スプーン
食器のぶつかりあう音はなかなか苦手だけれど、スープをまぜるときにひかえめに立つ音はすきだったりする。
けっきょく、それは、スープをのむその時間に付随する音だからすきなのであって、とくべつスプーンとカップが鳴りあうのがよいと感じているわけではないって、わかっている。日常のすきまになにかを見出そうとして、期待を捨てきれていないじぶんを思い知る。なんども、なんども。
十月がおわる。それだけ。でもすこし待てば、このとてもみじかい、よい季節はやってくる。なんども、なんども、死ぬまで。
とくに死にたいと感じたことはない。それをいいことだというひとがいて、でもそうなのかはよくわからない。いつかの未来にロボットになりたいといったら、そんなのはだめだというひとがいて、でもそうなのかはよくわからない。
ただ死にたくないし、ただロボットになりたい。
いいわるいじゃない。ただそうかんがえるだけ。いいとかわるいとかは、いつも、ひとがふたり以上いるときにだけ発生するものだ。いまわたしはひとりで、ひとりだけでこれをかんがえているし、書いているから、いいわるいとかは、ここにはない。
単純なこと。あと、じぶんにとっては、たいせつなこと。
だいぶ、期待というものを捨てられたなと思う。憤り、怒り、めっきり抱かないそれは、じぶんに必要以上に期待していたころのものだ。いまはそういうものがなくて、穏やか。
もう掛け布団も毛布もカーディガンもコーンスープも日常に欠かせないものになった。十月二十八日。
スプーン