金茸
茸人情小咄です。縦書きでお読みください。
茸取長屋の入口に茸地蔵がございます。だいぶ前の話になりますが、松五郎と竹五郎が鳶茸で大もうけをいたしまして、茸に感謝して建てたものにございます。茸取長屋の面々は茸採りに行く時には必ず「採った茸は美味しくいただきます」と声をかけて出かけます。
「おや、今日もいるよ、あの坊さん」
茸取長屋のおかみさんたちが、茸地蔵を見ております。茸地蔵の脇で、托鉢僧が鈴を鳴らしております。
「今日は誰がやるね」
「あたしが、やってくるよ」
鶴が握り飯を持って、坊さんのところに行きます。
「ありがとうございます」
托鉢僧は鈴を鳴らし、深深とお辞儀を致します。鶴は網笠の中を覗くと驚いたような顔をして、井戸端に戻ってまいります。亀と春に「驚いたねえ、色の白い若いいい男だよ」と報告します。
「だけどね、ここのところ毎日だろう、あそこにいても、そんなに人が通るわけではないのになぜくるのかね」
「もっと、街中に行けばいいものをね」
そこへ茸採りの鳥蔵が山から戻ってきます。
「おや、今日もいるねえ、坊さん、茸でもいいかい」と言いながら、鳥蔵は籠の中から黄色い茸をとりだすと、「金茸だ、うまいよ」と鉢の中にいれました。
金茸とは黄占地のことでございます。
「おお、これは、ありがたいことでございます」
「坊さんよ、どこから来たんで」
「京よりまいりました」
「どおりで、話し方がこちらの人じゃねえと思ったよ、修行かい」
「いえ、私の寺に伝わる金茸を探して旅をしてここまでまいりました」
「金茸たあ、この茸のことじゃあねえのか」
「はい、金無垢で出来た茸で、唐より伝わったもの、寺の宝でございました」
「ほお、なんのご利益があるのかね、茸の形っていやあ、子宝だろう」
「いえ、それもあるかもしれませんが、わが寺では、茸は土の中から生えるもの、木から生えるもの、地の中には地蔵菩薩がおられます、地上の生きものの和をもたらすありがたい菩薩の使いとして敬っておるわけでございます」
「ほう、茸がねえ」
「寺の庭には毎年何十もの違う茸が生えてまいります、茸寺として知られております、本当の名は金(かな)水寺(みずでら)と申します」
「金剛寺なら知ってらあ、浪速にある真言宗の寺だが、関係はあるのかい」
「いえありません、わが寺は、あまりにも古く、一つの寺が一つの宗派ではございません、あらゆる僧が集まり、話をし、深め合っております。ただ茸だけは菩薩の使いとして皆が信じるところでございます」
「それで、金の茸がどうしたっていうんで」
「それが、二年ほど前に盗まれてしまい、寺のものは手分けして探しておるところでございます」
「お役人は探してくれねえのかい」
「探して下さいますが、京の都から外れてまでもみていただけませんので、私どもが旅をしておるしだいです、それで茸に関わりのあるところがあると、しばらくいさせてもらい、調べているのでございます」
「ああ、それで、茸地蔵の脇でたっているってことか」
「その通りでございます、しかし、私の見立て違い、ここの方たちは、このお地蔵様に、美味しくいただきますと手を合わせていらっしゃる、このような正直な方たちのところに盗まれた金の茸があるわけもございません、そろそろ他に参ろうと思っていたところです」
「そうだなあ、ここの人間に金なんかないよ、ただ、ここには茸で知られた、八茸爺さんがいるぜ、茸の神様みてえな人だ、いっちまう前に一度会ってみねえ」
「そういう方がいらっしゃるなら、是非お会いしたいもの」
「よっしゃ、ちっくらまってくれ、茸を置いたら、案内してやらあ」
鳥蔵が長屋に入りますと、おかみさんたちが、「何話していたんだい」と聞きます。それで、こうこうしかじかで、あの坊さんを八茸爺さんに会わせるという話をします。
それなら、私たちの手伝いが必要だろうと、おかみさん連中も行くことになりました。
八茸爺さんの家の入口で傘をとった托鉢僧は、色白のこれまた美男でございます。
入口には黒犬の梅と、黒猫の梅が待っております。
「八茸爺さま、京から坊さんが来ましたぜ」
鳥蔵が中に声をかけると、八茸爺さんが奥からでてきました。
「おお、これは、お坊様が、よくこられましたなあ、京からとは随分長い旅をなさっておられる、ご苦労様でございます、なんぞ御用でしょうかな」
「この坊さん、探し物をしてるんでえ、八茸爺さまなら、何か知ってるかと思ってつれてきたよ」
鳥蔵が言います。
「金水寺の冥光でございます、突然のこと申し訳ございません」
「いえいえ、探し物ですかな、お役に立つかどうかわかりませんがの、お話を聞きましょう、どうぞお上がりくださって」
亀が足を洗う水をもってきます。坊さんは縁に腰掛けて草鞋を脱ぎます。
「こっちですよ」
鳥蔵が案内して、部屋に入ります。
冥光が部屋に入りますと、長屋のおかみさんが、かいがいしく働いております。
「お茶をどうぞ」
鶴が冥光の前に茶をおくと、「先ほどは握り飯をいただきましてありがとうございます」と冥光が深々と頭を下げる。
春が茶菓子をだす。八茸爺さん、今日はおかみさんがた、やけに世話を焼いてくれると、思って、改めて冥光をみますと、何とかという、今江戸で人気の芝居役者に似ておるわけでございます。それで納得いたします。
「さて、改めまして、お話を伺いましょうかの」
「はい、金水寺は平安の時よりある古い寺でございます。修行する若い僧はみなそれぞれの考えを持ち、地の和を考えております。住職の道草和尚は、地を良く歩き、地の声を聞くようにと吾々に説教をしてくださいます。地下の菩薩の声を聞くようにとのことでございます。茸は菩薩の教えを伝えるために地上に生えます、わが寺では茸がたくさん生え、大事に致しております。
寺には唐からもたられされたという金の茸がありました。ところが、道草和尚様がいつもしまってあるところを見たところ、なくなっておりました。行方知れずになったわけでございます。京の町の中を探したが見つからず、みな手分けして探すことになり、私はこちらのほうにまいった次第でございます」
「それは大変なことでしたな、ちょっとこれを見てくださらんか」
八茸爺さんは、茸の図譜を冥光にわたします。
「その、金の茸の形は、どの茸に似ておりますかな」
冥光は図譜を丁寧にめくっていきますが、果てと、困っている様子。
「その図譜にのっておりませんかな」
八茸爺さんの問いかけにも、ただ、首を傾げるだけ。
しばらくすると、八茸爺さんは冥光にこう言ったのです。
「冥光さんは、金の茸をいつごらんになったのですかな」
冥光はだまったまま図譜をめくっております。やがて、
「いや、実は、私はそのお宝を見たことはありません」
「そうだと思っておりましたぞ、だから、どの茸かわからなかったのですな」
「はい」
「して、大きさはどのくらいと聞いておいでか」
「手の平のほどのものということです」
「それはどなたからお聞きになりましたかの」
「道草和尚様からです」
「お仲間は、金の茸を見ておるのですかな」
冥光は考え込んでしまった。
「そういえば、誰も見たことはないかもしれません、見た、と聞いたことがありません」
「見たことのないものを探すのは容易ではございませんな」
「確かにその通りでございます」
「失礼な言い方かも知れんが、本当にそのようなお宝があったのでしょうかな」
「道草和尚様がおっしゃるのなら、確かでございます」
「私は水呑み百姓の息子、偶然にも竹の中から貴重な茸が出てきたことから、茸採りを生業とすることになり、今があるのですがな、まだまだ駆け出しのころ、茸を採りに山に入ったとき、やはり茸を採っていた老人と出会い、その老人に大事なことを教わりましたのじゃ、あとで、それこそ、私など足元にも及ばない茸採りの名人だということを知りました。和(わ)翁(おう)と名のっておられたが、山の中に庵をかまえていましてな、茶や書をなさるお方で、お武家だったのではないかと思いますが、本人から聞いたことはありません、そのお方から、茸の採り方だけではなく、お茶のこと、本のことなどを教えていただきました。もうずい分昔にお亡くなりになった、その方から教わったことを、お話いたしましょう、もしやもすると、冥光さんの参考になるかもしれませんな、
その前に腹ごしらえ、そろそろ夕飯、食ってからお話いたしましょうぞ、亀さんたち、用意してくださらんか」
おかみさんたちに声をかけます。おかみさんたちは手馴れたもの、すぐに用意を始めます。
八茸爺さんの、茸の師匠のことなど聞いたことがありません。茸採りの鳥蔵は、
「あっしらも聞かせてもらいてえもんだ」と八茸爺さんに頼みます。
「そりゃかまわんよ、飯を食ったら話をしよう、聞きたい者がいたらみんな呼んどいで」
「八茸爺さん、声をかけりゃ、長屋中が来ちまう、とてもここにゃ入りきらねえ」
「そうだねえ、そうじゃ、今、紅天狗茸の盛りじゃろう、茸見をしながら話そうかの」
裏山には、長屋の紅が作っている、紅天狗茸の畑がございます、毎年、花見ならぬ茸見をそこでいたしております。
「それはいい、そいじゃ、長屋の連中に言って、ござ敷いて用意しておきやす」
「酒も用意しておいてくれ、おーい、亀さんたち、そういうことで、茸見をしながら飯も食おう、炊き出して握り飯をたくさん作っておくれ」
「はいよ、茸のつまみもたんとつくっておくよ」
ということで、冥光をつれて、茸見ということになりました。
裏山の林の入口のところに提灯がつるされ、ゴザが敷かれています。林の中には、大きくて、真っ赤な紅天狗茸が数え切れないほど生えております。
「見事な紅天狗茸の畑でございますな」
連れられてこられた冥光は目を見張るばかり。
「あそこにいる紅さんが丹精しているんじゃ」
紅が茸見の準備をしております。
「家主さん、もう、座ってくださいな」
紅が声をかけます。松五郎と竹五郎が酒樽を担いできます。茸長屋の面々が集まってきました。子ども達もぞろぞろとまいります。この日ばかりは、甘いお菓子も用意されています。
「さあ、冥光どの、酒をどうですかな」
「あいにく、不調法で、申し訳ありません」
冥光は酒が飲めない様子。
「だれか、冥光さんに、茶を持ってきてくれないか、冥光さん、握り飯を喰ってくだされ、長屋のかみさんたちは料理がうまくてな、茸の煮物は逸品ですぞ」
「いただきます」
冥光は茶を飲み、飯を食った。長屋の者たちはわいわいと、酒盛りを始めます。
ほど良くなったころ、八茸爺さんが声をかけます。
「どうじゃ、そろそろ話をしようかの」
長屋の連中もござをひっぱってきて、八茸爺さんの近くに参ります。もちろん酒も一緒に持ってまいります。
八茸爺さんが話し始めました。
「長屋の者にも話したことがないんじゃが、私には茸採りの師匠がおった。その昔のことだがな、茸湯から少し登ったところの林の中に師匠の庵があった。わしはそのころ、このあたりのほとんどの山は、茸採りに入って、みんな知ってしまったような気になっておった。要するに、天狗になっておった。若くて物知らずだったわけだ。水呑百姓の子どもだったから、いばれるのは茸採りぐらいなもので、少しは名も知られてきていたのでな、ところが、辰巳山の林に入ったときのことじゃ」
辰巳山は、今では松五郎と竹五郎の茸山です。
「舞茸をたくさん見つけて、しめしめと思っていると、そこには、すでに白い髭を生やした老人がおってな、こりゃ、遅かったと残念に思っていると、老人は小ぶりの舞茸を一つとって、後の舞茸は見向きもしなかったんじゃ、老人はさらに回りに生えている、わしだったら採らないような汚い茸を、無心にとっておった。たとえ食べられるにしても、あんな汚い茸売れるわけはない。そう思ってみていると、老人は籠を背負い帰り支度をはじめた。老人が林の出口に向かうのを待ってから、わしは、残っていた立派な舞茸を全部採ってほくほく顔で林をでたんじゃ、辰巳山を出て、茸湯のほうに降りていくと、道の途中でその老人が立っておった。
その老人が『ちと、寄っていかないかい』とわしに声を掛けた。
それで、その老人の家についていったわけじゃ。わき道をいくと、林の中にその家はあってな、老人が上がれという。
部屋の中には、たくさんの本が積んであって、筆が何本も掛けてある。ああ、これは書をする人かと思ったが、わしはそのような教養を持ち合わせていないし、興味もなかった。
むしろ、土間に七厘がいくつも置いてあることにおどろいていた。七厘には、鍋がのっており、どれからも湯気が出ている。老人は最初、その中の一つから茸汁を椀にいれ、わしの前に置いた。
『食うてみなされ』
老人に言われて、腹も減っていたこともあり、喜んで喰った。最初に喰ったのは舞茸を煮たものだった。いい味付けで、さすが舞茸と思ったんじゃ、老人が言ったな、
『美味いかね』
『へえ、舞茸は美味い茸です』
わしはそう答えた。老人は違う鍋から、椀に汁をよそった。
『これも食うてみなされ』というから、もう一つの椀も手に取った。それは、今まで喰ったこともないような旨い茸だった。
『旨いであろう』
『舞茸より旨い茸でこりゃあ、何の茸で』、
茸なら何でも知っているつもりになっていたが、その茸は全くわからなかった。
『それは、名前がついていない茸でな、わしは旨茸と呼んでおる、さっき辰巳山で採った茸だ、あの山には生えておる』
それで合点がいったね、老人が舞茸を採らずに、その茸を採ったのだ。
『どうして、その茸を見つけたのですかい』わしは聞いたね。
『食うてみた』
『しかし、毒だったらこわかねえですか』
『始めは少し喰った、次の日になっても何もおきなかったので、みんな食った、わしはこのようにして、いろいろな茸を見つけ、勝手に自分で名前をつけておる。山にある茸はほとんどが喰える、しかも旨いものだ』
なんとも度胸のある御仁だと思ったね。
『わしは年だから、いつ死んでもいい、しかし苦しむのはいやだ、だから、わからない茸は煮て、少し食って、大丈夫なら喰うようにしている』
なるほどなと思ったね、そうしたら、その老人が言った。
『辰巳山には、それは美味い茸が生えているということを聞いていてな、それを探しているのじゃよ、食うてみたいものだ、もう天にも昇るほど旨いもので、江戸に持っていけば、それは高く売れるものじゃ』
若いわしは俄然興味をもった。それで聞いてみた。
『どのような形や色をしている茸で」
『わからん、だから、食うてみている』
『なんという茸で』
『一両茸という』
『いくらぐらいで売れるもので』
『一本で一両じゃ、だから一両茸』
なるほどと思ったね、
『あっしも探してかまわねえですか』
『そりゃあかまわん、見つけたらわしが買ってやろう』
『一両ですか』
『ふむ、江戸で一両なら、ここでは、その半分だ』
まあ、道理である。それでも、すごい値段である、これは儲け話と思って、欲が出た、それから、自分の掘っ立て小屋に七厘を買い込んで、辰巳山をくまなく歩き、どのような茸でも、ともかく採ってきて煮て、食ってみたんだ。ずい分たくさんの茸を試した。旨いと思った茸を、和翁老人のところへもっていって、これかこれかと質したのだが、なかなか見つからない。その年、とうとう見つからずに冬になった。次の年になった。春の茸もいろいろ喰ってみたが、やはりだめだった。秋になり、和翁老人のところに行くとこう聞いてきた。
『どうじゃ、八茸、ずい分たくさんの茸を知ったであろう』
『へえ、たいがいの茸を食ってみました』
『そうか、それでは、その中で一番旨い茸を、わしのところに採ってきてくれ』
わしは真っ赤な茸で、壷がついている茸をもっていった。
「あの、紅茸ですか」
鳥蔵がきいた。
「そうだ、その頃は赤い茸など見向きもしなかったが、食ってみたら旨かったのだ。
『おお、これか、紅茸か、一両茸は名前がついていない茸だから、違う茸ではあるが、これが旨い茸とわかったことは、大したものである、努力に一両やろう、実はこの茸は西欧で旨い茸として知られている』
こうして、わしは一両もらったのだ。
『して、どのくらいの数の茸を試したかな』
『百や二百じゃききやせん、唇がしびれる茸や、腹を下す茸もありました』
『そうだろう、これで、八茸は茸採りの名人になったのじゃ』
確かに、辰巳山の茸はほとんどわかるようになりました。
『しかし、一両茸はありませんでした』
そう言うとな、和翁は『はじめから、そのようなものはない、しかし、よい学びになったであろう、ともかく、誰かに聞いたのではなく、自分で試すことが名人になる秘訣だ、単純なことだがなかなかできん』
それを聞いて、和翁の目的をやっと知ったのだ、それからも、師として教えをこうて、本や書のことも教えていただいたのだ」
鳥蔵がうなずきました。
「なるほど、だから八茸爺さまは物知りなのだな、あっしも、これから、いろいろな茸を試してみます」
「無理をしてはいかん、お前さんには小さな子どもがいる、まだ死んでは困るだろう」
「へえ、確かに」
それを聞いていた冥光は姿勢を正しました。
「八茸殿、もしかしたら、あなた様は、私の師である道草和尚も、その和翁と同じことをなさったのではとおっしゃっているので」
八茸爺さんは頷いた。
「ここまで歩いてこられて、冥光さんは茸が人に何をしているか見てきたであろうの」
「確かに、寺の教えである人と茸の関わりをいたるところで見てまいりました、よく考えると、どれもこれも、茸は土の中から人を支えております、ならば、明日には京に帰ることに致します、帰って、道草和尚に見たこと聞いたことを話してみようと思います」
「そうなされ、今日は、紅天狗茸の茸見会、楽しんでくだされ」
おかみさんたちが、紅に相談してなにやら画策をしております。
亀が茶碗を差し出しました。
「冥光さん、これは、茸の入ったお酒、菩薩のおっしゃることが良く聞こえるようになるということですよ、下戸でも飲める酒、どうぞ」
中には茸の切れ端が浮いている。紅天狗茸を干したもののようです。
「それはいい、ぐっと飲んでみなせえ、その茸は酒と一緒に食うといいそうだ」
料理上手の平助が後押しをする。
やむなく、冥光さん、茶碗を口にして、酒を飲みます。
「確かに、美味いものでございます」
もう一杯、と鶴がすすめ、さらに一杯と、春が差し出します。
「さあ、いかがで、菩薩が宙にまっておられるだろうに」
冥光は酒でポーっとなっただけではありません、中に入っていたのは紅天狗茸、気持ちの良くなる茸です。
目の前に赤青黄の明かりが点滅、その中にふわっと金色の菩薩が浮いて出てきます。
「あ、菩薩様だ」
冥光が立ち上がり菩薩を追いかけます。菩薩はあっちへふらふら、こっちへふらふら、冥光さんもあっちへふらふら、こっちへふらふら、
松五郎と茸五郎が「脱いじまえ」と声をかけると、冥光さん、着ているものをみんな脱いでしまいます。
「よー、いいぞ、茸を育てろ」と長屋の連中は大騒ぎ。
おかみさんたちは「ありゃ、この坊さんまだ子どもの茸だよ」と笑っております。
八茸爺さんが見かねて、
「これこれ、ほどほどにしなさい、誰か着物を着せてあげなさい」
ということで、紅さんがゴザの上で大の字で寝てしまった冥光さんに袈裟をかけてあげます。すると、冥光さんの袈裟が盛り上がってまいります。
「おー、やっと、茸も育ったようだな、みんなで、わしの家に運んでおくれ」
冥光さんは、八茸爺さんの家で朝までぐっすりおやすみになりました。
こうしてあくる朝、冥光さんは京に戻っていったのでございます。
一月も経ったころでしょうか。八茸爺さんのところに一通の書状がとどきました。冥光さんからの礼状でした。
八茸爺さん、それに茸取長屋の人たちへのお礼が長々と書いてありまして、その後、金の茸について書かれておりました。
道草和尚様に金の茸とはどのよう形のものか、なんという茸か問い質しましたところ、唐から伝えられた教育方法の一つ、修行の旅を出来るだけ遠くまでいかせるための方便、たくさんのことを見聞きすることが大事じゃとおっしゃいました。八茸様が聞かせてくださいましたことと同じでした。
しかし、その昔、本当に、金でできた茸は寺にあったそうでございます。先代の住職様が、弟子達を旅に出す路銀に換えてしまったとのことでございます。私も金の茸を探す旅に出るとき、道草和尚様から一両わたされ、後は自分で托鉢をせよと申されました。
道草和尚様が喜んでくださいましたのは、私が酒を飲めるようになったこと。酒は人を育てるものだ、と呟いておられました。
私の話を聞いて、道草和尚様は寺に生えている紅天狗茸を乾燥させ、酒に入れ、茸尼酒として門前に店をだしました。新たな金水寺の名物になり、参拝に来た方々は気持ちよくなって帰られます。それを目的に来る方もたくさんいらっしゃいます、お布施が増えた、いつか金の茸を買い戻そうと、道草和尚様は申しております。
これを読んだ八茸爺さんは笑いながら呟いた。
「道草和尚ってのは、なかなかの生臭坊主だのう、いつかわしも会ってみたいものだ、甘酒でなくて、尼酒とはどういうことか聞いてみたいのう」
金茸