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彼女を殺さなくてはいけない、と思った。彼女の呼吸が、途端に恐ろしく思えたのだ。彼女が繰り返す浅い呼吸をききながら、思わず抱きしめてしまったことを、死ぬほど後悔している。「せんせい」彼女がしゃべると、吐息が、耳に、くすぐったく降りかかる。彼女が息を吸ったり吐いたり、するたびに彼女の腹部がゆっくりと上下するのが、触れ合った部分を通して、直接、わかる。彼女のぬるい体温が伝わって、鼓動が早くなっていっているのがわかって、吐きそうになりながら、すぐ彼女を殺さなきゃいけない、と思う。彼女が、僕の首に手を回して、僕の目を見つめて、にっこりと笑う。「せんせい」彼女の息のにおい、朝食べてきたものや安い歯磨き粉、赤い口紅、の混ざったそれ、を僕は知っていて、においまでも彼女であることが怖くて、どうしようもなく目を逸らす。彼女のことが嫌いであるとかではなかった。彼女の存在自体が怖いというわけでもなかった。彼女の呼吸、鼓動、体温、彼女が生きるためにいきているすべてのものが怖くて、それを消し去るには、そのもとである彼女を殺さなくてはならないだけで、彼女を殺したいわけではなかった。
「皆川さん」
彼女と目が合うと、彼女はうれしそうに笑って、なあに、と彼女が顔を近づけてくる。吹きかかる息に温度を感じるのがやっぱりたまらなくて、僕は彼女の首にそっと手を当てる。「どしたの、せんせい」彼女の首はほかの箇所とは違って、血が通っていないようにつめたくて、僕は束の間、安心する。しばらく彼女の首を撫でるようにしてから、骨の下のあたり、やわらかい部分を、軽く押す。う、と彼女は小さく声を上げ困惑したような顔をしたけれどすぐ、いつものうそくさい笑顔に戻った。「せんせい、そうゆうのがすきなの?」違うよ、と言いながら、指先に込める力を、少しずつ強めていく。彼女の目にはじわりと涙が浮かんできて、それがこぼれるころには彼女は死ぬだろうな、とわかる。「ごめんね」僕が言うと、彼女は、いみわかんない、やめてよ、と声にならないながらも口をぱくぱくさせて、そのことに僕は、驚く。それは、先生がそうしたいならいいよ、と変わらず笑って僕の行為を受け入れてくれる彼女を僕は見つめていたからで、そうじゃない彼女はますます死んでしまうべきだ、と思った。
指先の感覚ももうなくなって、彼女が死んでも死ななくてもどっちでもいいような気がしてきたころ、彼女は息をしなくなった。心臓も止まって、徐々につめたくなっていくであろう彼女を見て、僕はようやく、心から安心する。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-07

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