骨とあの子とビーチサンダル
一 砂浜で
夏のおわりに近い頃……
砂浜の、ところどころ小高く砂が盛り上がったとこの一つ。男の子がこしかけて、じっと足もとをのぞきこむようにしている。
まっ青な空が広がり、波の音が近い。まばらな草木も、防波堤も男の子の遠く後ろにあり、まわりには影ひとつない。
次の日も、その次の日も、暑い日中にやぶけた麦わら帽をかぶって、男の子はそこにいた。
夏のおわりに近い頃、今は海水浴場でもないその砂浜で遊ぶ子の姿は、少ない。
男の子のいる場所からいくぶん離れたところに、三、四人の子らがビーチボールをはじき合ってはしゃいでいるのが、かすかに聴こえるだけだった。
男の子はじっと下を向いている。
かけ落ちた、とりでの一塔みたいな雲が、まうえに浮かんでいるのにも男の子は気づかない。
夏のあいだ、あずけられることになった海辺の町。
ぜんぜん、好きになれなかった。
夏休みに入ってから来た知らない男の子を、だれも友達にむかえるはずもない。
けれど、そんな気分でもないのだし…… むしろひとりでいられる方が、ぼくはいいのかもしれないな。
この夏のおわりになるまで、ひとり落ち着ける場所も見つけられず、町を、プランクトンみたくただよっていたけど、どこにもぼくのいられる場所なんてなかった。
もうすぐ、夏もおわる。
そうしたら、ぼくはどうなるんだろう。
……考えたくもない。
戻りたい場所なんかない。行きたいところも。
いちばん落ち着くんだ、ここで、こうして、……
「……ねえ」
声がして、男の子はふり向いた。
だれも、いない。
視界の果てに、くずれた、形のさだまらない雲のかけらがひとつ、去っていくのが見えただけだった。
もう一度足もとの砂に目をやると、ちいさくてしろい、す足が二つ、あった。
「ねえ。あなたはずっと、これ、見てたの」
男の子の足もとには、ふとくて、ねじ曲がった、一見すると得たいの知れないものがある。
うすちゃけたそれは、どうやら骨のようだった。
骨は、ほかにも、盛り上がった砂のわきにうもれたり、かさなったりしながら、近くにちらばっている。
男の子に声をかけたのは、ワンピースを着た、髪の短かな女の子だった。
二 海の家
波の音はいくぶん遠のいている。
海上を、ゆったり泳ぐ魚の群れみたいに、今はたくさんの雲が流れてきていた。
砂浜に人の影はない。
ふたりは、うす暗いちいさな家にいた。
それは使われなくなって久しい海の家だった。
うす暗いので、まだ暑い陽が照らす砂浜の景色が、よけいあざやかに見えた。
「そっか。きみはこの町の子なんだね。さっき見たとき、あんまり陽にやけてないから、海辺に住んでる子には見えなかったので……」
男の子は景色をながめながら、店の後ろの方のテーブルにこしかけている女の子に語りかけていた。
「……うん。だけど今は、もうここに住んでなくて、夏のあいだだけ帰ってくるの。あなた、は?」
「ぼくも、一時的にここへ来ているんだ。いっしょに住んでたじいちゃんが死んでさ。それで、じいちゃんのいるあいだはできなかったけど、おかあさんは今すぐにも引っこしたいと言って、おとうさんは反対してる。必要ないって。まえからときどき仲よくなかったんだ。ご近所とも仲よくないし。おかあさんはぼくを連れて、知り合いのいるこの町に、夏のあいだ来てるの。夏がおわったらどうするかしれない。きみは、どうしてこの砂浜に?」
「あたしは……」
女の子は、店の奥のほうにいて、陽がまったくあたっていない。
うす暗がりのなかで、砂浜に似合わないしろい、すはだが、浮かび上がって見えた。
「なくなったあたしの、ビーチサンダル探しているんだ」
「そうなんだ。いつ、なくしたの」
「ずぅっと、まえに、なくしたの」
「いつも、きみはそれを探しているの? 明日も……」
女の子はふし目がちで、しずかで、しゃべっていないと、眠っているみたいに見える。
でもやがて長いまつげがあがって、まるくてとてもおおきな目が男の子を見つめた。
口が開いて、言葉が出るまでに少しだけ間がある。
「……うん」
男の子は、麦わら帽の下の髪が、むれてくたくたになっているのを、ちょっと気にした。
「明日は、この砂浜じゃないあたりを探すの?」
海の家の外では、雲が空をおおって、そろそろ陽がかたむきかけている。
「わかんない」
男の子は、麦わら帽をかぶって立ち上がった。
ぼくは明日も……いや明日は、ぼくも……
三 夢
男の子の夢のなかで、女の子の探しているものは貝がらだった。
うす暗い、いや、うす明るい砂浜。
どこまで見わたしても、海はなくて、かわりに水のような軽い青みがかった空気が、あたりを満たして、ゆれたり、流れたりしていた。
この空気のせいか、ふわふわと、心地よく歩くことができるようだった。
空には、暑い日差しを投げかける太陽の姿もなく、高いところにいくほど、青がこくなって見えるだけだった。
夜というのでもなかった。
細い、しろっぽい光が、ときどき、どこからともなく、さしこんでは、すぐに消えてしまう。
雲ではないけど、きらきらとまばゆくただようものが高いところに浮かんでは、これも、すぐにどこかへ行ってしまう。
女の子は、男の子のまわりを、はしゃいでいるみたいにかけまわっては、しゃがみこんで、貝がらや、ときどきなにかよくわからない玉、球体のものを拾いあげている。拾いあげては、捨ててしまう。
きみはどうして……
声は、この青っぽい空気にとけて、ちいさく、とてもゆっくり、まわりにひろがる。
貝がらを……
「つばさだよ」
女の子の声は、不思議と、まっすぐにひびいた。
探しているの……?
男の子の声が、遅れてとどいた。
「そうだよ。探しているんだ。だって、貝がらがつばさになって、あたしたち天へのぼれるじゃない。ほら、見なよ」
女の子の指さす、上の高いところで、よく目をこらすと、透けて見える大きな大きなつばさがゆったり、いくつもいくつも、飛びかっていた。
「あたしも早く、ああなりたいな」
女の子は楽しそうで、男の子もそれにつられて、楽しい気分になってきた。
ぼくも、探そう。
「二枚くっついてるの探さないといけないよ。二つとも同じ大きさじゃないと、バランスがとれなくって、うまく飛べないから」
たくさんの色の貝がらが、青っぽい砂地にうまっている。
いろんなちがう形した貝がらたち。
このなかのどこかに、ぼくだけの貝がらがあるんだな。
ぼくだけのつばさ……
女の子は笑いかけて、男の子もそれに答えた。
楽しい、とても……
ふと笑いがやんで、また静かになると、かすかに、耳の奥にひびく音楽のようなものがあった。
そのまま目を閉じて、じっと耳をすましてみると、それは確かに、不思議な一定のリズムを刻んでいて、いくつかの楽器の音色も聴こえてきた。
ずんずん、ぢゃんぢゃん、ずん、ぢゃか、ずん、ぢゃんか、……
行ってみると、小さな、骨や骨のかけらたちが、たくさん踊ったり、見たこともない楽器を鳴らしていて、そのまん中で、ひときわ大きな、太い骨がくみあわさって動物の形になったものが、手足をくるくると回して、立派に、はなやかに、舞っているのだった。
とても楽しそうで。
見ていると、どんどん、肉がついていって、最後には、骨は見えなくなり大きな肉のかたまりになった。
踊りは、いつまでもつづけられるみたいだった。
四 再び、砂浜で
次の日、男の子はまた、砂浜へ来た。
砂浜へと、防波堤の階段を下りる足取りは、少しだけどはずむようでもあった。
それは男の子の宝物の、顕微鏡の中でぴこぴこと動いていた、ミジンコのように。
砂浜には、だれの姿もなかった。
ビーチボールで遊ぶ子らも、犬を連れて海辺を散歩するおじいさんも。
男の子の好きな、静けさが、そこにはいくらでもあった。
雲がぽかりと、三つ四つ浮かぶ空はきれいすぎる水色で、おだやかに波をよこす海の青は、深い。
そのあと、風景のように、砂浜にしゃがみこむ男の子の姿もなかった。
男の子は歩いた。
もう人がまばらな、海水浴場のある方の砂浜……釣り人たちのいる堤防、テトラポッド……暗い岬の影……もう一度、最初の砂浜……海の家。
どこにも、サンダルを探す女の子の姿はなかった。
岬の下では、ぴんくがかった貝がらを見つけて、なんとなくポケットに入れた。
それくらいで、他に男の子の目にうつるものは皆うすぼけて、色あせて見え、また、だれの目にも、男の子はうつらないのだった。
夏のおわりの砂浜はまだ暑く、ところどころ、かげろうがゆれて見えた。
男の子はこの日、砂浜の骨を見ることはなかった。
五 夜祭り
昼間の暑さはひいて、すずしい風が、海辺の町にふいた。
夕方になっても、男の子はひとりだった。
そのまま日が暮れるか暮れないかのうち、町に笛や太鼓の音が聴こえ、夜祭りが始まった。
このお祭りがすぎれば、夏もおわりだといわれているお祭りだった。
町なかの商店街を抜けて、海水浴場の後ろ手にある神社へつづくまでの、数百メートルの道にお店が並ぶ。
だけどそれはにぎやかな露天商のお店ではなく、町の商店街が出す小さなお店で、数もまばらだった。
人も、多くない。
灯かりが道を照らし、おばあさんと、おばあさんに手を引かれる幼い子の影が、大きなけもののようになって、男の子の横を過ぎていった。
夜店の人は、中でなにかひそひそ話していたり、ぼうっと前を向いたりして、男の子に声をかけるものもなかった。
商店街の方から、ひととおり歩いたけれど、もうだれともすれちがうことはなかった。
金魚すくいのお店と、水風船のお店に、子どもらが二、三人座りこんでいた。
木陰に、お面をかぶった小さな子がいて、一度男の子をちらりと見たようだったけど、それっきりだった。
ふり返ると、もときた商店街の入り口あたりに、少しひとだかりがあって、ときおり笑い声があがった。
りんご飴のにおいが、流れてきた。
男の子はやっぱりひとりだった。
笛と太鼓の音が聴こえている、神社へと足を運ぶと、いくつも立ち並ぶ鳥居の向こうに小さく踊る影が見えた。
さびしい、笛と太鼓の音だった。
鳥居の影から、じっと見ていると、踊り手の影は五、六もあるようだったが、だんだんと減っていき、そのうち音楽もやんだ。
すると灯かりが消えまっ暗になり、やがてたいまつをともした行列が、鳥居を抜けてこちらへ歩いてくる。
男の子は、海のほうへ走った。
息をととのえて、防波堤に座りこんでいると、たいまつをかかげた行列は、砂浜ヘとつづく階段をゆっくり下りていった。
砂浜で、歌か、お経だかしれない、人の声がいくつか重なってひびいていた。
そしてそのあと、海に、たいまつのよりもっと小さな、小さな灯かりが浮かべられ、それはゆっくり、ゆっくりと、沖のほうへ流れていく。
男の子はそれをいつまでもながめていた。
灯かりは、沖で、見えなくなるかならないかのところでしばらく停止したままのように思えたが、やがて、見えなくなった。
もう砂浜にはだれもいなくて、商店街から神社へつづく道の夜店も皆、かたづけられていた。
男の子は灯かりの去った海の向こうを見つめ、顔をあげれば目に入る、いくたの星々には気づかないのだった。
六 海の家、雨の日
あくる日、男の子は、海の家でまた女の子に会った。
砂浜は、朝から降りつづく細かい雨にうたれ、しゃらしゃらと、海岸にうちあげられた貝がらや魚や、砂のひとつぶひとつぶまでが、泣いているみたいだった。あるいは、はしゃいでいるみたいだった。
海の方は、しろい煙を吐いているようで、遠くはぼやけて見えなかった。
男の子と女の子は、少し離れた椅子にこしかけ、ずっと外を見ている。
何十分も経ったかもしれないし、五分くらいなのかもしれない。
ふたりとも、なにもしゃべらないままだった。
女の子はまっすぐ海の方をながめ、男の子は空をながめていた。
ふと、
「もう、九月だね」
「もうわたし、行かなきゃ……」
「いつ? どこへ、きみは、帰るの」
「もうすぐ。……どこへ行くかは、わかんない」
話し声がやむと、海の家の中はしんと静けさを増し、外の雨は、もっと強く聴こえた。
「あの……これ、あげようと思うんだ」
「だれ? あたしに? ……これ、なに」
「……よくわかんないけど」
「これ……」
もしかしたら、それがきみの……
「ぴんくの貝がらだね、これ」
つばさ……
「きれい」
八 再び、砂浜 そして……
男の子は、砂浜で骨を見ている。
「あのね、お礼!」
ふり向くと、小さなしろい、す足。女の子は、男の子に手をさしだして見せた。
「……?」
「貝がらの」
「ああ、ぴんくの……」
女の子の手のひらには、なにもにぎられていない。
「あなたのこと、つれてきてもいいって」
女の子はそうして、海のほうを指さした。
(海の向こう……それとも、深い海の、底……?)
「つばさは?」
「そんなもの! あたしたちには初めから、ついてるよ。……うそ」
男の子は、少し苦笑いした。
女の子は、くったくなく、笑ってみせた。
「なかったら、探せばいいんだ。……楽しいよきっと」
岬の上では、かわいいビーチサンダルが二つ、まぼろしのように、いつまでも風に吹かれていた。
(「骨とあの子とビーチサンダル」おわり)
骨とあの子とビーチサンダル