いなくなる
夜中になると、知らない誰かが泣いていて、終電のあとの、駅の前で、タクシーの運転手さんは、ひまなのか、眠っている、ハザードランプの光だけが、ロータリーのまわりの建物を、オレンジ色に照らして、となりのきみが、うろ覚えの星座を、指でなぞる。知らない誰かは、いつも、夜中になると泣いていて、激しく泣く、というより、静かに泣く、という感じで、もしかしたら、わたしにしか聴こえないのかもしれないと思う。
コンビニで買ったカフェラテが温くなる頃、きみは、星空を見上げるのに飽きたのか、スマートフォンに触れ、しばらく画面を見つめたあと、みんないなくなるよね、と呟いた。みんなって、だれ。わたしがたずねると、インターネットのなかのみんな、と、きみはいった。
いや、正確には、いるのかもしれないけれど、でも、みんな、かんたんにいなくなるし、またかんたんに、あらわれる。
わたしは、そうなんだ、と思った。わたしは、インターネットのことは、あんまりよくわからなかった。スマートフォンも、苦手だし。そういうと、知り合いのひとたちは、さいきんの子なのに、というけれど、さいきんの子でも、苦手なものは苦手だ。専門用語は、わたしにとって、宇宙語に等しく、スマートフォンがないと生きていけないのか、四六時中、スマートフォンを持っているひとたちを見ると、ちょっと、いや、かなり、こわいなぁと思う。そのひとたちが、ではなく、スマートフォン、という存在が。
とくに、わりとすぐいなくなるのは、なにかを創作しているひとなのだと、きみはぼやく。小説や、詩を書いているひと。絵を描いているひと。写真を撮っているひと。そういうひとたちが好きなのに、と、きみは、さみしそうに微笑む。
例の、誰かの泣き声が、すこしだけおおきくなったような、気がする。
タクシーに乗るひとがいないから、タクシーの運転手さんも起きない。
わたしは、きみの、スマートフォンの光で青白く浮かび上がった横顔を、一瞥して、そうなんだ、と、今度はちゃんと、音にして発した。
いなくなる