静謐1

高速道路をホンダアコードで走っていたところで携帯電話が鳴りだした。
「はい、吉住です」
「吉住君かい?わたしのことがわかるかな」
その声には聞き覚えがなかった。初めて聞く声だった。
「どちらさまでしょうか?」
「その質問に答えよう。実はわたしには名前が無いのだよ。生まれてから名前というものを付けてもらったことが無いのだ。おもしろいだろう。それで仮名というものが必要になってくる。君に付けてもらおうじゃないか」暗黒さを伴う声で彼は言った。
突然の質問に吉住は戸惑った。
「いったいあなたは何者なんです。どうして僕の携帯番号がわかったんですか?」
「答えを教えたいのはやまやまなのだが、それではゲームが成立しないだろう。そこでヒントが与えられる。君の後ろを走っている車はいつから君の後ろを走っていたのかね。これは大きなヒントだ。まったく!」
吉住はバックミラーを覗いた。そこに車は走ってなかった。
「ははは!冗談だよ。君を少し試してみたかった。すまないね。わたしは君の半径数百キロにはいないだろう。しかしこうして携帯電話を通して身近に感じることができる。文明の勝利だ」
「わたしに何の用事があるのですか?」
「それを言おうと思っていたところだ。君に何の用事があるのか。答えよう。ある人物を殺してもらいたい。これは残念ながら命令になってしまうが」
「何だって?人を殺すだって?」
「その通りだ。しかし安心してもらいたい。その人物は殺されても仕方がない奴なのだ。警察も介入することはない」
「だからといって…」
「申し訳ないがタイムオーバーだ。また後ほど連絡をいれる。それまでゆっくりと休んでくれたまえ。アディオス!」
電話が切れた。唐突な切れ方だった。
「俺はいったい何者なのだろう?なぜそんな要求がなされたのだろう?俺はいったい…」吉住はアコードを時速140キロで走らせていたのだが、頭の中ではその『俺はいったい何者なのだろう?』という疑問がタイヤの回転と同じように繰り替えされていた。
高速道路を降りて一般道に入った。雪が降ってきた。永く続く冬の先触れだ。吉住にとってこの季節は、今日は、永遠に忘れられない日となるだろう。

静謐1

静謐1

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-16

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