蟲茸
茸の人情小咄最終回 縦書きでお読みください。
料理人の平助が食事どころの瓢箪から戻ってまいりますと、おかみさんのみつが
「八茸爺さん寝込んじまったんだよ」と訴えます。
八茸爺さんは江戸に行って、茸の本を何冊も買って帰ってきたところです。
「疲れが出たんじゃねえのかい」
八茸爺さんは古希に近い年になっています。
「そうなんだよ、玄先生がいうにはね、しばらく静養したほうがいいって言うのよ」
「そりゃあ、そうだろうよ、八茸湯にでも入ってな」
「いや、温泉はもう少し元気になってからでないと、だめなんだってさ、弱った時に入っちまうと、からだから生気が温泉に吸いとられるんだってよ」
「それじゃ、栄養のあるもん食わせなきゃ、明日にでも、瓢箪の旦那に言って、鰻をつくってもらうよ」
「いきなりはだめなんだってさ、まず、かゆを食べて、薬を飲むのがいいってさ」
「それじゃ、鰻かゆをつくってやらあ、薬は玄先生にまかせたらいいやね」
「ところがね、八茸爺さんが言うには、自分にあった薬は、蟲茸で作るのが一番だということらしいんだ、玄先生も蟲茸は体を強くすると言っていた」
「そいじゃ、蟲茸を採ってくりゃあいいじゃないか」
「おまえさん、蟲茸みたことあるだろ」
「ああ、土の中の蟲から生えるやつだろう、橙色のを見たことがあらあ」
「でも、なかなかみつからないよ」
「そりゃそうだ、それで、玄先生はどうしろっていうんだい」
「茸取長屋の人たちが、みんなで蟲茸を探してくれということだよ、その中で、八茸爺さんに効きそうなのを、薬にするって言ってた」
「それで、みんなどうするって」
「今日、夜を食べたら、井戸端に集まることになっているんだよ」
平助とみつは夕飯を食べると、井戸のところにまいりました。三々五々、長屋からみなが出てまいります。
玄先生が来ています。
みなが集まると、玄先生が話を始めました。
「長屋のみんなは、蟲茸は知っておるだろう、この茸は蝉の子どもや、蛾から生えるのじゃ、小さな茸だが、これを蟲ごと掘り出して、乾燥させると、心の臓、腎の臓、肝の臓ばかりでなく、からだ中に力をつける薬になる。なんと蝮より精力のつく薬になるのだ、鼈よりもだ、八茸爺さんを、元に戻すには、蟲茸を採ることしかない。わしが、買い受けるから、探してくれ」
「八茸爺さんのためだから、金はいいが、蟲茸はいろいろな蟲から生えると聞いたけど、どれでもいいのかね、先生」
「ああ、どれが一番いいのかわからないので、みんな薬にしてみるつもりじゃ」
「蟲ごといるのだとすると、掘り出さなきゃなんねえな」
「ああ、竹べらを持っていって、見つけたらそうっと掘るんだぞ、いつもの茸採りとは違うぞ」
「よしきた、みんな探そうじゃないか」
次の朝から、茸取長屋の住人たちは、自分の特意とする茸山に向かいました。
平助とみつは天神山の林の中で下を向いて、ゆっくりと歩いていきます。
「いざ探すとなると、ないもんだな」
「ほんとだね」
しばらく歩くと、みつが葉っぱが積み重なっている隙間から、薄茶色の小さな擂粉木(すりこぎ)のような蟲茸をみつけました。
「あれ、そこにあるで」
「どれ」、平助が見ると、確かに蟲茸です。平助が竹べらで周りを深く掘っていくと、蝉の子供がでてきます。薄茶色の蟲茸が蝉の頭から生えていました。
「こわさねえように、もってけよ」
みつが竹で編んだ籠に柔らかそうな羊歯の葉を敷いて、その上に蟲茸を載せます。それからいくら歩いても蟲茸はみつかりません。
熊八ととめは、茶城山の奥に行きました。平助たちと同じで、なかなか蟲茸がみつかりません、やっと、蝉の幼蟲から生えた、黒い蟲茸をみつけました。
さて、辰巳山に行った松五郎と竹五郎は、ずい分たくさんの蟲茸に出会いました。落ち葉の中に、ぽつぽつと橙色の蟲茸があちこちに生えています。
「蟲茸を採るなんざ初めてだよな」
「ああ、こわさねえように、深く掘れよ」
松五郎と竹五郎は、なれない格好で、竹べらをつぶつぶのついた橙色の蟲茸の根元を掘っていきます。中から蟲が出てきます。
「こりゃ何の蟲だ」
「蛾だぜ、こんなんが薬になるんかね」
「この蟲まで飲んじまうんだろう」
「そうだってよ」
「気味わりいよな」
そういいながらも、二人は、せっせと、蟲茸を掘り出します。かなりの蟲茸が集まりました。
鳥蔵はもっと奥の山のほうに一人で入っていきました。そこには色の違った蟲茸が生えています。茸採りになった鳥蔵は手際よく、蟲茸を掘り出していきます。出てくるのは、みんな蝉の子供です。
蓑吉と紅は大熊山と井草山に行きました。紅が生まれたところです。紅は大熊山の茸たちに挨拶をします。
「ご無沙汰しております」
白(しろ)鹿(かの)舌(した)が「久しぶりだなあ、人間も板についた、おお、亭主を連れてきたのか」
蓑吉は茸とは初めて話をします。
「蓑吉でごぜえます」
丁寧にお辞儀をすると、白鹿舌が傘を上下させて「おお、いいご亭主だ、紅もよかったな」と笑います。
「ところで、茸採りにきたのかい」
「ええ、家主さんが病気でね、蟲茸を集めているのですよ」
「おお、そうかい」
茸はそう言うと、その後は傘を振るわせるだけで、蓑吉には声が聞こえません。
「蓑吉さん、蟲茸の生えているところを教えてくれました」
蓑吉には聞こえなくても、紅に茸が話をしたのです。
「それじゃ、案内してくれよ、みんな採っていこう」
二人で、大熊山と井草山の蟲茸を採りました。籠にいっぱいのいろいろな蟲茸が採れたのです。
こうして、お昼ごろ、みなが山から戻ってまいりました。残っていたおかみさん連中が、飯の用意をして待っています。
採れた蟲茸が、板の上にならべられます。待っていた玄先生が見て驚きます。
「ずい分沢山採れたな、さすが、茸取長屋のみなみなだ、これだけあれば、八茸爺さんよくなるぞ」
そこへ、遊んでいた子供達も戻ってきます。手に手に、なにやら持っています。
子供たちが、板の上に手に持っていた茸をおきました。
「おーお、これは、蜘蛛から生える蟲茸じゃ」
蜘蛛から紫色の蟲茸が生えています。
「おらが採った、家の脇にあった」
鶴の子どもの三吉が得意げに言います。蟲茸はどこにでも生えるようです。
「これはおらが採った、これもすぐそこで見つけたんだ」
亀の子どもの鮒助が板の上の小さな蟲茸を指差します。細い蟲茸が蟻から生えています。
「こいつは、おらだ、掘るの大変だった、裏山のすぐのところ」
春の子どもの鳥太が言いました。
それは、紅色の耳かきのような形をした蟲茸です。根元には屁こき蟲がついています。
実助は蜂から生えた蟲茸を「おらが長屋の中でみつけたんだぞ」と自慢します。
「子ども達も大したもんじゃ、八茸爺さん、大喜びじゃ、見ただけで治っちまうんじゃないかね」
さすがの玄先生もびっくりして大喜びです。
集めた蟲茸を板にのせたまま、八茸爺さんの家に運びます。かみさんたちは握り飯をもって、八茸爺さんの家に行きます。
八茸爺さんは、みなが採ってきた蟲茸を見て、驚くも何も、大喜び、布団の上にあぐらをかくと、蟲茸を手にとって、ならべていきます。
「すごいもんじゃ、蟲茸がこんなに集まったのを見たのは初めてじゃ、見たこともないものがあるのう」
玄先生が「長屋の人たち腕がいいよ、みんなすごいが、この蜘蛛、蟻、屁こき蟲、蜂のやつは、子どもらが採ってきたんじゃよ、さすが長屋の子ども達だ」と言うと、
「ほう、嬉しいことじゃ」
八茸爺さんはとうとうおきだしてしまいました。
「どれを薬にしたらいいかね」
「玄先生、どうだね、泡盛につけたらいいと思うが」
「全部一緒にかね」
「そうですな、いろいろに効くじゃろうと思うてな、わしだけでなく、みんなが飲めるようにしようと思うのですが」
「そうかい、それじゃあ、江戸の知り合いに頼んで、泡盛を取り寄せるが、それまで時間がかかるから、干しておくことにしよう」
玄先生の指導のもと、蟲茸は陰干しにされました。
数日後、何本かの泡盛が届いて、玄先生が茸取長屋にもってまいりました。八茸爺さんの家にいきますと、蓑助と紅が来ています。
「おや、お二人で、八茸さんの世話ですか」
玄先生が二人そろってきているのは、何か八茸爺さんに相談があるのだろうと思ったが、そう切り出した。
「いえ、私ら夫婦、長屋から出て行こうと思って、家主さんに相談に来ていたところですよ」
紅がそう答えたのだが、出るのに相談はいらないだろう、紅の素性を知らない玄先生は奇妙に思った次第です。八茸爺さんが玄先生に言いました。
「ちょっと、難しい相談を受けたのですがな、まあ、玄先生にも聞いてもらうのもいいかもしれませんな」
「なんでしょう、お役に立てることがあれば、なんなりと」
「この二人が、草蜉蝣から出た蟲茸が欲しいというのでな、わしはいいよといったのだが、自分達が採ったのではないので、長屋の人に断らなければと言うのですがな」
玄先生は紅さんたちが長屋から出ることと、蜉蝣の蟲茸とどのような関係があるのかわかりません。
「蜉蝣から出た茸というなら、かなり小さいものですな」
紅が頷いた「はい、小指の先ほどでございます、しかし、貴重なもので、何年かに一度出ればよいほうで、場合によっては何十年も出ないものなのです」
紅は干からびて小さくなった、草蜉蝣の頭から出ている待ち針のような茸を指で示しました。
「確かに小さいの」
玄先生は目を近づけます。
「二人はたくさん蟲茸を採ってきたが、その蜉蝣の蟲茸もお前さんがたじゃないのかい」
二人は首を横に振ります。
「誰が採ったのだろう、このように細かいもの、松五郎や竹五郎が見つけることは出来ないしな」
八茸爺さんが「あーあ、そうか」と気が付きました。
「紅さんや、これは、採った蟲茸を載せるための、羊歯や葉にくっついていたものに違いない、誰のだかわからん、だから、お前さんがたにやろう」
「いいのでしょうか」
「かまわんが、何にするのかね」
「蟲茸を採りに、蓑吉さんと久しぶりに生まれた大熊山に行ってまいりました、なつかしい思いと、私はやはり紅天狗茸、茸に戻りたくなったのです」
「なんと言った、紅さんが、紅天狗茸に戻るですと」
初めて聞いた玄先生はびっくり仰天、冗談にしか思えなかったようです。
「そうなんじゃ、馴れ初めは松五郎と竹五郎から聞いておる、紅さんは紅天狗茸が姿を変えた女性」
玄先生言葉が出ません。目が飛び出しています。
八茸爺さんが尋ねます。
「しかし、娘の美美はどうするのかね」
「一緒に、紅天狗茸になります、半分は紅天狗茸、わたしが一緒に行こうといって、美美がうなずけば、すぐに紅天狗茸にかわります」
「それで、蓑吉はいいのかね」玄先生が聞きます。
蓑吉はうなずきます。「紅と蟲茸を採りにいって、大熊山の茸と話をしたんでさ、そしたら、みな楽しそうでござんした、それで、すごいことをきいたんで、茸というのは本当は、地面の下でみなつながっているんだそうで、秋の風が吹き始めると、顔を出し、二日で萎れてしまっても、土の中の体は生きているものだそうで、人間より長生きで平和な生きものだそうでござんすよ」
「それはそうだが、紅が元に戻ると、お前はまた一人になっちまうぞ」
そこで、紅が説明をしました。
「草蜉蝣の蟲茸は、人を茸に変えることが出来ます」
それには八茸爺さんも玄先生も顔を合わせて声も出ません。
「それじゃ、蓑吉は茸になるっていうのか」
「へえ、あっしも紅天狗茸になって、紅といつまでも大熊山で暮らしたいと思いやして」
八茸爺さんと玄先生は再び顔を見合わせてしまいます。
「それなら、しかたないな、もっておいき、さみしくなるがな」
八茸爺さんが言います。
「秋の終り頃、茸になりてえと思います」
「名残は惜しいが、仕方なかろう、二人で仲良く茸として生きてくおくれ」
八茸爺さんはまた寝込んでしまいそうです。
「茸はいつでも、人の形になることができます、また会いに参ります」
紅さんの一言で、八茸爺さん、ちょっとほっとします。
「そうか、それなら、嬉しいことじゃ、いつでも遊びに来ておくれ、また紅さんには相談したいことがでるかもしれぬしのう」
「それに、裏山の紅天狗畑の面倒もみます」
「おお頼むよ」
草蜉蝣の蟲茸をもらった蓑吉と紅は長屋に戻っていきました。
「八茸さん、不思議なことばかりだな」
八茸爺さんも頷きます。
「茸の世界は不思議が不思議じゃないようですな」
玄先生もなかなか声が出ません。しばらくして、
「それにしても、この蟲茸、泡盛につけなければならんな、八茸さんはしばらく飲んだほうが良いのう」
「玄先生、わしゃ、蟲茸を見ただけで、元気になっちまった、蟲茸を女の道にきくものと、男の精力に利くものに分けてみたが、どうじゃろう、分けて泡盛につけてくれませんかの」
「そりゃあいい、わしも男の泡盛を飲みたいものだ」と、玄先生は女と男の蟲茸泡盛をつくりました。
八茸爺さんは毎日蟲茸の入った泡盛を飲んで、体の調子はもとに戻りました。茸取長屋のみんなも、蟲茸の入った泡盛を飲み、ますます健やかに楽しく茸狩りを楽しんでおります。
秋の終りになりますと、冬支度が始まります。茸取長屋の住人達も衣替えです。もうすぐ、蓑吉一家が紅天狗茸になってしまいます。それを知っているのは、八茸爺さんと玄先生だけです。
八茸爺さんは、長屋の人たちを井戸端に集め、ことの次第を説明しました。おかみさんたちは「紅さんは紅天狗茸だったんだ」と驚き、「さみしいね、三人がいなくなっちまうのは」としんみりしております。
蓑吉は「これを飲むと、明日には紅天狗茸になることができるんで」
そう言って、紙に包んである乾燥した草蜉蝣の蟲茸を開いて見せます。
「一晩で茸になっちまうのかい」鳥蔵が聞きます。
「ああ、そういうことだよ、だがな、茸は人の形になれるそうだ、会いにくるよ」
「そうかい、それで一緒に酒も飲めるのだな」
平助たちもなんだか残念そうです。
「もちろんで」
三吉、鮒助、鳥平、実助の子ども達が蓑吉のもっている草蜉蝣の蟲茸を見て、「なんだ、これ、あっちにたくさんおちてるよ」と裏山を指差します。
それを聞いた大人たちがいそいで裏山にいきますと、紅天狗茸畑の中に、たくさんの草蜉蝣が死んでいました。草蜉蝣の頭からは小さな蟲茸が生えています。
長屋の人たちはみんなで、草蜉蝣の蟲茸を拾うと、長屋にもってまいります。
「驚きました、草蜉蝣の蟲茸は何十年に一度ぐらいしか出ないもので、こんなにたくさん生えているなんていうのは、なんでしょう」
紅もびっくりしております。
松五郎と竹五郎が「これを飲めば、俺たちも茸になっちまうのかい」と聞きます。
「はい、茸になります」
「どんな茸にもなれるのかね」
「なりたいものになれます」
「俺も茸になっちまおうかな」平助がいいますと、みつが「お前さんがなるなら、あたしだって」言います。
「あっしもなろうかな」鳥蔵が言います。もちろん春もうなずきます。熊八ととめも頷いています。
「ところで、紅さん、わしらが草蜉蝣の蟲茸を飲んで、茸に変わっても長屋で暮らすことは出来るのじゃろうか」
八茸爺さんがききます。
「はい、いつでも人に変わることが出来るので、昼はいつものように働いて、夜は部屋の中で茸に戻ることができます」
「それは、便利じゃ」
「最初はびっくりしたね、いつだったか、夜中に目を覚ましたときに、隣で紅天狗茸が枕をして寝ていやがるじゃないか、飛び起きたひょうしに、こいつが目を開けて、ふーっと人間に戻ったのには、驚いた。それで、こいつが紅天狗茸だと言うことを知ったんでさあ、松五郎さんと、竹五郎さんのおかげだと聞いておりやすが、だまされていたほうが良いだろうと思い、今までお礼も言わずに悪かったと思っているよ、ありがとよ」
蓑吉が説明します。それを聞いて、松五郎と竹五郎が恥ずかしそうにしております。
「山の中で、ずーっと茸でいることも出来ますし、昼間長屋に帰ることも出来ます」
旅をする乾物売りの伸介は「そいじゃ、夜は旅籠に泊まらずに、茸になって森の中で寝て、旅をすることができるわけだねえ、そりゃあ便利だ」
「そうですよ」
「わしも、茸になっちまおうかな」
八茸爺さんが、そう言ったものですから、俺も私もと、結局、長屋の全員が、草蜉蝣の蟲茸を飲みたいと言いだしました。
「もし、皆さんが茸になるのなら、私どもも、大熊山にはいかずに、長屋で紅天狗茸になります」
紅が言います。
「それじゃ、これから、蜉蝣の蟲茸を飲むことにするかの、その前に、人間最後の酒盛りをしようじゃないか」
茸取長屋名物の、いつもの酒盛りでございます。井戸の脇にござが敷かれ、樽酒が運び込まれます。おかみさんたちが、茸の料理を作ります。
酒盛りが始まります。
「酒は旨いね、明日からは茸になるてえと、どうなる、人間に姿を変えて茸を食うと共食いだな」
「八茸爺さん、そこのところはどうなるね」
八茸爺さんは答えに詰まります。
「紅さんどうなるのじゃ」
「いえいえ、食べても心配ござんせんよ、茸から生える茸があります、あぐら茸といいますが、それは共食いというより、一緒に生きるのでございます」
「そりゃあ、いい、人も茸もみな同じ」
流行歌の節にあわせて、蓑吉が歌います。
そこへ玄先生と提灯屋の志の助が遅れて顔をだしました。
「遅くなってすまん」
八茸爺さんがこうこうしかじかと、蜉蝣の蟲茸がたくさん見つかった話をしますと、「わしも茸になる、茸の気分を味わってみたい」と玄先生が言います。志の助も「あっしの分はありやせんか」と聞きます。
「あるよ、草蜉蝣の蟲茸はまだあまっている」
「どうじゃ、茸に変わってからも人として働けるのなら、草蜉蝣の蟲茸を栽培して、この町の人たちをみな茸にしちまおう」
玄先生の話に大きな拍手が沸きます。
「では、そろそろ、草蜉蝣の蟲茸を酒に入れてぐいと、飲み干そうじゃないかね」
八茸爺さんが声を上げます。
「子どもには蜂蜜水をやろう、それで飲みなさい」
こうして変身準備が整いました。
「さあ、茸に杯を手向けようじゃないか」
八茸爺さんの声で一斉に蟲茸を飲んだのでございます。
それでお開き。
そしてあくる朝、長屋の人たちは、見事、みな茸に変わってしまいました。
八茸爺さんは万年茸になりました。松五郎は黒舞茸、竹五郎は鳶茸、板前の平助、みつ、実助の家族はそれぞれ黒皮、緋色茸、栗茸に、乾物屋の伸介の家では、伸介が猪口、亀が紅茸すなわち卵茸、鮒助が埃茸になりました。簪職人の芳蔵は箒茸、鶴は杏茸、三吉は土ぽぐり、すなわち網笠茸、茸採りになった鳥蔵は唐傘茸、春は絹傘茸、鳥太は脳茸でございます。植木職人の熊八は紫占地、とめは可憐に花落ち葉茸とあいなりました。
玄先生は猿の腰掛けに、志の助は提灯茸になりました。提灯茸とは扇茸のことでございます。
茸取長屋では、いつものような暮らしが営まれておりますが、時々、人に変わり忘れた茸が、茸の姿で動いていしまうことがございます。ついこの間、井戸端で人の大きさの紅茸と杏茸、それに絹傘茸が話をしていて、道をいく人が遠めに見て、仰天したという噂が町にながれました。亀と鶴と春がいつものように井戸端でおしゃべりをしていただけの話でございます。
みな茸になり何年か後のことでございます。玄先生が草蜉蝣に蟲茸を生やすことが出来るようになったと、八茸爺さんに報告にまいりました。町中の人が茸になるのもそう遠い話ではないことでございます。この町は茸で有名な国、いや、茸の国になるのでございます。
さて、このあたりで、幕を下ろすことにいたします。
蟲茸