探偵・九十九龍之介の怪奇手帖 -深淵なる狂気-
『探偵・九十九龍之介の怪奇手帖-深淵なる狂気-』
●作品情報●
脚本:にがつ
原案:芥川龍之介『河童』(1927年)
所要時間:40~50分
男女比 男性2:女性2(総勢4名)
スペシャルサンクス:こーたぬ
□あらすじ■
『人間の感情というのは、他者を狂気にさせる道具になる』
――怪奇探偵シリーズ第一弾。
<登場人物>
九十九 龍之介(つくも りゅうのすけ)
性別:男性、年齢:29歳、台本表記:九十九
本作の主人公で、探偵業を営んでおり、神田神保町に事務所を構えている。
『怪奇探偵』と呼ばれるイケメンではあるが、オネエ言葉を喋る。
土御門の系譜を辿る陰陽師の一族であり、陰陽術を使用できる。
千里(ちさと)【※女性配役のキャラクターです。】
性別:男の娘、年齢:100歳以上(見た目は10代後半)、台本表記:千里
九十九の式神である、オスの猫又ではあるが―
主人の命令で女性モノの服を着ており、華奢で愛らしい容貌から少女を勘違いされる。
性格は自信過剰で好戦的という、良くも悪くも裏表のない不良気質の強い人物。
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)
性別:男性、年齢:30歳、台本表記:芥川
売れっ子の小説家で、彼との出会いにより九十九が事件に関わることになる。
空虚感が入り混じったようなしゃべり方をするダウナー系。
白河 清香(しらかわ きよか)
性別:女性、年齢:23歳、台本表記:白河
華族・白河伯爵家の令嬢で、現在は東京府立松澤病院に入院している。
普段は貞淑な良家の令嬢ではあるが、狂うきっかけとなった『河童』の話をすると怒り狂う。
斎藤 茂吉(さいとう もきち)※【芥川龍之介】の兼役
性別:男性、年齢:35歳、台本表記:斎藤
東京府立松澤病院の院長を務める精神科医で、芥川と白河の主治医。
怪異『????』※【白河清香】の兼役
性別:??、年齢:??(10代の少女)、台本表記:怪異
今回の事件の元凶で、『狂気を伝染させる』性質を持つ。
正体は、■■■■。
【上演貼り付けテンプレート】
『探偵・九十九龍之介の怪奇手帖-深淵なる狂気-』
URL https://slib.net/102440
Site https://nigatsu-kobo-1.jimdosite.com/
九十九 龍之介(♂):
千里(♀):
芥川 龍之介/斎藤 茂吉(♂):
白河 清香/怪異『????』(♀):
(※敬称略)
※本作は単話完結型です。
□アバンタイトル
芥川:げに人間の心こそ
芥川:無明の闇も異らね
芥川:ただ煩悩の火と燃えて
芥川:消ゆるばかりぞ命なる。
芥川:芥川龍之介、『袈裟と盛遠』より
(間)
千里:龍之介ー!
九十九:……。
千里:なぁー! 龍之介ー!!
九十九:うっさいわね、こっちは優雅に酒を嗜んでいる最中なのよ!
千里:いってえ!!
九十九:静かになさい。
折角のジャズが台無しよ。
千里:だからって、拳骨することないじゃないか……
九十九:あんたがジャズバーに行きたいって言うから連れてきたのに。
早々に飽きてどうするのよ。
千里:だってぇ……つまんねぇだもん。
九十九:あんたはミルクでも飲んでなさい。
千里:ちぇ。
芥川:旦那、隣いいかい?
九十九:ん?
千里:あっ!
芥川:おや、どうしたんだい?
千里:あっ……あっ……芥川龍之介だー!!
芥川:おや、僕のことを知っているのか、嬉しいね。
お嬢さんのような愛らしい子に知ってもらえるなんて……少しはこの仕事をしていて良かったかな?
千里:俺はお嬢さんじゃない!
俺は、ねこま……アンギャ!!
九十九:ごめんなさいね。
うちの助手が騒がしくて。
千里:二回も拳骨する必要ないだろ!
九十九:あんたがバカだからしょうがないでしょ。
千里:なにをー!
芥川:あはは、元気でいいじゃないか。
僕もこのように元気な時に戻りたいね。
今は、色々とありすぎてくたびれてしまったよ。
九十九:それよりも、いつまでも立っているの?
お隣どうぞ。
芥川:それじゃあ、失礼するよ。
あぁ、マスター。
今日は、電気ブランを。
【芥川の目の前に一杯の電気ブランが置かれる。】
芥川:(勢いよく飲んだ後に)ふぅ……あぁ、いい気分だ。
九十九:大丈夫なの?
最初から飛ばしすぎじゃない?
芥川:いいんだ、今日は飲みたい気分なんだよ。
いや、毎日飲んでいるなぁ……あはは……そういえば、旦那。
名前を教えてもらってもいいかな?
九十九:あら? これは誘われているのかしら?
芥川:おもしろいことを言うねえ。
確かに、あんたは女言葉を使う美丈夫である。
長そうで短い人生……男色を経験することは良いのかもしれないけど……
生憎だが、僕は家庭を大切にする男でね。
まあ、帝国大学の時だったらわからなかったのかもしれないけど。
九十九:あら、それは残念。
著名な作家先生と一夜をともにするのは悪くなかったのだけど……
まあ、冗談はさておいて。
九十九龍之介よ、神田神保町で探偵業を営んでいるわ。
偶々だけど、先生と同じ漢字の名前ね。
で、このウルサイ単細胞が、助手の千里。
千里:おい! 俺のどこが単細胞なんだよ!!
九十九:そうやって、すぐ怒るところよ。
千里:ぐぬぬ……
芥川:探偵、か。
それはまた、おもしろいことをしているね。
千里:作家先生、こいつはただの探偵じゃないぜ?
龍之介は『怪奇探偵』と呼ばれているんだぜ!!
九十九:ちょっと、千里……
芥川:ほぅ、『怪奇探偵』ねぇ……なあ、探偵さん。
僕たちがここで出会ったのは運命なのかもしれないね。
九十九:どういうことかしら?
芥川:あんたに面白い“謎”を提供しようじゃないか。
九十九:へぇ……おもしろいわね。
聞かせて頂戴。
芥川:その前に、っと。
提供する代わりと言っちゃなんだが……追加の電気ブランの代金をお願い出来ないかな?
九十九:あら、売れっ子作家なんでしょ?
私なんかよりよっぽどお金を持っているじゃない。
芥川:実はね……財布を落としちゃってね。
九十九:しょうがないわね。
ただし、しょうもないのものだったら、承知しないわよ?
芥川:あぁ、それは保証するよ。
九十九:期待しているわ。
マスター、この人に電気ブランをもう一杯。
ええ、代金は私が持つわ。
千里:俺も同じのを!
九十九:あんたはミルクでも飲んでなさい!
芥川:お嬢さん、君はもう少し大人になってからのほうがいい。
千里:だから、俺は……いや、言うのをやめておく。
九十九:あら珍しい、少しは成長したじゃない。
千里:うっせ、バーカ!
九十九:はいはい、わかったわかった。
それで、芥川先生?
早く、その“謎”とやらを教えて頂戴な?
芥川:まあまあ、探偵さん。
夜は長い、そう焦らずだよ。
物語はゆっくりと、じっくりと楽しむものだ。
――最近、僕は新作を書いていてね。
そしたら、友人がネタになるんじゃないかって興味深い話を持ってきたんだ。
『河童』に会った者がいる、と――
千里(※タイトルコール):探偵・九十九龍之介の怪奇手帖。
深淵なる狂気。
□シーン1
芥川:その者の名は、白河清香。
九十九:白河って……確か、伯爵・白河博信の……
芥川:あぁ、大事な大事な娘さんさ。
今は、松澤病院に入院してしまったそうだ。
突然狂ってしまったそうで、幻覚を毎日見るそうだよ?
そんな彼女が話す『河童』の話は、荒唐無稽で、夢想的なものだ。
けど……不思議なことに、彼女の言葉には「嘘」が感じられなかった。
九十九:「嘘」が感じられない……そもそも、松澤病院って精神患者を収容する病院じゃない。
先生、あなたも狂っているのかしら?
芥川:あはは!それはあり得る話かもしれないな!!
なにせ、周りからは「狂人」と呼ばれているからね!
おっと、失礼……煙草を吸わせてくれ。
燐寸は……
【九十九がスッと火が付いた燐寸を差し出す。】
九十九:どうぞ。
芥川:流石、探偵さん。
失敬するよ。
ふぅ……
【一息一服すると、芥川は恍惚とした表情を浮かべる。】
【そんな彼の表情から、九十九はあることに気付く。】
九十九:見ない銘柄ね、それ。
まあ、吸いすぎには注意しなさいよ。
芥川:九十九さん、あんただって今時珍しい煙管を吹かしているじゃありませんか。
九十九:あんたが吸っているのは煙草じゃないでしょ?
“ソレ”は気持ちよくなるかもしれないけど、ロクな結末しか待っていないわよ。
芥川:アハハ……お見通しってわけか……
敵わないねえ……
九十九:まあ、どうだっていいわ。
話を続けて。
芥川:あぁ、すまないね。
それで友人に頼って、僕は彼女に会った。
その時は収容される前で、立派な邸宅の一室にひとり、彼女は居た。
虚ろな目に、柔和な微笑み。
それは、まるで夢遊病の患者のように。
ただ、彼女は僕を見るとこう言ったんだ。
「待っていました、芥川さん」っと。
彼女は僕の訪問を知っているはずがないのに――
九十九:誰かが言った可能性は?
芥川:それはないだろうね。
なにせ、彼女は他者との交流を拒絶していた。
いや、間違えた。
“実態がある”他者との交流を拒絶していた。
一言でも発しようとすると、自らの耳を塞ぐ仕草をし始める。
ちょうど、このようにね。
でも、その時の彼女は耳を塞ぐ仕草はせず、嬉しそうに語り始めたんだ。
「自分は『河童』に出会い、『河童』の国に行き、そこで何を見たのか」、と。
九十九:『河童』って……あの妖怪の『河童』のことかしら?
芥川:そう。
三年前の夏に、彼女は上女中と共に穂高山に登山をし、
その途中で『河童』に出会ったそうだ。
〝ソレ〟を追いかけているうちに『河童』の国に迷い込み、その世界の理に驚いた。
全てが人間社会とは全くの逆。
雌の『河童』が雄を追いかけ、中絶は気軽に出来るモノ、優生思想が蔓延んでいる――
また極端な資本主義社会で、合理的であることを求められるそうだ。
最近では新たに産み出された画期的な機械で、多くの職工が職を失くし、
『職工屠殺法』なる悪法によりガスで安楽死させられてしまったそうだ。
そして、彼らは食用の肉に加工され、市場に流通する。
どうだい?
九十九:どうだいって……そりゃあ、なんかの三文小説を読んでいるみたいだわ。
芥川:予想通りの反応だ。
まあ、信じろというのが無理な話さ。
頭がイカれている僕でさえ、正直信じられないって判断したぐらいだ。
でも、さっきも言ったが、彼女が「嘘」を言っているとは思えなかった。
九十九:へぇ……
芥川:もちろん、それを裏付ける証拠もあるよ。
その後の2人の陰惨たる結末だ。
清香さんは狂い、妄言を吐き続ける始末。
付き添っていた上女中は、屋敷に帰ってきた翌日の夜に、突然叫び出して剃刀で自らの喉笛を切り裂いた。
こう言っていたそうだ――「河童が!河童が!!私たちを迎えに来る!!」って。
九十九:怪奇小説そのものね。
芥川:ああ、だが、あんたには打って付けの〝謎〟だと思うよ。
さて、こんな時間だ……そろそろ、帰らないと。
九十九:ちょっともう終わり?
芥川:僕から話すのは、ね。
後は、彼女から聞くといい。
九十九:なに、この封筒?
芥川:これは“招待状”みたいなモノだと思ってもいい。
封筒に書いてある名前の人物に会い、僕の名前を出せば彼女に会えるさ。
九十九:ふーん……斎藤茂吉って、松澤病院の院長じゃない。
知り合いだったり、するのかしら?
芥川:斎藤先生は、僕の創作の友人であり、主治医であるんだ。
すばらしい精神科医さ。
――言っただろ?
僕はイカれてるって。
九十九:狂人の言うことを信じると思う?
芥川:だったら、探偵さん。
あんただって僕に“何もしない”ということをしないでしょう?
信じていなかったら、僕が懐に隠している財布から、二杯目のお駄賃を徴取しているだろうさ。
九十九:先生、あなた、探偵に向いていますよ。
芥川:いやいや、どちらかと言うと、小賢しい詐欺師だよ。
それに僕は、しがない物書きだよ。
それ以上でも、それ以下でもない。
それでいいんだよ。
九十九:また会えるかしら?
芥川:あぁ、もちろんだとも。
事の真相を聴かないといけないしね。
僕は嬉しいよ、久しぶりに心の底から「おもしろい」と思える人間に出会えて。
再び相まみえるために、もう少し長生きしないといけないね。
九十九:褒め言葉として受け取っておくわ。
芥川:さて、このままだと三杯目を恋しくなってしまう。
女房と子供たちに怒られてしまうからお暇しよう、それじゃあ。
千里:……行っちゃったよ。
九十九:そうね。
――さて、千里。
あんたはさっきの話についてどう思う?
千里:嘘だろ。
その女が見たっていうのは、『河童』じゃない。
精神病の症状でも、そいつ自身が作り上げた妄想でもない。
――“怪異”だ。
それに、とびっきりに厄介な奴。
九十九:やっぱりね。
あんたが厄介と言うぐらいだから、今回の件は肩こりがひどくなりそうね。
まあ……腕が鳴るけど。
千里:おいおい、いいのか~?
九十九:ん?
千里:気をつけろよ~?
俺は妖だから平気だけど、いくら霊力があるとは言っても、人間のお前は狂っちまう可能性があるからよ。
九十九:じゃあ、その時は是非とも喰らって頂戴。
あんたは失った力を取り戻せる上に、煩わしい飼い主から解放される。
一石二鳥じゃない。
千里:……まあ、そんなことは俺がさせねえけどな!!
不本意だけど、今の俺は九十九龍之介の式神だからな!
それに、ヘマをするほど、俺はバカじゃねえからよ。
九十九:ふっ……ええ、まあ、期待しているわよ。
□シーン2
斎藤:まったく、芥川の奴め!
余計なことを!!
九十九:すいませんね、先生。
お忙しいところ、ご対応して頂きありがとうございます。
斎藤:探偵だが、なんだか知らないが。
いくら狂っているとは言え、大事な患者なんだ。
手荒な真似をしたら許さんぞ!
九十九:重々承知しています。
斎藤:ここだ。
【斎藤は扉をノックして中に入る。】
斎藤:二十三号くん、君に面会だ。
千里:二十三号?
あいつに名前があるはずだろ?
九十九:まあ、“配慮”ってやつでしょ、彼らにとっての。
千里:ふぅーん……どうみたって、看守と囚人にしか見えねえけど。
白河:あら、先生、こんにちは。
今日もね、あの子が『河童』について教えてほしいって何回も言うから教えてあげたんです。
毎日教えているのに、困ってしまうわ。
でも、楽しそうに聞いてくれるもんだから、私、嬉しくなっちゃって。
斎藤:そうか、そうか。
ちなみに、その……“あの子”ってどんな子だい?
白河:いやだわ、先生。
そこにいるわよ。
千里:……何もいねぇよな?
九十九:私に聞くんじゃないわよ。
妖のアンタが見えないモノを、見えるはずがないでしょ。
斎藤:あぁ、それはすまなかったね。
実はね、君のその『河童』の話を聞きたいという人が――
白河:知ってる。
斎藤:え?
白河:その人たちなんですよね?
でも、名前は知らないの。
あなたたちは、だあれ?
九十九:初めまして、白か……いえ、二十三号さん。
私ね、九十九龍之介って言うの。
よろしくね。
千里:で、俺がこいつの有能たる相棒の千里だ!
九十九:バカ丸出しの自己紹介はやめなさい。
白河:あらあら、不思議な方々ね。
九十九さんはどうして、女言葉を使うの?
千里さんはどうして、男みたいな言葉を使うの?
九十九:まあ、そんな些事はよろしいじゃありませんか、お嬢さま。
それよりも教えてくださいな。
あなたが見た『河童』を。
私は知りたいの。
白河:あらあら、とてもせっかちさんなのね。
でも、いいわ。
私は、あなたを待っていたから。
九十九:あら?芥川先生が私のことを教えたのかしら?
白河:いいえ、先生は何も言っていないわ。
ただ、ここに名も知らぬあなたが来るのは、わかっていた。
不思議な縁ね。
九十九:縁、ねぇ……
まあ、いいわ。
教えて、あなたが何を見て、何を感じたのか、を。
白河:ええ、よろしいですわ。
あれは、三年前のことでした。
ばあやと一緒に、上高地の温泉宿から、穂高山へ登ることにしたんです。
山を登るには、そこを流れる梓川をさかのぼる以外に、他に方法はありません。
その日は、朝霜が下りていて、いつまでたっても晴れる気配がありませんでした。
1時間ぐらいでしょうか?
状況が変わらないことに、一度は宿へ引き返そうと思いました。
でも、戻ろうとする私たちを妨げるように、靄はひどくなるばかり。
どうしようもなくなったので、「これは登るしかない」、そう決心しました。
私たちは谷を離れないように、熊笹の中をかき分け、歩き続けました。
どれくらい歩いたことでしょう。
疲れてしまった私たちは、水際の岩に腰をかけて休憩することになりました。
ふと、腕時計をのぞいてみますと、時刻は13時20分。
すると時計のガラスに気味の悪い顔がひとつ、ちらりと影を見せたのです。
ばあやが悲鳴をあげ、私は驚いて振り返ったのです。
それで――
九十九:『河童』がいた、と。
白河:はい、それが私と『河童』の初めての邂逅。
私も悲鳴をあげると、『河童』は一目散に逃げました。
てっきり、私たちを襲うものだと思っていたので少し拍子抜けをしてしまいました。
なので、私、追いかけてしまったのです。
千里:うわぁ……何してるのさ……
白河:ばあやも必死になってやめるように叫んでいましたが、私は不思議な存在に惹かれてしまいました。
そうなると、好奇心に駆り立てられた私は、ただひたすらと走り続けます。
すると、どうでしょう。
『河童』は、体力のない女でも追いついてしまうほど遅かったのです。
ですが、私は疲れていましたので、あともう少しのところで捕まえることが出来ませんでした。
やっぱり無理だと思った時、転機が訪れたのです。
私たちが乗ってきた馬が、『河童』の前に立ち塞がったのです。
『河童』は悲鳴をあげ、笹の中に飛び込みました。
私は「しめた!」と思い、同じく笹の中に飛び込みました。
すると、そこに穴があったのです。
九十九:穴?
白河:そのまま、真っ逆さまに落ちていきました。
やがて『河童』の背中に触れることができ、ヌルっとした滑らかで、鱗が多い魚のような感触を感じました。
不思議なことに、死ぬかもしれないのに、ふとどうでもいいことに気付いたのです。
温泉宿の側に、『河童橋』という橋があることを。
そのあと、目の前に稲妻に似たものを感じて、正気を失ってしまいました。
千里N:話の大本は、作家先生が言っていた内容と同じだった。
違ったのは、彼女が出会った『河童』についての話があったこと。
追いかけっこをした漁師の『アンソニー』、追いかけた非礼を彼女が詫びた後、仲が良くなったそうだ。
医者の『ジャック』はとてつもない名医で、多くの医者が匙を投げた彼女の持病を一瞬で治したらしい。
硝子会社社長の『ゲイル』は、傲慢な資本主義者ではあるが、人懐っこい面があり、告白してきたとのこと。
職を失った労働者の『マック』は、食用河童にされるため、憲兵と思われる『河童』に連行されてしまった。
これら以外にも会った多くの『河童』について彼女は嬉々と語る。
その顔は、どこか恍惚に近いものだった。
あまりの突拍子な内容に俺と医者は呆然としている一方で、龍之介は顔色を変えず黙って聞いていた。
白河:これで『河童』の話はおしまいです。
どうでしたか?
九十九:まあ、「すごいわね」の一言に尽きるわ。
白河:あなたの助手さんも、院長先生は呆然としているのに、あなたは表情を変えない。
そんな人は初めてです。
九十九:そりゃあね。
内容があまりにも突拍子過ぎて、頭の整理が追い付かないわ。
千里:てか、無職の『河童』は食用にされるとかえげつねえな……
白河:あら?
我が帝国も、第四階級の女性たちは売春を余儀なくさせられているのだから、
それについて厭うのは感傷主義というものよ。
自分たちがまともな人間だと思っていらっしゃって?
それに『河童』の国は、とても合理的で……あぁ……!!
【白河清香の全身が震え始める。】
九十九:二十三号?
どうしたの、震えて――
白河:ひゅー! ひゅー!!
九十九:過呼吸?
斎藤:いかん!
彼女から離れろ!!
九十九:えっ?
千里:龍之介、危ない!!
【庇うために、千里は龍之介に飛び掛かる。】
九十九:いっつ……一体、何が……?
白河:ひゅー! ひゅー!!
九十九:あれは……!
斎藤:ナイフ……!!
なんで、あんなものを彼女が持っているんだ!?
白河:出ていけ!
この悪党ども!!
九十九:悪党?
白河:お前も、お前もお前も!!
莫迦で、嫉妬深く、猥褻で、図々しい、自惚れきった、残酷な、虫の善い動物なんだろ!!
ここから、出ていけ!
この悪党ども!!
九十九:何が起きているの……
【壁にかけている受話器を持って、斎藤がどこかに連絡をする。】
斎藤:わたしだ!
二十三号が、例の発作を起こした!
至急、抑制帯とハロペリドールを持って来い!!
あと、男数人連れてこい!!
千里N:数分もたたないうちに、白衣姿の男たちが入ってきた。
食用ナイフを振り回して、半狂乱になる女。
華奢でやせこけた女の力では、男たちに勝てるはずもなく、すぐにナイフは奪われた。
慣れた手つきで男たちは、彼女をベッドに縛り付け、肩から注射で薬物を投与する。
すると、さっきのことが嘘のように、女は落ち着き眠り始めた。
斎藤:大丈夫かね?
九十九:ええっ。
斎藤:いつもそうなんだ。
この話をする度に、最後は発狂し始める。
ここ最近は投薬治療で落ち着いていたから、大丈夫だと思ったんだが……
九十九:……。
斎藤:とにかく、これで面会は終了だ。
もう満足しただろ、帰ってくれ。
千里:おい、待てよ!
俺たちは……ふぐっ!
九十九:ええ、そうさせて頂きます。
お時間をとらせてしまってすいませんでした。
行くわよ、千里。
千里:……わーったよ。
□シーン3
千里:良かったのかよ。
まだ、聞くこととかあったんじゃねえの?
九十九:バカね、あんな状況じゃどうやったってうまくいかないでしょ。
千里:それもそっか。
九十九:……それよりも千里、あんたの眼に“彼女”はどう映った?
千里:あぁ、魂のことだろ?
あれは、もうダメだ。
どす黒い何かが、あの女の魂を蝕んでいる。
あまりの邪悪さに、正直何も言えねえ。
九十九:祓うことは可能?
千里:無駄だよ。
言っただろ?
魂を蝕んでいるって。
その時点で同化しちまってるんだよ。
元凶を祓ったとしても、もう、あの女は元に戻れない。
死ぬまで狂い続け、やがて怪異となる。
まあ、その前に死ぬだろうな。
あの状態だと、長く見積もっても数週間の命。
九十九:そう……それは残念ね。
千里:まっ、俺らはこれ以上の被害が広がらないようにやるしかねえだろ。
それが俺たちの仕事。
そうだろ、怪奇探偵さん?
九十九:なんか気持ち悪いわね。
いったい、どういう風の吹きまわしかしら?
千里:べっつにー
俺はただ、ちょいと辛気臭い顔を浮かべている相棒がいたからさ。
落ち込んでいるのかなーって。
俺なりの優しさっていうやつ?
九十九:ふふ……あんたに気を遣わせてしまうなんて、焼きでも回ったのかしら?
千里:おいおい、勘弁してくれよー
龍之介、あんたような切れ味抜群の刃が鈍になっちまったらつまんねえじゃん。
九十九:「食べ応えがない」の間違えじゃないの?
千里:あはは、違いねえや。
さあ、行こうぜ。
九十九:ええ、真実を暴きに行くわよ。
□シーン4
千里N:場所となった「上高地」は、長野県西部・飛騨山脈南部にある、梓川の景勝地。
地名の由来は、穂高神社の祭神・「穂高見命」が穂高岳に降臨し、この地で祀られたことに由来する。
『河童橋』は、梓川に架かるカラマツ製の橋。
そこからは、穂高岳・焼岳などの風光明媚な山々を臨むことができる。
そして、周辺には数多の温泉宿があり、観光地としてそれなりの人気があるんだけど――
千里:なんで、探索なんだよー!!
九十九:うっさいわね。
さっさと仕事を終わらせて帰るわよ。
千里:えー!!
温泉!うまい飯!!
九十九:バカ言うんじゃないわよ、今月はもうお金がないんだから。
千里:えー!えー!!
九十九:口を動かせるなら、手を動かす、頭を動かす!!
千里:ちぇ……わかりましたよーっと。
てか、これ、見つかるのか……?
地道に探していたら、何日かかるんだよ……
それにしても、さすが神様が降臨したと云われる山とあって、豊富な霊脈が流れているなー
あっ、そっか……霊脈で辿れば、簡単に見つけられるじゃん!
俺、あったまいいー!!
よーし!――『霊脈接続、感応開始』。
千里M:さっすが、穂高見命が坐す山だな。
半端ない霊脈が流れていることで。
さて、どこにいるのかなー?
あそこまでの邪悪な力の持ち主だったら、直ぐに見つかるだろうっと。
どこかな……ん?
川のほうに何かいる?
なんだ、あの黒いもやもやとしたの……
怪異:ミ・ツ・ケ・タ
千里M:――っつ!
まずい、このままじゃ!
怪異:ニ・ガ・サ・ナ・イ
千里M:なっ、霊脈を辿って……!
まずい、このままじゃ!!
九十九:『邪霊を焼き祓え!急急如律令 』
【九十九がそう唱えると、炎が怪異に襲い掛かる。】
怪異:ギャアアアア!!
アツイイイ!!
九十九:ちっ、逃げられたか。
大丈夫、千里?!
千里:りゅ、龍之介……あいつ、やばいよ……
九十九:なによ、その怯えた顔は。
アンタらしくないわよ。
千里:だって、あいつ……ただの怪異じゃない……
九十九:どういうこと……?
千里:……荒御魂だ。
九十九:なっ……!
それじゃあ、今回は神様の仕業だって言いたいの?
千里:間違いないんだ!
アイツ、霊脈を通してここに辿り着いた。
本来の怪異ならば、霊脈は毒だ。
邪悪な存在ならば尚更だ!
でも……アイツは違った。
それだけでも十分な証拠になる……!!
九十九:本当に厄介なことになったわね。
千里:どうする?
九十九:どうするって、やるしかないでしょ。
千里:相手は荒御魂なんだぞ!
今まで俺たちが相手にしてきた、そこらへんの怪異とは違うんだぞ!!
今回は分が悪すぎる……俺たち、二人だけじゃ……
九十九:ふん!
千里:ひぎゃ!
いって……なにすんだよ!!
九十九:あんた、自分が言ったことを忘れるんじゃないわよ。
千里:えっ?
九十九:『俺らはこれ以上の被害が広がらないようにやるしかねえだろ。それが俺たちの仕事。』
千里:それは……
九十九:珍しくまともなことを言うから関心したってのに、土壇場でくだらないことをごちゃごちゃと……
いい?私らみたいなのはね、コレで飯食ってんのよ?
怪異が派手にやらかして、困って二進も三進も行かない連中を助けるのがメシのタネなの。
だから、やるわよ。
誰かがやってくれるなんて期待はしない。
こっちは自分の命を懸けてんの。
それを承知の上で、私の式神やってんでしょアンタ!
それともなに?
百年以上ただしっぽ巻いてキャンキャン無駄吠えして生きてきたっての?
千里:……わりぃ
九十九:臆病風に吹かれるなんて、あなたらしくないわよ。
千里:うっせ!
九十九:まっ、そこまでの元気が戻ったのなら大丈夫そうね。
千里:へっ、まあな!
それよりどうする?
この様子だと、奴は遠くに離れた。
九十九:そうね……まずは、“アレ”について分析しないと対策が立てられない。
千里、あなたの霊脈感知で何が見えたの?
千里:それが良くわからねえんだ。
黒い靄のようなものを纏っているせいで、明確な姿・形までは……
でも……さっき襲い掛かってきた時、一瞬だったけどガキの姿だったような……
九十九:なるほど……『荒御魂』、『河童』、『水辺』それに『子供』……まさか!
いや、そんなはずは……でも、要素からして“アレ”が一番考えられる……
どうしてこんなところに……?
確かに『山の神』としての性質はあるけど、“アレ”がいるのは北海道のはず。
千里:っつ!
龍之介、あぶねえ!!
九十九:いたた……いきなり飛び込むんじゃないわよ……
千里:わりぃ。
けど、そんな余裕はなかっからさ。
あれ、見ろよ。
九十九:なっ、気が抉らて……!!
砲弾でも飛んできたっていうの?!
千里:あぁ、水の塊が物凄い速度で飛んできやがった。
きっと、奴の術だ。
怪異:ウ・フ・フ・フ・フ・フ
ハ・ズ・シ・タ
デ・モ・ツ・ギ・ハ・コ・ロ・ス
千里:声が……くっそ、どこにいやがる……!
九十九:千里、霊脈接続しなさい。
奴をここにもう一度引き寄せるのよ。
千里:はあ?!
何を言ってるんだよ、龍之介!
同じ手は通用しないって!!
九十九:いいから、私を信じなさいって!
千里:ちっ、ヘマしたら承知しねえからな!
『霊脈接続、感応開始――。』
千里M:ちっ、早速かよ。
いいぜ、来いよ。
餌が待っているぞ、ここに。
お前をおびき寄せるためのな……!
怪異:ヒ・ヒ・ヒ・ヒ
千里M:もう目の前に来やがった、早すぎるだろ……!!
怪異:イ・タ・ダ・キ・マ・ス
千里M:龍之介、早く……!!
九十九:『その縁、悪しきモノ也り。我が十字で断つ!』
怪異:……!!
九十九:『オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ!』
怪異:ア・ア・ア!!!
千里:これは『十一面観音真言』の真言……そうか!
悪縁切り……霊脈切断か!!
九十九:続けて、告げる!
吹き飛びなさい
――『ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン!!』
怪異:ギャア!!!
千里:すげえ……荒御魂をぶっ飛ばしやがった……
九十九:これでお終いよ――続けて、告げる!
『かしこみ、かしこみ申し奉る。
不動明王の正末の本誓願をもってし、目前の邪霊を緤べて緤べよ!』
怪異:サ、サ・セ・ル・カァ!!
九十九:『オン・ビシビシ・シバリ・ソワカ!』
千里:よし、捕まえた!!
怪異:アアアアアア!!
コンナモノデ……!!
千里:こいつ、まだ抵抗を!
九十九:無駄よ。
簡単な術式だけど、不動明王の霊縛法よ。
かつては神霊であったかもしれないけど、怪異へと堕ちたあなたには決して解くことは出来ない。
だから、もう諦めなさい――『ミンツチ』。
怪異:!?
九十九:それとも、『シリシャマイヌ』のほうがいいかしら?
千里:『ミンツチ』? 『シリシャマイヌ』?
九十九:アイヌに伝わる半人半獣の霊的存在で、『ミンツチ』が正式名称で、『シリシャマイヌ』は別名。
「魚や猟を司る山の神」と言われてはいるけど、むしろこっちのほうが有名だわ。
『ミンツチ』は――『河童』に類する妖怪である、と。
千里:それじゃあ、こいつが今回の……!
九十九:ええ、でも怪異に堕ちたとは言え、こんなところにいるのがそもそもおかしい。
いくら「山の神」の側面があるからって、どこの山にもいるわけじゃない。
まあ……大方予想は出来るけど。
怪異:ハナセエ……ハナセエ!!
九十九:段々と普通に話せる様になっているじゃない。
さて、色々と教えてもらうわよ、あなたの事を。
千里:龍之介……〝アレ〟をやるのか……
九十九:まあ、しょうがないでしょ。
それに、あなたの心配している事は承知しているわ。
狂気に呑まれて、私が狂ってしまうことをね。
まあ、その時はヨロシク。
狂って死ぬなんて、私には合わないから。
千里:……わかった。
その時は、すぐに食い殺してやるから。
九十九:結構よ、さて――あなたの中に入り込ませてもらうわよ!
『十二天における西南の守護者たる鬼神・羅刹天の真言となり』
『汝、深淵に我が魂を!』
『オン・ジリチエイ・ソワカ!!』
□シーン5
九十九:さて、中に問題なく入れたようだけど……これは、どういうことかしら?
原稿用紙が辺り一面に張り付けられているじゃない。
今まで色んな妖の魂に入り込んできたけど、初めてよ、こんなの。
何が書いてあるのかしら……っつ!
九十九N:驚愕した。
原稿用紙には物語の一節のような文章が書かれている。
ひとつ、ひとつが違う内容。
しかし、どれも共通としたテーマがあった。
『自分が生きている社会への痛烈な批判』。
憤怒、嫉妬、怨嗟など人間の闇を象徴する感情が込められて書かれている。
読み続けていると、彼らの重い感情で吐き気を催しそうになった。
嫌悪感に近い感情。
他者に伝染する狂気。
――すると、1枚の原稿用紙が目に入った。
九十九:これは……白河清香の……
怪異:そう、あの女が抱いた「この社会への痛烈な批判」だよ。
【声がした方向に九十九が顔を向けると、ひとりの少女が立っていた。】
九十九:随分と可愛らしい姿をしていることに驚きだわ、しかも女の子。
怪異:それは、どうも。
その原稿用紙の女は“ある男”に恋をしたそうだ。
男は卑しい身分ではなかったが、平凡な庶民。
華族と庶民、不釣り合いの二人。
相思相愛であれど、自分たちが生きる世界では許してくれない。
やがて二人は引き離され、女は怒り狂った。
貞淑な深窓の令嬢が、それはもう般若のような顔を浮かべたそうだ。
九十九:彼女は身分を――「この国の社会を構成する要素を呪った」わけね。
怪異:そう。
それにしても、お前たち、人間は本当にロクでもないな。
時代は進み、文明は進化するも、根本的な部分はむしろ後退。
私たちに対してもそうだ。
神々への信仰心は薄らいでいき、実利ある神々が選別され、自らの望みを叶える道具とする。
かつて受けた恩を仇で返す始末。
慈悲深くて、奇特な神たちは、許し応えてくれるさ。
けど、私たちのような対価を求める神々は許さない、応えることはしない。
そうして私たちは、「悪」の烙印を押され、「誰かを呪う」「相手を不幸にする」など人間たちの
醜い感情を発散させるための、「邪神」として消費される。
……絶望したよ、命懸けで守った人間の狂気に。
九十九:あなたのことを知っている者としては、絶望したことは納得するわ。
でも、本来の貴方には「狂気を伝染させる」性質は無い筈……
怪異:あぁ、あの女が、私に忌々しい疱瘡神を憑き落とした……!
『蘆屋』と名乗った妖術師にな!!
九十九:あぁ、やっぱり……
怪異:疱瘡神の『疫病』という性質と、私を蝕んでいた『狂気』が組み合わせると、どうなると思う?
私の存在は捻じれ狂わされ、「『狂気』を『感染』させる」怪異へと堕ちた。
ハハッ……笑える。
こんな存在になっても、『山の神』としての性質が残っているんだ……
狂い彷徨い続け、気が付いた時には故郷から遠く離れた山にいる……もう、戻ることが出来ない。
アイヌラックル様が坐す、北の大地に……アハハ……
もう、いいや。
あんたと戦い、あんたに負けた。
それに、もう力を使い過ぎた……私はもう消える。
けど、覚えておけ。
人間が人間である限り、私は再び現れる。
九十九:そうね。
次は現れる時は、ひっそりと生きていくのをオススメするわ。
今回のように狂気をばら撒くことをしなければ、私だって貴方を祓うことはしないわ。
怪異:ええ、そうであることを望む。
それじゃあ、本当にさようならだ。
九十九:さようなら、ゆっくりと休みなさい。
……皮肉なものね、ヒトを守る使命があるからこそ、人々の批判に共鳴していた。
それを付け込まれてしまったのね。
あなたも、私と同じ“彼女”によって狂わされた存在のひとり。
さて、感傷的になってもしょうがない。
ここから出ないとね――
(間)
千里:おい、龍之介!龍之介!!
九十九:うっ……千里……?
千里:起きやがったか……この野郎、心配させやがって……
九十九:なんとか、戻ってこれたようね。
怪異は?
千里:消えたぜ、跡形もなくな。
九十九:そう、終わったのね。
千里:なあ、あいつは何だったんだ?
九十九:そうね――アレも被害者よ。
そして、いつかは戻ってくるでしょうね。
いつかなんて分からないけど、ね。
明日かもしれないし、百年後かもしれないわ。
でも、確かよ。
人間が、人間である限り必ず。
千里:それってどういう……
九十九:あー、疲れたわ。
さて、ひと風呂につかって帰るわよ。
千里:温泉!
九十九:そんな輝かしい瞳を浮かべて悪いけど、メシはないわよ。
千里:わかってるって!
やったぜ、ひゃっほー!!
九十九:てか、猫又とは言え、元猫でしょ。
平気なの?
千里:細けえことは気にしなくていいって!
ほら、早く行こうぜ!!
九十九:はいはい。
千里:温泉、やっほーう!!
□シーン6
九十九:これが事の顛末よ。
芥川:これは、これは。
まるでひとつの冒険譚を聞いたようだ。
九十九:残念ながら、『河童』と『河童』の国は無かったけどね。
芥川:いやいや、それでも充分だよ。
うん、実におもしろい。
良い作品が書けそうだ。
九十九:そう?
それなら良かったわ。
芥川:さて、そろそろ行かないと。
九十九:あら?もう行くのかしら?
芥川:ああ、もう行くよ。
そうだ、これを渡しておこう。
九十九:小切手……それにすごい額じゃない。
芥川:創作を手伝ってくれたささやかなお礼だよ。
それに、もう僕には無用の長物だからね……あぁ、実に惜しいな。
君と出会うのが最期になりそうだ。
九十九:そう……それは残念ね。
素敵な殿方に出会えたのにね。
芥川:不思議な気分だよ、君に褒められるのは正直言って悪くないな。
――ところで質問なんだが……君は、男が恋愛対象なのかい?
九十九:よくそう言われるわ。
けど男も、女も両方を愛せる博愛精神の持ち主なのよ?
芥川:両刀使い、か。
あはは、こいつは困ったね。
あんたのような美丈夫だと、さぞかし色恋沙汰が多いのだろうね。
でも、気を付けなよ?
それに嵌れば、待ち受けるは地獄ぞ?
九十九:それは反面教師からの助言かしら?
芥川:これは耳が痛いな。
まあ、そんなところだ。
それじゃあ、御機嫌よう。
九十九:ええ、御機嫌よう……さようなら、文豪・芥河龍之介。
□シーン7
【場所は、九十九の探偵事務所。】
【九十九は椅子にすわって窓から空を眺めており、その顔は黄昏ていた。】
【千里はソファで新聞を読んでいた。】
千里:「二年前から決していた死、芥川龍之介氏、自殺。」
――あの作家先生、自殺したのか……
九十九:睡眠薬・バルビタールの大量服用による自殺、ですって。
斎藤先生が処方した薬らしいわよ。
千里:斎藤先生?
九十九:あの精神病院の院長よ。
白河清香まで自殺したから、かなり憔悴しているそうだけど。
千里:そっか……なあ、龍之介。
九十九:なに?
千里:……あいつも、狂ってしまったのか?
九十九:さて、どうかしらね。
今回の件、“彼女”が関わっていたけど……もしかしたら、彼が創り上げた作品だったのかもしれないわね。
千里:作品?
九十九:さっき届いた差出人不明の封筒を開けてみなさい。
千里:どれどれ……んっ、本か、これ?
『河童』……芥川龍之介……これって!
九十九:すごい売れているそうよ、それ。
遺作としてね。
千里:なあ、龍之介。
さっきの言葉の意味って……
九十九:バカね、所詮は推測の域でしかないわ。
死人に口なし、真実は河岸の彼方よ。
□シーン8
芥川:2年前からずっと考えていた。
芥川:袋から一粒、また一粒。
芥川:これらは、招待状だ。
芥川:覚めることはない、永久の夢への。
芥川:……そろそろ、時間だな。
芥川:最後の、最後で、面白いことを経験できた。
芥川:「人間万事塞翁が馬」とは、こういうことだ。
芥川:舞台は整った。
芥川:これが、最後の仕上げだ。
芥川:短冊に一筆。
芥川:「自嘲。」
芥川:「水洟や 鼻の先だけ 暮れ残る」
芥川:……では皆さま、御機嫌よう。
(END)
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本作品はフィクションです。
劇中に登場する個人名・団体名などはすべて架空のものであり、
現実のものとは一切関係ありません。
台本の無断転載・自作発現・誹謗中傷を禁止とします。
著作権は、台本作者である「にがつ」に帰属し、放棄はしていません。
みなさまが楽しめる台本でありますように。
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探偵・九十九龍之介の怪奇手帖 -深淵なる狂気-
本作品はフィクションです。
劇中に登場する個人名・団体名はすべて架空のものであり、現実のものとは一切関係ありません。
皆さまが、楽しめる台本でありますように。