ハレトケ

 「トロくって困るわ。」と長期休暇中ペンションへ行くのを前日迄伝え忘れていた若い母が、一時間経っても支度を終えない少年、イツリの尻を蹴った。然し、赤毛混じりのイツリはそれに一切反応せず、連れて行くぬいぐるみの選別を難しい顔で続行する。
 呆れて部屋から母が出て行くとやっと振り返って扉へ向かってイツリは舌を出した。
 ふうと息を吐いて緑色のリボンを首から垂らしたテディベアを掴んで抱きしめる。一等、好いているから、イツリの半身程あっても、トランクへ入らなくても、連れて行く。
 あれこれと一時間もの間、悩んでやっと三十センチ以下のぬいぐるみをトランクへ詰める分、詰めると決めた。
 それなら誰を連れて行こうと考え始めると、イツリの思考は止まってしまうのだった。かわいく、いとしい子の中から一番や二番を決め、示す残酷な無邪気さがイツリには足りなかった。
 思い詰めた顔をしてイツリは目を伏せ、深呼吸をして目を開く。
 床へ整列させた内の一つ、父の作ったウサギのぬいぐるみの悲壮な訴えを聞き入れ、イツリは拾ってトランクへ詰めた。
 そうなると次は簡単で、相性の良い子、悪い子とで分ける。中でもイツリと目の合った子から順々、トランクへ入る分だけ詰めていった。
 あれだけ悩んでおいて単純な方法を採用したけれど、これが、悩み抜いた末辿り着いたイツリなりの答えだった。
 ぬいぐるみをトランクへ押し込むとイツリは部屋の扉を開いた。両親の部屋へ向かって「おやすみなさい!」と声量を高くして眠る旨を伝える。
 「おやすみ、イツリ!」とトランシーバと同じ塩梅で母の声が返って来る。

 地方の、水辺と豊かな植物に囲まれた木造のペンションは涼しく、嫋やかだった。
 人形の住むような四階建ての木造のペンションはうっとりと見とれる造形で、ハーブの庭もお茶会を開くに相応しい。
 区切られた窓枠や、薔薇のアーチ、重そうな扉。其処はイツリの目を惹くもので溢れ返っていた。こんな場所でスケッチや裁縫が出来たならどれだけ幸せだろうとイツリは思いをはせる。そして想像したそれら全てを、出来てしまう恐ろしさ。自分がおかしくなってしまうのじゃないかとイツリは危ぶんだ。
 然し、イツリは両親の魂胆を殆ど見抜いていて扉の前でリボンを縛り直す。
 想像より軽い扉を開くと歳も姿もバラバラな少年少女たちから歓迎を受け、イツリは辟易とした。
 新入りのイツリは言われるまま自己紹介をしたが、美術を干渉する能も無い子供に興味は無かった。
 これから二週間イツリが住む部屋へと案内される。足を踏み入れ、息を飲んだ。人形を連れて来て良かったと安堵して、人形師の父が素朴で品のある木造のテーブルへ人形を置く。
 人形の傍へテディベアを座らせる。なんていとおしいのだろうとイツリは我知らず溜息を漏らす。
 絨毯の敷かれた床でイツリはトランクを開く。小さなぬいぐるみを全て取り出し、テーブルへ並べると、トランクから本と鉛筆を取って部屋を出た。
 ぬいぐるみを連れて行かなかったのは彼らも花や魚と同じように、他へ移したら少しの間、そっとしておく必要があると思ったからだ。
 少年少女たちの目を盗み、庭へ出て軒下でしゃがみ込む。
 持って来た本を開くと何枚かのスケッチブックだったものが現れ、ズボンのポケットから鉛筆を取り出し、ぬいぐるみの図面を弄った。
 それが終わるとイツリは近くのハーブへ顔を近付けて匂いを嗅ぐ。つんとして爽やか、と書き留め、全体図や細部を夢中でスケッチをした。

 目をスケッチからずらすと、空の色がくすんでいることに気付いた。なつの空の変化はささいで分かり辛いから、よくよく見てやらなくちゃならない。
 本を脇へ抱え、イツリは立ち上がってお尻の汚れを払う。
 部屋へ戻ると両親は夕食会へ向かう準備をしていた。
 「イツリ、早く準備をして、」
 「はい。」
 イツリは本を棚の上へ載せ、細くて絡まる髪を梳かし、靴の汚れをタオルで拭い、鏡の前で首元から垂れるリボンを縛り直した。父が背後から腕を回し、リボンの位置を正す。
 夕食会での掴みは上々だった。家族の持ち物の特殊性や、奇異さは父の人形師という肩書で取り払われ、喚かず、きちんとしていることで信頼も得られた。
大人の目を離れられない子供たちと違い、これでイツリの自由が保障されたのだった。

 糸の色を変え、図面通り切った布を縫い合わせていく。膝元では開かれた本の上でウサギのぬいぐるみがイツリを見守っていた。
 昼の少し前、ようやく目覚めた母が伸びをし、窓の外を覗く。三階の部屋からは庭の殆どを見渡せる。母は寝癖の付いたかみを抑え、イツリを振り返った。ねっしんなイツリと庭で遊ぶ子供たちを見比べ、小言を並べる。
 「イツリ、外へ出て他の子たちと遊んで来なさい。ぬいぐるみなら家へ戻ってからでも作れるでしょう。」
 「嫌だよ。」
 「何の為にペンションへ来たと思っているのよ。昼食を取ったら部屋へ戻って来ないで外へ行くのよ。」
 「どうして、嫌だよ。」
 「外へ行くのよ。」
 力強い声で母は念を押す。
 放っておくと家の敷地内から出ないイツリを、年相応に他の子供と走り回らせる為、ペンションへ来たのは、来る前から気付いていた。イツリの人と深く関わらない質は、両親から得たものだからだ。コテージならともかく、ペンションへ行くと言われた時点で何かしらの意味があると考えるのが自然だろう。
 昼食の時間が近付き、針や本をしまう。母の目を盗んで、ポケットサイズのノートと、鉛筆を服の下へ潜ませた。
 支度をして、階下へ降りると父と、父のあいらしい人形が少女たちに囲まれていた。人形の話を強請られている。
 (あの人は何時もそうだ。)姿を問わず、何かしらの少女に捕まっている。(ああはなりたくないな。)とイツリは思う。
 強欲さを前面へ押し出す少女をイツリは好きになれなかった。強欲でもつつましく、又、強欲であることを恥じる少女こそ、イツリの中の少女という作りものだった。
 父の作る人形たちは、上品であいらしい。
 イツリにとって父の人形たちは「姉」のようなものだ。父の作る人形は直ぐ、他所へ迎えられる。そんな中でも、売られず家の中で暮らす人形は全て古く、イツリよりも年上だった。イツリはそんな大切な人形が少女たちの垢でまみれるのも、気に入らなかった。

 周囲と速度を合わせて昼食を取り終え、庭へ出る。其処では素早く昼食を取り終えた少年たちが円を作り、午後の計画を立てていた。
 少年たちに見つからないようイツリは庭の端を歩いて人気のない場所へ出る。
 煉瓦で囲われた背の高い植物。
 気付くと人の声すら聞こえなくなっていてイツリは恐ろしくなった。然し、良く見ると、ペンションの庭で見た煉瓦と同じ煉瓦を使われているのが分かって、イツリはホッと胸を撫でおろす。
 それならもう少し居ようと決め、背の高い植物を掻き分け、植わっているものを探索した。
 いくつかの区画を掻き分け終え、新たな茂みを掻き分ける。
 丸まって眠る少年を見つけた。
 イツリはおどろくよりも早く顔を近づけ、少年を観察した。変わった灰色の髪をしている。
 見た所、髪は針金のようなイツリの髪と違ってやわらかく、体躯はイツリとそう変わらない。
 ぴくりと少年が動いた。イツリはおどろいて後退する。
 うっすらと少年の瞼が開く。目を見張るような、黄金の色をしていた。イツリはぬいぐるみや人形へ抱くような好意を少年へ抱いた。
 「君は、何、」
 ねむそうな目を少年はイツリへ向けた。そして小さなキバを覗かせ、丸まったまま名を名乗る。
 「アツリ。待ち侘びたよ。君を待っていたんだ。」
 「僕は、イツリ。君はどうして僕を、」
 戦くよりも強い好奇心を持ってイツリはアツリを見返した。
 「イツリ。そうか君はイツリか。」
 掠れた声でかみしめるみたくアツリは笑う。少年の声を残しながらもハスキィな声をしていた。アツリは起きると、イツリを茂みの奥へと誘う。
 「植物を踏んで叱られやしないか、」
 恐れを抱いたのをアツリはすかさず見抜き、挑発するみたく笑った。
 「此処は特別さ。おいで。」
 むっとして、イツリは堂々とした態度でアツリの後を追った。
 「後悔させやしないよ。」とアツリはイツリの背後へと回り、イツリの背中を押す。
 「ちょ、ちょっと、」ペースを崩され、焦りながらもイツリはアツリに押されるまま歩く。
 とんと背中を押され、茂みを抜けた先で猫がニャアと啼いた。
 後ろを振り返る。誰も居ない。「アツリ、」灰色の、黄金の目をした猫がイツリの足元へすり寄り、イツリを見ていた。

 あれが、最初で最後だった。毎日、あの場所へ行っては落胆し、あの茂みを掻き分けては落胆した。そんな日々も今日で終わる。
 「少し、庭へ行ってくるよ。」
 「早く戻って来なさいね。」
 支度をする両親の許可を取ってイツリは例の庭へ向かった。
 正面の庭では、少年たちがアリの観察をしていた。
 昨日の夜、自由研究をするのだと言っていたが、少年たちは虫眼鏡でアリの背を焦がすので忙しく自由研究は進んでいないらしい。ノートブックが放り出されているのが良い証拠だった。
 そんな少年たちの後ろを通ってイツリは寂し気な庭へ出る。案の定、誰も居なかった。此処でアツリ以外の誰かを見掛けたことは一度も無い。そのアツリでさえ、会ったのは一度だ。
 切実な思いでイツリは「アツリ。」と呼び掛け、茂みを掻き分ける。初めて会った時と変わらず、アツリは体を丸めて眠っていた。
 もう会えないと決め込んでいたイツリは思わずアツリの傍へしゃがみ込む。
 今日来たのは諦める為だった。アツリの寝顔を凝視し、額を指先で触る。今、目の前でアツリが存在していることを確かめると、あの日のアツリの所業へ今更、段々と怒りが沸いて来た。
 怠そうなとろんとした目を開き、アツリはイツリを寝惚けた声で呼ぶ。「イツリ、」
 「僕は、家へ帰るよ。」
 「どうして。ずっと居たら良い。」
 「そんなこと君に言われたくない、」
 「悪かったよ。でも僕の所為じゃない。姿を変えられたんだ。イツリが見付けられなかっただけで僕はあの日、イツリと居たよ。」
 「あの猫が君だったとでも言うつもりなのかい、」
 「そうさ。」
 澄んだ顔でアツリはさらりと答えた。挑発するつもりで言ったことをまさか肯定されるとは思わず、イツリは一瞬、返す言葉を失い、間抜けな顔をする。
 「馬鹿なことを言わないで。僕は、もう行くよ。」
 「残された僕はどうなるんだ、」
 アツリの声が苦痛で歪んだ。
 「さようならアツリ。」
 背を向け、声を張ってイツリは言った。
 「君も早く帰ると良いよ。」
 「さようなら、イツリ。」
 間を開けてアツリの弱弱しい声が聞こえた。イツリは両親の元へ向かって少年たちへ見られるのも構わず、全力で走った。そうしないと、直ぐ様アツリの元へと戻ってしまいそうだった。

 トランクを寝不足の顔でゆらゆらと持ち、去り際深くおじぎをしてペンションを出た。車の中で母はかみをかき乱し、ぐったりとハンドルを握る。
 なれない他人との生活で母も父も疲れ切っていた。
 「灯台でも寄って行こうか、」
 後部座席のイツリを振り返り、父は聞いた。イツリは頷く。段差で車が跳ね、イツリの膝の上の人形が跳ねた。人形の体を抑える。となりでシートベルトを着けたテディベアは、澄ました顔だ。

 お盆の日の夜、汗を掻いてうなされるイツリの声と歯軋りとが広く、静かな家で鳴っていた。
 あのペンションの部屋でぺたりと膝を床へ付け、イツリは座っている。
 白い犬のぬいぐるみをやさしく撫でるイツリの視線は窓の外を彷徨っていた。
 ふと腕の中のぬいぐるみの顔を覗くと、あいらしい顔がみるみるおぞましく変わっていく。
 おどろいて投げ出すと他のぬいぐるみもおぞましい顔をしてイツリをおそった。
 立とうとしても足は床とボンドでくっ付けたみたく動かない。
 飲み込まれまいと引き剥がして放っても、次から次へとおそい掛かられる。
 少しずつイツリは飲まれていく。
 されども、イツリの意識は飲まれても苦痛を伴い、付いて回る。

 自分の短い悲鳴で目を覚ますとイツリは急いで父の元へ走って行った。一人で少年の人形のデザインをしていた父は作業を止めイツリの方を向く。
 作業部屋の壁はファッションデザインを生涯の友とする母の描いた少年服のラフ画で埋め尽くされていた。
 息継ぎをするのも忘れてイツリは父へ自分がたった今見た夢を打ち明ける。父は静かな表情で耳を傾けた。
 段々と落ち着いてイツリは深く息をする。
 イツリが話すのを止めると父はやっと口を開いて、忘れて来てしまったのかもしれないねと言った。そんな筈は無いと思いつつも、そうなのかもしれないとイツリは不安を覚える。
 ペンションの人と話してみるよと父は、イツリを眠るよう促す。
 約束をしたことでイツリは安心してカーテンをめくり、月を探して眠った。

 隈を拵えて古い車へ乗り込むとイツリは十分とかからず眠ってしまった。
 目を覚ますと車はペンションの前へ着いた所だった。イツリは目をこすり、両親の掛けてくれたタオルケットをどかして、車のロックを解除した。
両親がイツリを起こそうとして後部座席を振り返る。
 「何だ、起きていたの、」
 「勿論だよ。」
 ペンションへ入るなりイツリは忘れ物ボックスを漁った。
 両親はペンションの娘と世間話へ興じ、イツリは自分のぬいぐるみを見つけられないでボックスの底へ到達する。父と目が合い、イツリは首を振った。イツリの使っていた部屋のキーを貰ってイツリは階段を上る。
 三階の部屋の扉を開く。整えられた部屋へ入るなりイツリはベッドの下や、棚の下の隙間を覗いた。
 片目を瞑り、ポケットの中から持参した懐中電灯で奥を照らす。
 どの下へも目当ての物は見当たらなかった。
 仁王立ちで、辺りを見回す。イツリはため息を吐いた。生々しい夢の感触を拭い去ろうと窓を開く。
 生温く、まとわりつくような感触と、雨が降りそうな匂い。遠くから灰色のくもがやって来ていた。
 窓から下を見ると、庭、それから斜め下、二階のベランダが見える。木製の丸テーブルと二脚の椅子。その椅子の下へ白く、小さなものが落ちていた。
 もしやと思い、イツリは三階のベランダへ出て下を覗く。
 それはイツリの持って来た白い犬の形をしたぬいぐるみだった。耳と眉がベージュ色をしているから間違いない。
 (どうして、)
 不可解さを感じながらも、ともかく助けなくては、とイツリは頭を捻るのを止め、助け出す方法を考えようとする。
 どうしようかと考え、迷った挙句、イツリはベランダの柵の間へ自分の体を滑り込ませた。
 そろそろと柵を掴みつつ体を二階へと降ろす。
 振り子の要領でいきおいを付け、二階のベランダへ降りた。
 尻もちを付いてお尻を抑える。焦るあまり、イツリは自分の運動神経の不良さを忘れていた。
 犬のぬいぐるみをそっと取り、腕へ抱く。
 「置いて行って悪かったね。」
 頭を撫で、犬のぬいぐるみから視線を外す。すると椅子の上であいらしい、見覚えのある人形が座っていた。
 おどろいて立ち上がる。
 もう片方の椅子の上で緑色のリボンを首から垂らしたテディベアが座って、イツリを見ていた。
 (この子は間違っても忘れない、)
 奇妙な感覚を覚えながらもイツリはテディベアを抱く。
 小さな雨の粒がイツリの頬を叩いた。空は晴れ渡っている。ベランダの床の隅でウサギのぬいぐるみを見つけ、抱く。
 おかしいと思いつつもどうしたら良いのか見当が付かない。
 自分の腕の内へ収まらない程のぬいぐるみを抱えた頃、老婆の声が聞こえた。
 ベランダへ入る扉の前で立つ、老婆とは似ても似つかない、燃えるような赤い髪をした女。
 女の目からはイツリへ対する憐れみと慈愛のようなものが感じられた。
 「坊や、それは猫の死体なのよ。」
 イツリは自分の腕の中を見下ろした。何処からどう見てもそれはぬいぐるみだった。
 「良いからお入りなさいな。ぬれてしまうわよ。」
 遠くで雷が鳴る。イツリは頷いて部屋の中へ入り、促されるままぬいぐるみを中央の台の上へと載せた。
 見目うるわしい少年たちがその台を囲んでいる。
 中でも一等肌のきれいな少年がイツリの入る分の隙間を開け、呼び寄せた。
 「良いかしら坊やたち。これは、猫の死体よ。そうは見えないでしょう。彼らの思いが時折こうして具現化してしまうの。」
 「それは具現化した形がぬいぐるみであるのと関係があるのでしょうか。」
 「あるようで、ないわ。つまり姿は何でも良いの。これはあくまでもそこの坊やから作られた姿なのよ。これが、坊やのあいした姿なのよ。」
 「どうしてこの少年なのでしょうか。」
 奴は聞きたがりなのさ、と傍の少年が耳打ちした。
 「今日、この日坊やが此処へ現れたからよ。これは果たして偶然かしら。誰か答えられる子は居る、」
 「この少年は見初められたのだと思います。」
 腕を後ろで組み、肌のきれいな少年はそう発言した。その場の少年たちの視線が一つ残らずイツリの方へ向く。
 どうしたら良いか分からず、イツリは黙って唇をかんだ。彼らが何のことを言っているのかいまいちイツリは分からない。
 「見つめられた、もしくは見付けた、と言っても良いわ。つまり、」
 女は少年たちを見回した。まとめることで話を先へ進めようとしているのが分かる。
 少年たちはそんな女の心中を理解して頷く。
 「重なった偶然は必然へと置き換えられる。そして必然は、」
 「条件が揃った場合、運命と呼ぶことが出来ます。」
 栗色の髪の少年が答える。
 「ええ、ええ、その通り。利口ね。では、御霊送りを始めましょう。」
 嬉し気な顔で栗色の少年はイツリへ、ベルを渡す。
 「君はこれを使うと良いよ。」
 「これから何をするの、」
 「レクイエムを歌うのさ。あそこで立っている二人もベルを鳴らす役だから詳しいことを聞くと良いよ。」
 和気あいあいとする少年たちから外れて立っている二人の少年の内一人が、イツリが近付くとベルを掲げて見せた。
 黒髪の少年がつまらなさそうな顔でぬいぐるみを顎で示す。
 「どうして縁も所縁も無い俺たちがやらなくちゃならないんだ、ってお前も、思わないか。」
 「そんなことを言うからベル係をさせられるのさ。心配しないで。ベルも楽しいよ。自分のめちゃくちゃな歌声を聞くよりずっと美しくって、僕も美しい音で参加出来るって思うととっても嬉しい。」
 「ならお前だけでやったら良い、」
 「僕だけでやるのは、寂しいよ。」
 「止めろよ、そんな顔をするのは。やってやるから心配するな。」
 顔を黒髪の少年へ向けていたのでイツリの方からは少年の顔が見えなかった。
 「そうだ、君、合図をするからそうしたら鳴らして。失敗するといけないから、一度やってみようか。」
 金色の蕩けるような髪をした少年は人懐こい、それこそベルのような声でイツリへベルの合図を教えた。
 何度か音を合わせると二人の音がキッチリと合う。
 少年たちの準備が整い、女は少年たちと台を挟んで向き合い、レコードへ針を落とした。ピアノの美しい音色が流れ出す。
 暗い色を含んだ少年たちの歌声が部屋を埋め尽くした。合図を出される度イツリはベルを振る。
 チリンときれいな音が灰色の声と混じり、奇妙な一体感を生んでいた。
 ベルを鳴らしながら黒髪の少年が欠伸をする。それを見た女は慈しむような顔で微笑した。
 外で雷が鳴り、激しい雨が窓を叩く。曲が終わると女はレコードの針を戻し、又一から曲を流した。
 疲れる迄少年たちはくり返し同じ歌を歌う。三度目からイツリは合図が無くともベルを振れた。
 歌声が掠れ始めた頃、女はレコードを止めた。
 ベルを振るのも案外大変で、二人の少年の顔を見ると疲れた顔でちょっと、笑い掛けられる。
 「お疲れ様、坊やたち。」
 女が少年たちの顔をぐるりと見回した。応じた少年たちは強がって疲れを押し戻し、微笑む。随分と此処の少年たちは女を信用しているようだった。
 イツリも少年たちからほんの少し遅れて微笑む。
 「今を持って、彼らはこの世のものでは無くなったわ。」
 テーブルの上のぬいぐるみが一つ残らず、無くなっていた。
 レコードプレーヤーと茶色く汚れた白いテーブルクロス以外、何も無い。
 ぬいぐるみは跡形も無く消えていた。
 ふっと張り詰めた室内はゆるみ、少年たちは各々会話へ興じる。ハイタッチをして回る、明るい性格の青い目をした少年からハイタッチを求められ、イツリは生まれて初めてハイタッチをした。
 渇いた音が少年たちの賑やかさの中でもしっかりと鳴る。
 「坊や、ぬいぐるみの坊や、」
 部屋の扉の前で立つ女がイツリを呼んでいる。イツリは少年たちの合間を抜け、女の前へ立った。
 ヒールの高さも相まって女の背は父よりも高い。燃えるような赤く、長い女のかみがイツリの額をくすぐった。
 「さようなら坊や。又会えたら良いわね。」
 一度別れたらもう二度と会うことは無いとイツリは知っていた。だからこそイツリは「はい。」と答える。
 扉のノブを回すと肌のきれいな少年がやって来て微笑む。
 「さようなら。会えて良かった。」
 「僕も。」
 とイツリは微笑み返して部屋を出た。廊下はおどろく程静かで、少年たちの話し声は少しもしなかった。
 扉を振り返る。心配しているかもしれないと歩き出して直ぐ、三階の扉を閉め忘れて来たのを思い出した。
 急いで三階へ上がり、窓をしっかりと閉め、扉を施錠し、イツリは両親の元へと降りて行く。
 一階へ降りると両親はまだペンションの娘と話し込んでいた。イツリの姿を見るやいなや、三人はおどろいた声を出す。
 白いシャツの前面が、茶色く汚れていた。
 血の渇いた痕だ、とイツリは思った。それを両親とペンションの娘は泥か何かだと思い、タオルでシャツを拭う。
 当然、汚れは落ちず、イツリは他の少年が忘れて行ったティシャツを着させられた。イツリの着ていたアンティークチックな服と合わず、シャツへ大きく印刷されたスポーツ用品のブランドのマークが、イツリの雰囲気を飲み込む。
 服一つでイツリはその辺の少年たちと変わらなく見えた。
 着させられたとしか思えない見た目の服でイツリは両親たちとペンションを出た。
 ペンションの娘はイツリたちの車が見えなくなる迄、入口へ立ち、見送っている。
 父の運転する車が突然、揺れた。イツリを見て閃いた服のデザインをスケッチブックへ記していた母から悲鳴が上がる。
 父は「猫だよ。」と普段出さないような大きな声で答えた。
 イツリは確かめようと道路を振り返る。
 灰色の道路の上で何時かの灰色の髪と、黄金の目を持つアツリが横たわっていた。
 車の窓を開け、イツリは顔を出してアツリの姿を眺めた。
 落ち着きを取り戻した父はハンドルを握り直し、
 「猫の死体だよ。」
 と重ねて言う。横たわるアツリの姿はもう遠くて良く見えなかった。

ハレトケ

ハレトケ

猫と少年。9000字とちょっと。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-25

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著作権法内での利用のみを許可します。

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