麻布のクラブ

麻布のクラブ

 20代半ばから約9年間、東京に暮らした。

 ある日のこと。
 大変お世話になっていた方から2件のイベントに参加しないかと誘っていただいた。
 どちらも夜の催し事。
 1件目はあまりにも印象に残らな過ぎたのか、そのジャンルさえも忘れてしまったのだが、
確か音楽関係だったような気もするが、ひとつだけ覚えているのは、
当時片思いしていた女性も一緒だったこと。これだけは今でも鮮明に記憶に残っている。
 彼女には後に遠回りに告白した挙句振られてしまったのだが、
それさえも今でもいい思い出のひとつであるくらいに、身も心も美しいひとだった。
 と麗しき彼のひとを思い出すうちに思い出した、もうひとつ。
 2件目のイベントに彼女は不参加だったこと。
 掛け持ちになることや日付が変わってなお後の深夜の催事だったことが理由だったと思う。
ひどく残念でならなかったことは言うまでもない、か。

 件の真夜中のイベントに関しては、
初体験且つインパクトの強い出来事が多かったため、今でも記憶に新しい。
 場所は西麻布のクラブ。
 80年代に活躍したニューウェーブバンドのメンバーとしても有名な、
あるミュージシャンの初DJが目玉でありトリだった。
 
 当該イベントにお誘いいただいたお知り合いの方が、
生きた伝説ともいえる芸能界に顔の広い業界人だったため、
受付でその方の友人だと伝えると間接顔パスで入場できた。
 在京時、こんな遅い時間の外出をしたことなんてなかったから、
何だかふわふわとした落ち着かなさ、訳の分からぬ高揚感に自身、身を包まれていた。
禁止されている、いけない遊びをしている小学生のような、そんな感覚。
 
 クラブは住宅街に立つ、雑居ビルの地下にあった。
下り階段の入り口には近所迷惑になるため会話は控えるよう、
断り書きの看板が立っていた。

 受付を済ませ中に入る。クラブ初体験。
アーバンでオシャレな人々が多いのかと思ったら、
存外普通の格好の、言ってしまえば正直ダサい奴が多く、
憧れを砕かれたようでがっかりした気分になった。

 メインのDJ時間まで大分時間があった。
イベントへお声がけ下さった方が待機中のミュージシャン、
T氏に挨拶するということでお供として付いていった。
 箱の奥、VIPルームにT氏はいた。
彼の向かいに座ったお知り合いと並んでソファに座る。
 お知り合いがT氏に僕を紹介して下さった。
上から目線がものすごく、その威圧感に押され、場違い感がひどく居心地が悪い。
 T氏が隣に座っている人物を紹介した。
アパレルのショップを経営しているらしい、ドレッドヘアーの気だるそうな男性。
 口から白い煙をぷかぷか吐いている。タバコか、いやもしかしたら大麻だったかもしれない、
トローンとした目がやけに目についたせいもあって、そんな危うい想像が頭の中に浮かんだ。

 テーブルを囲み沈黙が続いた。
ふとT氏が僕に向かって言った。
「これ配ってきて」
 フライヤーだった。退散できる、これ幸いとすぐに席を後にした。
場を離れると適当な場所にフライヤーを置き一息つく。
タイミングよく遅れていた友人と合流することができ、緊張感から解放された安堵で雑談が進む。

 しばらくして本日のメイン、T氏の初DJお披露目が始まった。
 真っ暗な空間をライトが不規則に照らす。耳をつんざく大音量。
 レコードを回しながらちょくちょく曲を止めては、
楽しいだとか、気持ちいいといった感想を連呼する。
 僕の目には、彼のプレイは自慰行為としか映らなかった。セリフはさしづめ喘ぎ声。

 最初で最後の東京での夜遊びは午前4時に幕を閉じ、後味悪く僕は岐路についた。
クラブは数年後に潰れたと風の噂で聞いている。

麻布のクラブ

麻布のクラブ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-30

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