書きかけの手紙
書きかけの手紙みたいな
ぎこちないさよならを交わした日の夜
笑えるほど無防備だな、と思った
僕も、そしてきみも。
いつからか 嘘のひとつも吐けなくなっていた
それまで僕たちは どうしようもない嘘吐きだったのに
頑なに忌み嫌っていた どうしようもない正直者になってしまった
それはあのとき、きみが
泣いたり怒ったりしながら
僕にとっては瑣末なことも全部 曝け出してくれたからだ
反対に 僕にとって重要なことが
君には瑣末なことだったのかもしれない
言葉でしか埋められない溝と
言葉以外でしか埋められない溝がある
即効性の優しさばかり欲していた僕たちは
時間をかけて気づく優しさには 見向きもしなかった
言葉に鞘なんて鬱陶しいだけだと思っていたけれど
あのときのきみのあの言葉は
きみなりの警報で きみなりの信頼表現だったのだろうか
今さらだ、と思う
おそらく僕も無意識のうちに
きみと同じことをしていただろうから
欺瞞は誠実さの欠如だと決めつけていた
相手に対して、そして自分自身に対しても。
けれど、必ずしもそうではないということを
僕たちは言葉にせずとも 既に知っていたはずだ
痛いほど自覚していたはずだ
自分の目でしか 自分を見ていないと思っていた
見ることが出来ないと思っていた
その過信こそが欺瞞だったのではないかと 今になって思う
誰かのためは、自分のためと同じだ、と確かな痛みを伴って理解した
ごめんと同じくらい、ありがとうが口を突いて出た
きみの前でなら、何も偽らなくていいんだ
きみも僕の前では、もう何を偽る必要もない
そう言うときみは、遅いよ、と言って笑った
僕も、遅かったな、と言って笑った
それでも、あのときのきみの優しさは今でも確かに憶えている
それが優しさだと気づくまでに随分時間がかかってしまったけれど
確かにこの胸に焼きついている
優しさに優劣なんて、あってたまるか。
書きかけの手紙はいつまで経っても書きかけのままだ
それは伝えたいことが次から次へと溢れてくるからだ
互いの手紙が完成したとき
僕たちはようやく相手のことを
そして自分のことを 心から愛することができると思う
そのときにはきっと、人生で最も穏やかな沈黙が訪れるだろう
そして同時に目を閉じるとき
はじめて言葉以外の方法で
認め合い、受け入れ合い、愛し合い、
幸せな眠りにつくことが出来るだろう
言葉がひとつも要らなくなった、ふたりだけの世界の終末で。
書きかけの手紙