シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅸ  野村岳 2


 野村は姫を抱えていた葵とすれ違った後のことについては、隠すことなくありのまま語った。
 気になってあとをつけてみたら、男が少女に薬を打とうとしていたので止めた。
 それだけだ。
 自分の素性は特に問題にはならないと言い切り、『ただの高校生』を強調した。
 だが、何故ホテルにいたのかについては、話す事を拒否し続けた。
 結局、周囲を警備に取り囲まれた状態で病院へ直行し、右腕と頬の傷の処置を受け、護衛をつけられて車に乗せられた。


 病院から車に乗って移動する間、特に拘束されることはなかったが、大柄な運転手も、また助手席の小柄な男も、そして、車の中では自分の横に座り、今この部屋の扉脇に立つ角刈りにサングラスの男も隙一つ見当たらない。
 角刈りの男は、ガーデンパーティの様子を見てすぐ戻って来てからは、ずっと野村の脇にいた。
 平凡な会社員とも思える背広に身を包んでいるが、腕に覚えのある野村でさえ、ピリピリと緊張感を感じるような雰囲気があった。
 頬に絆創膏を貼り、新品のシャツを着せられた野村は、小さな客間で所在無げにしていた。
 家というにはあまりにも大きな屋敷の一角だ。
 外からの出入りが単純で、離れ家のようだが、独立している訳ではないようだ。部屋までの廊下は細く折れ曲がっていた。
 一見、新参者の目をくらますような造りに思えた。
 椅子に座っている野村を背後から監視するように立つ男は微動だにしない。
 サングラスをかけた角刈りのマネキンを置いていると言われれば、そうだろうかと納得できるほどの気配の消し方だが、野村が動こうとすると、呼応するように気を放つ。
 野村は気にしないことに徹するように時折深呼吸をしながら、抗う気もなく、言われるままに従い、この部屋に落ち着いて二時間が過ぎた。
 途中、サンドイッチとジュース、コーヒーを持って来てくれたメイドに恐縮しながらも出された物をすべて平らげ、それでも物足りないと思っていると、笑いながらマフィンとフルーツを籠に入れ、コーヒーポットを置いてくれた。
 遠慮なく、好きなだけ腹に入れて人心地ついた。
 気付けば、陽はとっぷりと暮れている時間だ。
 寮の門限が気になる。
 メイドは、野村が座っている席の横にある一人掛け用の椅子を確認し、目いっぱい離した対面にある長椅子の座りやすさを考えながら、柔らかそうなクッションを幾つも整えて出て行った。
 改めて部屋の中を見渡すと、こぢんまりとしているが、置かれた家具はアンティークで揃え、灯りは間接照明で抑えてある。
 扉は野村の背後とは別に対面の右手側に見える。
 背後の男が何かを呟いて扉を開けるのを聞いて、上半身だけ振り向くと、玄武館高校の制服を着た男が入って来た。
「渋谷さん」
 部屋に入ってきた渋谷宜和を見て立ち上がり、野村は席を立って最敬礼をした。
「お疲れ様です」
 いつもの調子でそう続ける野村の、驚きながらも明るい声に、少なからず眩暈を覚えながら渋谷は返した。
「お疲れ様、ではないよ、野村。ウチの寮生を引き取りに来いと言われて来てみたが、何をやらかしたのか」
 苦笑交じりに呟いた。
「申し訳ありません。まさか渋谷さんにご迷惑がかかるとは」
 思いもよらなかったようだ。
 名前と、『高校生だ』という事しか言わなかったが、身元は容易にバレた。
 所持品の中には学生証があった。映画を観るのに学割を使おうと思っていたからだ。
 やれやれという顔で、渋谷は肩をすくめた。
「構わぬよ」


 渋谷が入って来た扉とは別の側の扉から入って来た蛍が部屋を一瞥し、背後に道を開けた。
 身体の線がまったく出ない白いワンピースに身を包んだ綾が入って来る。
「お待たせして申し訳ありません。頬と腕の傷は大丈夫ですか?」
 蛍が代弁するように、野村の怪我を気にかけた。
 野村は恐縮し、慌てて言い返した。
「俺のは、ほんのかすり傷です。それより――」
 綾の背中の傷の具合を訊こうとしたが、軽く制止された。
 綾が真っ直ぐ野村に向かい、丁寧に頭を下げた。
「本当に助かった。礼を言います。本当にありがとう」
 控えている蛍も、深々と礼をする。
 一層恐縮して、野村が後ずさると、背後の男も同様に首を垂れている姿が見えた。
 綾は、渋谷に視線を向けて苦笑した。
「このまま帰す訳にもいかないのでな。素性を調べさせてもらった。玄幽会の軍師が引き取りに来るとは思わなかった」
 綾は野村達のいる場所とは対面の壁に近い長椅子に座り、蛍はその背後に立った。
 両者の間にテーブルはなく、会話に支障はないが、距離は保たれている。
 綾は姿勢に気をつけながらゆっくりとした動作で椅子に落ち着いた。
 鷹沢としては、野村が何故あの場所にいたのか、聞かない訳にはいかない。
 ただ、野村には鷹沢に敵意を持っている様子はなく、また、野村自身に対しては感謝もある。
 鷹沢士音は、身元は明らかにしておくようにと言い置いた。
 まさか玄幽会に繋がる者とは、綾も思っていなかったようだ。
 渋谷は微笑で威儀を正し、それに触発されて野村もまた緊張した面持ちで威儀を正すと、端然と座っている綾に敬意を表した。
 綾は軽く左手を肘掛けに乗せ、身体を支えるようにして背中を背もたれから離した姿勢を保ち、真っ直ぐ渋谷を見返した。
 視線を逸らせず、少しばかりの皮肉を込めた。
「まさか、こんなことで玄幽会の者と関わることになるとはな」
 その口調を受け止めるように礼を返し、
「玄武館高校三年、渋谷宜和と申します。こうしてお目にかかるのは、初めてでございます。以後お見知りおきを――」
 渋谷のゆっくりとした穏やかな低音が響く。
 それを受け止めて、綾は野村の方に視線を向けた。
 一瞬怯んだ野村が、直立不動で答える。
「同じく、玄武館高校二年、野村岳です。あの――」
「鷹沢綾だ。今日は助かった、本当に感謝している。拘束してすまないが、訊きたい事がある。少し話を聞かせてもらいたい」
 微かな動きで、野村に空いた椅子を示したが、野村は前のめりに言葉を続けた。
「貴女の傷は、どうなんですか。動いて大丈夫なんですか? 背中がかなり切られていたように見受けられましたが」
 野村の言葉に、渋谷が表情を変えて綾を見た。
 動揺を隠せない。
「怪我を・・・」
 渋谷は野村の様子から怪我の状況を推し量り、確かめるように綾を見たが、一蹴された。
「大事ない。あいつには言うな」
 綾は、渋谷を一瞥してそう言い切った。
 もちろん、口止めしても無駄なことは分かっている。
 背中の傷は処置をしたが、医師からは極力動かないようにと言われた。
 野村を待たせてしまったのも、背中の治療に時間を要したからだ。
 だが、直ぐに鷹沢邸に戻ったのは、何より、狙われた少女の身の安全を図るためだ。
 不特定多数の入り混じる場所では危険だと判断した。
「本当に助かった。礼を言う」
 本心からの言葉だ。
「あの、小さな女の子は無事なんですか」
「あぁ、問題ない。守ってくれて、ありがとう」
 穏やかな微笑を浮かべて座るように促す綾に、多少安堵し、野村は椅子に座り込んだ。
 その様子に綾の表情が少し緩む。
「よく訓練されているようだな」
 綾が微笑で野村を見ると、屈託のない笑顔が返ってくる。
「それはもちろん、玄武館高校は文武両道ですから、毎日の鍛錬は欠かしません。とはいえ、自分は武道馬鹿でして、もう一方は少々追いつきませんが」
 渋谷に視線を向けると、こちらも満足そうに微笑を浮かべ、肯定するように頷いた。
「野村はこれでも玄幽会幹部に名前を連ねる者です。お役に立てたのであれば良かった」
 野村が、褒め言葉に満面笑顔となり照れる。
 素直な反応に、控えていた蛍も笑顔を見せる。
「薬には、詳しいのか」
 綾の問いに、真顔に戻って野村は答えた。
「いえ、薬に詳しいというより、臭いが気になったというか。あの場でも、男の右手からは異様にアブナイ臭いがしました。頭が少々追いつきませんので、何の薬かは判別するまではいかないのですが」
 渋谷を見ると、
「単純な感覚しかない説明ですが、保証しますよ。野村は、馬鹿正直が服を着ているような奴ですが、勘働きは定評がありますので」
 と請け負った。
「渋谷さん、それって褒めてないですよね」
 心外と言わんばかりに口を挟むと、綾が遮る。
「言った通り、薬が仕込んであった。よく未然で防げたと思う」
 あの小さな子にかすりでもしていたらと思うと、背筋が凍る。
「では、役に立ったのですね」
 良かったと、小さくガッツポーズする野村。
 だが、すぐに気づき、目前で毅然とした様子で座っている綾を見た。
「本当に、貴女は大丈夫なのですか」
 脳裏には背中を大きく切り裂かれ、幼子を抱きしめてうずくまる綾の姿が浮かぶ。
 無言で立つ背後の男も、控えている蛍も、表情には出さないが心配している様子が見える。
 綾は、視線を落とし静かに頷いた。
「正直、助かった。だが、何故あの場にいたのか、知らなくてはいけない。それに、今日の事をあちこちでふれて回られては困る」
「口外しない確約が欲しいということですか」
 渋谷の問いに、綾は視線を上げた。
「そうだ」
「その確約に、どれほどの効力があるかは疑問ですが」
「それは、どういう意味だ」
 厳しい表情に、背中の痛みが微かに混じる。
 それを察するように敢えて気を緩め、渋谷は柔和な表情を見せた。
「いいえ、野村は玄武帝の指示で動いております。報告は玄武帝のみになされるはず」
「では、その内容に係わることは言えないと?」
 容赦のない視線を向ける綾と、気になって前のめりになる野村の双方を制するように両手を上げ、渋谷は一層軽く笑みをこぼした。
「いいえ、ですから玄武帝より許可をいただいて参りました。『貴女様のよろしいように』とのことです。また、貴女様によろしく伝えて欲しいとも言っておられました」
 野村を引き取りに来いと連絡を受けてから、渋谷は暫し思考した。
 連絡してきた相手は正体が分からなかったが、『怪しい』とは感じなかった。
 ただ、『野村』と聞いて即座に『玄武帝』と『極秘任務』が頭に浮かんだ。
 しかも、咲久耶。
 もしかしてと思い、急遽、景甫に連絡を取った。
「渋谷さん、この方は、玄武帝がご存じの方なのですか」
 話が玄武帝・善知鳥景甫におよび、目を白黒させる野村に、渋谷は大きく頷いた。
「野村、彼女が『魔女』だ」
「えっ、魔女・・・」
 目を見張る野村に、特に否定することもなく黙っている綾に、渋谷が軽く礼をする。
「玄武帝より、『綾』どの、と伺っております」
 綾は即座に不愉快そうな表情を見せた。
「『鷹沢』だ。あいつにも言っておけ」
 野村は二人のやり取りを、暫し茫然と見つめていた。
 視線は綾から離さない。
 大怪我の後、それを微塵も感じさせず姿勢を正して端然と座る姿を見つめた。
 白いワンピースに、栗色の髪が真っ直ぐ流れて膝に届く。
 瞳は眼鏡ではっきりとわからないが、視線はやはり誰とも違う雰囲気を感じる。
 何か言いたげで、だが、言葉が出てこないもどかしさが、彼の口元にあった。
 暫し見つめられて、綾は苦笑で返した。
「その様子だと、『魔女』を探っていたのではないようだな」
 そう声をかけられても、言葉は出なかった。
 渋谷も珍しそうに隣の野村を見た。


 物音ひとつしない時間が流れた。
 見かねて背後の男が低く咳払いをする。
 野村がビクリと身体を震わせ我に返った。
「まさか、本当に、魔女なのですか」
「その呼ばれ方は、あまり好きではないがな」
 苦笑でそう返すと、野村が慌てた。
「知らぬこととは言え、申し訳ありませんでした。玄武帝が大切にされている方ですので、自分のような者が近づいてはと思い、敢えて避けていました。このような形で関わるとは、なんと申し開きすればよいのか――」
 と、焦った様子でまくしたて、冷や汗を拭う野村を、綾は怪訝な表情で低く問うた。
「あいつは、そんなに軽々しく『魔女』の話をしているのか?」
 野村の言葉を遮り、殺風景な部屋に静かに響く低音に、野村は口を閉じ、目を見開いて正面を見つめた。
 その横で渋谷がこめかみを抑え、後ろで男が笑いをこらえきれず吹き出し、蛍の口元に微笑が浮かんだ。
 綾は冷めきった表情で、眼鏡の奥から睨みつけた。
 野村は、自分が何を言ったのか悟ると、顔面蒼白となり、椅子から飛び降りて床に土下座をすると、顔面を床に擦り付けるようにして喚いた。
「申し訳ありません。違います。どうか誤解なさらないでください。景甫様はそんな軽い方ではありません。気を悪くされたのなら、いくらでも謝ります。申し訳ありません。お許しください」
 と、今にも顔が床にめり込んでしまうのではないかという勢いで謝っている野村に、さすがの綾も呆気にとられて目を丸くした。
 見れば同じように蛍も唖然としており、後方で見つめる男は声を抑えながらも肩を揺らして笑った。
 見かねて渋谷がその肩を叩いた。
「野村、皆、困っておられる。本題に入りなさい」
 そう促されると、野村は顔を上げた。
 綾は無言で、次の言葉を待っている。
 野村は深く呼吸をして肩の力を抜くと、正座のまま拳を膝に置いて背筋を伸ばし、綾を正面に見た。


 野村が語った。
「正直、偶然でした」
 クラスメイトと映画を観るつもりでいたところへ、件の車が現れた。
「最近、貴妃の所に出入りしている女で、身形は良く、ただ・・・あまり好ましい感じのしない女で――」
 貴妃の所で見かける前は、何度か香取省吾のいる天光寺高校の周辺で見かけた。
 その女を追ってホテルへ入ったが、行方は分からず、ガーデンパーティを横目に歩いていただけだ。
 目の前を、少女を抱いた葵が通り過ぎたのも、嫌な臭いの男を見かけたのも、そして気になって後をつけたのも、すべて――。
「本当に、偶然なんです」
 目前の綾が魔女だと聞いてから、野村の様子は少し変わった。
 問われるままに、何故そこにいたのか、何があったのか、語る言葉に抑揚がない。
 背筋を伸ばし、両手を膝の上で強く握りしめ、強張った表情であったことをそのまま言葉にした。
 その横顔を見守りながら、渋谷は時折、綾の姿を気にしていた。
 善知鳥景甫が時に引っかかる黄金色の幻影。
 確かに何か気になる雰囲気を渋谷も持った。
 背後に立つ警備の男。彼女の後ろに控える美しい影。
 野村が語る事件の概要を照らし合わせて吟味する。
「その女は?」
「最初に気付いたのは、香取省吾を調べていた時でした。学校関係者ではなさそうな車でしたが、特に香取やその配下の者に接触した様子は見られませんでした。ただ、同様に貴妃の周囲でも何度か見かけましたが、こちらは明らかに接点があるようで、気になっていたので追っていたのですが」
 貴妃に、香取省吾・・・。
「何を、調べている」
 綾は静かに問う。
 野村は少し躊躇して隣の渋谷の顔色を窺ったが、軍師の表情は穏やかで、促すように小さく頷かれ、意を決して綾に視線を戻した。
「幾つか気になることがありまして、それに関わっていると思われる者を調べていました。貴妃についても少し気掛かりな事がありましたので、周辺を探っていたのです」
「気になること?」
「は、・・・はい。気になることです・・・、自分が・・・」
「玄武帝がそう命じたのか」
 そう問われると、即座に首を横に振って答える。
「玄武帝より命じられたのは、『咲久耶を見張れ』とのことでした。『極秘任務』ということでしたが、自分で解釈をして動いていました」
「――」
「玄武帝からも、どう動くかは一任されていましたので」
 野村は、野村なりに素直に答えているようだ。
 おかしな話に聞こえるのかもしれない。『極秘任務』と言いながら、『見張れ』とは、なんとも抽象的な指示だ。
 だが、野村には野村なりの解釈があった。
 景甫が本当に知りたいのは『魔女』のことだと思った。
 だが、野村自身が『魔女』に近づくことは望まないだろう。野村としても、直接触れることは憚られた。
 野村はそう解釈した。
 だから『魔女』と繋がりがありそうな者を調べていた。もし害になる者がいるならば、調べていることで何か役に立てばと思って動いていた。
 まさか、こうして『魔女』に会うとは思ってもいなかったのだ。
「もしかして、真行寺邸まで押し掛けたのは」
 綾が口を挟む。
「あ、俺です」
 即答してしまって、口を押さえ、気まずい顔をした。
 さすがに隣で怖い顔をされている。
 反面、綾は苦笑ながら、素直な物言いの野村が語る言葉を黙って考えた。
 貴妃と女のつながりについては、分かっていない。
 単に、貴妃の周辺で『見かけただけ』と言われればそれまでだ。
 ホテルの駐車場へ入っていった車を見かけたが、女がどの会場にいたのか、宿泊客なのか分からなかった。
 ガーデンパーティは、警備が厳重で誰が出席していたのかは、外からは分からない。
ただ・・・。
「事件が起こった時、その女らしい姿を野次馬の中に見かけたような気がしました」
 朧に浮かぶ光景を伝える。
「不動」
 綾は、野村の背後に立つ角刈りの男に目配せすると、男は即座に扉を微かに開けて廊下に控える者に指示を出す。
「申し訳ないが、関係者の中にその『女』がいるかどうか確認して欲しい」
 綾は、野村に頼んだ。
 そして渋谷に向かった。
「ここで知った事は、どこにも漏らさないで欲しい。実際、人の命が狙われた事を忘れないでもらいたい」
「承知しました」
「アイツにもそう言っておいてくれ」
 念を押す綾に、渋谷は恭しく礼をした。
 話は終わった。
「あの――!!!」
 野村が片膝を立てて前のめりになる。
「?」
「あの・・・、貴女に切りつけた女の人は・・・」
 葵のことだ。
 綾は即座に答えることはできなかった。
 身柄は確保しているようだが、その後を知らない。
 野村は思い出すように詰まりながらも、小さく呟いた。
「あの人、繰り返していたんです。『誰か、助けて』って。俺にはそう聞こえて。でも、死のうとしていたのも、本気でした。大丈夫ですか?」
 綾は多少困惑しながら、苦笑して見せる。
「大丈夫かどうかは分からない」
「――」
「ただ、多くの者が、彼女が大丈夫であることを祈っていると思う。私も、大丈夫であるよう願っている」
 綾の言葉を肯定するように、控えている蛍が頷くように瞬きをした。
 暫し、野村が目を見開いて、綾とその影を見つめた。
 綾は、そんな野村の様子に笑った。
「偶然にしろ、あの場にいてくれて、多くの者が助かった。ありがとう。早く傷を治してくれ」
 そして――。
「わざわざ呼びつけて悪かった」
 綾は、そう渋谷に向かって頭を下げるとゆっくりと立ち上がり、もう一度二人に対して静かに視線を下げる
 その姿に、慌てて立ち上がった野村は返す言葉を失ったまま、ただただ深々と頭を下げた。

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅸ  野村岳 2

シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) Ⅸ  野村岳 2

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-11-03

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