだ。
(どにかく入会してって正直に言えば良いのよ。ちがう、ちがう、その前に整備士の話から確かめなきゃ。でもそれじゃ、いかにも利己的よね。でも結局利己的な話なんだから、正直に言った方が良いのよ。でも、それで怒らせたらどうしよう。軽蔑されちゃうかも。でも、嘘をついてもしょうがないし。大体、嫌われたからって何なのよ。ああ、そろそろ変に思われてるよ。どうしよう。どうしよう。どうしよう・・・)
そんな思考が、彼女の脳裏で、すでに百回は繰り返されていた。無言の気まずい空気の中で、自分の鼓動だけがやたらに大きく聞こえる。
(あたし、どうすれば良いのよ。)
然世子はパニック寸前で、茅は匙を投げる寸前だった。
その時、思いも寄らぬ方向から、気まずい沈黙が破られた。
「おいおい、SF研究会は文化祭でサイボーグの展示でもするのか」
声の主は、昨日坂本と一緒に図書館にいた男子生徒の一人だった。「カスガノ君、気をつけた方がいい。こいつらは、文化祭に展示するつもりで無許可でサポートユニットを作ってたような連中だぜ。うっかり部品を盗まれるかも知れないからな。もっとも、サポートユニットの方は違法だって言うんで展示不許可にされたらしいから、この際、君自身を展示するつもりかもな。」
「・・・っさい」
男子生徒の言葉を、然世子の低い声が遮った。
男子生徒は、一瞬ギクリとして言葉を切ったが、再び喋り始める。
「とはいえ、見かけによらず手が早いな。全身サイボーグと聞いて早速勧誘とは恐れ入ったね。これで・・・」
「うるっさいわよっ」今度こそ、然世子の怒声がカフェテリアに響きわたり、男子生徒の口を塞いだ。
「どう言うつもりか知らないけど、今大事な話をしようとしてるくらい分かるでしょ。邪魔しないでよ」叫ぶようにそう言って、然世子は椅子から立ち上がり、相手を睨みつけた。
「なんだよ。キレんなよ」
「キレるわよっ。あんたにそんな事言われなくたって、あたしだって・・・」然世子は急に口ごもり、目を伏せた。
(わかってるわよ、そんな事)
カフェテラスにいた生徒たちは、無論、大分前から然世子たちのテーブルにそれとなく注意を払っていたのだが、然世子が大声を出したことで今や遠慮なく視線を注いでいる。
その全員が、一瞬然世子が泣き出すのかと思った。
「カスガノ君」一同の予想を裏切って、然世子は、顔を上げ、メグルを真っ直ぐ見ながら静かに口を開いた。「あたしたちSF研究会は、文化祭へ向けて、サポートユニットを作っていました。それは、SFを鑑賞するのに必要な、色々な物事に驚いたり、感動出来るセンスを磨くためだって、みんなそのつもりでやっていた事です。私たちは、勿論、色々なことに驚いたり、感動したりするけど、SFの素敵なところは、一見すると当たり前だったり、当然だと思っていることにも、感動することが出来るって、教えてくれることです。少なくとも、私たちは、そう感じている集まりです。」
メグルは、語り続ける然世子を真っ直ぐに見つめ返して、耳を傾けているように見えた。少なくとも、然世子は、そう信じることで辛うじて言葉を継いでいた。
「月は空にあって、浮かんでいるけど、それは異世界ではなくて、うんと遠くにあるけれど、私たちが今居るここと、地続きの世界。だから、特別な乗り物を工夫すれば、そこへたどり着くことが出来る。SFは、そう言う物語を語ることで、いつも見慣れているものの中に、驚きとか、感動を見つける方法を教えてくれる文学です。でも、本当にその驚きを感じる為には、月がうんと遠いって言うときの、その遠さを実感できる知識や、工夫の意味が理解できる経験が必要で、つまり、そんな勉強をしたり体験をしたりすることが必要だと思うんです。サポートユニットの制作は、今私たちに手が届く、一番高い目標だと思いました。」
その次の言葉を口にしようとする時、然世子は自分の血の気が引くのが分かった。耳鳴りのように聞こえる自分の心臓の鼓動に負けないように、手を握りしめて、精一杯の力を込めて、声を絞り出す。
「でも、それは法律違反だと言われて、中断させられています。もし、あなたの身近に、特殊精密機器整備士免許を持っている人がいるなら、私たちに力を貸してくれませんか。私たちに出来る限りのお礼はします。お願いします。」
最後は、叫ぶような言い方になっていた。
然世子が言うべき事を言い終わったのだと、確認するための三秒程の間を挟んで、メグルが口を開いた。
「あなたが今おっしゃったのは、拡大運輸法第八十七条に関する、運用規則百六十六号、身体を拡張または延長する機材を保有する場合の則に定められた第二種特殊精密機器整備士免許を持つ者の常駐、という条項を満たす為に私の助力が必要、と言うことですね。」
咄嗟に、その言葉の意味が分からず、目が点になった然世子に代わって、茅が力強く頷いた。
「そうですか。私がこの身体なので、私自身の整備の為に、身近に整備士がいることを想定されて依頼されたのだと思います。ですが、まず第一に、私のこの身体は、大半がタナカ情報力学研究所の機材で、個人の所有物ではないため、私個人の為の整備士はいません。」
その言葉に、失望を越えた、絶望に近い表情が然世子の顔に浮かんだ。
メグルは、気の毒そうな表情を作りながら続ける「私は研究所で生活することで、先程の運用規則の条件を満たしています。勿論、彼らには他にも管理すべき機材がありますから、こちらへ常駐させて、あなた方のサポートユニットの面倒まで見させることは、残念ですが、無理と言わざるを得ません。」
「ごめんなさい」消え入るような声で、然世子が呟いた。深々と頭を下げる。
「勝手なお願いで、付き合ってもらって。嫌な思いさせて。」
茅もため息を付いて、立ち上がる。
「ところで、第二に」二人が立ち去ろうとしていることに気が付いて、メグルは慌てて言葉を継いだ。「私は、私自身を整備することは許されていませんが、その他の必要があって、たまたま特殊精密機器の整備士免許を全ての種別について持っています。」
然世子と茅が、メグルの言葉の意味を飲み込むまで、たっぷり五秒以上かかった。
「ですから、そう言うことでしたら」メグルは胸ポケットからパスケースを取り出し、そこから、共和国政府発行の整備士免許証を出して見せながら続けた。「あなたがたのワークショップに私を参加させてもらえませんか。もしご迷惑でなければ。」
「だって、でも」然世子は、目の前のテーブルに置かれた整備士免許証を見つめながら、上手く言葉を継げずにいた。それが、今ここに存在していることが、現実だとは思えなかった。
「それは、SF研究会に入会してくれるってことですか。」
「ご迷惑ですか。」
「そんなこと。でも、うちに入っても、そりゃ、うちは有り難いけど、でもみんなこっちの都合で・・・」
「あなたが先程おっしゃった言葉に、感銘をうけたからです。ヴェルヌは素晴らしい作家です。私はウェルズも好きです。それに、誰が何と言おうと、クラークは旧世紀を代表する作家だと思っています。」
「私も、クラークは大好きです。」
「それなら、私の入会を認めてもらえますか。」
「はい。」
メグルは、にっこりと笑って、立ち上がり、手を差し出した。
然世子も慌てて、手を伸ばしかけたが、自分の掌が汗でびっしょり濡れていることに気が付いて、一瞬躊躇った。
メグルは気にせずその然世子の手を握りしめて言った。
「ありがとうございます。今日は用事があるので、明日の放課後から伺います。学校に来れるだけでも夢のような事だったのに、クラブにまで参加させてもらえるなんて。本当にありがとうございます。」
「はい。待ってます。」
何度か頭を下げながら、メグルがカフェテリアを出るまで、然世子は放心したように手を降り続けていた。
メグルの姿が消えるのを見届けると、倒れるように、然世子は椅子に崩れ落ちた。
落下から始まる物語10
本業超多忙につき、一寸一休みします