嫁茸

嫁茸

茸の人情小咄です。縦書きでお読みください。

 蓑吉が熊井川の辺にある漁師小屋で、釣り竿の手入れをしておりますと、茸取長屋の松五郎と、竹五郎がやってきて声をかけます。
 「おーい、蓑さん、茸採りにいかねえかい」
 「うん、いいよ」
 蓑吉は一年前に、三年連れ添った女房に病で死なれてしまいました。
しかし、ずい分落ち込んじまった蓑吉も、長屋の人たちに助けられ、少し元気が戻ってきたところです。特に独り者の松五郎と竹五郎は、蓑吉と一緒に飯を食ったり、湯に誘ったり、親しくしております。
 「どこに行くかね、また、いつもの辰巳山かい」
 「どこでもいいよ、どっかいいとこあるかい」
 「遠いけど、川の上のほうにゃ、いい山がたくさあるがね」
 熊井川の上流はいい釣り場でもあります。
 「うん、そこでもいいよ、だけど一里もあるだろう」
 朝ちょっと茸採りに行く松五郎と竹五郎には遠すぎます。
 「明日はだめだが、その次は仕事はねえからいいよ」
 「あそこは、岩魚もたくさん釣れるぜ」
 三人して、ちょっと山奥に茸狩ということになりました。
 当日は秋晴れの、茸狩日和。茸取長屋の人たちも朝早くから、入口の茸神社に「茸をおいしくいただきます」、とお参りをして、それぞれ自分の山にでかけていきます。
 松五郎、竹五郎と蓑吉は熊井川の上流を目指して、川沿いの道を行きます。
 「こっちのほうは久しぶりだな、水がきれいだな」
 熊井川が、山の間を流れる石がごろごろしている広い川に変わってきます。
 「子どものころ、泳ぎに来たよな」
 みんな頷きます。
 熊井川に沿ってさらに行きますと、川は二つにわかれ、三つの山の間に入っていきます。ここで、それぞれ大熊川と井草川と名前が変わります。
 「どっちにいく」
 「茸が採れそうなのは、大熊山の奥じゃないか」
 大熊山は左の山です。真ん中が尖(とがり)岳(たけ)、右が井草山です。
 「そうだな、それじゃ、大熊川にそって行くか」
 三人は、大熊山の麓の道を大熊川沿いに歩いていきます。所々に、茸に良さそうな林が広がっています。
 大熊川が沢になってきました。
 「ここからは川をのぼるしかないぜ」
 道らしきものは無くなります。
 しばらく歩きますと、渓流釣りによさそうなところに出てきました。
 「俺は、ちょっと糸を垂れたいね」
 蓑吉は茸よりも釣りをしたくてしかたがない様子。
 「ああ、おれたちゃ、山の中に入って茸を採ってくらあ」
 「昼飯にはおりてこいよ、岩魚を焼いといてやるよ」
 「そりゃ、うれしいね」
 松五郎と竹五郎は茸採りに向かいました。
 「やっぱりこのあたりは違うな、見ろよ、いろいろな茸がはえてら」
 真っ赤な茸や黄色い茸、様々な形をしています。
 「おい、これみろよ、竹のあれみたいじゃねえか」
 松五郎が、まるで男のあれみたいな茸を見つけました。壷から生えています。
 「何で、俺のはこんなにしわしわじゃないぜ」
 ようするに、スッポン茸です。
 「あの真っ赤なやつ、すごい毒だってよ」
 紅天狗茸が一本生えています。
 「触らないほうがいいぜ」
 二人が恐る恐る通り過ぎたところで、黄色の茸をみつけました。
 「すごいね、たくさんあるね、こりゃうまい茸だよ」
 たもぎ茸です。
 二人は摘んで籠に入れました。さらに進むと、舞茸やら香茸、もちろん滑子がどっさり生えています。
 「ここまで来るのは大変だが、やっぱりすごいね」
 滑子を採っていますと、誰かが、二人を呼んでいます。
 「松五郎さんと竹五郎さんよ、こっちだよ」
 声のほうを見ても誰も居ません。
 「蓑の声じゃねえな、誰だろうね」
 竹五郎が羊歯を掻き分けて行きますと、白い茸がたくさん生えております。
その中の一本の傘がパクパクと動くと「わしだよ、白(しろ)鹿(かの)舌(した)という茸じゃ、旨い茸だよ、あとで採りな」と語りかけてきました。
 驚いた松五郎と竹五郎。しかし、前にも鳶茸に話しかけられたことのある二人、少しばかり慣れております。
 「なんでえ、あんたら喰えるのか、喰ったら腹壊すなんてねえだろうな」
「旨すぎてほっぺたがおちるかもしれんよ」
 茸がやけに食べることを勧めます。
「ほんとにそうならいいけどね、だけど、喰ってもらいたいからって俺たちに声かけったってわけかい」
 「いや、そうでもないのだがな、お二人さん、正直そうだから、話を聞いてもらえると思ってな」
 白い茸たちは、みんなそろって二人を見ます。いや、傘が動いたのでそう見えます。
 「まあ、そのあたりに座りなせえ」
 そう言われて、松五郎と竹五郎が、羊歯の上に腰を下ろします。
 「昔々からの話だが、この大熊山の茸は、向こうの井草山に嫁に行くという習慣(ならわし)があってな、もちろん、井草山の茸は大熊山に嫁に来るっていうわけじゃ、それによって、お互いの茸がうまく生きてきたわけだ」
 「茸の嫁入りたあ、初めて聞くこった」
 松五郎が言うと、竹五郎も頷きます。
 「一年に一度、中秋の名月の時に婚礼は執り行われる、それで、井草山にいない茸が大熊山から嫁ぎ、大熊山にいない茸が井草山から嫁ぐことになっている」
 「それじゃ、いつか嫁ぐ茸がなくなるだろう」
 「いや、いや、我々茸の仲間は何万といるんじゃ、しかも新しい種類がほいほいでてくる。数千年は大丈夫だ、ほれ、あんたさんの足元に生えている茸、それはチチタケというが、昨年の嫁だ。こちらにはいなかったが、井草山からきた。それも食える茸だ、こちらからは釈迦占地が嫁に行った」
 竹五郎の足元に茶色い茸が何本か生えています。
 「そりゃあいい嫁入り習慣だ、人さまにとっちゃ喰える茸が増える」
 「そうじゃ、我々は食われたい、しかし、毒があると人が思っている茸は嫁にやれない」
 「どうしてだ」
 「山が受け入れてくれない、山は人に入って欲しいのだよ、だから人が嫌がる茸は生やしたくない」
 「そりゃ、わかるが、山がいやだといっても、茸のあんた達がいいと言えばいいだけだろう」
 「そうはいかない、我々は山の土の中に住んでいる、山の気持ちも考えてやらねばならんだろう」
 茸はずい分思慮深い。
 「実は、この近くに生えている紅天狗茸は、なぜか井草山にはいない、それで、本人は嫁に行きたいと切に願っている、ところが、井草山がいやだという」
 「向こうの茸はいいと言っているのかね」
 「茸たちは来て欲しいのだが、山は人間の総意を大事にしているのでだめだ」
 たいしたものだ。と、二人は山を見上げる。
 「紅天狗茸は猛毒だからしかたがないのじゃないかね」
 松五郎が言うと、白鹿舌は傘を横に振って、「違う」と言った。
 「紅天狗茸を少々食べても死ぬことはない、この茸は旨い茸でな、そん所そこらの茸より旨い、わしらよりも旨い、塩に漬けておいて食べるところもある。ただ、見た目が怖そうだが、見ようによっては奇麗だし、紅天狗茸の子供など可愛らしいものだ」
 「少しでも毒がありゃあ、毒茸だあ」
 竹五郎が言います。
 「確かにそうだが、すごく危ない茸じゃないのじゃがな」
 「紅天狗茸はどこにでもあるじゃないか、茸取長屋の裏山だって生える」
 「ああ、そうなんだ、ただ不思議なことに、井草山にはいない。茸にとって、あの赤い立派な茸は魅力なのだ、本当は嫁に欲しいと向こうの茸は考えているのだがな」
 「それで、あんたさんがたは、俺たちに何をしろっていうんで」
 「紅天狗茸を、みなに教えてもらいたいと思うのじゃが」
 「何を教えるのかわかんねえな」
 「紅天狗茸はひどい毒茸ではないと教えてくだされ」
 「毒があるのはしょうがないじゃないか、なにか他にいいことはないかい」
 「奇麗でござんしょう」
 「確かに奇麗だが、みんな奇麗だけでは安心しねえ」
 「なかなか納得していただけないようですな、どうでござんしょう、紅天狗茸を女子に変えて、長屋に遣わします、どなたかの嫁さんにしてはくれませんかね」
 「茸を嫁さんにしてどうするね」
 「紅天狗茸の中で最も別嬪なやつが奇麗な女子になって、長屋さんのどなたかの所に嫁にいかせます、それで紅天狗茸のすばらしさを長屋の方に知ってもらいます」
 松五郎と竹五郎は顔を見合わせると、「蓑吉にいいかもね」同時に申しました。
 「は、蓑吉さんとやらがよろしいので」
 「かかあに、死なれたばかりだ、しおれている」
 「それじゃあ、今日の晩にでも、向かわせましょう、よろしくお願いいたします、さて、お近づきに我々も採って食ってくだされ」
 と言われたのだが、話をしたばっかりの茸をもぎ取ることが出来るような二人ではありません。とても優しいのです。
 「あんたらは、次にするよ」
 近くに生えているチチタケを採ります。茸の切り口から白い汁が出ます。だから乳茸かと、合点したわけでございます。
 色々な茸を採ったあと二人は蓑吉のところに戻りますが、その前に話し合いました。
 「なあ、紅天狗茸が本当に、女に化けてくるのかな」
 「あの茸たち嘘は言わねえだろう」
 「そうだな、でも、蓑吉にはだまっていようぜ」
 河原に戻りますと、蓑吉がずい分たくさんの岩魚を釣りあげています。河原で火を起こし、何本かが焼けていい匂いが漂っています。
 「ずい分獲れたね」
 蓑吉は「ああ、よく釣れるよ太ったやつが」と、嬉しそうに糸をたらしています。
 「焼けてるの喰っていいよ、俺はもう二匹食った」
 「そうかい、じゃあ、食わしてもらうよ、舞茸も焼こうね」
 河原で茸と魚のバーベキュウでございます。今の世から見ると痛く贅沢な昼飯ということになるわけでございます。
 「岩魚うまいね、そろそろ、舞茸食えるぞ、蓑さんも、手を休めろよ」
 びくの中は大量の岩魚です。
 「ああ」と、釣り針をあげて、蓑吉も焼き舞茸に塩をふり、かじりつきます。
 「採りたては旨いね、酒が欲しいね」
 「今日の夕飯も一緒に食おう」
 「酒も買ってくるぜ」
 昼を食べ終えますと、ごろりと石の上で横になって、しばらく昼寝をしまして、それから長屋に帰る支度をいたします。
 長屋に着いたのは、まだ昼の八つをまわったころ、蓑吉は獲れた魚を長屋の分をのこして、食事どころの瓢箪にもって行きます。ついでに二人に頼まれた茸ももっていきます。松五郎と竹五郎は岩魚を数匹と茸を持って、八茸爺さんのところにまいります。
蓑吉のもってきた魚と茸を瓢箪の茂蔵が見て、
「立派な岩魚だな、どこで捕ってきたんだ、それにいい茸だ」とほめた。
「大熊山のほうだよ」
「あっちまでいったんか」
「茸は松と竹が採った」
「するてえと、今日は宴会だな」
「うん、酒買って帰る」
「そいじゃ、これもってきな」
 茂蔵が炊き立ての茶飯を折にいれます。
「そりゃ、助かります、飯をたかなくてもいい」
「俺も一緒にやりてえくらいだ」
大家さんの家では八茸爺さんが、松五郎と竹五郎が持ってきたものを見て喜んだ。
「立派な岩魚じゃな、茸も立派じゃ」
「へえ、蓑吉と一緒に大熊山に行きやした」
「それじゃ、これから宴会じゃな」
「へえ、酒かってきます」
「頂き物の酒がある、これをもっていきなさい、それにわしも一緒に食わしてもらおう、焼くのがめんどうじゃ」
ということで、八茸爺さんも、長屋に来ることになりました。結局、魚は長屋にもって帰り、みんなで焼くことになったわけでございます。
 「ずい分うまそうなものがそろったね」
こうして、宴会は夜遅くまで続きました。

蓑吉が寝支度をして、布団に入り、いい一日だったと目を閉じたときでございます、
 「勝手にお邪魔しますよ」
 女の声がします。
 あれ、誰だろう、夢を見始めたのかと、蓑吉が頭を起しますと、すーっと、戸が開き、月の光を後ろにして、黒い姿が浮かび上がる。なんだと、思っているのもつかの間、戸がすーっとしまって、行灯に火が灯り、土間にあでやかな着物姿の女が一人立っております。
 「だれでえ」とつい、荒い言葉をかけたのですが、
 「お世話になります、紅でございます」と柔らかな女性の声がします。
 ああ、これは夢だ、頭を枕にもう一度落とし、目を閉じると、本当に寝いってしまいました。
 朝日が家の中にも差し込んでまいりますと、ああ、よく寝たと、蓑吉は布団からおきだします。立ち上がろうとして土間を見た蓑吉がぎょっといたします。黒い髪を背中までたらした粋な女が、竈の前で食事の用意をしているではありませんか。女は真っ赤な茸がちりばめてある黒い小袖を粋に着ております。
 びっくりする蓑吉に気がついた女は、「蓑さん、おきたのかえ、今水をもってくよ」
 と小さなたらいに水を入れ、お顔をお拭きなさいと、しぼった手ぬぐいを手渡されました。
 何がなんだかわからないままに蓑吉が顔を拭くと、女はさっさと布団を上げ、暖かい味噌汁と炊き立ての飯、野菜の浅漬け、それに昨日の残りの岩魚を焼いて、膳にそろえました。
 「今日は、どこで釣りをなさるのかい」
 女が聞く。やっと、自分に気がついた蓑吉は、
「あんたさんはどなたさんで」と声がでた。
 「あら、昨日の夜、ご挨拶をした、紅ですよ、これから蓑さんの身の回りの面倒をみさせてくださると、おっしゃったじゃありませんか」
 そういうのだが、蓑吉には覚えがない。
 「昨日はだいぶ召しあがってたから、お忘れですね、さーさ、お食事をなさって、お仕事にいらっしてくださいな、お昼は用意しておきますから、お待ちしております」
 蓑吉は何がなんだかわからないが、飯を食うと、釣り道具を持って出かけました。
 「いってらっしゃいませ」
 ずい分丁寧な話しぶりで、前の女房とは全く違う、なんだか、わからないが、頭が宙に浮いているようにふわふわとしております。
 さて、熊井川のいつもの釣り場で、何匹かの鰻と落ち鮎を釣り、釣ったものを瓢箪ともう一つの飯屋において、茸取長屋に帰りました。
 すると、自分の家の前に子どもたちが集まっています。おかみさんたちも何人か顔をそろえています。
 長屋に入ると、亀が振り向いて言いました。
「蓑さん、新しいおかみさんかい、奇麗な女(ひと)だね、あんたもすみにおけないね」
 蓑吉はそれを聞いて、あの女性のことだとはわかったが、どうなっているのか自分でもわからない。
 子どもたちの上から覗くと、台の上に、和紙でできた奇麗な赤い茸がならべてある。
 欲しい方はどうぞ、紅天狗茸の張子です。と書いてある。
子どもたちは字が読めない。一人のおっかさんが、くれるって書いてあるよ、と言ったものだから、子どもたちはワーッと、みんなもって行ってしまった。
そこへ、紅が紅天狗茸の模様のついた着物をぴしりと着こなして現れました。
「蓑吉さん、おかえんなさいましな、お昼ができてます」
と言ったものだから、おかみさん連中は「ひゃーっ」と驚いた。ともかく、美形である。一体どこから現れたんだいあの女は、ということで、噂は長屋にすぐに広まった。そればかりではない、近隣にもひろがり、張子の紅天狗茸がもらえると、子どもたちが集まった。
「蓑吉さん、提灯屋を紹介してくださいな」と紅が尋ねます。
蓑吉が首を縦に振って、「長屋を出て、大通りのほうに少し行くと、あるよ、昼飯食ったら連れて行くよ」と答えます。
さて、昼を終えた蓑吉は紅を従えて提灯屋の志の助のところへまいりました。
 「志の助、頼みてえことがある、と、その、この方がいうんだ」
 と変な挨拶をしました。
 「蓑吉さん、どなたで」
 蓑吉が、もじもじしていると、「紅でございます、蓑吉さんのお世話をさせていただいております」と紅が挨拶をいたします。
 「それはそれは、蓑吉さんの新しいおかみさんでしたか、それでなにを」
 これを提灯にしていただきたいのですが」
紅が風呂敷を解くと、中には和紙にみごとな紅天狗茸が描かれておりました。
 「これは、目の覚めるような赤い紅天狗茸ですな、毒茸だ」
 「いえ、志の助さん、紅天狗茸の毒は弱いもの、とても奇麗な茸なのです」
 「そうなのかい、確かに奇麗だな、これを提灯にすりゃあ、確かにいいもんだね」
 ということで、紅天狗茸の提灯が造られることになりました。
 紅は蓑吉が釣りに出かけている時は、提灯の絵を描いたり、張子をつくったり、忙しい毎日でございます。
 出来た提灯は、挨拶代わりと、長屋のみなに配り、かまわなければと、提灯屋に置いておいたところ、飛ぶような売れゆき。
 茸取長屋は、夜になると紅天狗茸の提灯で、お祭のような明るい場所になりました。
 家主さんの八茸爺さんのところにも、蓑吉と紅が紅天狗茸の提灯と張子をもっていって、紅を紹介します。
 「おお、そうですかな、蓑吉はよかったことだ、紅さんはどこからいらしたのかな」
 蓑吉がもじもじしていると、「山奥でございます」と紅が答えました。
 八茸爺さん、なんだかしっくり来ないが、「ああ、そうかいそうかい」と、祝いの酒をもたします。
 「今度、祝いの宴会じゃな」
 「へえ、ありがとうございます」
 茸取長屋では、子供が生まれたり、お祝い事があると、八茸爺さんが宴を開きます。酒樽がもちこまれ、みなで呑み食いをいたします。
さて、蓑吉の祝いと言うことで、井戸端に縁台がおかれ、酒盛りが始まります。紅がみなに酒をついでまわります。
松五郎と竹五郎のところにくると、
「いろいろありがとうございます、よろしくお願いたします」と挨拶をする。松五郎と竹五郎は、これがあの紅天狗茸か、いいなあ、とポーっとなっています。
八茸爺さんが、「紅さんどうじゃ、みなに一言いわんかね」と紅に矛先を向けます。
「はい、長屋の皆様、紅でございます、山奥の出、不束者ですが、蓑さんの世話をさせていただきます」
 「とても山奥から来たとはみえんねえ」
 おかみさんの一人が呟きます。
「そうだよ、どこかの殿様の奥方か、いや花魁かってところだね」
 「そのべべはすごいねえ」と誰かが言うと、紅が答えました。
 「はい、昔から我家にあったもの、紅天狗茸はあまり毒も強くなく、奇麗な茸で我家の紋のようなものでございました。庭に紅天狗茸がそろって生えると、それは見事なものでございます。そのうち、長屋の裏に紅天狗茸の畑を作ります。それを眺めながら、皆様に、一献差し上げたいと思います」
 乾物売りの伸介が「紅天狗茸は猛毒だと思っていたが違うのかね」と聞くと、紅は「はい、塩漬けにして食べるところもございます」と答えました。
 「毒ではないんだな、それにしても、あの赤い茸がたくさん生えたら奇麗だろうな」さすが飾り職人の芳は食べることより見る美しさに興味があるようです。。
 「はい、秋の終りには、たくさんの立派な紅天狗茸を生やしてご覧に入れます」
 こうして紅は蓑助の女房になったわけでございます。
 紅の素性を知っているのは、松五郎と竹五郎だけでございます。
 二人は「なあ、八茸爺さんには本当のことを言ったほうがいいだろう」
 「そうだなあ、何かあるといけないからな」と、八茸爺さんの家に行き、大熊山の白鹿茸の話を致しました。
 「ふむ、不思議なこともあるものよの、じゃが、紅天狗茸の毒はそれほど強いものでないというのは正しいのじゃよ、玄先生がいうには南蛮の本にはそう書いてある」
 「どういたしやしょう、蓑助も知らないことですが」
 「うーん、考えてみよう、ともかく二人とも、当分は言わないでおくれよ」
 「へえ、わかりやした」
 八茸爺さんにすべてを任せたのです。
 一方、祝いまで開いてもらった蓑吉は紅とねんごろになります。
 すぐに紅のお腹が膨らんできました。「おお、これは子どもか」と蓑吉が喜びます。だが次の日には紅のお腹がへこんでいます。またすぐにお腹が膨らみます。すぐにへこみます。そんなことが続きます。
 裏山に、ちらちら赤いものが見えるようになります。長屋の者たちが近寄ると、大きな紅天狗茸が生えています。毎日毎日たくさん生えてきます。長屋からでも赤い茸が見えるようになってまいりました。
一方、蓑吉は紅に子どもができたと思ってもだめで、がっかりすることが重なって、うつむきかげんになります。
 「どうしたんでえ」
 松五郎と竹五郎が気にします。
 「いや、なかなか子どもができなくて」
 「そうか、蓑さんは子ども好きだからな、そうあせるな、いずれできるさ」
 「それが、紅の腹がちょっと大きくなると、すぐへこんでしまう、あれは子どもができないからだかもしれん」
 「まだわからんだろう」
 なんだかおかしいと、思った松五郎と竹五郎は、夜中にそうっと戸を開けて見ていますと、お腹の膨らんだ紅が家から出てきて、裏山にはいっていきます。
 二人してついていくと、紅が自分のからだから何か取り出したと思うと、土の上にならべていきます。
 「おい、紅天狗茸を産んだんだ、どうしよう」
 「八茸爺さんに相談しよう」
 朝になり、松五郎と竹五郎は再び、八茸爺さんのところで見たことを話しました。
 「なんと、紅天狗茸を産んだとな、わかった、なんとかしよう」
 八茸爺さんは紅を家に呼び、紅が大屋さんの家にまいります。
 「お話があるとのことですが、なんでございましょう」
 「いや、裏山の紅天狗茸はきれいじゃ、いつごろ、花見ではなく茸見をしようかの」
 「明日になれば、満開でございます」
 「おおそうか、それじゃ、明日やろう」
 「はい、長屋の人には伝えておきます」
 「なあ紅さん、蓑吉は一年ほど前にかみさんをなくしているのは知っているじゃろ」
 「はい」
 「あいつは、子ども好きでな、楽しみにしておるし、紅さんがおらんようになったらそれは悲しむだろう、いつまでもいてくだされや」
 紅は八茸爺さんがすべてを知っていると察したようでございます。
 「もちろんでございます、来年には可愛い女の子を産みたいと思います」
 「おお、それはいいな」
 次の日、裏山には紅天狗茸の提灯も下げられ、明るいうちから、茸見の酒盛りになりました。それを聞きつけた町の人たちも押し寄せ、周りには屋台も出るような盛況となり、大賑わいでございました。
 次の年の夏、紅がかわいらしい女の子を産みました。美美と名付け、蓑吉の可愛がり様はそれは大変なものでございます。
 その後、松五郎と竹五郎が井草山に行ってみると、真っ赤な紅天狗茸がたくさん生えておりました。
 「おお、嫁さんにこれたのだな」
 紅天狗茸に声をかけ、そのまま大熊山にいくと、白鹿茸が二人に言いました。、
「紅天狗茸が井草山に嫁にいくことができました、感謝しますぞ」
 「それで、井草山からは誰が嫁に来たんだ」
 松五郎が聞きますと、「ほれ、その白い茸が嫁に来ましたよ」
 大きな白い茸がすっと立っています。
 「これは、なんていう茸だ、よく見るがここにはなかったのかい」
 「これも不思議なこと、大熊山にはいませんでしたのでな、袋(ふくろ)鶴(つる)茸(たけ)と申します」
 「こいつは、化けねえのかね、俺たちも嫁さんがほしいが」
 「化けることは化けますが、猛毒でしてな、悪女にしかなれません、ちょっと毒がある茸はいい女に化けることができます」
 と聞いて、二人はがっかりして山をおりてまいりました。

嫁茸

嫁茸

茸長屋の女房に死なれた蓑吉に、松五郎と竹五郎が嫁さんを探してやります。嫁に来たのはーーーー

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-09

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