語り手の君探し(短編集)
電車の揺れが、なんだか日常過ぎて、僕は、目を開く。
電車の揺れが、なんだか虚し過ぎて、私は、イアホンを耳に当てる。
車窓から見える景色も、
冷房の風に揺れる広告も、
帰ってくる事も無い掻き消された踏み切り音も、
全部、この小さな空間が閉じ込めている。
僕は、本を開いた。
『流れた世界』
土曜日課で午前中で学校が終了した今日、僕はいつものように電車に乗って帰路に着く。
その車両に他の乗客はいなかった。誰一人として存在する者がない車両は、まるで僕だけの世界のように思えて、さっきまで感じられた汗の雫が、今はまるで単なる飾りのような気持ちになった。
その中でもボックス席は特に落ち着いた。一人だけの空間にさらに小さな空間が入り混じった、不思議な感覚。それが具現化してこの現実に表現されたのが、今僕が座っているこの窓際なのだと勝手に想像する。
そんな小さな非日常を頭の中で展開する中、最寄り駅で一人、女子高生が乗ってきた。その子は、何食わぬ顔で僕と同じボックス席の斜め前に腰掛ける。
本を片手に活字に焦点を合わせる僕は、チラリと彼女を見た。
両耳から垂れ下がるイアホンが、その長いストレートの髪に絡みつくようにしてそこにある。
自然と、息を呑んだ。
それが美しいというか、どこか儚げな容姿に見えてしまったのだ。
この車窓から見える流れすぎた風景の儚さとは違う、明らかに別の次元を歩いているその存在が、僕には大きすぎて、まるで世界その物のように思えた。
すると、彼女も鞄から一冊の本を取り出し、その活字の波に瞳を沈ませた。
そして、僕は気づいた。
「……その本、面白いですよね」
それは、僕が今まさに手にしている本と一緒だったからだ。
不意をつくような予想もしない僕からの言葉に対し、彼女はイアホンを片方取って、静かに僕を見つめて答えた。
「この作家さん、好きなんですか?」
「うん、まぁね」
「……」
彼女は再び、活字に瞳を静めた。
しばらく黙った後、彼女は言った。
「この小説を読むの、私二回目なんです」
「そうなの? 僕は初めてなんだ」
「……この話、最後はとても幸せな気持ちになるんです」
「幸せな気持ち?」
彼女は頷く。
「終わってしまいそうな世界から抜け出そうとする主人公たちは、そんな狭苦しい世界を軽蔑して、壊そうとするんです。でも、主人公たちは気付くんです。世界の狭さを知ることで、自分の本当に守るべきものが何なのかを」
「……」
「きっとそれは……愛なんでしょうね」
「……」
再び彼女は、活字の世界へと消えていった。
解かれたイアホンは、その世界への入り口のように思えた。
「きっと……」
僕は話を切り出す。
「きっとその世界は、こんな世界なんだろうね」
僕はそう言って、流れる車窓の風景に目をやる。
彼女も目をやる。
「……かもしれませんね」
「……」
そのときの表情が、僕は今でも忘れられないんだ。
おわり
語り手の君探し(短編集)