誕生日

そこはただ昏い世界だった。前後左右、見渡しても昏い風景が、永遠に続く。俺は。瞬間、悟る。ああ、ここにいるのはいけない、のだということを。魂が、雲散していく。思い出せ!俺の名前を!、俺は…。血が流れてる。致命的だ。こんな時だけ、心地よい秋の梢枝が、音をなくして、あちこち痛い肉体は感覚をなくして、遠ざかって、俺はこうしてここにいる。
俺は、昏い世界から戻るために、自らの首を絞めた。
苦しくても、締めつずけた。
戻るために。そうして伝えるのだ。
叫んだ。俺は帰るのだ。帰って、またみんなで笑い合うのだ。
痛かった。涙が滲んだ。なんで、俺はこんなに痛いんだ。
弟よ、許してくれ。にいちゃんもう帰れないや。
薄れゆく意識のなか、霞んだ視界はいつも通りの、しかし凄惨な光景を映し出す。
俺は立ち上がろうとする。もはや、痛みなんてなかった。
小春日和のように、穏やかで、皮肉だと笑った。
咳き込んで、おそらく血を吐いた。口内が、気持ち悪かった。
そうして思い出す。唐突だった。いきなり叫び声が響いて、視界が暗転した。
たぶん、吹っ飛ばされた。なにか、重量のあるものに衝突して…。
ああ、身体に力が入らない。なんなんだ。今日は弟の誕生日なんだぞ。サイレンが鳴り響く。
「あ、う、ぐ」
叫ぼうにも、意味を為さない声が漏れる。
ああ、もう無理だ。わかった。人生の明日なんて約束されてない。そんなこと知っていた。それでも、知らなかった。
理不尽だって口にしていた。それでも、理不尽だった。
そうして、俺は死んだ。最期に映ったのは群衆、そして呑まれそうな昏い世界。溢れていく、命の感覚。

誕生日

誕生日

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-31

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