夏の骨

 1
 
 どことなくうすぼけたひかりのてらす、砂浜だった。
 ここには、風の吹く気配がない。打ち寄せる波もない内海が広がる。海は、あるいは死んでいるかのように静かすぎたけど、海面はわずかにゆれうごいている。
 海も、砂浜も、遠くの方になると白っぽくにごって、よく景色が見えなかった。町の影もない。
 ちいさな足音がとてもよく響いて、何人かの子ども達がかけてきた。
 すがたは影法師のようで、顔は、白いひかりにあてられ、よく見えない。話し声もぼそぼそとして聴きとれないけど、ただほんのかすかに笑い声が聴きとれる。

 やがて子ども達は、砂浜に沈み込むようにうずまった、何か得体のしれないおおきな骨を見つけるのだった。
 
 
 
 2
 
 はるか、雲の上で……
 
 星達は、今にもやって来る何かに、おびえていた。
 
 ――のみこまれる……
 ――のみこまれるの……?
 ――のみこまれるよう……
 ――そうなんだ。ぼくら、のみこまれるの……
 ――こわい…… ――いやだ…… ――……
 
 星達は、ふるえはじめていた。
 
 
 
 3
                                   
                 ……ぼくはいそいでそのゆめからのがれようとした。おそろしいスピードでとけてゆく、肉のかたまりが、ぼくをおいかけてきたんだ…… とけながら、肉はおおいかぶさるようにして、とうとうぼくのゆくてをふさいだ。ぼろぼろこぼれおちる肉のはへんは、あおじろい足元にすいこまれて、とてもしることのできないふかいあおのふかさまで、おちていくみたいだった。肉はとけつづけながら、とけつづけながら…… ……ぼくは肉がこぼれおちていく、その、とてつもないスピードが、かなしかったの…… ……
 
 
 
 4
 
 ちいさな瓶の中に詰められていた手紙の文字は、ほとんどが消えさってしまって、読みとることはできなかった。
 瓶の底にすこしだけちらばっている砂の粒みたいなもの。
 瓶にはかわいらしい貝がら、それに死んだヒトデが付着してひからびていた。
 
 からっぽだっていうことは、もうかなしくなくて、ただその瓶をにぎりしめたとき、よくわからないけどたぶん、いとしいという気持ちがこころのどこかでうまれてしまったのだった。
 
 
 
 だれかの旅がおわった。
 
 
 
 5
 
 夜の砂浜で、チカチカ、キラキラと、輝いて舞っているものがあった。
 それは、たくさんのちいさないきものがパーティをしてはしゃいでいるようにも、いっぴきのおおきなひかるけものが踊っているようにも見えた。
 何ひとつ音がなく、風もなく、波の動きも暗くて見えない夜の砂浜で、そのダンスはいつまでも、続けられる気がした。
 
 
 
 6
 
 星達は、ぶるぶるぶるぶるふるえるばかりだった。ちいさなてとてをとりあい、だきあってうずくまるものもあったが、やがていっぴきにひきと、しんでいった。星は、しぬと、ひかりをうしない、まっ白くなった。
 
 
 
 7
 
……ビーチサンダルを知りませんか、わたしの、ビーチサンダルを知りませんか。という、声が、がらんとしてさむい感じのする部屋に響いていた。壁にかかったまま忘れられた一枚の絵にそっと、耳を近づけてみる。すると、その中でざわめきのような音が鳴っているのを感じ、胸さわぎを覚えたが、たったいっしゅんのことだった。もう部屋の中にはどんな音もなく、静けさがいたかった。
 
 部屋を出て、絵に何が描いてあったのかわからなくなってしまった。でもそれをそれでいいと思えた。
 
 出たさきは、もう部屋じゃなく、ただ暗く狭い回廊が、続いているのだった。
 
 
 
 8
 
 海上を、手のひらくらいの大きさの幽霊船が漂っていくのに出会った。
 
 
 
 9
 
 いくつのもの、巨大な魚の影が、はるか頭上を流れていく。
 
 あれは死体なの?
 死んでいるものなの……
 女の子は気にした。
 男の子は何も言わなかった。
 ただ、やがて魚の群れがゆきすぎたあと、女の子がそれを追って行ってしまうことが、男の子にはわかっていた。男の子はすこしさみしいのだった。
 
 男の子の水筒はからっぽで、それにもう……(くたびれた、もうほんとうにくたびれたんだ……)
 男の子は何か言いかけたけど、こんどはもう女の子がしゃべらなくなってしまった。
 
 
 残っているビスケットを女の子にあげようと思った。けれど、もうとなりに女の子のすがたはなく、空は、とても静かで、うすぼけて見えた。
 
 
 
 10
 
 砂浜で、子ども達の話し声がした。
「これは……
「……世界の……食べ残し……
「……これは、いすだよ。……これは……
「……だれもほしいと思うひとのないまま、打ち捨てられた宝物だよ……
「……
「……たのしい……
「……たのしいね……
「……うん……うん……
 …………
 まっ青な空が広がり、波の音が高い。
 子ども達のすがたは、小高い砂山に隠れて、見えなかった。
 心地よい風が吹いて、子ども達はふとだまった。
「……あっ」
 欠け落ちたとりでの一塔のような、雲のかけらが浮かんで。
「……
 
 
 
 11
 
 つめたいまっ暗やみの中で、とてもとても静かに、何かあたたかなものを噴き出している場所があった。やわらかなとっきみたいな……
 つめたさと、あたたかさのまじいるそこは、辿り着いたあらゆるもの達の、やすらぎだっただろう。
「はるか遠い地で、別れをおえてきた者……」
 そう、声が響いたとき、とつじょ、おおきなうねりが、ゆらめきが、ゆれが、その一帯に広がった。
 何ひとつ見えない暗やみで、目鼻や耳、口や、手足、中には頭ぜんぶを、失ってここへ来たもの達がいっせいに、叫び、なきだしたのだった。声にならぬ声で……いきもの達が、ひとしきりなきわめくのがおわったころ、再び……
「ねむりのとき……」
 
 
 
 やがてまたせいじゃくがきて、つめたさに包まれていく世界、閉じられることを受け入れた……
 
 
 
 12
 
 だれかの旅がおわった。
 
 
 
 13
 
……という、声が、がらんとした部屋に響いていた。ただ一枚だけ、壁にかかっている色あせた絵、何が描かれているのかよくわからないそれにふと耳を近づけてみる。するとその中から、確かに波の音、が聴こえるように感じた。
 
 入ってきたのと反対方向の戸口に、風の手が見えて、わたしを誘う手招きをした。こわくない、もうこわがる必要は何もないのだとわたしはわたしに言い聞かせていた。
 
 
 
 14
 
 港町を一望する夕やけの丘に、ひとりぽっちの女の子がすわりこんで、遠くの海を眺めていた。
 いくつか、残り滓みたいな雲が、海と夕やけのとけあうとこへと流れていくのを、見つめている。
 
 一昨日、海の向こうの国へ行ってしまった男の子のことを、女の子は思い、ビスケットをひとくちかじってみた。
「また会えるかも……しれない……」
 
 女の子は、丘の下に広がる情景に目を向けた。
 そっと夜にくるまれていく時刻、港町は、赤やピンク、緑や白の灯かりをともしだし、方々で人達のざわめきが、ベルや車の音が、うすく響いている。ちいさな湾に帰ってくる漁船の、いくつかのひかりがきらめいている。そろそろ……
 
 
 
「帰ろうかな」
 
 
 
 15
 
 日が暮れる直前、港におとな達がそっと、子ども達に知れないようにつどう。何人かの漁師が、今日、だれかの旅がおわった、それを確認した、わたしも確認した、と口々に、集まった人々へ告げた。
 おとな達は静かにうなずきあうと、いっそうの、ちいさな、手のひらくらいしかないほんとうにちいさな船を海へと流しだすのだった。
 そうするとあしばやに、めいめいのうちへ帰った。
 その夜、港町のあちこちで、やさしい歌が響いていた。
 
 
 
 16
 
 空にまた星達が輝きはじめていた。
 
 
 
 17
 
 砂浜には、もうだれのすがたもなかった。
 
 あいかわらず砂浜の景色はうすぼけて、海面は、動いているのかいないのか、わからない。風も、よくわからない。
 
 
 うちに帰り着いた子ども達は、だれにも知られずに、ひんやりしめったとこにつき、そして気づくのだった――夏がおわったことに。
 
 自分が、今はもうまぼろしであるということには、ただ、もうすこし、気づかないふりをして。
 
 
 *
 
 子ども達はまた明日も、砂浜で骨を見つける。

夏の骨

夏の骨

2007年4月初稿/2007年4月メリーゴーランド童話塾で発表

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-09-30

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