眠りの白
天地の星王
幕間。物語終盤に入った辺りの話
どこもかしこも真っ白になった。
家も、街も、道も、森も、国も。
この『雪』というもので、白く染まってしまった。
見上げる空はどこまでも灰色で、太陽は見えはしない。僕は拠点から少し離れた場所で、手を擦り合わせた。小さな丘の上から見える景色は、吐く息と同じく白かった。後方……拠点から微かに歌が聞こえる。きっと魔道士たちが炎魔法を唱えているのだろう。今必要なのは武器より焚き火だ。炎魔法というものがあってよかったと思う。
どうしてこうなったのか、考えながら僕は息を吸い込んだ。ひそり、と胸が凍えた。
どこまでも静かだ。だが確かに、ここで戦争が行われていた。互いに大陸の統一を謀るユスティーアとアーシェス。大国二つの戦争。そしてそれに便乗して参戦した僕たちユスティーア革命軍。
アーシェス王国と協力関係を結ぶことに成功した僕らは、ユスティーア王国と正面からぶつかりあった。
そして、それは訪れた。
カッと、大地が光った。そしてアイが、巨大な竜へと姿を変えたアイが、何かに抗うように吠えたのは覚えている。目を開けたら戦場のほとんどの兵士が倒れていて、息もせず、心臓すら動いていなかった。眠るように死んでいた。としか思えなかった。
そして雪が降った。"死ななかった"僕と一部の兵たちは、雪が積もっていく倒れた兵士たちを縫うように拠点へと退却し、そして今に至る。
「ティレア」
「……兄さん」
振り向くと、小柄な青髪と僕によく似た金髪。アイとアルシェラが立っていた。やや後ろに佇むアルシェラの手を、アイが握っている。
「二人とも、どうしたの。ここは寒いでしょう」
「……えっと、その」
「『それを兄さんには言われたくない』って」
「ア、アイさん……!」
誤魔化すように片手を振るアルシェラを笑い、アイは僕を見る。
「……。……ここは冷えるよ、ティレア」
そして言う。アルシェラも頷いた。拠点に戻れ、とは二人とも言わない。きっと僕が、何故ここにいるかを問いたいのだろう。
「……どうしてこうなったのか、とか……こんなの初めてだな、とか」
「……」
「……レライエは、どうしているのかな、とか」
「……、……」
「考えてたら、あまり寒さも気にならなくなってきて、さ」
二人は、黙って聞いていてくれた。少し考えたように、アイが口を開く。
「……昔も、大きな戦争があったんだ。歌になるくらいの戦争が」
「アーシェスの独立戦争だっけ。……確か、狼王戦争」
「そう。その時も、同じことが起きた」
「……それで、その時ユスティーアとアーシェスは?」
「戦はなあなあになり、ユスティーアはアーシェスの独立を認めた。これ以上戦いを続けるのはどちらにも悪かったから」
「アーシェスが勝ち取ったんじゃなかったんだ」
「……我が国……いえ、ユスティーアが勝った上で、独立を認めたのだと。私は……」
「互いに都合の良いように解釈したんだよ。いや、解釈してもいい歴史の部分にしたんだ、この……雪は」
「……」
「この雪は、この大陸の雪は、人の歴史をぼやかせる。そこに生きていた人たちの生き様をうやむやにしてしまうものなんだよ」
アイはそう言う。
正直、よく分からなかった。なら僕たちは、どうすればいいのだろう。今回もうやむやにしろ、というのだろうか。
『私は世界を変える』
『争いのない世界へと」
『今ある世界を壊し、新しい世界へ昇華する』
『さあ、嫌なら私を止めてみせなさい。兄さん』
あの日会ったレライエの言葉が脳裏に蘇る。
僕たちは命をかけて戦った。世界を変えるために今を壊すレライエと、それを止めようとする僕たちユスティーア革命軍。その戦いすら、この白いものはうやむやにするのだろうか。
「……じゃあ、これで戦争は終わるのですね。でも……」
アルシェラが言い淀む。そう、雪が降っただけではない。たくさんの人が"死んでいる"のだ。僕はまたレライエの言葉を思い出す。
レライエの言う世界を変えるとは、このことなのだろうか。大陸の統一、それで世界を変えるつもりだったのだろうか。
ああ、頭まで白くなっていく。この雪は、この白いものは、少しでも黙っていると音を吸い込んでしまう。無音になった世界は、寂しく、恐ろしい。
……そうか、無音の世界。
レライエは、この世界を望んでいたのだろうか。
「レライエは、きっとこの程度では止まらない」
「……兄さん」
「世界は今、とても……平和だ。でも僕たちはまだ、生きている」
僕は息を吸う。やはり胸が凍える。しかし、それで止まってはいけない。この無音の世界で、僕は音を出し続けないといけない。
「僕たちは争いの芽だ。レライエは、僕たちを摘むために動くだろう。争いのない世界のために」
腰に差していた笛を取り出し、口を付け、息を入れる。一番低い音を出そうとすれば、それはすぐに出た。しかしそれも、積もった雪に吸い込まれていく。すぐに静寂が漂った。
「……それでも僕は、人々が生きる世界……音のある世界を望む」
ああ、音のない世界。それは……。
「……今の世界は、少し寂しいから」
アイがふっと笑った。アルシェラが少し考えたような素振りを見せると、僕に手を差し出した。
「私もです。兄さん。この世界は静かすぎる」
「アルシェラ」
「生きるための戦いを、続けましょう。そして、レライエの元へ行きましょう」
僕はその手を、ぐっと握った。
「熱いね。まるで、炎のようだ」
「アイ……お前も来てくれる?」
「もちろん。……お互い平和な世界を望むからこそ、戦う……悲しくも、正しいことでもあると、わたしは思うよ」
アイは握った僕たちの手に、手を重ねてきた。繋ぐ手は、重なる手は、あたたかい。けれど……
「くしゅんっ」
「ああ、ずっと寒いところにいるから。兄さん」
「あはは。酒入りの茶でも飲むか? 蜂蜜も入れよう」
「うう、うん」
僕の右手をアルシェラ、左手をアイが握る。
拠点へ戻ろうと歩き出し、ふと振り返れば点々と三人分の足跡ができていた。
この足跡が、きっとレライエの元へ繋がるのだろう。そう信じて、今は体を温めることにした。
眠りの白