サナトリウム・ホラーハウス
人杖職人 1
時刻は正午を過ぎた頃。賑わうショッピングモールから少し外れた映画館の前で、彼女は迎えを待っていた。夏も終わりに近いとはいえ、近付く雨雲のお陰で日差しや暑さは気になるほどではない。むしろ気になるのは雨の行方で、これから向かうアトラクションに影響が出ないかが気がかりだった。
『サナトリウム・ホラーハウス』
アトラクションに関する検索結果のブログや写真を流し見ながら、彼女は鞄の中を探った。予約のメールを印刷したものを取り出し、もう一度文面を確認する。
『9月26日 土曜日の12:30
キーサイド劇場の出口前までお迎えに上がります。』
正午の鐘はまだ鳴ったばかりで、まだ迎えには時間があった。映画館で少し何かお腹に入れようか、そう思って自動扉のほうを振り返った時、車道に停まる車が目に入る。
車に詳しいわけではないが、黒い普通の車…ただし高価な部類の車…だろう。車内では運転手が何やら忙しく動いていて、何かの営業か観光者でもあるのか、書類なども次々出してはしまってを繰り返しているようだった。
あまり見ては悪いだろう、と思って目を逸らす。直後、その頭上に影がさした。
「サナトリウム・ホラーハウスから迎えに参りました。」
勢いよく仰ぎ見た先で、赤毛の女性が微笑んでいた。彼女より指一本分くらい背が高く、肩もがっしりとしている。それでいてしなやかな、体操選手のような印象を与える立ち姿には、タータンチェックのスーツがよく似合っていた。
どなたでしょうか。呆気にとられたままそう言いかけて、やっと女性の言葉を理解した。代わりに名乗り返し、印刷したメールと身分証を提示する。女性はそれらをひとしきり眺めただけで、送迎車へ…あの黒い車へ…彼女を迎え入れたのだった。
「ねえ、ねえあなた、そろそろですよ。」
パプパプ、なんて気の抜けた音と女性の声とで目を覚まし、窓と背もたれに預けていた頭を起こした。ぼんやりとフロントガラスの方へ目を向ける。いつのまに窓を開けたのか、雨後のそよ風を受けて翻る赤毛と、女性が鳴らしていたビニールのアヒルの先、ぬかるむ泥道以外には暗い林ばかりが続く景色の中、深い木立の隙間から黒い建物が垣間見えた。
そうして緩い上りの曲がり道を登り切った時、急に視界が明るくなる。泥道は砂利道に、林は一面の草地となって目の前へ広がっていた。そして、砂利道の先には
「これが…」
そう、我らがサナトリウム・ホラーハウス。
彼女の言葉を受けるようにして、得意げに女性の片手が指し示した。
かつてのガスパール伯爵邸であり、ガスパールホロウ精神病院でもあったもの。申し込みのホームページの紹介文を思い出して、けれど、写真以上に大きく感じるその姿に目を奪われる。エントランスでありホラーハウスの舞台となっている正面棟はともかく、ホテルとして営業しているらしい南館、撮影スタジオとして使われることもあるという北館もまた、威容を誇っていた。
「健闘を祈ります」
微笑む運転手のウインクに手を振り返し、エントランスの階段を上る。入り口は開け放たれているが、野外で燦々と日がさしているだけに、室内はひどくうす暗く見える。
小規模な喫茶店かバー、玄関はそのくらいの規模だろう。入ってしまえば中は明るく、天井と壁で橙色の電燈がやさしく輝いていた。奥にはアーチ型の扉があって、それを囲うかたちで設えられたカウンターの内側に女性が二人並んでいる。ヴィクトリア朝の使用人を思わせる、暗い灰色の詰襟を着た二人だ。片方は三つ編み、もう片方はショートボブに髪を切り揃えていて、その違いがなければ鏡でもあるのかと思うほどによく似て…そして二人の距離は肩が触れ合うほど近く…いた。
明るくて、清潔で、穏やかな…それこそ本当の療養所かメンタルクリニックのような…けれど、なんだろう。敷居を跨いですぐ、彼女の足が止まった。胸がざわつくのだ。暗い夜道を歩く時のような、あるいは電球の切れていることをわかっている部屋へ踏み込む時のような。お化け屋敷に今から入るのだから当然だと、この怖いのを楽しみに来たのだから、と。そう思っても動けなかった。それどころか息が浅くなる、体が、肩が重くなる。
「どうぞ、そのあたりでおやめくださいな」
「どうか、ここまででご容赦くださいね」
けれど、二つの声が呪縛が解いた。
客人の方…というには些か上を向いての言葉を受けて…急に体が軽くなる。息苦しさや恐怖感もまた、普通のお化け屋敷に入る時と変わらないくらいに戻っていた。背後を、そして頭上に顔を向けつつ、彼女は足早にカウンターへ歩を進める。
「お待ちしておりました」
「お待ちしておりました」
何事もなかったように、受付の二人が微笑んだ。
サナトリウム・ホラーハウスとはまた名前の通りに…と内心頷きながら、彼女は室内を見渡す。受付から向かって左の待合室は、映画で見るような貴族の社交場かホテルのサロンかといった雰囲気だった。落ち着いた青と灰色の長椅子やソファ、小さめの卓などがやや広めの距離をとって配置されている。車止め側の壁には等間隔で大きな窓が配置され、レースのカーテン越しにうららかな日差しを取り込んでいた。
その反対の壁には本棚と、それに交互に挟まれるようにして木の扉があった。受付の二人曰く、その先で"問診"と案内人との顔合わせがあるのだという。たしかに、と彼女は扉の方へ視線を動かした。赤い札をお持ちの方は、そう言って室内を見回す男は病院の医師さながらの白衣を着ている。予約の時のアンケートで持病の有無など…どこのお化け屋敷でも訊かれるような…以外の項目もあったのを思い出して、本当に病院めいてきたとひとりごちた。
サナトリウム・ホラーハウス
案内人と傾向・要素リスト
人杖職人…サイコホラー/人体改造