No.5

ナンバー・ファイブ

 こう尋ねた事がある。君が眠る時、ベッドの上の恰好を。すると君は軽く微笑んで答えてくれた。
「香水を数滴」

 大学の講義に行くと僕は何時も青い瞳をした女を見ていた。というのは髪の毛は黒で明らかに東洋人であるのに青い目であったからだ。彼女の周りには絶え間なく、賑やかな男女の学生が居た。それに比べて僕は基本的に一人だった。地元を出てからどうも都会の若い人間とは肌が合わなかった。その所為もあり僕は学業に励む事が常であった。
 或る午後、僕は空いている教室に入り1人で本を読もうと思った。それで適当な席に座って鞄から本を出した。その時、教室の扉が開いた。何だろうかと考えて顔をそこ向けると青い瞳を持った彼女が1人で中に入ってきた。彼女はすぐに僕がいる事に気が付いて薄く笑った。いや、勝手に僕が笑ったと思ったのかもしれない。そして僕は不可思議な表情で彼女の事を見ていたのは確かであった。彼女は左手で髪の毛を掻き分け耳の後ろにまわした。それから1番前の席に座った。僕はその光景を見て背筋に汗が垂れた。僕は個人で静かに誰もいない場所で本を読むのが好きである。だが少しだけ気になっていた彼女がいるのはどうも『らしくない』と感じた。だから僕は座っていた椅子から立ち上がり彼女の方に進んだ。その行動も『らしくない』と思った。近づくと彼女の服か、もしくは肉体からかジャスミンの香りがした。人の核と肺を掴む匂いだった。
「この教室で今日は講義はないよ」
 僕は席に座って携帯をいじっている彼女を見下ろして言った。
「知っているわ」 
 彼女は僕の目を見ないで言った。
「ならいいんだ」
 僕は答えてさっきまで座っていた席に戻ろうと思った。
「貴方は誰?」
 彼女は引続き携帯を見ながら言う。
「うーん。誰って言われてもな。良く講義は被っているんだ。一応ね。それで僕は君を知ってはいるんだ」
「そうなの? 私は貴方を見た事はなかったわ」
「それはしょうがない事かもね。僕は何時も変わりばえのない服装で静かに1人で講義を聞いているからね。飲み物だって何時も麦茶で大学生がこぞってオシャレを楽しむようなコーヒーさえも持たない習性の生き物だから」
「ふうん」
 彼女は興味がない口調で答えた。
 僕は席に戻って本の続きを読んだ。
 それから少し経って彼女は教室から出て行った。僕はくしゃみをして背伸びをした。それから喉が乾いたので飲み物を買いに行こうと思った。席を立ち、彼女が座っていた場所を通り過ぎようとした。そこからは彼女の痕跡を示す様にジャスミンの香りがした。僕は彼女が座っていた席を見た時、何かが落ちている事に気づいた。小さな小瓶であった。彼女の忘れ物だろうか? そう思い僕は小瓶を拾った。小瓶の中には液体が入っていた。その後、カフェインゼロの麦茶を買いに教室から出た。

 翌日の講義に彼女は普段通り、人に囲まれながら教室に入ってきた。そして青い目の視線は僕以外の対象物を見ていた。
 それから僕は、これをいつ渡そうか? と、小瓶を見た。非常に渡しづらいと感じた。タイミングが掴めなかったからだ。そして講義が始まり僕はノートを取った。だが、どうもその内容に集中する事ができなかった。講義が終わり教室から学生が出て行く。僕は人に囲まれながら教室の外に退出する彼女の方に駆け寄って行き、頭を掻きながら言った。彼女からはまた、ジャスミンの匂いがした。
「これ、昨日、落としましたか?」
 彼女は僕の方を振り返って僕の手の中にある小瓶を見てから少し曇った表情を作り「それを何処で?」と言った。
「昨日、空きの教室で」
「そうだっけ? 覚えていないわ」
 彼女はそう言い僕から小瓶を取って「ありがと」と言ってから鞄の中に入れた。周りの人たちは明らかに「誰だこいつ」と言った眼差しで見ていた。僕は「あはは」と笑い自分がいた席に戻った。彼女と周りいた人たちは廊下の奥へと進んで行った。
 
 午後19時頃、僕は大学から出て帰宅の途中の際に本屋に立ち寄った。それで書店の中に入った。すると青い瞳をした彼女が本の会計をしていた。僕は会計が終えた彼女に近づいて質問をした。
「本を読むんですね?」
 彼女は僕を見てめんどくさそうな表情をして「他の授業で課題が出たの。それに関する本よ」と言って書店から出て行った。僕はため息を吐いて適当に小説が置いてあるコーナに立ち寄り、好きな作家の文章を読んだ。それから大体、30分ほど経ってから僕は気に入った本を手に取り会計を済ませてから外に出た。5メートル程度歩いた時、肩を叩かれた。振り返ると目の青い彼女であった。
「何か僕に?」
 僕が外に出るのを待っていたのだろうか? そんな疑問を持ちながら彼女の顔を見ていた。
「この小瓶を開けたかしら?」
「開けていない」
「確かかしら?」
「確かだ」
「ふうん」
 彼女は言った。
 それから彼女は人差し指で自分の唇を撫でた後に「貴方、私の事が好きなの?」と言った。
 僕は簡潔に言った。
「君の青い瞳は好きだな。あとは別にどうでもいい」
 彼女は不思議そうに首を傾げた後に「貴方の言葉が理解できないけど、まあ、いいわ。私、少し疲れたから、『どうでも言い』貴方に話すわ」と言った。
「貴方が拾った小瓶は香水よ」
「へえ。そうなんだ」
「でもただの香水じゃないの。この香水は人を惹きつけるのよ」
「まあ良い匂いが嫌いな奴はいないさ」
「違うわ。虜にするって意味よ。人の頭の中をショートさせて支配するって意味で惹きつけるのよ。私はこの香水を使って人を惹きつけているのよ」
「人は虫ケラじゃないんだ。そんな事はありえない」
 僕は簡単に首を振って否定した。
「普通に考えるとそうよね。でもこの香水は或る研究所が開発したの。その香水を私は組織から貰って使用しているの」
「お試し製品的なものか?」
「そうかもね。でも製品になっているのは虜になっている奴らね……」
「でも開けてもいないのね。それなら良かったわ」
「僕は紳士だからね。変態なら開けていたかも」
 彼女は黙っていた。
「でもどうして私に声をかけたの?」
 彼女の声には何かの含みがあった。
「君の青い瞳が綺麗だったから。誰がどう見てもそう思う」
「ふうん。私の瞳が綺麗か……。あり得ないわね」と哀しげに答えた。
 でも僕は「嘘じゃない。本当だ」と言った。
 すると彼女はとても嬉しそうに笑った。彼女がこんな顔をするんだと僕は驚いた。秋と夏が混じってた風が吹いて、彼女の髪の毛が揺れた。ジャスミンの香りが僕の思考を覆った。
「また明日、会えないかな?」
 僕は聞いた。
「明日の私に聞いて欲しいわ」
 彼女はそう答えて微笑み、軽く手を上げて大学の方向へと進んで行った。

 翌日、僕は普段通りに講義に出た。だが青い瞳の彼女とその周りにいた人たちはいなかった。その翌日も。
 数ヶ月後も彼女の姿はなかった。そして噂で数名の学生が行方不明になっている事も知った、あの賑やかな男女の学生も含まれているのは薄々気づいていた。加えて僕は少しだけ友だちができた。同じ講義に出る奴らでウイスキーを水割りにする事を心底嫌っている様な人格者である。その数名の友だちに青い瞳の女がいた話題を提供すると、皆は首を傾げて一致した意見を述べた。
「そんな女はいなかった。見た事がない」
 あの香りを思い出した時、僕は近くに彼女がいるんじゃないかと振り向く。あの青い視線を探して。
 

No.5

No.5

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-10-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted