無剣の騎士 第2話 scene14. 帰還

スティーブン・キングの『書くことについて』を読んだ結果、今回は無駄な記述を(いつも以上に)省くよう努力してみました。
文章量が減ればそれだけ早く完結に近づく訳ですし、Win-winですね!

 アストリアとリヒテルバウムが海上で睨み合っていた頃、アストリアの侯爵オークアシッドはウィンデスタールへと渡っていた。
 それは国を代表してではなく、飽くまで非公式な訪問であった。
 訪問先はウィンデスタールの政府ではなく、鍛冶職人を養成する専門学校であった。
 その目的は外交ではなく――。

「行きます」
 彼女は即答した。事の重大さに比してあまりにも早い回答に、周囲の教師達はもちろん、オークアシッドでさえ驚いた。
「こちらとしては有り難いが、即決してしまっていいのかね? 急な話だと思うのだが……」
しかし、少女にとっては決して急な話ではなかった。むしろ、あの日以来、こんな機会が巡ってくるのを一日千秋の思いで待ち焦がれていたのだ。
 彼女の意志は固く、話はすぐにまとまった。
「では、ゲイルハート君。出立の準備をしてきなさい」
校長に促され、少女は応接室をあとにした。戸を閉めて一人きりになった次の瞬間、
(これでまたアーシェに会えるかも……!)
レザリスは満面の笑みで両手を強く握りしめた。

 オークアシッドからの要請というのは、一旦無罪放免にしたレザリスを今一度アストリアへ引き渡せというものだった。彼の話によると、アストリア国内で鍛冶職人達の反発が強まり、情勢が変わってしまったのだという。アストリア政府としては、苦渋の決断ながら、レザリスを形だけでも処罰することにより、事態の沈静化を図りたいとのことだった。
 が、当のレザリスにとっては政治的な理由などどうでもいい。大事なのは、もう一度アストリアに行きアーシェルと再会すること。それだけだった。
 そんな有様だったから、レザリスは自分の決定が何を意味することになるのか、まるで気付いていなかった。いや、もし浮かれていなかったとしても、一介の学生に過ぎない彼女が気付けたかどうかは疑わしい。
 校長をはじめ教師達も似たようなものだった。侯爵直々の仰せなのだから従うほかはない、と思い込んでいたのである。故に、自国の政府に確認することさえしなかった。
 これらは全て、オークアシッド達の思惑通りに作用した。

 その目的は外交ではなく――レザリスをアストリアへと連れ戻すことだった。それも、秘密裏のうちに。
 彼の工作活動を、アストリア政府もウィンデスタール政府も把握できていなかった。オークアシッドの一行は、アストリアとリヒテルバウムの海戦で慌しい隙を突いてアストリアを抜け出し、ウィンデスタールでは政府に気取られる前にレザリスを連れ出し、逃げるように引き上げていったのだった。
 こんなことをすれば、どうなるか。
 ウィンデスタールはかつてレザリスの無罪放免を要求した際にこう付け加えていた。もし彼女が有罪となるようなことがあれば、アストリアとの協定破棄の可能性を排除しない、と。
 レザリスの身柄引き渡しについてウィンデスタール政府が知った頃には既にオークアシッド一行は出国してしまっていた。情報伝達に時間がかかったのだ。しかし、そこから協定破棄の決定が下されるまでは、さほど時間はかからなかった。

 丁度その頃――協定を破棄するだけでなく何らかの報復措置も必要では、との議論が持ち上がった頃――、またしてもウィンデスタールを外国からの一団が訪れた。その代表者はリヒテルバウムの外務大臣付き事務次官、コンラート・クラップ・ザクラール。
 ウィンデスタールとリヒテルバウムの間に直接的な敵対関係はない。確かに前者はアストリアの同盟国、後者は敵国なので、敵対する陣営同士と見なされることが多い。しかしそれはアストリアを介した関係であって、二国間は基本的に中立関係であった。
 そのような訳で、リヒテルバウムの事務次官がウィンデスタールを訪問することは(珍しいこととはいえ)難しいことではなかったのだ。
 コンラートの訪問もまた非公式なものだった。いや、むしろ忍ぶように訪ねたといっていい。それは、この会談がアストリアに知られることは避けたいとの両国の一致した思惑による。というのも、ウィンデスタールの立場としては、同盟国アストリアと目下戦争中の国から使者を迎え入れることになるからだった。また、リヒテルバウムの立場としては……。

「こちらが証拠の書類です」
 コンラートはそう言って、書類の束を差し出した。
 会談相手であるウィンデスタールの事務次官達は驚きを隠せない様子のまま書類を受け取ると、パラパラと目を通し始めた。
「た、確かに……」
それは、アストリアからリヒテルバウムに脈玉入りの武器を輸出していることを示す取引記録だった。
「我々リヒテルバウムとしては、正規の貿易として扱っていたのですが。まさかアストリアが貴国への輸出品を秘密裏にこちらへ回しているなどとは夢にも思わなかったのですよ」
コンラートは、とても信じられないという風に肩を竦めてみせた。
「それから、更なる証拠として、こちらに実物もお持ちしました」
コンラートが促すと、リヒテルバウムの護衛兵の一人が進み出て、一振りの剣を両手に乗せて差し出した。
 アストリア製の、脈玉入りの剣。ウィンデスタールに輸入されている物と同型の剣である。
 事ここに至って、コンラートの言は全て事実なのか、とウィンデスタールの者達は苦悩した。にわかには信じ難い。いや、信じたくないといった方が正確か。ところが、眼前には動かぬ証拠が提示されているのだ。
 もしコンラートの言う通りなのであれば、これは由々しき外交問題である。アストリアはウィンデスタールとの協定を反故にしていたことになるからだ。
 そういえば確かに、ウィンデスタールに届く武器の数量が協定で合意した数量よりも少ないことが問題となっていた。この件に関してアストリア側に異議を申し立てたものの、調査中との返事があっただけで、正式な回答はまだ届いていない。

 平素であれば、ウィンデスタールの高官達も冷静に対処できたことだろう。例えば、アストリアが同盟国ウィンデスタールとの協定を破ってまで敵国リヒテルバウムに武器を輸出しても何の利益もないどころか愚かでさえあることに気付けたかもしれない。あるいは、一度アストリア側に確認を取ることもできたかもしれない。
 しかし、この時のウィンデスタールにそこまでの余裕はなかった。レザリスの件があったせいで、アストリアに対して疑心暗鬼になっていたのである。
 こうしてウィンデスタールは、アストリアとの協定を破棄するのみならず、武力による報復措置の決定という悪手にまで転がり落ちてしまったのだった――。

        *    *

 エドワード率いるアストリア海軍の凱旋行列は、歓声をもって迎えられた。何せ、兵力で大きく上回るリヒテルバウム海軍を降伏させたのだ。港から宮殿のある首都まで続く街道沿いには、大勢の民が集まって勝利を祝った。
 ──それは、束の間の幸せだった。

 城に帰り着いたエドワード達を待ち受けていたのは、ウィンデスタールからの通告だった。曰く、軍事協定を破棄する、と。破棄の理由はウィンデスタールの鍛冶職人見習いの学生をアストリアが拉致したからであり、早急に彼女を返還するように、との内容だった。
 アストリア政府にとっては寝耳に水であった。協定を一方的に破棄されるとは全く予想外だったからだ。それに、ウィンデスタールの学生は無罪放免として送り届けたはずだ。それをわざわざ攫ってくるようなことなどする訳がない。――少なくとも国王派の人間は。
「黒幕は王弟派……いや、オークアシッド侯か……!!」
エドワードは瞬時に悟ったが、時既に遅し。
 事態はますます大きなうねりとなり、流石のエドワードでも手に負えない規模となりつつあった。いや、もしかするとこの時点で既に手に負えなくなっていたのかもしれない。
 しかし、だからといって諦める訳にはいかない。
「リチャード! メルキオ! すぐに動ける者達を招集せよ! 直ちにオークアシッド侯の屋敷に向かう!」
「はっ、承知いたしました!」
「陛下、まさかオークアシッド侯爵家に武力行使をなさるおつもりですか?」
エドワードの命令を聞いてリチャードはすぐに出て行ったが、メルキオの方は真意を図りかねて尋ねた。
「いや、拉致された学生を救出するためだ。恐らくオークアシッド侯爵が匿っている……!」

        *    *

 そんなこととは露知らず、当のレザリスはオークアシッドの屋敷でのんびりと過ごしていた。具体的な処分内容が決まるまでこの屋敷に滞在するようにと言われていた。実際には処罰などないのだが、そのことを彼女は知る由もなかった。オークアシッド達にとって彼女の役目は大方終わっていたものの、人質としてまだ利用価値があるために生かされていた。これもまた、彼女は与り知らぬことである。

 こうしてレザリスは事実上の軟禁状態に置かれていた。あてがわれた部屋は貴族向けの客間で、レザリスがそれまでの人生で泊まった最も豪華な部屋であった。はじめこそ目を輝かせて家具や調度品を鑑定していたレザリスだったが、すぐに飽きてしまった。
 こんなことをするためにアストリアに戻ってきたのじゃない。
「アーシェは……もう自分の屋敷に戻ってるわよね……?」
 ふかふかの寝台に大の字に寝転がり、天井の装飾をぼんやりと見つめながら、レザリスはそう呟いた。
「だったら……!」
そう言って勢いよく上半身を起こし、そのまま寝台から飛び降りる。
「やるべきことは、一つよねっ」
レザリスは悪戯っぽい笑みを浮かべて、窓の外の空を仰いだ。

無剣の騎士 第2話 scene14. 帰還

⇒ scene15. につづく

無剣の騎士 第2話 scene14. 帰還

1年ぶりの投稿です……。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-31

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