シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅹ  玄武寮第一

 帰りのタクシーの中、野村は渋谷の隣に座り、ずっと頭を抱えるようにして俯いていた。
 綾を見送った後、不動という男から示された群衆の中に、野村が追っていた女の姿があった。
 それを示した時の不動の緊張感は、そのサングラスに隠された視線を引いても、容易に感じ取れるものだった。
 その女が誰なのか・・・。
 不動という男は何も答えず即座にその場を離れ、屋敷のメイドが二人を見送った。
 野村の中に、言いようのない憤りが渦巻いていた。
 他の誰かに対してではない、彼自身に対する憤怒だ。
 渋谷は特段何も言わず、ただ腕を組んで目を閉じた。


 玄武館高校の寮に戻り、善知鳥景甫への報告ということで、渋谷と共に景甫の部屋へ向かった。
 景甫の待つ居室まで続く廊下を先に歩きながら、渋谷は後ろをついてくる野村の足が止まる度に振り返り、先を促した。
 恐ろしいほどに殺風景な部屋だ。勉強机にベッド。目に見える家具以外の物品は何一つ見当たらない。
 その中で、椅子に腰かけ窓辺に背を預ける景甫と、その脇に立つ宰相・佐久間涼。
 野村は、渋谷に続いて足を踏み入れた。
 綾にしたのと同じに語る野村の話を、景甫は黙って目を閉じて聞いていた。
 傍で聞く佐久間が、野村の話と正面にいる渋谷の表情を比べながら控えている。
 一度、綾が怪我を負ったことに触れた時、景甫は弾かれたように顔を上げ、暫く野村を見つめたが、また目を伏せて最後まで聞き入った。


 綾が退出した後、不動と呼ばれた男からパーティの出席者と思しき写真を見せられて、『探していた女』がいるかどうか確認するよう言われた。
 渋谷が見守る中、野村は一心に一枚ずつ確認し、その『女』を見つけた。
「それは、誰だったのですか」
 佐久間の問いに、野村は力なく首を振るだけだ。
 渋谷が割って入る。
「野村がその写真を指すと、すぐに男は立ち去り、我らは帰路につきましたので、問い質すことはできませんでした」
 問い質す暇は与えられなかったのだ。
 暇があったとしても、答えてはもらえなかっただろう。
「それは、誰のパーティだ」
「それが、判然としませんでした。それと分かるものが何もなく」
 景甫の問いに、野村が答える。
「厳戒態勢と言っていいほどの警備でしたので、近寄ることもできない様子でした」
 その中で、少女が襲われた状況に居合わせたのは、ただただ『偶然』だったのだ。
「彼女が庇ったその少女は何者だ」
「わかりません」
 力なく首を横に振る。
「名前もわかりません。ただ『姫様』と呼ばれていました」
 一度、鷹沢士音がその少女の名前を呼んだようにも思ったが、聞き取れなかった。
「駆けつけた警備の男達の様子からも、おそらくその少女はかなり重要な人物だと思われます」
 そして、葵と対峙し、背後に庇った時の微かに残る綾の気配を思い出した。
「魔女にとっても、本当に大事な方のようでした」
 結局、病院に搬送されるまでの間、綾は決して幼子を手放さなかった。
 そして周囲は、少女を抱き締めて放さない綾ごと守っているように見えた。
 時として意識が別の所に行く野村に、景甫は淡々と問い続ける。
「お前が追っていた女は、貴妃と繋がっているのか」
「明らかに接点はあるようでしたが、どのような繋がりがあるのかまでは確認できていません」
「その女の顔や身形を思い出せるか」
「はい」
 野村の確かな返答に、景甫は傍の佐久間に視線を送り、佐久間が察して頷いた。
「思い出せるだけを詳しく、報告を上げてください」
 その『女』について詳しく知っておく必要がある。
 この場で踏み込んで聞いても良いと思ったが、如何せん野村の様子がいつもと違う。
 単に疲れているだけのようにも見えるが、何か引っかかるものがあった。
 野村は、景甫の質問が途切れたのを感じて、深々と頭を下げた。
「密かにとのご命令でしたのに、このような始末となり申し訳ありませんでした」
 顔を歪め、擦れた声で吐き出すように唸った。
「玄武帝は、俺が『魔女』に近づくことはお望みにならないだろうと。ですから、敢えて『魔女』の事は調べませんでした。それが、このような始末になるとは・・・」
 思いもよらなかった。
 あのような状況で関わるとは、まして、自分の目前で傷を負うことになるとは――想像もしなかった。
 拳に力がこもり、血管が浮き上がり、肩が震えた。
 渋谷が佐久間と視線を交わし、無言で景甫の許可を得た。
「もう、遅い。お前も疲れているだろう。一先ず休みなさい。明日、もう一度話を聞こう」
 渋谷が静かに促すが、野村は強張った表情を景甫に向けたまま、背に力を入れた。
「いえ、まだ報告していないことがあります」
 一転、珍しく威圧的な口調を受けて、景甫が少なからず嫌悪の表情を浮かべた。
「なんだ」
「先日、聖蘭学園と鷹千穂学園のバスケット部の試合があったのは、玄武帝も覚えておられると思います」
 試合の終盤、聖蘭学園の選手が一人、コート上で受傷した。
「阿久津が受けたのは、紛れもなく銃弾であったことは既に把握されていると思いますが、その後、調べましたところ、阿久津はその傷が原因で再起不能・・・バスケができないどころか、まともに歩くことすらできなくなっています」
「傷を治さなかったのか」
「違います。正規の医者ではなく、モグリの者に処置をさせたようです。適切な処置が受けられず、悪化したものと思われます」
「銃を使ったからか」
「そうです。公になっては困るのでしょう」
 阿久津は見る影もない。
「拳銃についてですが、明らかに不破公と関わりがあるものと思われます」
「推測か」
「いえ、ほぼ確信できます」
 不破公・常磐井鼎は、拳銃を高校生に作らせようとしていた。しかも学校内で、だ。
「そう証言する者を見つけました。ただ・・・」
 ただ、何かのアクシデントか、その目論見は頓挫したようだ。そしてその為か不破公から制裁を加えられ、今はその所在が分からない。
 そして、その周囲で傷ついていく者が日に日に増えているのを、確認している。
「一介の学生が関わるのは危険過ぎます。敢えて言わせてください――」
「野村、言葉に気を付けなさい」
 佐久間が景甫を憚り、小さく諫めたが、野村は止まらなかった。
「阿久津は貴妃の側近でした。その側近をあのように惨い形で捨て置く貴妃は非情です。法を犯し、人を傷つけるものを平気で扱う不破公は非道です。そんな者達と玄幽会が手を組むのは、属するものとして――」
「野村!!!」
「俺は、我慢なりません」
 制止されながらも、野村は腹の底から絞り出すように肩をいからせて、吐き捨てた。
 どのような制裁を受けようとも構わないという覚悟が、野村の横顔に見て取れた。
 普段は指示が飛ぶ度に冷や汗をかきながら走り回っている野村からは想像できない。
 だが、確かに生真面目で優しい印象の彼らしい反応と言えば、わからないではない。
 野村の脳裏には、部下を案じる魔女の姿があった。
 渋谷は景甫の表情を見つめたが、景甫はただ真っ直ぐに野村を捉えている。
「真行寺万里子に会いに行きましたね。あれは、どういう意味ですか」
 佐久間が問う。
「確かめたかったのです。今、玄幽会は、貴妃と不破公の勢力を画するように基盤固めを行っています。しかし、貴妃は密かに魔女を探しているようですし、不破公については、賭け事は元より先の武器などの売買を拡大させつつあります。そんな中で、はっきりと確かめたかったのです。『マドンナ』という存在を――」
 野村は咲久耶市にある八須賀高校の者と偽り、万里子と会っている。
 その時、貴妃と常磐井の悪口を言い、万里子を女神と崇め奉った。
 それはおそらく、単純に万里子を喜ばせる笑い話ではなかったのだろう。
 景甫は物憂げにゆっくりと口を開いた。
「魔女の瞳を見たのか」
「はい、見ました。お父上と同じ、綺麗な光を帯びた瞳でした」
 何故そう問われるのか分からないままに、野村はありのまま答えた。
「そうか」
 特に感慨のない口調で景甫は一言結ぶと、目を閉じてしまった。
「下がりなさい」
 佐久間の言葉に、渋谷が柔らかく付け足した。
「野村、ご苦労だった。疲れただろう、休みなさい」
 否やは受け付けない宰相と軍師の言葉に一礼して踵を返しながら、野村は拳を握りしめ、奥歯を噛み締めながら呻いた。
「俺は、守れなかったんですね・・・」
「野村、彼女はお前に礼を言われていた。お前がいて助かった、と。あれは、嘘ではないだろう」
 渋谷が遮った。
 だが、野村は肩を怒らせて震えた。
「俺、走ってきます」
「走る? 野村、門限はとっくに過ぎているよ」
 渋谷が呆気にとられてそう呟いたが、野村はまったく聞いていないようだ。
 廊下は元より、外ももう真っ暗だ。
「とにかく、走ってきます」
 そう言い切ると、再度踵を返して景甫に深々と頭を下げると、サッとひるがえりダッシュで部屋を出た。
「野村、玄関は閉まっているよ」
 と言ってみたが、すでに廊下の先まで遠ざかり見えなくなった。


 渋谷は大きく息をついて景甫の居室に戻ると、景甫も佐久間も、野村を見送った状態からまったく微動だにしていなかった。
 渋谷は、声をかけることも憚られた。
 ほんの数分が、永遠に続くかと思われた。
 景甫がゆっくりと視線を上げ、渋谷を捉えた。
「彼女の傷は――」
「はい、背中にかなりの傷を負われているようで、憔悴されているようにも見受けられましたが、景甫様に物申す程度にはお元気でした」
 景甫に対し、『鷹沢と呼べ』と伝えた。
「ところで、玄武帝。本当のところ、野村の極秘任務とは何だったのですか」
 渋谷は、綾に説明した野村の言い分を伝えた。
 指示は『極秘任務』で、『咲久耶を見張れ』だが、景甫を慮って敢えて『魔女』には関わらないようにしていた、と。
「単純に、『咲久耶を見張れ』と伝えただけだ」
 野村の思うように動けばいいと伝えたが、まずは真行寺万里子と香取省吾の関係を探ってみてはどうかと付け加えた。
 咲久耶において、どうしても無視できない二人であることは、軍師も宰相も承知している。だが・・・。
 佐久間も渋谷も当惑した。
「それは――、あまり意味がないように思いますが・・・」
 野村に、極秘に探らせる必要はないだろう。
 貴妃と不破公との関わりがある限り、咲久耶の情勢は知っておかねばならない。
 中でも『マドンナ』と『連合総長』は今後の情勢によっては敵対勢力になるやもしれない。
 よって、常に放っている玄幽会の手の者からの報告が上がってきている。
 渋谷の見解に、景甫が口元を上げる。
「だろうな。反対に『気掛かりは何か』と訊かれた」
「何と?」
 景甫は答えなかった。
 その時の野村に対しても、ただ黙って野村の理解を待った。
「魔女を探っておられるのかと思っていました」
 渋谷が口を挟んだ。
 魔女と知った時の野村の反応が奇異に見えたのだ。
 渋谷の表情に景甫は口角を上げて流し目に見た。
「数字や情勢ではない。野村自身の目で見たものを報告しろと伝えた。報告如何では、取り上げても良いと――」
「野村の地位を、ですか」
 控えていた佐久間が言葉を挟む。野村は玄幽会幹部とは言え、末席に座す者だ。
「いや、あの者は席次の上下など気にはしないだろう。他の者が口に出さないことを、素直に言葉にして投げてくる。だから渋谷も殊更目を掛けているのではないか」
「では、何を」
「玄幽会が今後、誰と組むか――だ」
「また、酔狂なことを」
 元より、景甫が鷹千穂学園を訪れて以降、貴妃と不破公とは袂を分かつことを見越して渋谷は動いてきた。
「先程の野村の報告を聞いて、単なる酔狂で終わって良いと思うか、渋谷」
 渋谷はしばし景甫の表情を見つめて、苦笑した。
「いえ・・・」
「元より、この辺りが潮時とは思っていた。お前には一層働いてもらわねばならない」
 不破公に心酔している高校が幾らかはあるが、玄幽会の力は要所に位置するものと瞬時に連動できるよう手筈はできている。
「では、鷹千穂学園についても、同様の布陣で?」
「いや、彼女の邪魔になる。真行寺万里子と香取省吾についても、当面は触れるな」
「彼女が出席していたパーティの主催を調べましょうか」
「いや」
 おそらく、虎丸の調べた件に繋がるのだろう。
 とすれば・・・。
「彼女が何故、あれ程までに周囲を固めているのか、その理由がそこにある」


 昨夜。
 虎丸が何か暗記した台本を読み上げるように、鷹沢士音を語る。
 その澱みのない声を背中に聞きながら、景甫はいつか見かけた鷹千穂学園理事長の姿を思い出した。
 スッキリとした立ち姿に西洋人の血が混じっているように見えた。
 だが、何よりも目を引いたのは、静かで、どこか息をひそめるような存在感の消し方が、その娘の影の部分に重なって見えたからだ。
 危うさは感じなかった。
 だが、虎丸のそらんじる内容は、その佇まいとはかけ離れているように思えた。
 屋敷の外灯で足元が明るくなるのを見つめ、景甫はふと立ち止まった。
「今、お前が呪文のように唱えている内容は、とても賢い企業家が描く景色とは思えないね。経営が逸脱し、無駄が多すぎる」
「利益は十分上がってますよ」
 あくまでも他人事で話す澄んだ声が、闇に揺れる草木に落ちる。


 どこかに大きな穴がある。
 そう感じた理由も、今日の事件に繋がるのではないか。
 景甫の瞳が、冴えた月光のような底光りを発して空気を凍らせた。
「渋谷」
「はい」
「野村を幹部から抜け」
「は?」
 突然の指示に、渋谷も、そして聞いている佐久間も目を見張った。
「どういう意味ですか、景甫様」
 少なからず狼狽えて質問する佐久間に、景甫は言い切った。
「ここに必要はない。八須賀にでも飛ばしておけ」
「それは・・・」
 むごい仕打ちだと言いかけた渋谷も、そして茫然としている佐久間も顧みず、景甫は会話を打ち切るように立ち上がって背を向け、微動だにしなかった。

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅹ  玄武寮第一

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅹ  玄武寮第一

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-03

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